ペレ逝く
昨日早朝、ペレの死去が報じられた。
ブラジル代表として1958年、1962年、1970年の三度ワールドカップ制覇に導いた。
私がワールドカップに興味を持ち始めたころ既に伝説だった。ブログで取り上げずになんとする。
困った。「よいお年を」で結べない。
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昨日早朝、ペレの死去が報じられた。
ブラジル代表として1958年、1962年、1970年の三度ワールドカップ制覇に導いた。
私がワールドカップに興味を持ち始めたころ既に伝説だった。ブログで取り上げずになんとする。
困った。「よいお年を」で結べない。
食みのぼる鮎すむ川の瀬を早み早くや君に恋わたりなむ SWV682
「あの娘に早く会いたいな」くらいの意味。第三句までは「早く」を導き出すための序詞だと察しがつく。「食みのぼる」は「はみのぼる」と読む。「鮎が餌をついばみながら遡上する浅瀬の流れが早いからという訳ではないが…」くらいの現代語訳で大滑りはせぬが、こうした小道具の配置が織りなす空気も味わっておきたい。好きな子に会う前の心ときめく様子。はやる心の反映でなくてなんとする。「早く早く」と重ねる意図はそれに決まっている。「恋渡る」は瀬を渡るに通じてはいまいか。何よりも鮎は、お目当ての相手の描写なのではないか。平たく申せば「若くてピチピチな彼女」なのではあるまいかとお叱り覚悟の妄想にまで踏み込みたい。22歳の若者のモノローグなら全く不思議でもなかろう。
その分、和歌の伝統からははずれる。異本にひっそりくらいでちょうどいい。
もののふの矢並みつくろふ籠手の上に霰手走る那須の篠原 SWV677
定家所伝本に収載されていない。これを現代に伝えた柳営亜槐本でかした。射出前に矢の並びを整えている武者の左腕には、弦の跳ね返りから腕を守る「籠手」(こて)という防具がついている。その上に霰が音を立ててあたっていると詠む。「手走る」は「たばしる」と訓ずる。霰の勢いを一言で切り取る。場所は那須野。小さな竹が多く自生するという狩の現場である。「矢並みつくろふ」とは独特の言い回し。武士ならではの小道具「籠手」に霰が「手走る」という絶妙の取り合わせに舌を巻く。「籠手の上に」が字余りで1拍休符が入る感じも気に入っている。
先輩歌人の霰の歌と比べてみる。
藤原俊成と九条良経の霰の競演が千載和歌集に並んで収載されている。冷え込む冬の夜の描写で、厳しさが漂う。特に良経のこの歌は大好きで、実朝作に脳内で拮抗している。しかし、小道具の選択と配置で実朝にためらわずに軍配を上げる私が居る。
年も押し詰まってこの歌か。
朝浄め格子な上げそ行く春をわが閨のうちにしばしとどめよ SWV667
受験生の間では割と必須。「な~そ」は禁止をあらわす構文として菅原道真公のお歌「春な忘れそ」が名高い。実朝にも実例があった。第二句「格子な上げそ」は、「格子を上げてはなりませぬ」ということだ。初句「朝浄め」は「朝のお掃除」の意味で、時にそれを行う人を指す。自分の寝室をお掃除する人に、「格子を上げてはなりませぬ」と命じておいて、第三句以下にその理由を述べる。去り行く春を少しでも長く寝室に引き留めておきたいという心境を詠んだ。第四句の字余りが時間を堰き止めたい気持ちを反映しているかもしれぬ。淀みなくさらさら流れては具合が悪かろう。行く春を惜しむ古典和歌の定型と言ってしまえばその通りだが、読み終えてなんだかほっとする。格子を上げないくらいで行く春を引き留められるはずもないからこそ、チャーミングな誇張として成立する。
青柳の糸より伝ふ白露を玉と見るまで春雨ぞ降る SWV665
美しい。「玉」が宝石のことだとわかっていれば現代語訳不要だ。万葉集1598大伴家持「さを鹿の朝立つ野辺の秋萩に玉と見るまでおける白露」の本歌取り。第四句扇の要に「玉と見るまで」が鎮座し「白露」と重ね合わせるという構造は共通だ。家持の「秋&さを鹿&萩」を「春&青柳&雨」に呼応させている。「白露」と「秋」は相性がいいことは確かだから、春に場面転換するにあたっては「春」と相性がいい「青」を柳に添える工夫も見逃せない。
家持にとって白露は「置くもの」であるのに対し、実朝は「糸より伝ふ」ものと捉えなおした。追随した実朝が見せる繊細な感覚がまぶしい。「俺ならこうする」とばかりにさしかえた「糸より伝ふ」の語感につくづく共感する。この作品が定家所伝本で抜けているのはなぜだろう。定家が削除したとは考えたくない。定家に献上後に詠まれたものが、別に伝えられていて、柳営亜槐本で再録されたと思いたい。その再録が足利義政ならうれしい。
咲きしよりかねてぞ惜しき梅の花散りの別れは我が身と思へば SWV664
SWV663で定家所伝本「金槐和歌集」収載作品が終わった。その後53首は柳槐亜槐本に見られる増補が続く。本日はその冒頭歌である。実朝は稀代の梅詠みだ。梅は新春一番に咲いて春を告げるおめでたい花という前提で詠まれているのだが、実朝の手にかかると「めでたい」とばかりも言えない翳りがついて回る。本日の作品もその系統上にある。梅は咲いた瞬間から散るのを惜しむばかりだと嘆く。しかもその別れは自分自身の落命によるものだと予言めく。後世の我々は鶴ケ丘八幡宮での惨劇を知っているけれど、実朝がそれを予見していたかの詠みぶりだ。実朝の預かり知らぬレベルの説得力が宿ってしまう。
小倉百人一首「花誘ふ嵐の庭の雪ならで降りゆくものは我が身なりけり」という歌がある。入道前太政大臣・西園寺公経の作。小学校から中学にかけて、私はこの歌が好きだった。絶対に取りたい札だった。意味も背景もわからず単に感覚だけだ。今冷静に味わってみるとすごい歌だ。上の句は桜の頂点。散り敷く花びらが雪と紛うという王道を提示し、爛漫ぶりは第四句に至るも維持されはするのだが、結句で「古っているのは自分自身だ」というオチ。後半アディショナルタイムの失点みたいとでも申すか。「降り」は「古り」に一瞬で転換する。
本日の実朝のお歌が、かぶって聞こえて仕方がない。初句から結句までに一致がないから本歌取りとは言えないけれど、上の句と下の句の落差に焦点が来ている。片や桜、片や梅ではあるけれど、散りを我が身になぞらえる趣向も一致する。公経の歌は1235年成立の9番めの新勅撰和歌集に採られるが実朝没後のことなどで、実朝がこの歌を知っていたかは定かではない。公経も金槐和歌集の異本にあるだけの実朝の本作を知っていたかどうかも怪しい。二人がお互いを知っていたことだけは確かなようだ。
山は裂け海は浅せなむ世なりとも君に二心我があらめやも SWV663
定家所伝本「金槐和歌集」のラストを飾るお歌。山が裂けたり海が干上がったりは、誇張。「白髪三千丈」と同じだ。ありえないと皆が分かっているから最上級の「万が一」を形容して余りある。ここでいう「君」は後鳥羽院だ。どんなことがあろうとも裏切ることはありませんと、自らの忠誠心を悠々と万葉調に乗せて叫んでいる。第四句に置かれる字余りが思いの丈を強調しているようにも見える。これほどの決意がさらさらと流れては困るとばかりにだ。
東の国に我が居れば朝日さす藐姑射の山の陰となりにき SWV662
「私は東国におりますので、朝日にまぶしく輝く藐姑射(はこや)のお山の陰に入らせてもらっています」くらいの意味。藐姑射の山とは中国で仙人が棲むという想像上の山だ。ここでは後鳥羽上皇の御所の意味に用いている。上皇への忠誠を誓う意図は明らかながら、鎌倉在住の征夷大将軍の自覚も潜んでいよう。「東」は「ひむかし」と訓ずる。人麻呂に「東の野にかぎろひの立つ見えて返り見すれば月傾ぶきぬ」と同じだ。「西」という単語を用いずに「西」を表す歌聖ならではの着想。人麻呂から学んだようでいて、丸写しを避け、「東の国」と用いた彼は東の王者だ。
神風や朝日の宮の宮うつし影のどかなる世にこそありけれ SWV659
二十年に一度行われる伊勢神宮の神事。もっとも最近は2013年だから、2013年から20年ずつさかのぼればいいかというとそうでもない。事情により延期されたこともあるし、内宮と外宮で別の年だったこともある。幸い「朝日の宮」は内宮のことなので、歴史を紐解くと実朝在世中は承元3年しかない。西暦に直すと1209年だ。珍しく詠作の時期が分かるお歌だ。式年遷宮を寿いで、世の中の平安を祈念したシンプルな内容である。実朝は鎌倉にいながら、歌で伊勢神宮を寿いだ。神風、朝日の宮に続く「影のどかなる」が焦点で、この言い回しは17歳の実朝のセンスが光る。周知のとおり、伊勢神宮は皇室の祖神であるから、式年遷宮への敬意は皇室への敬意と同義である。時の天皇は土御門帝の御代ではあるものの、父の後鳥羽院は上皇として健在だ。どこまでも朝廷への尊崇が厚い実朝である。
今造る三輪の祝りの杉社過ぎにしことは言はずともよし SWV652
「過ぎたことはとやかく詮索せんでもいい」程度の意味。上の句は「序詞」だ。第三句の「杉社」が「過ぎにし」を語り起こすきっかけになっているということとまずは理解する。三輪は奈良県の名高い歌枕。「祝り」は「はふり」と訓じて「神官」のことだ。「これから作る杉に囲まれた神社」程度の意味と心得ておけばいい。となるとだ。未来を暗示していると考えられる。下の句側の「過去」と対比させているから、軽率に単なる序詞と踏んでは実朝の狙いを見誤る。「未来を見据えれば、過去のことをいつまでもうだうだ詮索するなよ」というモノローグだ。詞書も歌が作られた詳しい背景には触れていないから、状況はわからぬが、未来志向の歌だ。
PKのことはもはや忘れます。
みづがきの久しき世よりゆふだすきかけし心は神ぞ知るらむ SWV645
「昔から私が信心深いことは神もご存じですわ」くらいの意味。ではあるのだが、それを歌の域にまで持ち上げる実朝のさり気ない技巧である。まず初句。「みづがき」は「瑞垣」と書いて「神社の垣根」の美称であると同時に「久しく」を導き寄せる枕詞である。単に「神」の枕詞なら「千早ぶる」という大定番があるところ、こちらはぐっと新鮮な脇道。「瑞々しい」感じもかすかにほのめかしていよう。そして第三句にも枕詞が来る。「ゆふだすき」は「掛ける」の枕詞となっている。「ゆうだすき」自体の柔らかな語感も「みづがきの」と相反しない。一首に2つの枕詞を配置するちょっと見かけない例だ。言いたいことはシンプルながら。枕詞の重複によって和歌の語調が確保されている。
伊豆の国山の南に出づる湯の速きは神の験なりけり SWV643
走る湯の神とはむべぞ言ひけらし速き験のあればなりけり SWV644
二所詣で知られる伊豆山の別名は走湯山だ。山上にあるお社から長い石段がふもとの海辺に続いている。そこには今でも小さな洞窟から温泉がほとばしり出ている。これが走湯山の由来であるばかりか「伊豆」の語源でもあるらしい。これらの歌はそうした事情をすべて手際よく歌に込めてある。お湯のほとばしる速さが、そのままご利益を引き寄せる速さでもあるのだろう。「むべぞ言ひけらし」とは「うまいことをいうもんだ」くらいのノリ。流麗な歌の調子もお湯の速さに負けていない。
大海の磯もとどろに寄する波破れて砕けて裂けて散るかも SWV641
耳を澄ませてほしい。第二句の「とどろに」で音がする。続く第三句以降19文字の中に動詞が5つもある。そしてその5つの動詞全てが「波」を主語に仰ぐことで、音の原因を指し示ながら波の様々なありようを切り取る。「砕け散る」のような複合動詞にもなっていない。ぶっきらぼうに雑魚寝しているようで、寄せてから散るまでの順番も顧慮されているかもしれない。日本の文学史上最高の海の描写だと信じて疑わない私がいる。唯一これに対抗できるのは、北斎の「神奈川沖裏波」くらいではなかろうか。泣きたい。
これを勅撰和歌集に採らずになんとする。
ブログ「ブラームスの辞書」のオフィシャルなゴール2033年5月7日まで記事更新をするには10252本の記事が必要だ。人名のカテゴリー収載本数がその1%103本に達した場合、その人物を1%クラブ入会と認定している。下記の通りだ。
昨日の記事をもってカテゴリー「源実朝」の記事が103本に到達した。9月17日実朝の830回目のお誕生日に始まった「実朝特集」は、実朝を1%クラブに招き入れるための企画だったと言い換えていい。ベートーヴェン、モーツアルト、シューマンあるいはワーグナーを差し置いて実朝とは我ながらアナーキーだ。
実朝の手も借りたいくらいの道のり。
そうそう、ワールドカップ・カタール大会は今夜の決勝戦をもってお開きとなる。ブログ「ブラームスの辞書」開設は2005年だから、これにて5回のワールドカップを見送ることになる。2033年5月のゴールまでに迎えるワールドカップはあとたったの2回でしかない。
空や海うみやそらともえぞ分かぬ霞も波も立ち満ちにつつ SWV640
詞書に「あさぼらけ」とある。空には霞、海には波が満ちていて区別ができないと驚いている。「空や海」「うみやそら」という反復が錯綜ぶりをうかがわせ、第三句「えぞ分かぬ」に収束する。「え~ぬ」は不可能をあらわすと古典の時間に習ったけれど、はまりまくる実例を示された気がする。「え」のあとに「ぞ」が来ているので不可能がいっそう強調されている。「霞」「波」という指摘が心地よい。どちらも「立つ」ものだという辻褄。
京都にいながら定型にそって詠む歌人たちとは明らかに一線を画す。実朝は海を知っている。案の定勅撰和歌集には採られない。
箱根路をわれ越え来れば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ SWV639
二所参詣時の詠作。山路を歩いてパッと海が見えた。それが伊豆の海だと知らされて、息を呑む思いで詠んだものとは思うが何かと周到だ。歩き続けた到達点で見たことが仄めかされる。実在の地名「伊豆」が、「出づ」を想起させ辿り着いた感が横溢する。万葉集「大坂をわれ越えくれば二上にもみぢ葉流る時雨降りつつ」を踏まえた第二句「われ越え来れば」を受ける第三句の巧妙な字余りによって一服したあと、第四句から結句まで一気だ。地名2つが織り込まれることによる空間の広がりにあって、波の寄る一瞬をすっぱりと写し取る切れ味。海のない京都で見たことのない海を巧妙に詠むのも技のうちとわかってはいても、伊豆や鎌倉の海を見たことのある実朝の迫力には抗し難い魅力がある。
定家の息子・為家によって続後撰和歌集に採用された。いやもう定家がなぜ採用しなかったのか不思議なくらいだ。
玉櫛笥箱根のみ湖けけれあれや二国かけて中にたゆたふ SWV638
いやはや何とも突っ込み所満載だ。「玉櫛笥」は「たまくしげ」と読んで「箱」にかかる枕詞。地名としての「箱根」を導き寄せる。そうそれで「み湖」は「みうみ」と読む。現代人でもこれが芦ノ湖だとわかる。二所参詣の途上、芦ノ湖を見て実朝が感じ入って詠んだ。「けけれ」は東国方言で「こころ」のことだ。万葉集に「父母が頭かきなで幸くあれと言ひしけとばぜ忘れかねつる」を思い出す。「言葉」が「けとば」と訛っていた。「お段」が「え段」に変化するのが東国方言なのかと妙に納得。「心ある」とは「思いやり」のことで、主語は擬人化された芦ノ湖である。ここまででも腹いっぱいの突っ込みどころだが、まだ先がある。「二国」とは「相模」と「駿河」のこと。こんなに美しい湖が相模駿河に等しく接しているという感慨である。「たゆたふ」は、まったり、ゆったりな感じ。「Largo」みたいな印象。さまざまな切り口がてんこ盛りなのだが、「けけれ」と「たゆたふ」のおかげでせせこましくならずにすんだと言うべきか。京都の貴族たちには絶対詠めない歌。東国武士のDNAのなせる業なのだが、単なる武骨でもないという絶妙なところ。
旅を行きしあとの宿守おのおのに私あれや今朝はいまだ来ぬ SWV636
二所参詣は、箱根権現と伊豆山権現をお参りすることだ。鎌倉在住の実朝がこれを試みるならば、ちょっとした小旅行で留守番には確かな者を立てたはずだ。それが宿守である。帰着翌朝、信頼厚い近習が出仕してこないなと詠んでいる。叱責する様子もなく、「おのおの何か事情があるのだろう」と一人で納得する征夷大将軍だ。近習は複数いて誰も来ていないのを寂しがるでもなく、咎めるでもない鷹揚な感じがする。初句と結句の字余りがなんだかほっとさせるものがある。
部下に慕われていたのかもしれぬ。
くれなゐの千入のまふり山の端に日の入るときの空にぞありける SWV633
下の句で夕日とわかる。現代なら写メってインスタ映えは確実なところ、実朝は夕焼けの絶景をなんとか歌で伝えようと試みる。それが上の句に結実する。「千入」は「ちしお」と読む。実際に千回ではなく「たくさん」の意味だ。染め汁に何度もつけて色を濃くすることを「まふり」という。「くれなゐ」はベニバナの染料。これをうーんと濃縮したような赤だと彼は言いたいのだ。当時の人はスマホの知識はゼロだが、染色の知識は広くて深い。こう詠むことで伝わると確信している実朝は、結句に字余りを配してどっしりと踏みしめる。
これをスルーするか。勅撰和歌集の撰者たちよ。
結ひ初めて慣れしたぶさの濃むらさき思はず今も浅かりきとは SWV632
古典和歌における恋歌の定型としては異例の歌。だから雑歌の部に入れられているのかもしれない。実態はどうあれ歌の世界では待つのは大抵女性側だけれど、ここでは男の側が女に去られて茫然としている。実話に近いのではあるまいか。「たぶさ」は「髻」という字で、「もとどり」とも読む。頭の頂に髪を束ねる髪型のことだ。束ねる紐を元結と言って、ここではそれが濃むらさきだと言っている。結婚の準備が整った験ともされている。「お付き合いが始まってからずっと慣れてきたあなたの濃むらさきを思い出すと、今もって情愛が浅かったとは思えないのだけれど」というくらいの意味。いろいろ深い事情もありそうだが、歌に仕立てるとサラリとしている。「結ひ初め」「たぶさ」「濃むらさき」がちりばめられているせいで、ドロドロなものをマスキングしているとでも申し上げるべきか。
そりゃ、勅撰和歌集には既読スルーをかまされるが、私はこれがいい。
時により過ぐれば民の嘆きなり八大竜王雨止め給へ SWV619
建暦元年七月の大雨洪水に接した実朝が水神に直談判を試みた歌。和歌の世界で地名以外の四文字熟語はどちらかというと異例。大和言葉っぽくないからだ。そんなことはお構いなしに「なんとかせい」と八大竜王にすごんで見せる。異例の使いまわしがかえって気迫と説得力を増幅させているように見える。線状降水帯に対抗するにはこのくらいの気迫は最低取り揃えておきたい。案の定、都の手練れたちからはスルーされていて勅撰和歌集にはついぞ採用されなかった。実朝補正のかかった私の脳味噌には後鳥羽院の「我こそは新島守よ隠岐の海の荒き波風心して吹け」に匹敵する。
ちなみに伝足利義政編の「金槐和歌集」柳営亜槐本では本作が大トリになっている。大賛成だ。
とにかくにあればありける世にしあれば無しとてもなき世をも経るかな SWV611
詞書に「わび人の、世に立ち込めるを見て詠める」とある。巷に溢れる貧者を見て詠んでいる。「ある」「なし」をそれぞれ反復対比することで結果として貧者を憐れむようでいて「生きていればどうにかなる」とも説く。はかない人生はどう生きようと同じという無常観めいたものの表出である可能性もうっすらと立ち込める。SWV609からの五首はこの手の無常観の表出になっている。22歳の若さでだ。
物言はぬ四方の獣すらだにもあはれなるかなや親の子を思ふ SWV607
実朝節のある種頂点を形成する。突っ込みどころ満載だ。焦点は「四方の獣」にある。和歌ではあまり用いられない「獣」、さらに「四方の」で強調する。第四句と結句は意味的には倒置。しかも両者字余り。一見ぎくしゃくとした2連続字余りなのだが、ここでは重い上の句の受け皿として機能する。「すら」「だに」のペア。「かな」「や」のペアを見るがいい。おなじ意味、同じ機能の助詞を意図的に連ねている。倒置、2連字余り、助詞連投、これらは全て獣たちが見せる子供への愛情を強調する。改めて第三句に注目願いたい。「すらだにも」だ。「すら」「だに」「も」助詞だけで埋め尽くされている。直前の「獣」を受けて「獣でさえ」を強調して止まない構造だ。なぜか。「それに引き換え人間ときたら」が省略されていると見て間違いあるまい。
実朝の生い立ちや、周囲の状況を思うと迫真の説得力だが、勅撰和歌集には採用されていない。むべなるかな。これを採用するレセプターなんぞ、京都の歌人たちは持ちあわせているまい。
世の中は常にもがもな渚漕ぐ海人の小舟の綱手かなしも SWV604
小倉百人一首収載ゆえか、最も知られた実朝作品かと。結句の「かなしも」は断じて「愛しも」でなければならぬ。「悲しい」ではなく「愛おしい」でなければならない。スラーは二句で切れる。「世の中平穏であってほしい」と願っておいて、続く第三句から結句までを費やしてそれを形容する構造だ。東国には、陸から渡した綱を引いて海上の船を移動させる風習があった。船の上の漕ぎ手と息を合わせることで思ったところに船を導けるという。この歌はその風習が根底にあるから、大きく言えば東歌だ。好天と潮の流れ、あるいは無風に恵まれることが条件である。つまりこれが世の平安のたとえになっていて、「常にもがもな」を説明しているという仕組みだ。海の状態は凪なのだと思われる。だから「渚」と先に示してある。これら全体を愛おしく思うということだ。悲しむではつじつまが合わない。
定家は小倉百人一首のみならず、新勅撰和歌集にも採用した。
世に経れば憂き言の葉の数ごとに絶えず涙の露ぞ置きける SWV602
雑歌の部に置かれる一連の老いを嘆く歌も大詰めだ。言の葉に置く露という着想が細かい。本来は植物の葉に置くところ「葉」を軸足にくるりと裏返して見せる。この世に長く身を置いていると、つらいことを嘆く言葉が涙を誘うというもの。丁寧に説明しようとすればいたずらに字数を費やすところ、和歌に仕立てることでキリリと引き締まる。つらいことの描写には違いあるまいが、引き締まった表現は爽快ですらある。
それはそうだ。彼はこのときまだ22歳。
定家が新勅撰和歌集に採用している。
徒歩人の渡れば揺るぐ葛飾の真間の継橋朽ちやしぬらむ SWV592
万葉集14巻「足の音せず行かむ駒もが葛飾の真間の継橋止まず通はむ」の本歌取り。万葉時代に詠まれた継橋も今では朽ち果てているかもという軽い嘆きと、古い昔への敬意と憧れで出来ている。初句に収まりの悪い字余りがある元歌に、ささっと櫛をいれて整えた実朝の手練れっぷりが際立つ。この手の歌をさらりと詠むから遅れて来た万葉歌人と評されるのだろう。真間はおそらく我が家から最も近い歌枕。
一昨日、ブラームスのヴィオラソナタを聞いてきた。ヴィオラは川本嘉子先生、ピアノは小山実稚恵先生。演目、演奏者とも年内最後の演奏会として万全。ヴィオラソナタは2番から始めて1番で締めるという構成。どちらも楽章間の切れ目なく、演奏されることで緊張感2割り増し。「ヴィオラはC線でしょ」という川本節ではあるのだが、フレーズの要所で披露される細かな気配りの数々に心洗われた時間だった。
最高の瞬間はアンコールの「鳥の歌」の冒頭と末尾に置かれる最弱奏のトレモロだったかもしれぬ。底なしの弱音。神様がそこまで来ていた。
今夜もう一度、お力を借りねばならぬ。
うち忘れはかなくてのみ過ぐし来ぬあはれと思へ身に積もる年 SWV582
SWV577以降しばらく老いの身を嘆く歌が続く。22歳までの作品とわかっていても引き込まれる迫真の描写だ。積み上げる年齢を擬人化してそれに呼びかける趣向着想が実朝案件にふさわしい。時間がたてば老いるということさえ忘れていたということだ。それだって歳のせいなのだと。例によって現代語で説明を試みたらかなり錯綜するけれど、歌の形に整理されるとすんなり入ってくる。若き実朝がこれを詠むのは単に古典和歌の伝統に従っただけとはいえ、私自身がそうした年齢に差し掛かってきていることもあって、身に染みる。
雪つもる和歌の松原古りにけり幾世経ぬらむ玉津島守 SWV572
後鳥羽院の絶唱「我こそは新島守よ隠岐の海の荒き波風心して吹け」のせいで「島守」には敏感に反応する脳味噌になっている。結句に「島守」が来るだけで看過できない。玉津島守とは和歌山県の和歌浦に鎮座する玉津島神社の神官をさす。見ての通り和歌の神様だ。つまりこの歌は和歌の神様へのオマージュである。万葉の伝統に従うなら「和歌の松原」は三重県らしいが、実朝が意図的か勘違いか和歌山県に転用しているということだ。「和歌の浦」「玉津島」と来れば当時の歌人たちはたちどころに「和歌の聖地」と認識することになっている。日本古来の和歌の伝統を思いやり、自分もそこに連なりたいというメッセージに違いあるまい。
ひとりゆく袖より置くか奥山の苔のとぼその道の夕露 SWV556
SWV536雑歌の部に入ってしばらく、季節や旅の部に置かれてもおかしくない境界線があいまいな歌が続く。本日のお歌も旅の部にあっても不思議ではない。もしかして秋の部に置かれても違和感がない。旅のわびしさの描写が秋を錯覚させるせいかとも思う。初句でいきなり「一人旅」を確定させておく。さらに露の置く順序を示すと見せて、「置く」によって奥山を誘発させる。奥山の庵に向かう道を行くのは誰ならぬ自分。4連続の「の」が奥山に分け入る道のりをも暗示するか。ああそれにしてもこの歌を引き締めているのは「とぼそ」だろう。漢字で書くなら「枢」だ。開き戸の部品。あるいは部位。戸側の突出部を受けるため枠側に穿った穴だと説明するしかないが、しばしば「戸」の意味で用いられる。同じ意味で音韻数の違う語が複数あるのは歌を作る上で便利だ。「袖」「袂」「衣手」みたいなものかと納得してはいるものの「とぼそ」の語感はわびしい山路の雰囲気を増強してやまない。実朝独特の言い回し。
我が国のやまとしまねの神たちを今日の禊に手向けつるかな SWV553
支配者が詠むと様になる。大和島根は今でいう奈良県のことではなく日本国のこと。災い、罪あるいは穢れを除くために祈ったということだ。暗い知らせが続くとお祈りくらいしかすることがないのは、今も昔も変わらない。大好きな九条良経に「敷島や大和島根も神代より君のためとや固めおきけむ」とある。太政大臣や征夷大将軍が詠む限り撫民の歌としても通用する。
さてさて、今日から12月。ワールドカップカタール大会のグループリーグも佳境。この歌を大和島根の神々に手向けて、代表戦士へのご加護を祈る次第。
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