海人小舟
世の中は常にもがもな渚漕ぐ海人の小舟の綱手かなしも SWV604
小倉百人一首収載ゆえか、最も知られた実朝作品かと。結句の「かなしも」は断じて「愛しも」でなければならぬ。「悲しい」ではなく「愛おしい」でなければならない。スラーは二句で切れる。「世の中平穏であってほしい」と願っておいて、続く第三句から結句までを費やしてそれを形容する構造だ。東国には、陸から渡した綱を引いて海上の船を移動させる風習があった。船の上の漕ぎ手と息を合わせることで思ったところに船を導けるという。この歌はその風習が根底にあるから、大きく言えば東歌だ。好天と潮の流れ、あるいは無風に恵まれることが条件である。つまりこれが世の平安のたとえになっていて、「常にもがもな」を説明しているという仕組みだ。海の状態は凪なのだと思われる。だから「渚」と先に示してある。これら全体を愛おしく思うということだ。悲しむではつじつまが合わない。
定家は小倉百人一首のみならず、新勅撰和歌集にも採用した。
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