道の夕露
ひとりゆく袖より置くか奥山の苔のとぼその道の夕露 SWV556
SWV536雑歌の部に入ってしばらく、季節や旅の部に置かれてもおかしくない境界線があいまいな歌が続く。本日のお歌も旅の部にあっても不思議ではない。もしかして秋の部に置かれても違和感がない。旅のわびしさの描写が秋を錯覚させるせいかとも思う。初句でいきなり「一人旅」を確定させておく。さらに露の置く順序を示すと見せて、「置く」によって奥山を誘発させる。奥山の庵に向かう道を行くのは誰ならぬ自分。4連続の「の」が奥山に分け入る道のりをも暗示するか。ああそれにしてもこの歌を引き締めているのは「とぼそ」だろう。漢字で書くなら「枢」だ。開き戸の部品。あるいは部位。戸側の突出部を受けるため枠側に穿った穴だと説明するしかないが、しばしば「戸」の意味で用いられる。同じ意味で音韻数の違う語が複数あるのは歌を作る上で便利だ。「袖」「袂」「衣手」みたいなものかと納得してはいるものの「とぼそ」の語感はわびしい山路の雰囲気を増強してやまない。実朝独特の言い回し。
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