咲きしより
咲きしよりかねてぞ惜しき梅の花散りの別れは我が身と思へば SWV664
SWV663で定家所伝本「金槐和歌集」収載作品が終わった。その後53首は柳槐亜槐本に見られる増補が続く。本日はその冒頭歌である。実朝は稀代の梅詠みだ。梅は新春一番に咲いて春を告げるおめでたい花という前提で詠まれているのだが、実朝の手にかかると「めでたい」とばかりも言えない翳りがついて回る。本日の作品もその系統上にある。梅は咲いた瞬間から散るのを惜しむばかりだと嘆く。しかもその別れは自分自身の落命によるものだと予言めく。後世の我々は鶴ケ丘八幡宮での惨劇を知っているけれど、実朝がそれを予見していたかの詠みぶりだ。実朝の預かり知らぬレベルの説得力が宿ってしまう。
小倉百人一首「花誘ふ嵐の庭の雪ならで降りゆくものは我が身なりけり」という歌がある。入道前太政大臣・西園寺公経の作。小学校から中学にかけて、私はこの歌が好きだった。絶対に取りたい札だった。意味も背景もわからず単に感覚だけだ。今冷静に味わってみるとすごい歌だ。上の句は桜の頂点。散り敷く花びらが雪と紛うという王道を提示し、爛漫ぶりは第四句に至るも維持されはするのだが、結句で「古っているのは自分自身だ」というオチ。後半アディショナルタイムの失点みたいとでも申すか。「降り」は「古り」に一瞬で転換する。
本日の実朝のお歌が、かぶって聞こえて仕方がない。初句から結句までに一致がないから本歌取りとは言えないけれど、上の句と下の句の落差に焦点が来ている。片や桜、片や梅ではあるけれど、散りを我が身になぞらえる趣向も一致する。公経の歌は1235年成立の9番めの新勅撰和歌集に採られるが実朝没後のことなどで、実朝がこの歌を知っていたかは定かではない。公経も金槐和歌集の異本にあるだけの実朝の本作を知っていたかどうかも怪しい。二人がお互いを知っていたことだけは確かなようだ。
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