四方の獣
物言はぬ四方の獣すらだにもあはれなるかなや親の子を思ふ SWV607
実朝節のある種頂点を形成する。突っ込みどころ満載だ。焦点は「四方の獣」にある。和歌ではあまり用いられない「獣」、さらに「四方の」で強調する。第四句と結句は意味的には倒置。しかも両者字余り。一見ぎくしゃくとした2連続字余りなのだが、ここでは重い上の句の受け皿として機能する。「すら」「だに」のペア。「かな」「や」のペアを見るがいい。おなじ意味、同じ機能の助詞を意図的に連ねている。倒置、2連字余り、助詞連投、これらは全て獣たちが見せる子供への愛情を強調する。改めて第三句に注目願いたい。「すらだにも」だ。「すら」「だに」「も」助詞だけで埋め尽くされている。直前の「獣」を受けて「獣でさえ」を強調して止まない構造だ。なぜか。「それに引き換え人間ときたら」が省略されていると見て間違いあるまい。
実朝の生い立ちや、周囲の状況を思うと迫真の説得力だが、勅撰和歌集には採用されていない。むべなるかな。これを採用するレセプターなんぞ、京都の歌人たちは持ちあわせているまい。
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