沖の小島
箱根路をわれ越え来れば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ SWV639
二所参詣時の詠作。山路を歩いてパッと海が見えた。それが伊豆の海だと知らされて、息を呑む思いで詠んだものとは思うが何かと周到だ。歩き続けた到達点で見たことが仄めかされる。実在の地名「伊豆」が、「出づ」を想起させ辿り着いた感が横溢する。万葉集「大坂をわれ越えくれば二上にもみぢ葉流る時雨降りつつ」を踏まえた第二句「われ越え来れば」を受ける第三句の巧妙な字余りによって一服したあと、第四句から結句まで一気だ。地名2つが織り込まれることによる空間の広がりにあって、波の寄る一瞬をすっぱりと写し取る切れ味。海のない京都で見たことのない海を巧妙に詠むのも技のうちとわかってはいても、伊豆や鎌倉の海を見たことのある実朝の迫力には抗し難い魅力がある。
定家の息子・為家によって続後撰和歌集に採用された。いやもう定家がなぜ採用しなかったのか不思議なくらいだ。
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