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2023年1月31日 (火)

二重盲検法

薬効の確認をするための方法。本物の薬と偽薬を投与して効果の違いを客観的に測定するために用いられる。投与される治験者はもちろん、試験をする側にもどちらが偽薬かを伏せて行われるため「二重盲検」と称される。

何故このような方法が採用されるのかは、実はシンプルだ。人間の思い込みを検査結果から排除するためだ。逆に申せば人間の思い込みとはそれほど厄介だということだ。「イワシの頭も信心から」と。

場合によっては命にかかわる医薬品の効果の判定だから当たり前だとは思うが、一連のロジックは美しい。数多存在する医薬品候補の中から、晴れて医薬品と認められるための手続きとはいえ、この厳密さは心地よい。複数のものを客観的に比較評価するとはこういうことなのだと思う。

音楽業界では、「同曲異演」を収録したCDの比較対照が無視しえぬ大きなジャンルになっている。同一作品を演奏した複数の演奏間の優劣好悪に言及したサイトや書物は多い。

本日の文脈から見れば当然の疑問がある。

同曲異演のCD比較の論者は、はたして二重盲検法を採用しているのだろうか。

比較論の執筆者は、複数のCDの評価に際して、CD本体やジャケットに記された諸情報を見ずに再生しているのだろうか。演奏者の団体名氏名を含む情報を見ないまま、まず演奏を聴いただけで、比較評価して序列を決定し、然る後に隠しておいた演奏者名を書き加えるという手順が採用されているのだろうか。演奏の評価が既に確立済みの演奏家のイメージに左右されないためには必須の措置だと思うがどうだろう。

場合によっては命に影響する医薬品とは同列に論ずることは出来ないこと重々承知の上だが、気になる。

もちろん、ジャケットに書いてある演奏家の演奏が収録されているという点には、偽装は一切無いということが前提の話である。その点を一切疑わぬという意味を加えれば「三重盲検法」かもしれない。

 

 

2023年1月30日 (月)

お留守な領域

中学で定期購読を始めた雑誌の指揮者特集をむさぼり読んだ。当時の横綱はベルリンフィルのカラヤンとウイーンフィルのベーム。バーンスタイン、クライバー、ショルティが売り出し中だったか。それよりむしろフルトヴェングラー、トスカニーニ、ワルター、クレンペラー、ミュンシュ、ムラヴィンスキー等々、古い方の紹介がメインであった。父は断固カラヤン推し。中学生の私はうろうろするばかりであった。

誰を聞いても同じに聞こえていたのだ。いいと言われればよく聞こえていたと申していい。はっきりってテンポしかわからん。ステレオかモノラルしかわからぬ。誰で聴いても浮かび上がるベートーヴェン節について議論したいのに、指揮者間の細かな違いに汲々としている感じが少し窮屈だった。情報量としてそちらが圧倒的に多かった記憶がある。

2023年1月29日 (日)

視線の先

情報を求めて、音楽系書籍を手に取ると作品論と演奏家論の混在にいやでも気づかされた。演奏家論とふりかぶったところで、所詮中学生の話だ。限られた小遣いで少しでもいい演奏のLPをそろえたいという切実な事情によるものだ。「決定番的な良い演奏で全曲そろえたい」という思い詰めから、演奏家情報に触れるうちに、同曲異演の評論が、作曲家論、作品論と同等のボリュームだということにうすうす気づいた。

父の影響もあって同曲異演の聞き分けが出来るものだと真に受けた。「よし」とばかりにだ。高校に入って少し小遣いが増えると同曲異演ネタの収集に傾斜していった。

2023年1月28日 (土)

三本柱

ベートーヴェンへの傾倒は交響曲から始まった。それでもずっと3番、5番、6番、9番の標題付きに7番を加えた5曲にとどまった。やがてこれにヴァイオリン協奏曲と皇帝が加わる。ピアノソナタは3大ソナタの次にワルトシュタインやテンペスト、あるいは告別など標題付きを飛び越して、後期に走った。ハンマークラヴィーアのあたりだ。そしてそれらに少々遅れて弦楽四重奏の森に踏み込んだ。

ベートーヴェンの創作の柱を「交響曲」「ピアノソナタ」「弦楽四重奏」とおぼろげながら自覚した。今、ブラームスとバッハに費やす時間と同等の時間をベートーヴェンに注ぎ込んだ。LPの購入、スコアの購入に加え音楽雑誌を含む書籍にも手を出した。断固として言えることは、当時はまだネットがなかったことだ。今では想像もできないことだが、情報収集のボリュームとスピードはどうにもならないくらい心細かった。いわば情報に飢えた状態がずっと続いた。音楽雑誌と解説書が宝物だった。

 

2023年1月27日 (金)

最初のLP群

最初に買ったクラシックのLPは運命と未完成のペアだった。次がベートーヴェンの三大ピアノソナタ。しばらくそれらを聴いていた。英雄交響曲や田園交響曲、第七交響曲あるいは第九は少し遅れた。まあ若いせいもあってか奇数番交響曲にはまった。ピアノソナタはずっと3大ソナタにとどまっていたと思う。モーツアルトやチャイコフスキーにも少しだけ触れた。バッハやブラームスはまだ視界に入っていない。

それから学校に売りに来ていた音楽雑誌の定期購読。毎月シングルながらレコードが付録についてきた。リストのピアノ協奏曲とかボレロとかあったと思う。

まだ好みがどちらに向かうかよくわからぬ混沌の中だった。

2023年1月26日 (木)

ステレオ

LPのレコードプレイヤーが我が家に来たのは、私が中学2年の頃だった。父が買ったものだ。私ためのものではなくて、一家に一台というノリだった。クラシック音楽に目覚め始めていた私は、指折り数えて待った。ステレオが届く日放課後の補習授業をさぼって帰宅して、後でコテンパンに叱られた。

はじめて買ったLPはベートーヴェンの運命交響曲と、シューベルト未完成交響曲が収録された1200円の廉価版だった。そのときはまだブラームスの存在を知らなかった。そこからしばらく5年間偏差値と適当につきあう生活をし、要領よく立ち回ったが、レコードはじわじわと増えていった。やがて首尾良く大学に潜り込んでオーケストラに所属したこともあって、生活の中にクラッシク音楽が蔓延した。

やがてそのステレオは私専用になった。中学の残りと高校大学の計8年間、文字通り酷使した。その結果こんな大人が出来上がったという訳だ。

2023年1月25日 (水)

リベートヴェン

50年前、好きで好きでたまらなかったベートーヴェンだ。それから6年後ブラームスに譲るまで私の中の首席作曲家に君臨していた。当時まだLPの時代。小遣いをほぼすべてLPにつぎ込んだ。

少しの間、ブログ上でそれを思い出すことにする。

2023年1月24日 (火)

63歳すなわち

12歳で中学に入学して間もなく、部活にバスケットボールを選ぶ一方、クラシック音楽にも興味を持った。おずおずと全体を聞き始めたものの、1年を過ぎるころにははっきりと「ベートーヴェンラブ」を自覚した。中学2年の年末、父に連れられて第九交響曲を初めて生で聴いて、鳥肌を立てて感動した。本日私は63歳になるから、あれからちょうど50年となる。

クラシックのめりこみ50周年のメモリアルイヤーである。

2023年1月23日 (月)

西暦抜きと年齢抜き

おバカなタイトルだ。作品番号を使ったちょっとしたお遊びの話である。

まずは西暦抜きから説明する。西暦の下二桁と作品番号を見比べる。ブラームスの場合op1の出版は1853年だ。生前最後の出版作品「4つの厳粛な歌」op121は1896年である。つまり53から97までのどこかで作品番号が西暦を追い抜いている計算になる。1878年のヴァイオリンソナタ第一番ト長調op78が「西暦抜き」の一品となる。

年齢抜きは同様のことを年齢で考える。どんなに早熟の天才でも1歳でop1にはなるまい。生後1年で「1」を付与されてから、没するまで毎年1のペースで増えていく年齢に対し、作品番号は立ち上がりこそ遅れるものの、年齢よりは急ピッチで増えてゆくことでどこかで年齢を追い抜く。ブラームスの場合1865年32歳で出版された「8つの歌曲」op32がこれにあたる。

バロック以前の多作時代ではあまり盛り上がらない。また没後後世の研究家によって付与された番号体系もふさわしくないからこの遊びが出来る作曲家は意外に限られる。

困った。明日63歳になるというのに、まだ作品1が出せていない。

2023年1月22日 (日)

今更な疑問

ブラームスの血液型は何だろう。

不思議と書物で言及されていない。血液型の発見は1900年だからブラームスの没後だ。現代では輸血において死活問題であるほか、とりとめもない話のたねを供給してくれてはいるが、当時はそうではなかった。だからブラームスの伝記をいくら読み返したところで話題にすらならない。後世の愛好家はただ想像をたくましくするばかりだ。人種によって構成比も変わるなど統計的医学的裏付けのある話から、眉唾物の仮説まで興味は尽きない。

 

2023年1月21日 (土)

主従関係

源実朝特集の余韻冷めやらぬ中、このタイトルでは将軍と御家人の話かと紛らわしい。

実は調性の件。

  1. 日本語 長調/短調
  2. イタリア語 Maggiore/Minore
  3. 英語 Major/Miner

ズバリ、長調が主で、短調が従に見える。英語は音楽の本場イタリアからの転写が明らかだ。音楽の本家イタリアではこの辺りどうとらえられているのだろう。明治になって西洋音楽を移入した日本では、様々な音楽用語が和訳された。このときMajorとMinerに「長調」「短調」という言葉を充てた。主従関係は薄まるが否定まではしていない語感だ。

大疑問がある。ドイツ語の「dur」「moll」にこうした主従のニュアンスがあるのだろうか?

2023年1月20日 (金)

だから実朝

昨年9月17日「実朝生誕830年」の記念日にスタートした実朝特集を本日のこの記事でお開きとする。開始から10月いっぱいを実朝周辺の歴史的考察にあて、11月から昨日までお歌の論考に費やすという二部形式とした。

いやはや格別の楽しさ。西洋クラシック音楽と日本古典和歌なんぞ、共通点皆無もいいところだが、およそ4か月もブラームスネタを中断して熱中した。別ブログ立ち上げまでは荷が重そうだが、かなり踏ん張れると思えたところが収穫だ。私の実朝ラブの理由が盛り込み切れた。音楽系の記事を通じてブラームスやバッハのキャラを浮き彫りにできればと考えてのブログだが、実朝のキャラにも波及しそうだ。

しかし、よくよく考えると一番浮き彫りになるのは、おそらく私のキャラ。学問であることをあきらめておバカな妄想を情報めかして語るというコンセプトにジャンルは関係ない。「数えることを億劫がらない」をベースに「暇」と「筆まめ」と「凝り性」がブレンドされている。

次の寄港地はどこだろう。

2023年1月19日 (木)

鎌倉右大臣の13首

延々と源実朝の作品について記事を重ねてきた。この辺で実朝作品私的ベストを選定しておく。このところ何かとはやりの13首とする。

<第1位>大海の磯もとどろに寄する波破れて砕けて裂けて散るかも SWV641

 迷いに迷ってこれ。3位までとの差はわずか。史上最高の海の描写。

<第2位>時により過ぐれば民の嘆きなり八大竜王雨止め給へ SWV619

 2020年に選んだ「令和百人一首」ではこの歌を採ったのだが、今回は2位。明日はどうなるやら。

<第3位>もののふの矢並みつくろふ籠手の上に霰手走る那須の篠原 SWV677

 明日首位に出ても驚かないくらいの第3位。「矢」と「霰」に弱い。

<第4位>東の関守る神の手向けとて杉に矢立つる足柄の山  SWV720

 坂東の王者たる風格。

<第5位>結ひ初めて慣れしたぶさの濃むらさき思はず今も浅かりきとは SWV632

 古典のしきたりからすこーしだけ外れた恋。茫然自失の征夷大将軍。

<第6位>おほかたに物思ふとしも無かりけりただわがための秋の夕暮  SWV185

 「自分のための秋」とは近代短歌のモノローグの先取りか。

<第7位>咲きしよりかねてぞ惜しき梅の花散りの別れは我が身と思へば  SWV664

 稀代の梅詠みの真骨頂。梅に翳りを添えさせたら右に出るものはない。

<第8位>食み上る鮎棲む川の瀬を早み早くや君に恋ひわたりなむ  SWV682

 ピチピチの彼女か。

<第9位>くれなゐの千入の真振り山の端に日の入ると時の色にぞありける SWV633

 写メなしのインスタ映え。

<第10位>野辺分けぬ袖だに露は置くものをただこの頃の秋の夕暮  SWV516

 言わぬ美学。わかる者だけついておいで。

<第11首>箱根路をわれ越え来れば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ  SWV639

 詠む遠近法。

<第12位>千々の春万の秋を永らへて花と月とを君ぞ見るべき  SWV353

 知性と情。

<第13位>世の中は常にもがもな渚漕ぐ海人の小舟の綱手かなしも SWV604

 詠むレガート。

現時点における好きな順を、泣く泣くひねり出した。トップ3は紙一重。13位シード権争いも熾烈だった。次点を挙げたらきりがない。

ブラームスやシューベルトの歌曲を特集する度に、その末尾でマイベスト歌曲を選定してきた。選定の過程を悩ましくも楽しいと喜んだ。実朝の13首選定も、同じ種類の楽しさだった。

実朝は「和歌のブラームス」つくづく。

続きを読む "鎌倉右大臣の13首" »

2023年1月18日 (水)

私の25首

実朝作品の抽出において、私と勅撰和歌集では、どうにもズレがあると書いた。実朝を初めて入集させた定家は9番めの勅撰和歌集「新勅撰和歌集」のために実朝作品25首を選んだ。私もこれにあやかって25首を選ぶことにする。「春」「夏」「秋」「冬」「賀」「神祇」「旅」「恋」「雑」の9つの部立てに沿って選出を試みた。

<春>

  • 君ならで誰にか見せむ我が宿の軒端に匂ふ梅の初花 SWV740
  • 咲きしよりかねてぞ惜しき梅の花散りの別れは我が身と思へば SWV664
  • 青柳の糸より伝ふ白露を玉と見るまで春雨ぞ降る SWV665

<夏>

  • いにしへを偲ぶとなしに古里の夕べの雨に匂ふ橘 SWV139
  • 岩くぐる水にや秋のたつたがわ川風涼し夏の夕暮 SWV147

<秋>

  • おほかたに物思ふとしも無かりけりただ我がための秋の夕暮 SWV185
  • 野辺分けぬ袖だに露は置くものをただこの頃の秋の夕暮 SWV516
  • くれなゐの千入の真振り山の端に日の入るときの色にぞありける SWV633

<冬>

  • 雪深き深山の嵐冴え冴えて生駒の岳に霰降るなり SWV336
  • もののふの矢並み繕ふ籠手の上に霰手走る那須の篠原 SWV677

<賀>

  • 千々の春万の秋を永らへて花と月とを君ぞ見るべき SWV353
  • 東の国に我が居れば朝日さすはこやの山の陰となりにき SWV662
  • 山は裂け海は浅せなむ世なりとも君に二心我があらめやも SWV663

<神祇>

  • 時により過ぐれば民の嘆きなり八大竜王雨やめ給へ SWV617
  • 伊豆の国山の南に出づる湯の速きは神の験なりけり SWV643
  • 宮柱太敷立てて万代に今ぞ栄へむ鎌倉の里 SWV715

<旅>

  • 玉櫛笥箱根のみ湖けけれあれや二国にかけて中にたゆたふ SWV638
  • 箱根路をわれ越え来れば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ SWV639
  • 東の関守る神の手向けとて杉に矢立つる足柄の山 SWV720

<恋>

  • 我が恋は初山藍の摺衣人こそ知ららね乱れてぞ思ふ SWV374
  • 結ひ初めて慣れし髻の濃むらさき思はず今も浅かりきとは SWV632
  • 食み上る鮎棲む川の瀬を早み早くや君に恋ひ渡りなむ SWV682

<雑>

  • 世の中は常にもがもな渚漕ぐ海人の小舟の綱手かなしも SWV604
  • 物言はぬ四方の獣すらだにもあはれなるかなや親の子を思ふ SWV607
  • 大海の磯もとどろに寄する波破れて砕けて裂けて散るかも SWV641

現実に勅撰入集している歌10首を赤文字にしておいた。部立てのバランスに配慮すると意外と難しいとわかった。SWV633を無理やり秋に押し込んだ。現実の勅撰和歌集に習って夏と冬は層が薄い。「賀」は概ね天皇礼賛。「神祇」は信仰。「雑」がわずか3枠とはきつい。

我こそは撰者。幸せだ。

2023年1月17日 (火)

勅撰とのズレ

昨日の記事「定家のチョイス」で、定家が新勅撰和歌集に採用した25首と、私の選んだ66首では3首12%しか重複しないと驚いた。しからばとばかりに話を勅撰和歌集全体に広げてみる。実朝の勅撰入集は定家分込みで92首だ。この92首と私の66首との重複は15首、22.7%。明細は下記。

  1. いにしへを偲ぶとなしに古里の夕べの雨に匂ふ橘 SWV139
  2. おほかたに物思ふとしも無かりけりただ我がための秋の夕暮 SWV185
  3. 降らぬ夜も降る夜も紛がふ時雨かな木の葉の後の峰の松風 SWV276
  4. 山高み明け離れゆく横雲の絶え間に見ゆる峰の白雪 SWV333
  5. 雪深き深山の嵐冴え冴えて生駒の岳に霰降るらし SWV336
  6. 千々の春万の秋を永らへて花と月とを君ぞ見るべき SWV353
  7. 千早ぶる伊豆のお山の玉椿八百万代も色はかはらじ SWV366
  8. 我が恋は初山藍の摺衣人こそしらね乱れてぞ思H SWV374
  9. 雪積もる和歌の松原古りにけり幾世経ぬらむ玉津島守 SWV572
  10. 世の中は常にもがもな渚漕ぐ海人の小舟の綱手かなしも SWV604
  11. 箱根路をわれ越え来れば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ SWV639
  12. 伊豆の国山の南に出づる湯の速きは神の験なりけり SWV643
  13. 青柳の糸より伝たふ白露を玉と見るまで春雨ぞ降る SWV665
  14. 山は裂け海は浅せなむ世なりとも君に二心我があらめやも SWV663
  15. 宮柱太敷立てて万代に今ぞ栄へむ鎌倉の里 SWV715

定家の12%に比べれば2倍弱に跳ね上がるとは言え、けして多いとは言えない。そもそも実朝節の根幹と言えるだろうか。SWV639が無かったら実朝作と気づいてもらえるかどうか怪しい。重複数の落差よりもそちらが気になる。

勅撰和歌集の撰選ともなれば春夏秋冬賀旅恋など部立てのバランスや配置にも配慮するなど制約やしきたりもあろう。勅撰和歌集の根幹は春夏秋冬旅恋にある。それに引き換え実朝は雑歌得意という志向の違いも大きいと思う。

勅撰和歌集が私のように「好き」だけを基準にするわけにもいかない事情もわかる。92首のうち77首もスルーもさることながら、一般的に流布する実朝代表作が勅撰入集してないことも散見される。

私のようなニワカの基準が勅撰入集の基準と合致しているハズはないのだと無理やり自分を納得させている。

 

2023年1月16日 (月)

定家のチョイス

昨年11月1日以降、年明け1月11日まで個別の実朝作品について記事を積み重ねた。その間に取り上げたのは66首。現時点における実朝和歌お気に入り66撰と見ていい。現代に伝えられた実朝作品は757首あるので、8.7%を抽出したことになる。

定家は9番めの勅撰和歌集「新勅撰和歌集」において実朝の作品25作を入集させた。その25作品のうち、私の66首との重複作品は下記の3首に留まる。実際に定家が参照していた実朝作品の総数は不明だから抽出率で比較できないのが残念だ。

  • 山高み明け離れ行く横雲の絶え間に見ゆる峰の白雪 SWV333
  • 世の中は常にもがもな渚漕ぐ海人の小舟の綱手かなしも SWV604
  • 山は裂け海は浅せなむ世なりとも君に二心我があらめやも SWV663

たったこれだけかという印象。定家が入集させた歌のうち残り22首を私はスルーしたことになる。私の基準は好きかどうかだけで、勅撰入集は基準にしていなかったとはいえ、極端だ。

2023年1月15日 (日)

銀槐和歌集

実は実は、ひそかに和歌を作る練習もしている。「大独学」ではあるのだが。

2033年5月7日、わがブログ「ブラームスの辞書」が無事ブラームス生誕200年のゴールにたどり着いたあと、気力がめっきり衰えたなどということがないよう、次の目標を考えた。

それは私歌集の制作だ。初学百首をオンディマンド出版してみたい。そしてそのタイトルが「銀槐和歌集」だ。お察しの通り源実朝の歌集「金槐和歌集」のパクリ。

夢のまた夢。

2023年1月14日 (土)

諦めていない

ブログ「ブラームスの辞書」管理人のハンドルネームのことだ。2020年に開設以来のハンドルネーム「アルトのパパ」から現在の「実朝の弟子」に改めた。還暦過ぎていつまでも「パパ」でもあるまいという名目だった。

2005年以来その時点までで15年も「ブラームスラブ」を言い訳に屁理屈をこねまわしてきたのだが、「ブラームスの弟子」とは名乗らなかった。その理由に今言及する。ブラームス大好きではあっても自ら演奏したり、作曲したりは諦めているからだ。大好きではあるけれど、作曲も楽器演奏も自分がすることはない。いや出来ない。

ところが今、臆面もなく「実朝の弟子」を名乗っている。つまりこれはこの先「歌」を自ら作りたいからだ。五七五七七のお歌だ。実朝が精魂込めた古典和歌の創作を諦めていないということだ。「自らの周辺の事実や、自分の信条感情をおれがおれがとばかりに臆面もなく盛り込む」現代短歌とは断固一線を画しつつだ。

2023年1月13日 (金)

運命の二択

18歳の若者を「文系」「理系」に二分する意味を今ほど疑っていなかった私は本当に悩んだ。音楽系や体育会系に進むテクを持ち合わせていないせいもあってだ。得点獲得上「数学」「古典」に傷を持つ私はどちらを選ぶのか。「因数分解」より「品詞分解」の方がいくらかマシということで文系を選んだけれど、このところの実朝特集は古典てんこ盛りなのに違和感がない。「係り結び」「掛詞」「序詞」「縁語」「本歌取り」など息をするように語れる。変われば変わるものだ。

実朝のおかげ。

2023年1月12日 (木)

3年計画

2020 年1月24日から、ブログ「ブラームスの辞書」上で自らの還暦を祝うために「令和百人一首」を企画した。名高い「小倉百人一首」にあやかって私的百人一首の自選を試みた。延々と半年もブラームスネタを中断して和歌ネタを連ねた挙句に、ハンドルネームを「実朝の弟子」に改めた。その「令和百人一首」に源実朝の歌1首を取り入れてはいるものの、実朝ラブの表出は限定的だった。

そして昨年9月17日源実朝生誕830年のメモリアルデーから実朝特集に踏み切った。かれこれ4か月かけて私の実朝ラブを説明してきた。気が付けば、特集「令和百人一首」の立ち上げから丸3年が経過した。3年前特集「令和百人一首」を立ち上げたときから温めていた構想が無事コンプリートした。還暦過ぎてあまりに長い企画はリスクを伴うかとも案じたがなんとか乗り切った。楽しかった。

古典和歌と実朝は、きっとブラームスやバッハとともに私の老後を内面から支える支柱になるだろう。

2023年1月11日 (水)

世も知らじ

世も知らじ我えも知らず唐国のいはくら山に薪樵りしを SWV757

SWV番号の最大値に辿り着いた。出典は「紀伊国風土記」である。現在和歌山県日高郡にある興国寺の縁起によれば、開祖願性上人は、もともと武士。実朝の近習だった人。ある日彼は目覚めた実朝から夢の話を聞いた。実朝の前世は宋の雁蕩山の僧だったという。その修行の力で日本の将軍になったという夢だったと言ってこの歌を詠んだということだ。

出家前の名を藤原景倫というこの人、前世の因縁を調べるため実朝に命じられて宋に行くことになった。雁蕩山の絵図を持ち返る使命もあった。渡宋のため博多で風待ちしていたところ、実朝暗殺の悲報を受けて渡航は中止。すぐに出家して願性上人と名乗ったものの、鎌倉には帰らずに高野山に入って修行し、実朝の菩提を弔ったという。和歌山に実朝系の伝承が残るのはこのことによる。

実朝を慕ったこの男が伝える歌には迫力がある。「世間もあるいは私も忘れていたが、私は宋で仏の修行をしていたのです」くらいの意味。「薪樵る」は修行するという意味で同時に、「鎌倉山」を導き寄せる枕詞でもある。

現存する実朝作品のラストを飾るにふさわしい壮大なスケール。

2023年1月10日 (火)

熱海

都より巽にあたり出で湯あり名は東路のあつ海と言ふ SWV756

「都の巽」といえば、宇治だ。小倉百人一首・喜撰法師の「わが庵は都の巽しかぞ住む世をうぢやまと人は言ふなり」がすぐに思い出される。巽は「たつみ」と読まれて東南を表す。西北とともに縁起のいい方角だから、京都の東南にある宇治が貴族の別荘地になる。本作もまた都の東南に温泉があるという。「あつ海」は「熱海」でこれは現在の静岡県熱海温泉を指す。「あ」音の心地よい連鎖が湧出の勢いをも指し示すか。熱海礼賛のお歌だ。実朝は熱海を詠むにあたり、都の巽と言っているからこれは幕府のある鎌倉のことではなく京都のことだとわかる。確かに東南には違いあるまいが、距離が遠い。宇治を説明する起点に京都を据えるのは自然だけれど、熱海の説明を京都から語り起こすおおらかな感覚を味わいたい

 

2023年1月 9日 (月)

山鳩

飛びかかる八幡の山の山鳩の鳴くなる声は宮もとどろに SWV748

「八幡山」は鎌倉鶴ケ丘八幡宮の裏山だ。山鳩の泣き声がその鶴ケ丘八幡宮の社殿にとどろいていると詠む。鳩の声が社殿をとどろかすほどかということで、読み手にはそれが誇張だとわかることもあって、上級の比喩になる。実朝による「とどろに」の用例はこのほかに2首。

SWV071 山風の桜吹きまく音すなり吉野の滝の岩もとどろに 「滝の音」

SWV641 大海の磯もとどろに寄する波割れて砕けて裂けて散るかも 「波の音」

どちらも水のほとばしりの形容である。鳩の声がこれらに比肩するということはかなりなインパクトだ。初句で「飛びかかる」と振りかぶるのもうなずける。第二句以降「や」音の連投で生まれる心地よくせり上がるリズムは、あるいは鳴き声の反映かもしれぬ。それが結句で「とどろに」と結実したと見たい。

何はともあれ、鳩の声は吉事である。結果として鶴ケ丘八幡宮、ひいては鎌倉、源氏の反映を祈念していると解したい。

2023年1月 8日 (日)

知る人ぞ知る

君ならで誰にか見せむ我が宿の軒端に匂ふ梅の初花 SWV740

梅詠み実朝の真骨頂。とかく寄り添いがちな翳りは見られない。庭に初めて咲いた梅一房に添えた「我が屋の梅、あんたに見せないで誰にみせるのよ」というメッセージ。ここでいう「君」は塩屋朝業という信頼厚き部下。実朝没後に出家して信生と称した。彼もまたひとかどの歌人だからなのだろう。この歌は紀友則「君ならで誰にか見せむ梅の花色をも香をも知る人ぞ知る」を元歌に踏まえている。合わせ技で塩屋朝業を梅の色や香りを愛する風流人認定をしているということだ。贈った歌に接して、ただちに元歌を思い出してもらえることを確信していればこそのメッセージだ。

贈られた朝業は、そりゃもう喜んだ。返歌「嬉しさも匂ひも袖に余りけり我がため折れる梅の初花」にはその喜びがあふれている。見事な反応というほかはない。主君に対するリターンエースをねらったか。梅の香りが袖に遷移するのは古典和歌の常識だ。うれしいと言うだけにとどまらぬ機転を実朝も喜んだはずだ。現に「玉葉和歌集」に採用されてしまった。贈った側の実朝の歌は勅撰和歌集に採られていないというのに。

2023年1月 7日 (土)

大和撫子

ふるさととなりにし小野の朝露に濡れつつ匂ふ大和なでしこ SWV735

「ふるさと」は故郷の意味ではない。「古い里」だ。荒廃して荒れ野になってしまっても、大和撫子が美しく咲いている程度の意味。「大和撫子」が日本女性の美称であるという意識が実朝にあったかどうか確認できていないが、よいではないか。一般に「大和撫子」の反対概念は「益荒男」で、万葉集は時に「益荒男振り」と評される。実朝は遅れてきた益荒男ぶり。

2023年1月 6日 (金)

矢立ての杉

東路の関守る神の手向けとて杉に矢立つる足柄の山 SWV720

お正月に破魔矢つきものとばかりに昨日は「矢筋」で本日は「矢立」である。そういえば「矢並」もあった。実朝は「矢」にまつわるこうした言い回しの数々を実に効果的に配置する。足柄は古代東海道の関所があった。通行の安全や武運を祈る武士たちは関所を通過する時に杉に矢を立てた。各地に「矢立ての杉」が残るし、全国各地に関所はある。逢坂の関、勿来の関、白河の関など、歌枕にもなっているが、足柄を選ぶのが実朝だ。足柄は実朝もよく知っている上に、初句に東路と振りかぶるためには足柄でなければならぬ。関所のある足柄峠は足柄坂とも言われ、相模と駿河の国境であった。ここより東が坂東と呼ばれていた。だから初句「東路の」が生き生きとこだまする。鎌倉に居住する坂東武者の棟梁に相応しい格調だ。

2023年1月 5日 (木)

矢筋違ふな

世の中は押して放ちの相違なく思ふ矢筋よ神も違ふな SWV718

世の中も神のご加護を得て願い通りになってほしいと詠む。世の中の平安への祈りが、願い通りにかないますようにと神に念を押している。つまりそれは、そうはならないことが多いということの裏返しでもある。世の中が平安でないということは、神が狙いをはずしたからだという着想だ。自らの身辺の平安ではなく、世の中の平安を祈るところが支配者たる者の務めであるという自負が籠っている。そのことを強烈に印象付けるのが「矢筋」だ。世の中の平安に対する思いがいかに強くても、皇族や貴族が気軽に使える語彙ではない。実朝はそれを自然に配置する。

お正月と言えば破魔矢だ。

2023年1月 4日 (水)

忌み歌

出で去なば主無き宿となりぬとも軒端の梅よ春を忘るな SWV717

伝・実朝辞世。「金槐和歌集」に収載はなく、「吾妻鏡」健保七年正月二十七日の記事に禁忌の歌として記載されている。暗殺当日の朝、庭の梅を見て詠んだという。菅原道真公が太宰府に流される際に詠んだ「東風吹かば匂ひ起こせよ梅の花主無しとて春な忘れそ」に酷似する。稀代の梅詠み・実朝の辞世に相応しいといえば相応しいが、出来過ぎの誹りは免れまい。名のある武将が、不慮の死に備えて辞世を持ち歩いていたという話も聞くが、暗殺が真夏だったらどうにもなじまない。

春真っ先に咲く梅を寿ぐ歌は数多いが、実朝の手にかかると、翳りも忍び寄る。我々後世の愛好家は、あの惨劇を知っているから味わいがその影響を受ける。かといってこの歌にスルーをかます度胸もない。1日2日と正月に相応しい歌が並んだとはしゃいではみたが、本日のお歌でリセットされる感じ。せめて3が日を避けるというささやかな配慮。

2023年1月 3日 (火)

動作確認

自分の脳味噌の動作確認だ。還暦を過ぎてあちこちに衰えも忍び寄ってきている。2005年以来続けているブログ「ブラームスの辞書」上でブラームスネタを延々とこねてきているが、愛する源実朝という燃料を投下されて、自分の脳味噌がどう反応するのか怖くもあった。ここまでのところ想像を超える働きぶりだ。実朝ネタでならいくらでも記事が湧く。しめしめだ。

 

2023年1月 2日 (月)

太敷立てて

宮柱太敷立ててよろず世に今ぞ栄へむ鎌倉の里 SWV715 

神の住まう鶴ケ丘八幡宮の神殿の柱をしっかり立てたので、この鎌倉の里も末永く栄えるだろう。「宮柱」「太敷(ふとしき)立てて」などどっしりとした語感を連続させておいてズバリ鎌倉を賛美する。金槐和歌集中、鎌倉の地名が出てくるのはこの歌だけだ。SWV番号順に気に入った歌を列挙しているだけなのに、昨日といい今日といい正月に相応しい歌が来た。これも信心のたまものか。

これで鎌倉鶴ケ丘八幡宮にリモートで初詣したつもり。

2023年1月 1日 (日)

なよ竹

なよ竹の七のももそぢ老いぬれど八十の千節は色もかはらず SWV712

700歳のなよ竹はその節の色も若々しいと寿ぐ。初句と第二句を「な音」で始めるリズム。「七八」という数字が百千とせり上がる縁起のいい連なりは偶然ではあり得ぬ。昨年11月1日から気になる実朝の作品をSWV番号順に列挙しているだけなのに、この歌が元日に来るのは信心の賜物に違いない。

あけましておめでとうございます。

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