諦めていない
ブログ「ブラームスの辞書」管理人のハンドルネームのことだ。2020年に開設以来のハンドルネーム「アルトのパパ」から現在の「実朝の弟子」に改めた。還暦過ぎていつまでも「パパ」でもあるまいという名目だった。
2005年以来その時点までで15年も「ブラームスラブ」を言い訳に屁理屈をこねまわしてきたのだが、「ブラームスの弟子」とは名乗らなかった。その理由に今言及する。ブラームス大好きではあっても自ら演奏したり、作曲したりは諦めているからだ。大好きではあるけれど、作曲も楽器演奏も自分がすることはない。いや出来ない。
ところが今、臆面もなく「実朝の弟子」を名乗っている。つまりこれはこの先「歌」を自ら作りたいからだ。五七五七七のお歌だ。実朝が精魂込めた古典和歌の創作を諦めていないということだ。「自らの周辺の事実や、自分の信条感情をおれがおれがとばかりに臆面もなく盛り込む」現代短歌とは断固一線を画しつつだ。
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