忌み歌
出で去なば主無き宿となりぬとも軒端の梅よ春を忘るな SWV717
伝・実朝辞世。「金槐和歌集」に収載はなく、「吾妻鏡」健保七年正月二十七日の記事に禁忌の歌として記載されている。暗殺当日の朝、庭の梅を見て詠んだという。菅原道真公が太宰府に流される際に詠んだ「東風吹かば匂ひ起こせよ梅の花主無しとて春な忘れそ」に酷似する。稀代の梅詠み・実朝の辞世に相応しいといえば相応しいが、出来過ぎの誹りは免れまい。名のある武将が、不慮の死に備えて辞世を持ち歩いていたという話も聞くが、暗殺が真夏だったらどうにもなじまない。
春真っ先に咲く梅を寿ぐ歌は数多いが、実朝の手にかかると、翳りも忍び寄る。我々後世の愛好家は、あの惨劇を知っているから味わいがその影響を受ける。かといってこの歌にスルーをかます度胸もない。1日2日と正月に相応しい歌が並んだとはしゃいではみたが、本日のお歌でリセットされる感じ。せめて3が日を避けるというささやかな配慮。
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