私の25首
実朝作品の抽出において、私と勅撰和歌集では、どうにもズレがあると書いた。実朝を初めて入集させた定家は9番めの勅撰和歌集「新勅撰和歌集」のために実朝作品25首を選んだ。私もこれにあやかって25首を選ぶことにする。「春」「夏」「秋」「冬」「賀」「神祇」「旅」「恋」「雑」の9つの部立てに沿って選出を試みた。
<春>
- 君ならで誰にか見せむ我が宿の軒端に匂ふ梅の初花 SWV740
- 咲きしよりかねてぞ惜しき梅の花散りの別れは我が身と思へば SWV664
- 青柳の糸より伝ふ白露を玉と見るまで春雨ぞ降る SWV665
<夏>
- いにしへを偲ぶとなしに古里の夕べの雨に匂ふ橘 SWV139
- 岩くぐる水にや秋のたつたがわ川風涼し夏の夕暮 SWV147
<秋>
- おほかたに物思ふとしも無かりけりただ我がための秋の夕暮 SWV185
- 野辺分けぬ袖だに露は置くものをただこの頃の秋の夕暮 SWV516
- くれなゐの千入の真振り山の端に日の入るときの色にぞありける SWV633
<冬>
- 雪深き深山の嵐冴え冴えて生駒の岳に霰降るなり SWV336
- もののふの矢並み繕ふ籠手の上に霰手走る那須の篠原 SWV677
<賀>
- 千々の春万の秋を永らへて花と月とを君ぞ見るべき SWV353
- 東の国に我が居れば朝日さすはこやの山の陰となりにき SWV662
- 山は裂け海は浅せなむ世なりとも君に二心我があらめやも SWV663
<神祇>
- 時により過ぐれば民の嘆きなり八大竜王雨やめ給へ SWV617
- 伊豆の国山の南に出づる湯の速きは神の験なりけり SWV643
- 宮柱太敷立てて万代に今ぞ栄へむ鎌倉の里 SWV715
<旅>
- 玉櫛笥箱根のみ湖けけれあれや二国にかけて中にたゆたふ SWV638
- 箱根路をわれ越え来れば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ SWV639
- 東の関守る神の手向けとて杉に矢立つる足柄の山 SWV720
<恋>
- 我が恋は初山藍の摺衣人こそ知ららね乱れてぞ思ふ SWV374
- 結ひ初めて慣れし髻の濃むらさき思はず今も浅かりきとは SWV632
- 食み上る鮎棲む川の瀬を早み早くや君に恋ひ渡りなむ SWV682
<雑>
- 世の中は常にもがもな渚漕ぐ海人の小舟の綱手かなしも SWV604
- 物言はぬ四方の獣すらだにもあはれなるかなや親の子を思ふ SWV607
- 大海の磯もとどろに寄する波破れて砕けて裂けて散るかも SWV641
現実に勅撰入集している歌10首を赤文字にしておいた。部立てのバランスに配慮すると意外と難しいとわかった。SWV633を無理やり秋に押し込んだ。現実の勅撰和歌集に習って夏と冬は層が薄い。「賀」は概ね天皇礼賛。「神祇」は信仰。「雑」がわずか3枠とはきつい。
我こそは撰者。幸せだ。
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