世も知らじ
世も知らじ我えも知らず唐国のいはくら山に薪樵りしを SWV757
SWV番号の最大値に辿り着いた。出典は「紀伊国風土記」である。現在和歌山県日高郡にある興国寺の縁起によれば、開祖願性上人は、もともと武士。実朝の近習だった人。ある日彼は目覚めた実朝から夢の話を聞いた。実朝の前世は宋の雁蕩山の僧だったという。その修行の力で日本の将軍になったという夢だったと言ってこの歌を詠んだということだ。
出家前の名を藤原景倫というこの人、前世の因縁を調べるため実朝に命じられて宋に行くことになった。雁蕩山の絵図を持ち返る使命もあった。渡宋のため博多で風待ちしていたところ、実朝暗殺の悲報を受けて渡航は中止。すぐに出家して願性上人と名乗ったものの、鎌倉には帰らずに高野山に入って修行し、実朝の菩提を弔ったという。和歌山に実朝系の伝承が残るのはこのことによる。
実朝を慕ったこの男が伝える歌には迫力がある。「世間もあるいは私も忘れていたが、私は宋で仏の修行をしていたのです」くらいの意味。「薪樵る」は修行するという意味で同時に、「鎌倉山」を導き寄せる枕詞でもある。
現存する実朝作品のラストを飾るにふさわしい壮大なスケール。
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