勅撰とのズレ
昨日の記事「定家のチョイス」で、定家が新勅撰和歌集に採用した25首と、私の選んだ66首では3首12%しか重複しないと驚いた。しからばとばかりに話を勅撰和歌集全体に広げてみる。実朝の勅撰入集は定家分込みで92首だ。この92首と私の66首との重複は15首、22.7%。明細は下記。
- いにしへを偲ぶとなしに古里の夕べの雨に匂ふ橘 SWV139
- おほかたに物思ふとしも無かりけりただ我がための秋の夕暮 SWV185
- 降らぬ夜も降る夜も紛がふ時雨かな木の葉の後の峰の松風 SWV276
- 山高み明け離れゆく横雲の絶え間に見ゆる峰の白雪 SWV333
- 雪深き深山の嵐冴え冴えて生駒の岳に霰降るらし SWV336
- 千々の春万の秋を永らへて花と月とを君ぞ見るべき SWV353
- 千早ぶる伊豆のお山の玉椿八百万代も色はかはらじ SWV366
- 我が恋は初山藍の摺衣人こそしらね乱れてぞ思H SWV374
- 雪積もる和歌の松原古りにけり幾世経ぬらむ玉津島守 SWV572
- 世の中は常にもがもな渚漕ぐ海人の小舟の綱手かなしも SWV604
- 箱根路をわれ越え来れば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ SWV639
- 伊豆の国山の南に出づる湯の速きは神の験なりけり SWV643
- 青柳の糸より伝たふ白露を玉と見るまで春雨ぞ降る SWV665
- 山は裂け海は浅せなむ世なりとも君に二心我があらめやも SWV663
- 宮柱太敷立てて万代に今ぞ栄へむ鎌倉の里 SWV715
定家の12%に比べれば2倍弱に跳ね上がるとは言え、けして多いとは言えない。そもそも実朝節の根幹と言えるだろうか。SWV639が無かったら実朝作と気づいてもらえるかどうか怪しい。重複数の落差よりもそちらが気になる。
勅撰和歌集の撰選ともなれば春夏秋冬賀旅恋など部立てのバランスや配置にも配慮するなど制約やしきたりもあろう。勅撰和歌集の根幹は春夏秋冬旅恋にある。それに引き換え実朝は雑歌得意という志向の違いも大きいと思う。
勅撰和歌集が私のように「好き」だけを基準にするわけにもいかない事情もわかる。92首のうち77首もスルーもさることながら、一般的に流布する実朝代表作が勅撰入集してないことも散見される。
私のようなニワカの基準が勅撰入集の基準と合致しているハズはないのだと無理やり自分を納得させている。
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