知る人ぞ知る
君ならで誰にか見せむ我が宿の軒端に匂ふ梅の初花 SWV740
梅詠み実朝の真骨頂。とかく寄り添いがちな翳りは見られない。庭に初めて咲いた梅一房に添えた「我が屋の梅、あんたに見せないで誰にみせるのよ」というメッセージ。ここでいう「君」は塩屋朝業という信頼厚き部下。実朝没後に出家して信生と称した。彼もまたひとかどの歌人だからなのだろう。この歌は紀友則「君ならで誰にか見せむ梅の花色をも香をも知る人ぞ知る」を元歌に踏まえている。合わせ技で塩屋朝業を梅の色や香りを愛する風流人認定をしているということだ。贈った歌に接して、ただちに元歌を思い出してもらえることを確信していればこそのメッセージだ。
贈られた朝業は、そりゃもう喜んだ。返歌「嬉しさも匂ひも袖に余りけり我がため折れる梅の初花」にはその喜びがあふれている。見事な反応というほかはない。主君に対するリターンエースをねらったか。梅の香りが袖に遷移するのは古典和歌の常識だ。うれしいと言うだけにとどまらぬ機転を実朝も喜んだはずだ。現に「玉葉和歌集」に採用されてしまった。贈った側の実朝の歌は勅撰和歌集に採られていないというのに。
コメント