楽しみの二本柱
一昨日と昨日の続き。
クラシック音楽というジャンルにおいて、「同曲異演」の比較は盛り上がる。学問にまで高めることを諦めれば、格好の酒の肴である。「演奏家論」「指揮者論」などというのもはばかられるような「演奏家ネタ」は大変盛り上がる。「作曲家ネタ」と合わせて楽しみの二本柱だと断言したところで、炎上には至るまい。ボヤで収まるはずだ。
ブログ「ブラームスの辞書」はこのうちの作曲家ネタに重心を置いていた。せっかく二本柱があるのに片方を留守にしてきたという自覚だけはもっている。理由は明快。目隠しして聴いてもわかる作曲家側だけを取り上げておきたいといういじけた心理のせいだ。自分が聞き分けられもせぬのに演奏家の好みをあれこれ取り沙汰するのもいかがかと。
ところが、一連のシューベルトネタをこね回すうちに、歌手だけは比較的聴き分けられそうだとわかってきた。あるいはピアノの場合グールドだけが鼻歌は別としても少しは区別できる。要は好きな演奏家はだんだんわかるようになるということだ。中学高校とお金がなくて1つの作品に複数のレコードをなかなか買えずにきたことも一因かもしれない。要は聴き込みが足らんということだろう。
好きな作曲の作品について大好きな演奏家であれば、そのうち聴き分けることができるかもしれない。
ブラームスに加え、ベートーヴェンの力も借りながら、演奏家ネタの比重を少しずつ増やして行くことにする。
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