100番越え
作品番号のお話。後世の研究家が後付けした作品目録番号ではなく、作曲家本人が関与したケースを例にとる。バッハやモーツアルトあるいはドヴォルザークでは機能しない。
ベートーヴェンを例にとると100番を超えると後期作品ということになる。ピアノソナタだと28番以降で、弦楽四重奏だと12番以降。交響曲は第九だけ。ミサソレムニスもだ。その代わり、コンチェルトは存在しない。ヴァイオリンソナタやチェロソナタにも「後期」はない。その後期はというとやけに長くなる。楽章が増えるし、場合によっては楽章の切れ目がなくなる。演奏時間も伸びる。難解さが増す印象。曲の流れがいささか犠牲になる。
中学から高校にかけて、私はその難解さにあこがれた。弦楽四重奏でいえば13~15番が好きだった。ピアノソナタで申せばハンマークラヴィーアと並んで31番の変イ長調が大好きだった。今改まって聴くとハンマークラヴィーアはともかく31番の何にひかれたのか思い出せない。第3楽章のフーガに興味があったかもしれぬ。弦楽四重奏側でいう「大フーガ」と双璧をなす難解なフーガ。作曲上の技法ではなくて、難解なフーガを作ることが目的になった感じ。そういえば晩年のバッハにも「フーガの技法」があった。
変な高校生だ。
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