コピーライター
商品や企業を宣伝するための広告に文章を提供するする人のこと。文章よりも短い見出しという側面も濃厚に漂う。広告の受け手の心を一瞬でつかむことが強く求められる。それらの文章は、肝心な商品や企業の実態はさておき、受け手の心をキャッチすることが目的であることが多いため、「キャッチコピー」という言い回しもされている。商品に億単位の売り上げをもたらすこともある広告戦略のはずせぬ柱である。
売れっ子のコピーライターともなれば寝る間も無い激務ともなるが、報酬も桁外れである。
音楽の世界に目を移せば、ブラームスはコピーライターの素養が豊かとは言えない。若い頃に物議を醸した例の決議文もキャッチコピーとしては影が薄い。自作の宣伝も積極的とは言えまい。
音楽の才能と文学の才能を併せ持った人たちには、コピーライターの素質さえ感じることがある。ロベルト・シューマンがすぐに思い浮かぶ。ショパンやブラームスを紹介する記事は特に有名だ。その言い回しは今もって語りぐさである。ワーグナーにもその才能を認めることも出来よう。
この面で不器用だったブラームスに代わって機能を補った友人がいる。指揮者でピアニストのハンス・フォン・ビューローである。
聴衆の心を一瞬でつかむという点において驚くべき才能を持っていた。バッハ、ベートーベンにブラームスを加えて「3大B」と命名したのがビューローである。この言い回しは時代を超えて人々に受け入れられている。第一交響曲を「ベートーヴェンの第10交響曲」と呼んだのも彼だ。もっともらしさという点では出色である。バッハの平均律クラヴィーア曲集を「旧約聖書」、ベートーヴェンのピアノソナタを「新約聖書」にたとえたのもまた、彼の仕業である。大づかみにして見せるという点において、さすがとうならせる物がある。音楽とは別系統のある種の才能だと感じる。
指揮者は自分は音を出さない音楽家だ。自分の考えをオーケストラのメンバーにキチンと伝えねばならない。限られた時間に自らの考えを効率的に伝えるには、「キャッチコピー」はうってつけである。ビューローのコピーライター然とした才能は、指揮者に必要な才能の一つだと思われる。彼が19世紀最高の指揮者だと評価されているのは偶然ではあるまい。
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