集大成の余韻
昨日の話の続きを少しだけ。
このたびの挙式披露宴はすべて新郎新婦が手作りしたもの。一日がかりのオペラみたいなものだ。彼らはその演出家。会場の選択にはじまって、招待者の選定、挙式披露宴のコンセプト、細かな進行、役割分担。引き出物選定、衣装などなどあらゆるものが自分たち理想の披露宴につながっていた。
我々家族とて例外ではない。彼らの理想の披露宴を形作るピースかもしれない。とはいえ嫁に出す側の新婦の家族として我々は心底一日を楽しんだ。だからそこに込められた新郎新婦の意図があらゆる場面でひしひしと伝わってきた。母代わりの祖母にとっては子育ての集大成でもあった。長男と次女は、長女の結婚を心の底から祝う一方で、祖母にも固く寄り添った。特に次女は祖母を新婦に次ぐ重要な位置にづけと理解し、忙しい祖母に寄り添って献身した。トイレには必ず同行し、テーブルではまめに気を配った。立ち上がるときには手を貸し、歩くときは腕を組んだ。
長女は披露宴最後を飾る「家族への感謝の手紙」に余すことなく思いのたけを盛り込んだ。母代わりとなって27年の祖母を3人の孫たちが、それぞれの立場から感謝を表明し続けた一日だった。祖母にそれらの思いが伝わったからこそ、祖母は一日中号泣し続けた。「よい子に育ってくれた」と。
祖母渾身の27年におよぶ子育てが少しだけ報われた一日。このことの記述に2日費やすことを咎めるベートーヴェンとは思えない。
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