標題優先
淡々とベートーヴェンに戻る。
中学時代に始まったクラシック音楽への傾倒だが、膨大な作品群から当面どれをチョイスするかの目安が「標題」だった。とりあえずとっつきやすいの一点だ。ベートーヴェンの交響曲でいえば「英雄」「運命」「田園」「第九」がとっかりになった。これには7番が後回しという深刻な副作用があると気づいたのは大学に入ってからだった。交響曲と同時にピアノソナタも「月光」「悲愴」「熱情」に親しんだのち、一気に「ハンマークラヴィーア」に遷移した。怖いもの知らずである。
それらが一段落すると、「皇帝」「スプリングソナタ」「クロイツェルソナタ」に親しむ一方、他の作曲家に飛び火した。
「未完成」「新世界」「悲愴」「幻想」「ジュピター」「ハフナー」「イタリア」の交響曲群。ここでもまたドボ8後回しの重篤な副作用に見舞われた。交響曲以外では「四季」「ます」「アメリカ」「ボレロ」「モルダウ」「チゴイネルワイゼン」「ブランデンブルク協奏曲」などなどだ。
そしてそしてブラームスはといえば最後尾もいいところになる。今では夢中のブラームスは大学1年の冬の定期演奏会で弾いた第二交響曲との出会いまで、未盗掘古墳のように温存された。
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