一つ振り
「1小節を1拍と数えること」あるいはそれを前提とした指揮者の振り方。
私が始めて直面した「一つ振り」はブラームスの第2交響曲だった。実は中学時代から親しんだベートーヴェンの作品にあるスケルツォは「一つ振り」の巣である。4分の3拍子1小節を1拍に数えるケースが目立つ。当時はもっぱら聴くだけだったからこの言葉に触れることはなかった。
中学校以来、指揮者が振る指揮棒の描く軌跡を図形として覚えさせられてきたが、「一つ振り」では図形にならない。先輩たちはしきりに「一つ振り」という言葉を口にしてお互いのコミュニケーションが成立しているのが不思議だった。8分の6拍子と4分の3拍子の違いも曖昧だった頃だから無理もない。ブラームス交響曲第2番第3楽章は4分の3拍子の主部に「Presto ma non assai」のエピソードが2度にわたって挿入される。1回目は4分の2拍子で、2回目が8分の3拍子だ。主部の4分音符1個が1小節に変換される。この1小節がまさに「一つ振り」されるのだ。
一つ振りされがちな4分の3拍子の快速なスケルツォは、実はベートーヴェンを象徴している。ブラームスは交響曲の第3楽章主部に、一つ振りされる楽章を起用しない。この点でベートーヴェンとは一線を画している。第二交響曲の第三楽章は例外。
ブラームスの2番でオケデビューの私が挑んだ英雄交響曲の第3楽章スケルツォが実質上生涯初の一つぶりだった。4小節単位で数えることでストレスは数段減じられるのだが、なんせ不器用だった私には難問だった。英雄交響曲の演奏を心底楽しめなかった理由はスケルツォにあった。
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