先憂後楽
中国北宋時代の言葉。為政者の心得を端的に述べている。「国の指導者たるもの民に先立って憂い、民の後から楽しむべし」という意味だ。この言葉にならって屋敷や庭園が「後楽園」と命名されるケースもある。寡聞にして「先憂園」というのは聞いたことがないが。
「先に苦労して、後から楽をしよう」というアンチキリギリス派の言葉だと思っていたが、どうも違うらしい。「先」「後」というのは選択可能な2つの行為のうちどちらからというような種類の概念ではなく、「民より先」「民より後」という意味だとは最近知った次第だ。先に家や車を取得してローンが後からという図式はどちらにしろ真逆もいいところだ。
ブラームスの音楽用語使用の傾向を観察していると、私が勘違いしていた意味の「先憂後楽」の気配が漂っている。若い頃は自分の思いを伝えたくて、言葉を厚く重ねた用例や、大げさな表現が目に付く。演奏家たちに自分の意図が伝わらないことを恐れているかのようである。初期のピアノ独奏曲を中心にそうした傾向がデータ面でも現れている。作品番号でいうと10番以内が特に顕著で、35番までが過渡期だ。キャラクターピース連発の76番以降は穏やかな表現が優勢になる。歌曲では作品19と作品32の間に転換点がある。室内楽ではとはいえ作品8のピアノ三重奏曲の初版だけにその痕跡が認められる。
作品が世の中に認められ、作曲家として押しも押されもせぬ位置付けを獲得する歩みと平行して、使用する音楽用語の簡素化が進んでいるような気がする。演奏家たちがブラームスの語法・語り口に慣れて行くにつれてと言い換えることも出来よう。
そういえば「苦悩を克服して歓喜へ」というのも「先憂後楽」っぽく見える。
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