ハイドン風
ブラームスの名曲解説辞典の中、「ハイドンの主題による変奏曲」周辺以外に5度ハイドンへの言及がある。
まずは71ページ。管弦楽のためのセレナーデの解説の中、「セレナーデ」というジャンルの最盛期の表現として「ハイドン、モーツアルトの時代」と言っている。
次は75ページ。管弦楽のためのセレナーデ第1番ニ長調の第一楽章の主題とハイドンのロンドン交響曲のフィナーレとの関連を指摘している。
次の80ページもまた管弦楽のためのセレナーデ第1番。今度はスケルツォがハイドンのロンドン交響曲のフィナーレの主題と関係があると述べている。
それから166ページの冒頭だ。弦楽六重奏曲第1番変ロ長調op18の第4楽章の項。チェロによって奏でられる冒頭主題を指して「ハイドン的」と表現されている。前後の脈絡からしてほめているニュアンス。
次が、218ページ中ほど。弦楽四重奏曲第3番変ロ長調op67の全体の曲想を論じる中に、「後期ベートーヴェンを思わせるように入念に出来ている。しかしそれと同時にハイドン風の快活さももっている」とある。
ハイドンの作風芸風に深く立ち入ったコメントは控えたい。ハイドンの鑑賞経験が積み重なることを待ちたい。これらが作品解説書に現れるということ自体がヒントになっていると感じる。一般に流布するハイドンのイメージを下敷きにすることなしにありえない表現だからだ。
ヒントは「快活」と「ユーモア」か。「ハイドン作品が好ましい快活さを持っている」と思われている証拠だ。「ユーモア」について申せば、ブラームスの弦楽四重奏曲第3番の解説文中、第一楽章について「ユーモラス」という表現が2度現れる。同曲のフィナーレには1回「ユーモア」との記述がある。
ハイドン作品の特色として「快活」「ユーモア」と言われて今のところ違和感がない。
ブラームス自身、自作の解説にハイドンが引用されていることを喜ぶだろう。
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