ランダム月間
おきづきだろうか。
今月5日。グールドのDVDに驚いた話が途切れた後、昨日までの記事の流れのことだ。意図的に違う内容の話を連ねた。「話は変わるけど」と前置きして記事を始めたいくらい。
2005年ブログを開設した当初は、どちらかというとそのノリだった。いつしか関連する記事を意図的に連ねる「特集」が始まり、やがて特集主体になった。すると特集からはずれる小ネタの発信がとどこおるという弊害も沸いて出た。
ときどきこうしたランダム発信を織り交ぜてガス抜きを試みる。
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おきづきだろうか。
今月5日。グールドのDVDに驚いた話が途切れた後、昨日までの記事の流れのことだ。意図的に違う内容の話を連ねた。「話は変わるけど」と前置きして記事を始めたいくらい。
2005年ブログを開設した当初は、どちらかというとそのノリだった。いつしか関連する記事を意図的に連ねる「特集」が始まり、やがて特集主体になった。すると特集からはずれる小ネタの発信がとどこおるという弊害も沸いて出た。
ときどきこうしたランダム発信を織り交ぜてガス抜きを試みる。
細かな調整という意味だが、物事の最終段階での仕上げというニュアンスを含む場合もある。各方面に気を配りながら、全体のバランスに配慮するのは日本的な感覚と感じる。
ブラームスの交響曲4曲、全16楽章のうち、管弦楽のオリジナル版と本人編曲の連弾版の発想記号を比較すると、1箇所だけ相違が見つかる。第4交響曲の第1楽章だ。
困った。どちらが速いのか判らない。オリジナルの方「Allegro non troppo」は「アレグロの過剰をそぎ落とせ」というブラームスのソナタ楽章独特の表現だ。難解なのは連弾版の「assai」である。「assai」の全用例は下記の通りだ。
すぐに気付くのは「Allegro」または「Presto」という速めの用語に付着していることと、必ず「non」が先行した「non assai」と言いまわされていることだ。「assai」単独ならば「非常に」とか「十分に」という意味で、主たる単語の意味を煽る機能があるのだが、「non」が先行することで、雲行きが怪しくなる。
ブラームスは管弦楽や合唱など大規模作品の適正なテンポをピアノ編曲で演奏して測定しようとすると、楽器の特性から、大抵は不必要に速くなると警告を発している。
つまり管弦楽のピアノ編曲は、オリジナルより演奏が速くなるとブラームスが言っているのだ。第4交響曲ピアノ版第1楽章の「Allegro non assai」は、「Allegro non troppo」以上にテンポの上がり過ぎを戒めていると解したい。
書籍の出版の前段階が執筆だ。思いの丈を盛り込む作業である。これが終わることを脱稿と呼び、おめでたいこととされている。原稿は出版社に渉る。この後校正が何度か入るが、主張の核心は動かない。
思いの丈が本になる喜びは何にも代え難いが、弱点も抱えている。本を出した後の修正が利かないことだ。定期的な出版であれば後から修正記事を掲載することも出来るが、なけなしのお金をはたいての自費出版にネクストは期待薄だ。
誤植は自分の責任だから我慢するとして、執筆を終える段階では頭に無かった事柄が後から次々と思い浮かんでくるというのが相当悩ましい。
我が「ブラームスの辞書」もそうだ。400ページおよそ36万字を費やしてなお、語り足りぬことがあるのだ。
そして今やこのブログがその受け皿になっている。本に盛り込めなかったアイデアの公開の場所としての位置づけがますます高まってきている。
音楽之友社刊行の「作曲家◎人と芸術」シリーズの「ブラームス」の202ページにちょっとした疑問がある。交響曲を概観する記事の中に以下のような記述がある。
シューマンの発表した音楽評論文「第二の道」によって紹介されたブラームスは・・・
文脈から素直に読む限り1853年10月のブラームスのシューマン邸訪問に端を発した交流に触発されたシューマンが、ブラームスを世の中に紹介した記事だと考えるのが自然だ。
同じ本の生涯編33ページにそのことが書いてある。しかしその33ページでは紹介論文のタイトルが「新しい道」と書かれている。「第二の道」とは書かれていない。
元々存在した道とは別に新たに道が出来た場合、それが「新しい道」と呼ばれることはよくある話だ。同時にその同じ道が「第二の道」と呼びうることもまた奇異ではない。しかしシューマンによって書かれた名高いその論文は「Neue Bahn」だから「新しい道」の訳語で何の不足もあるまいに、なぜまた「第二の道」と表現しているのだろう。
同じ書物の中で何の注釈も無く、「新しい道」と「第二の道」が混在するのは、いかにも不自然と感じる。
何か特段の事情があるのだろうか。
自分はどこの国に属しているかという意識。私は当然日本だ。読者の多くは日本だろう。
ドイツ3大Bの一人と位置づけられているブラームスの帰属意識は「ドイツ」かというのが本日の疑問だ。
ドイツという国が成立したのは1870年から始まった普仏戦争によるところが多い。プロイセンの勝因はいろいろ言われている。普墺戦争勝利後、対仏戦争必至と見て周到に準備したビスマルクの作戦勝ちという評価が一般的だろう。フランス皇帝を捕虜にするという大戦果がこれを象徴している。
1833年ブラームスが生まれた頃まだドイツという国は無かった。1871年以前に自らの帰属を「ドイツ」とする意識を持つことが絶対にあり得ぬとは申さぬが、容易くもなさそうだ。
ブラームスの帰属意識はおそらくプロイセンかもしれぬ。ビスマルクへの帰依は割と知られているし、ホーエンツォレルン家への忠誠心も高かった。プロイセン主導による統一ドイツを心から支持していたことは確実だ。当時の中欧を席巻したプロイセンの強さの秘密は国民皆兵だという。1870年の普仏戦争開戦当時37歳のブラームスが兵役を志願する気になっていたことは割と知られている。開戦当初から戦局が有利だったために思いとどまったらしい。
1871年以降、ブラームスの返事は「ドイツ」であったに違いない。ビューローの有名な「3大B」の比喩も、バッハの復興も統一ドイツ成立前後の空気を敏感に反映していると考えたい。
難解。「強」という漢字を用いてはいるが「強く」とは決定的に違うと感じる。
ゴルフのパッティングを想像する。「強く打て」と「強めに打て」ではプレイヤーの心構えは大きく変わる。「強く打て」は、単なるインパクトのことだけを念頭においている感じだが、「強めに打て」になると様々な要素を加味することが求められる。グリーンの形状、ボールの位置、カップの位置、プレイヤーの置かれた状況、天候など全て頭に入れた上で「強め」であることが求められる。絶対に入れねばならぬパットなのか、3パットさえしなければいいのかという状況も大きく関わってくる。
それらを全て加味してなお、「Never up Never in」の精神でというのが「強め」の意味だ。
パッティングの話を音楽のダイナミクスに置き換える。もしかすると「強く打て」が「f」に相当するのに対し「強めに打て」は「poco fなのではないかと感じている。
「こいつをよろしく」と書いた親書。紹介される側の人物が持参し訪問先で、お目当ての人物に見せるという送達方法が一般的だ。
1853年5月ヴァイオリニスト・レーメニの伴奏者として、ハノーファーのヨアヒムの前に現れたブラームスだが、2人はあっと言う間に意気投合する。危険分子として国外追放処置を受けたレーメニの伴奏者ブラームスも、しぶしぶハノーファーを辞去する。別れ際にヨアヒムは、リスト訪問を薦めて、紹介状をしたためる。
ワイマールを訪問したレーメニとブラームスは、さっそくリスト邸に招待される。紹介状の威力だ。このときブラームスは20歳、ヨアヒムは22歳だ。ブラームスよりわずか2歳年長のヨアヒムの楽壇における位置づけは驚くばかりだ。ピアノの魔術師として欧州に君臨するリストの覚えめでたいということが、どれほどのものかご想像いただきたい。
わずか15歳でメンデルスゾーンに見いだされ、22歳の段階でリストやシューマンともお知り合いということだ。
リストの本拠地ワイマールの元コンサートマスターだったヨアヒムは、どのみちリストやレーメニとは長続きするまいとにらんでいたと感じる。楽譜も読めれば空気も読める音楽家だったのだ。程なくデュッセルドルフにシューマンを訪問することも、ヨアヒムから事前にシューマンに予告されていたという。
ブラームスの楽壇デビューについて、ロベルト・シューマンの助力はしばしば力説されるが、ヨアヒムの功績も強調されていいと感じる。
「pp dolcissimo」を声に出して読んでみていただきたい。
何か変だと感じた方は日本人っぽい。文字で書いただけでは気づきにくいのだが、声に出すと最上級の「イッシモ」が重複していることがひっかかる。「最も弱く、最も優しく」と解することで破綻は生じまいが、語呂がよろしくない。
日本語で文章を書く場合、同様の語尾が前後に近い文で重複すると語呂が悪くなる。特段の事情が無い限りはそれを避けるのが普通だ。そのために日本語には同意別語が山ほど存在する。「だ、である」調と「です、ます」調の混在は耳障りだが、かといって「である」の連発も同じくらい気になるものなのだ。ブラームスの母国語であるドイツ語や音楽界御用達のイタリア語で、このあたりの事情はどうなっているのだろうか。
実際に「pp dolcissimo」という表示は下記の三箇所に実在する。
イタリア語でもこうした重複が忌避されているから少ないのか、単なる偶然なのか判然としない。
ピアノ協奏曲第1番の第3楽章376小節目に唯一存在する。事実上カデンツァの弾き方を規定する意図があることは明白だ。「Fantasia」は幻想曲という意味だから、「quasi 意訳委員会」の裁定に従えば「幻想曲っぽく」という意味となる。
「Quasi~」という言い回しをする以上「~」に相当する単語について、自分自身の中に確固たるイメージが確立していることが大前提だ。さらにはそのイメージが世間一般の認識と大きくかけ離れていない方が望ましい。
しかししかし、これは意外と厄介だ。
ブラームス自身は「Fantasia」つまり「幻想曲」というタイトルの作品を残していない。晩年のピアノ小品の中、op116が「7つの幻想曲」と題されているに過ぎない。4つのインテルメッツォと3つのカプリチオの集合体に「幻想曲」とタイトリングしているが、単独曲が幻想曲とされている例がない。
ピアノ協奏曲の作曲段階で晩年のピアノ小品のことが念頭にあったハズがないから、解釈の参考にはならない。ピアノ協奏曲第1番作曲時点での「Fantasia」のイメージが反映しているに違いないのだが、簡単に尻尾をつかめない。それがまた幻想的なのだと思う。
ブラームスはこう言って唯一の作曲の弟子グスタフ・イエンナーを叱咤したという。叱咤された本人の証言である。イエンナー自身が、ブラームスの恩師マルクセンの弟子ということもあって、ブラームスが作曲を教えることを引き受けたといういきさつがある。後にイエンナーはブラームスの想い出を出版している。時を隔てての回想だけのことはある。記述のトーンは全体として恨みがましくはないのだが、この言葉をかけられた時の心境だけは、とても辛そうだ。
ある日のレッスンの後、ブラームスは不意にシューマンの楽譜を取り出して言った「ロベルト・シューマンは18歳でこれを作曲した。必要なのは才能だけで、あとは何の役にも立たん」と。善意に受け取れば「若いモンを甘やかしてはならぬ」「作曲で飯を食うのは大変なことだ」という意味を込めたと推定も出来ようが、言われたほうは大変だったと思う。泣かされながらもレッスンを続けた結果、イエンナーはドイツ・オーストリアの音楽界でそこそこの地位まで昇ることになる。「ブラームス唯一の作曲の弟子」という肩書きの威光はそうとうな効き目なのだと思う。作品が後世まで広く愛好されるかどうかとは話が別である点、微笑ましくも悲しいものがある。
才能が何より大事という点、同感だ。正論過ぎて怖いくらいだ。しかし「必要なのは才能だけ」と断言出来るのか少し不安である。「運」も要ると思う。マルクセン、ヨアヒム、シューマン夫妻と出会っていなかったら、ブラームスの才能をもってしてもその創作人生は順風満帆という訳には行かなかったのではないだろうか。
「運も実力のうち」と言われてしまうと返す言葉はない。
お手上げな言葉だ。音楽学上、作曲技法上、対位法上一定の意味合いを持つ言葉であることは確かなのだが、私の手には余る。
という訳でブログ「ブラームスの辞書」名物のお遊びに走る。まずは以下の概念を思い浮かべて欲しい。
ブラームスの作品1つ1つがどれにあてはまるかを論じるつもりはない。ブラームスは1は当然として、2も低くない優先順位を設定していたのではないだろうか?演奏者が喜々として演奏に取り組めることは、演奏の出来を左右すると思う。喜々として取り組めるかどうかを言い換えれば「弾いていて面白いかどうか」だ。複数の演奏者が関与するアンサンブルで、演奏の結果としての作品の出来映えはもちろん、個別のパートの弾き甲斐まで気を配っていたと感じる。第一ヴァイオリンだけに苦労も喜びも集中しているというような現象は、非ブラームス的だ。
作品を構成するさまざまなパートについて誰一人として退屈させないことに気を配っていたと感じる。管楽器の2番奏者たちもその恩恵に浴している。その際パートの出番の多少は判断材料ではない。パート譜の厚みとは関係がないも言い換えられる。演奏への参加者みんなに応分の楽しみがあり、それがメンバーの一体感の醸成に寄与しているのだ。私がヴィオラ愛好家だということを割り引いても室内楽と管弦楽で強くそれを感じる。
ブラームスの声部書法はしばしば誉められる。小難しいことは解らぬが、「どのパートも面白くしといたからね」がブラームスにとっての声部書法だったような気がする。
ブラームス作品の楽譜を多彩に縁取る用語には、いくつかの傾向が見て取れる。「non troppo」「poco」「moedrato」のような抑制語の頻発だ。さらには「~etto」「~tino」のような縮小語尾の多用も認められる。一方で「molto」のように意味を煽る用語の使用は、限定的である。
今述べたような用語使用の癖は、テンポ面においては常に「テンポを抑える」方向で使用されている。「non troppo」は大抵allegroやprestoを修飾している一方、「molto」はその逆でallegroやprestoをほとんど修飾しない。
どうもブラームスは自作の速過ぎる演奏を恐れていた節がある。かといって過剰な遅さを容認していたことにはならないまでも、リスクの量と重大さにおいては「速過ぎ」の方が深刻だったと考えていたようだ。
ブラームスの作品は、他の作曲家だったら、5小節かけて表現することを1小節で済ませるかのような表現の濃縮が売りである。1音で済むところは2音以上使わないという種類の節約が肝である一方、それらをけしてプアな印象に直結させない質感が本領だ。音楽の質としてこれらを有するということは、単位時間あたりの音楽の密度が濃いことに繋がる。「ここは絶対に聞かせたい」という類の見せ場が作品中高い頻度で訪れるとでも言っておこうか。和音進行であったり、旋律美であったり、対旋律とのからみであったり、リズムの錯綜であったり、ヘミオラであったり、聴き手や弾き手への謎かけであったり、景色は様々ながら、あの手この手で見せ場を用意するのだ。
だからである。だから、古典派時代のような、いわゆる「一陣の風が吹き抜けるようなallegro」で走り抜けては、そうした濃さを表現しきれないリスクがあるとブラームス自身が悟っていたのだろう。無論、ベタベタの遅過ぎを手放しで認めたりはしないだろうが、速く走り過ぎてはせっかくの景色が楽しめないというブラームスの警告が用語使用面に現れていると感じる。
「速過ぎるな」と言っているだけで「遅くしろ」とは言っていないということは、常に留意されねばならない。やたらに遅くて重い演奏を「ブラームス風」あるいは「重厚」などと称して持ち上げ過ぎるのは論外ながら、ブラームスが用語使用面においては「速過ぎ」を恐れていたことは覚えておきたい。楽譜上に記した用語の意味合いを考え、楽譜を総合的に吟味すれば、テンポは必然として一定の領域に着地するというブラームスの考えを想定せざるを得ない。
ブラームスが自作に4分の6拍子を採用するとき、そこには2分の3拍子との緊張を利用したいという意図が隠れていることが多い。
第3交響曲の第一楽章4分の6拍子には、記譜面で不思議な現象が起きている。どのパートであれ、1小節の間隙間無く同じ音を充填する場合、4分音符6つをもっとも手っ取り早くあらわす「付点全音符」が用いられそうなものだが、ブラームスはその使用を頑なに避けている。第一交響曲の主部8分の6拍子では、まるまる1小節に同じ音を敷き詰める場合に、付点2分音符が用いられていることと対照的だ。
ためしに第3交響曲第一楽章の冒頭2小節を見るといい。どちらの小節においても全てのパートが「タイで連結した付点2分音符」になっている。「6個の4分音符」を「3つずつが2組」だと思いなさいということに決まっている。
ところが、第3小節目から放たれる第一ヴァイオリンの第一主題は、2分の3拍子の枠組みに聞こえる。「四分音符2個が3組」ということだ。冒頭2小節における音符の割付と違う枠組みの旋律がいきなり始まる。我がヴィオラはそれらどちらとも受け取れるシンコペーションを強いられる。
再現部120小節目になると、モットー2小節の後半に弦楽器が出ることで、「3個*2組」の枠組みがキチンと明示される。ことここに及んで、さては冒頭も「3個*2組」だったのかと思わせるという仕組みだ。
名づけて「深層ヘミオラ」。
ブラームスの交響曲の調性を1番から順に並べると「CDFE」になる。これはモーツアルトのジュピター交響曲の終楽章のテーマに一致する話は割と知られている。シューマンで同じことをやると変ロ音起点のジュピター音階になることも合わせて既に言及しておいた。
チャイコフスキーの交響曲の調性を何気なく眺めていて気づいた。
両端の2曲を除く4曲つまり2番から5番までの調性に注目して欲しい。キッチリ「CDFE」になっている。4番がヘ長調だったらブラームスと一致してしまうところだった。これらの4つの交響曲のうち最初の3つまでは、その成立時期が、ブラームスの同調性の交響曲より先行している。5番だけがブラームスの4番に遅れて完成した。「ドレファ」まではブラームスより先に完成し、最後の仕上げの「ミ」でブラームスに出し抜かれた形である。
音符の呑み込みが速いこと。クララ・シューマンの弟子の一人である女流ピアニストを称してヨアヒムがこういったらしい。英語だと「ノーツ・イーター」とでも言うのだろうか。なんだかやんちゃな感じのする言葉だ。この言葉を女性ピアニストに奉ったということはよっぽどのことなのだろう。読譜する能力が単に優れていたというだけではあるまい。ヨアヒムほどの音楽家をうならせるというからには、もっと深い意味があったと思っている。
作曲家の意図をたちまち理解し音に正確に転写する能力全般という具合に捉えなおしたい。それが速くて正確だったことに加えて、短時間に記憶できる作品の量が大きかったことも含まれていよう。そして一度記憶したものを記憶している能力つまり暗譜にも特異な才能を示したのだろう。あるいは、想像を絶する初見能力までも含まれるかもしれない。
初めて見る作品であってもそれをどん欲に吸収する様を見て、あたかも音符を食べているような錯覚にとらわれたのだろう。
単なる暗譜好きをヨアヒムほどの実力者が手放しで誉めるハズはない。
彼女イローナ・アイベンシュッツ(1873-1967)はブラームスの晩年の宝石op118とop119の初演者である。なるほど食べたくなるのも解るおいしそうな作品である。
「速く力強く」と解される。辞書的な解釈としては、あるいは試験での模範解答としてはこれでいいのだと思うが、何だか味わいが無さ過ぎる。
「energico」のキャラは特徴がある。ブラームスはトップ系において生涯で8回使用している。ダイナミクスは「f」または「ff」に限られている。8例中7例が短調だ。弦楽五重奏曲第1番の第3楽章にのみ長調の用例がある。また「energico」単独での用例は存在せず、必ず何か別の用語との併用になっている。パガニーニの主題による変奏曲第2巻157小節目第10変奏が「Feroce,energico」になっている以外は「allegro」または「presto」との併用に限られている。「速め系の短調が強く走り出す」ことに特化していると考えていい。「appassionato」よりは響きが厚い印象だ。
「Presto energico」はそういう流れの中で捉えられるべきだと思う。作品116-1のニ短調の「カプリチオ」に一回だけ出現する。「短調、f」の枠組みはキチンと守られている。ブラームスにおいては「presto」は制御の対象であり、しばしば意味を弱める抑制系を伴うが、本例はどちらかというとテンポを煽る意味合いが込められている。
このカプリチオはブラームスの一連のピアノ小品の中では、難曲の部類だ。演奏者のリズム感が絶え間なく試される。アクセントの位置が小節の頭と一致しない。いっそ小節線が8分音符一個分前にズレていたらいいと思う。拍節のズレが延々と続くストレスと、たまに訪れるズレの回復の快感が本質なのではとさえ思わせるものがある。
そうした緊張は、テンポが速くてこそ味わえるということが、この「Presto energico」にはこめられている。
あり得ない事を仮定して話を進めることがある。そのとき「たられば話である」と自嘲気味に語られることがある。
現実は既に積み重なっているから、ほとんど意味のない仮定なのだが、こういう仮定は人情としては理解できる。
ブラームスについてもいくつかたらればを感じる。
「ブラームスが日記をつけていたら」あるいは「ブラームスがもっと論述活動に積極的だったら」である。
ブラームスの伝記は、廃棄を免れた書簡の他は、ほとんどブラームスの周囲の人間の記憶と記録から確定されている。自分自身の手による日記が残っていたら、現在ブラームスについて残っている疑問のいくつかが解消するかもしれない。
シューマンやワーグナーのように作曲活動と平行して評論も行っていたら、そしてその評論の対象が他の作曲家となっていれば後世の音楽学への寄与は計り知れないと感じる。過去の作曲家の自筆譜のコレクターであり、校訂者、優秀な合唱指揮者、ピアニスト兼作曲家である立場からの論述が残っていればと思う。多くの先輩作曲家の楽譜の校訂に関与していながら、大半が無記名であることは、とても残念だ。
自分からの情報発信を楽譜だけに絞っていた姿勢をカッコいいと思う反面残念でもある。
普通に考えると食べ物や飲み物が口に合う場合に発せられる言葉だ。ここから転じて各業界ごとに様々の意味に用いられている。
大乱戦に決着をつけるホームランを打ち、MVPに選ばれたバッターは「おいしいところだけもっていった」と形容される。絶妙のスルーパスをもらって触るだけで得点になった場合、得点者はしばしば「おいしいゴールだった」と発言する。相撲界で用いられる「ごっつぁん」に近いニュアンスだと思う。味わいそのものに加えて「お得だった」というニュアンスを濃厚に含むと思われる。
音楽の場合はどうだろう。耳に心地よい旋律を聴いた場合にも「おいしかった」とは言わない。大満足の演奏会であってもそれを「おいしい演奏会」とは形容しないように思う。演奏の受け手が好ましい演奏を評する場合には使われていないような気がする。それが仮に経済的にもお得な演奏会だったとしてもである。
その一方で演奏者の間ではしばしば使われる。自分が担当するパートに見せ場が割り当てられているとき、あるいは演奏していて気持ちの良い場面に遭遇した場合「おいしい」と表現されることがある。
ブラームスの作品に関する限りヴィオラはおいしい出番に恵まれている。私にとってはこの使い方がもっとも使用頻度が高い。必ずしも主旋律を意味しないし、聴衆に対して十分なアピールが出来るかどうかも必須条件ではない。言葉で完全に定義するのは難しいが、ブラームス好きのヴィオラ弾きは実感できるはずだ。経済的にお得かどうかは基準になりにくい。他の作曲家に比べて見せ場にありつける頻度が大きい。演奏していて楽しみな瞬間が多いくらいが基準である。
ヴィオラ以外の楽器については推測が混じる。おそらくホルンはおいしいハズだ。メゾソプラノもおいしいと感じていると信じたい。このほか私の目から見ておいしそうな楽器は、チェロ、クラリネット、オーボエ、ファゴットだ。ヴァイオリンやピアノはどんな作曲家でもおいしい出番が多いのでブラームスだけを特別視することは少ないかもしれない。
ブログ業界ではどうだろう。面白いブログを評して「おいしいブログ」とは言わないような気がする。ブログ「ブラームスの辞書」が「おいしいブログ」を目指すのも悪くない。
ブラームス作品にあってはメジャーな用語「leggiero」のお話だ。一般に「軽く」と解されて疑われることのない言葉でブラームスには300箇所を超える用例がある。本日はブラームスの「leggiero」について考察する。まず「leggiero」の使用上の特色は下記の通りだ。
ブラームスの複数の知人が、ブラームスのピアノ演奏について語ったところによると、ブラームスはベースラインと旋律以外の声部について輪郭をなぞる程度にサラリと弾いたとある。こうしたニュアンスが楽譜上に投影される時しばしば「leggiero」が書かれたと考える。この証言は上記3つの特色と矛盾しない。
「引きずって」と解される「pesante」の反対概念という可能性もあるが、出現頻度がバランスを欠いていて受け入れがたい。「marcato」の反対概念と解する方が収まりが良い。「marcato」を「ベースラインマーカー」あるいは「f側主旋律マーカー」と位置づけることともよくマッチする。
それからもう一つ大事なこと。
白玉の音符、つまり2分音符以上の音符とは共存しない一方で16分音符が一定量連続する場合に現れやすい。音符がこみいった声部が、他の声部を邪魔しないようにというお守りの側面も無視できない。
「leggiero」を軽く考えてはいけない。
就寝中狭くなった気道を通過する呼気によって周辺の筋肉が振動する現象と習った記憶がある。病気とまでは言えないのだと思うが睡眠時無呼吸症候群との関連も疑われているらしいし、離婚の原因になることもあるそうだからバカに出来ない。
実はブラームスは、相当に激しいいびきをかいたことがジョージ・ヘンシェルによって証言されている。音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第1巻だ。旅先でブラームスと同じ部屋に投宿することになり、翌日の出発が早いのでと思っていたら、ブラームスがあっという間に眠りについてしまい、ホテルのボーイにかけあって別の部屋で寝たという証言だ。当日は深刻な話だったのだろうが、ここでは良い思い出としてユーモラスなニュアンスで語られている。
その他作曲の弟子だったグスタフ・イエンナーもいびきネタを証言している。こちらはもっと豪快で、ホテルの隣室にいてもいびきが聞こえたと言っている。
作曲や演奏の面では、聴衆や演奏家を魅了して止まないブラームスだが、いびきまで音楽的ではなかったということだ。
さては鼻と口の二管編成だったとオヤジギャグをかましておきたい。
見てるだけで買わないこと、あるいはそういう客のことをいう。
シンプルな定義で気持ちが良い。これはさらに2つに分けられる。買う気はあったが気に入った商品が見つからずに結果として買わなかった客と、最初から買う気のない客だ。あまり神経質になるのは野暮である。何よりも店頭がにぎわうという効果は見逃せない。店頭のにぎわいというのは客に対する鮮度のアピールにもなるのだ。
ブログ「ブラームスの辞書」は順調にアクセスを伸ばしているが、アクセスの伸びほどは販売が伸びていない。つまりひやかしが増えているということだ。
ポジティブに考えている。ブログが充実しているから本を買うまでもなく満足されているということだ。
閑古鳥よりは数段いい。
強進行の反対概念。古典的な和声学においては、根音進行がパターンによりランク分けされている。このうちもっとも必然性が高い進行を強進行と呼びならわしている。実例は以下の通りである。
「上がるンなら4度か2度、下がるンなら3度」ということだ。
それで、これら強進行以外を「弱進行」と総称していると言うわけだ。強い必然性を聴き手に想起させる進行以外の進行だ。
実はこの弱進行はブラームスの得意技と位置づけられていることがある。ロマン派屈指の曖昧コレクターブラームスとしては、必然性を想起させない進行が有力なツールになっているのだ。強い必然性とは「確固たる調性感」ということだ。強い必然性をはずした弱進行は、確固たる調性感を忌避するということだ。
それでいて調性崩壊の推進者でもないところにブラームスの真価があると思う。
スポーツの中に音楽がある。高校野球では勝利チームの校歌が歌われるし、オリンピックでは優勝者の国歌が演奏されるのが恒例だ。フィギアスケートにも音楽は欠かせない。サッカーの代表戦を前にした両国の国家演奏も定着してきている。ドイツ代表の屈強な選手たちが手を胸に当てて「皇帝賛歌」にじっと聴き入る様子は否応なく感動させられる。
けれども国家や校歌はもちろん、フィギアスケートの音楽もスポーツのためにある訳ではない。スポーツの場面に転用しているに過ぎない。
それではとばかりにスポーツのための音楽を別途探すと、メジャーリーグベースボールで7回に演奏される「Take me out to the ballpark」がすぐに思い浮かぶ。しかしこれはどこのチームも同じ曲だ。日本の球場でも聴かれるくらいである。
特定のチームのために存在するとなると、やはり「六甲颪」だろう。甲子園球場で歌われると有り難みは倍増する。これはイングランドサッカーのサポーターが歌う「You never walk alone」に匹敵していると感じる。
まくらが長くなった。ブラームス作品の中からサッカーのサポーターソングを選ぶとどうなるかが本日の話題である。
サッカーのクラブ育成のシュミレーションゲームがある。お気に入りの旋律を入力してやると、自チームの試合の場面でサポーターがその旋律を演奏してくれるという優れものだ。ブラームスの作品からこれはという旋律を入力して「はまり度」を確認することが出来るのだ。大勢のサポーターが声を合わせるのだから、あまり入り組んだ旋律はだめだ。親しみ易くてシンプルで、格調高くて気品があって、選手を奮い立たせるような旋律はありはしないかといくつか試したが良い作品が見つかった。
交響曲第1番第4楽章の主題だ。ベートーヴェンの第九交響曲の「歓喜の歌」との関係ばかりが強調されるあの旋律だ。これ以外にはない。
試合に勝った後で歌う心地よさはもちろんだが、絶対に勝たねばならぬ試合が、後半も残り15分となって依然0対0で膠着しているようなケースでこれが歌われると元気が出る。
我が育てるチームなら、この歌をサポーターソングにしたい。
もしハンブルグあたりのチームがホームグランドでこの旋律を歌われた場合の説得力たるや半端ではなかろう。
「International Organization for Standardization」(スペル違ってたらごめん)の略をギリシャ語の「ISOS」(平等)だかにひっかけて「O」と「S」を逆転させて「ISO」にしているという。いろいろな事項についての「国際規格」を定める国際機構だそうだ。対象は森羅万象に及ぶとまでは行かないが、相当広い。身近なところでは、フィルムの感度や非常口のマークもISO規格だそうだ。
世界中の「ブラームスネタ」を受付・登録・評価するの国際規格を設定してくれるブラームスの最高権威団体が存在しないものか?もちろんブラームスネタには演奏も含まれていい。
たとえばハンブルグかウイーンあたりに「国際ブラームス委員会」みたいな名称の団体があって、世界中のマニアからブラームスネタを受け付けて評価し、ネタの「オリジナル度」「ユニーク度」「へぇ~度」「おたく度」を評価し、ネタの年間登録数とポイントに応じて「ISO1833」の認証を与えてくれたりすると面白い。もちろん「1833」はブラームスの生年にちなむ。
3年に1度更新審査があって、その間の活動内容や、ネタの発掘件数如何では、更新が出来ないというようにしたらいい。音楽大学やオーケストラ、合唱団の他、愛好家団体が認証取得を目指してしのぎを削るのも悪くない。団体で認証の取得を目指すも良しだが、個人でも申請出来ると面白い。指揮者、声楽家、ピアニスト、ヴァイオリニストなどなどだ。認証を取得していると演奏会のプログラムに「ISO1833」のエンブレムが印刷出来たりすると楽しい。さらには、評論家も認証取得を目指すといいかもしれない。
もちろん私のようなアマチュアにも門戸が開かれているのが好ましい。
演奏家、指揮者、評論家、教育者、愛好家等の個人や、オーケストラ、合唱団、コンクール、教育機関、音楽ホール、図書館、アンサンブル団体などに対して、ブラームス全般の取り組みのお墨付きを与える規格だ。これを取得していると本やCDの売れ行きがいいみたいなハクが付くと面白い。しかし、あんまりマジになり過ぎると権威主義に堕落するから認証者は洒落のわかる粋な人になっていただかないと困る。あくまでも本当のISO規格のパロディーに徹したら面白そうだ。
生涯の楽器にヴィオラを選んだとは言っても、音程もボウイングも安定しないし、アレグロ以上のテンポでは16分音符もお断りだ。老年に差し掛かった今、技術的にそうそう積み上げが期待できる訳もない。それでもやはり心のどこかに自分の楽器はヴィオラという安心感がある。
そのヴィオラの楽譜は風変わりなハ音記号が特徴である。原則ハ音記号なのだが、高い音域となるとしばしばト音記号に差し替えられる。ブラームスの楽譜では、しばしばというよりはちょくちょくト音記号が出る。ヴィオラソナタ第2番は 冒頭いきなりのト音記号で始まる。室内楽でも管弦楽でもト音記号は珍しくない。
長くヴィオラに親しんできたせいか、ト音記号とハ音記号が混在する楽譜でもストレスなく演奏出来るようになった。音程が悪いのは混在のせいではない。おまけにヘ音記号もかなりスイスイと読替が出来る。ヴィオラで弾けない低い音は、瞬時にオクターブ上げて弾くことも出来る。この程度はヴィオラ弾きとしては当たり前の読み替えだ。
さて昔、娘にヴァイオリンを教えていた頃、ヴァイオリンを手にする機会もあった。不思議なことに気づいた。娘たちは、ト音ハ音を瞬時に識別する私を、まるで手品師でも見るかのように眺めていた。調子に乗ってヴァイオリンでヴィオラの楽譜を弾いてやろうと試みたが、これがまた想定外の難しさだった。
つまりヴィオラさえ持っていればト音、ハ音、ヘ音の行き来が自由自在に出来るのだが、ヴァイオリンを持つとハ音記号の楽譜を演奏出来ないのだ。ヴィオラを持つかヴァイオリンを持つかで構えに入った瞬間から脳内のマスターが機能してしまうかのようだ。これはなかなか不思議な感覚である。ヴァイオリンを持って構えただけで、網膜にフィルターがかかってしまう。人間の意識とは一筋縄では行かないものだと実感した。
私の造語。「モースト・ヴァリアブル・ヴァリエーション」だ。つまり「最優秀変奏曲」。私の脳内認識の話。
ブラームスは変奏曲大好きだ。ソナタ器楽曲の単一楽章が変奏曲になっている例は多い。単独管弦楽には名高い「ハイドンヴァリエーション」がある。ピアノ曲にだって「誰それの主題による変奏曲」が目白押しだ。だから「MVV」はそれらが候補になるのだが、グールドのDVDのせいでどうも風向きがおかしい。
もしかしてバッハのゴールドベルク変奏曲が「MVV」なのではないかと思えてきた。人類史上最高の変奏曲はゴールドベルク変奏曲なのではないかと。
悩んでいたら、さっきブラームスから「異議なし」とラインが入った。
グールドによって再認識が進むバッハ、ゴールドベルク変奏曲BWV988の話だ。なんせ長大な変奏曲。
主題のアリアは32小節ある。主題を冒頭と末尾で提示するのだが、変奏が30あるために、全体は32の部分から成り立つ。32が好きなのかと疑う。
主題に30の変奏がほどこされ、それにコーダが続くことで全体が32の部分からなるといえば、ブラームスの第4交響曲のフィナーレ第4楽章と同じである。そう、ブラームスはこのゴールドベルク変奏曲の弾き手でもあった。公開の場での演奏の証言は見当たらないが、貴重な友人の証言がある。
母を亡くしたブラームスを見舞ったゲンスバッヒャーによれば、ブラームスはゴールドべルク変奏曲を弾いていたというのだ。どこの部分なのかは不明ながら、この時ブラームスのほほが涙に濡れていたと証言する。
弾いていたのがアリアの主題であってもぴたりとはまってくるエピソードではないか。
グールドのDVDは、手元に楽譜を置いて参照しながら見ると、楽しさが増幅する。
まずは、ゴールドベルク変奏曲冒頭の低音主題だ。ト長調の移動ドで読んだもので、実音は「G-Fis-E-D-H-C-D-G」だ。バッハもお気に入りだと見えて、これを主題とする14のカノンを書いている。20世紀になってからの発見でBWV1087という大きな番号を背負っている。ゴールドベルク変奏曲の華麗な姿に慣れている耳には渋く感じられるが、魅力的だ。
さてさて試してみるといい。この変奏主題を耳で追いながら、グールドのDVDを見る。気のせいかやはりというかグールド自身こちらも大切にしている気がする。
昨日の記事「映像事始め」で、懐かしい映像ソフトを列挙した。本日はそれとは別に、最近入手したDVDの話。大好きなピアニスト、グレン・グールドの演奏。バッハ作曲のゴールドベルク変奏曲のスタジオ録音。グールドさんが没する前年の収録だという。
いやもう驚いた。やっぱりというか案の定というか暗譜。噂には聞いていたが演奏時の姿勢が目の前に蘇る。極端な前傾姿勢。ハミングも聞こえる。変奏曲の各々のキャラに寄り添った体の動き。
冒頭名高いアリアの主題はニュアンス1個の出し入れにこだわって丹念に言い聞かせるかのよう。主題提示が終わって第1変奏に移るときの気分の入れ替えが鮮やか。第8変奏のフゲッタ。冒頭左手独奏の間、右手は指揮をしているアクション。主題が次々に呼応するフーガ感が、いともたやすく実現している。ラスト第30変奏の大好きな大好きな「クオドリベート」の説得力たるや、筆舌に余る。そこを聞かされたあと、冒頭アリアへの回帰には涙腺が緩む。全曲を終えてがっくりとうなだれるような姿勢まで鑑賞の対象だ。
全部見せ場。何度見ても飽きない。
私の映像ライフの初期、経済的制約もあってソフトの取り揃えは限定的だった。だから記憶にだけは残る。
すぐに思いつくのはくれくらい。これらをマイルームで聴き直すとまた同じ感動がよみがえる。上記2.4.6番を除きウイーンフィルだ。ブラームスとの関係を思うとやはりウィーンフィルははずない。
大好きなヴァイオリニスト・シェリングとは全く違う芸風ながらクレーメルは何度も聞いた。いつしかバーンスタインにも惹かれていった。
けれどもクライバーのベートーヴェンが最高かもしれぬとなった。この演奏を聴いてベートーヴェンの4番の価値に気付いた。その後7番はかなりなかずの映像を見たが、やはりクライバーにはかなわん。
アルバンベルク四重奏団の「死と乙女」も忘れがたい。なんだろうねぇこの人たちはと憧れた。
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