たられば
あり得ない事を仮定して話を進めることがある。そのとき「たられば話である」と自嘲気味に語られることがある。
- 8回まで完全試合を継続していた投手がいた。9回に交代せずに続投していたら。
- 織田信長が本能寺で死なずに生き延びていれば。
現実は既に積み重なっているから、ほとんど意味のない仮定なのだが、こういう仮定は人情としては理解できる。
ブラームスについてもいくつかたらればを感じる。
「ブラームスが日記をつけていたら」あるいは「ブラームスがもっと論述活動に積極的だったら」である。
ブラームスの伝記は、廃棄を免れた書簡の他は、ほとんどブラームスの周囲の人間の記憶と記録から確定されている。自分自身の手による日記が残っていたら、現在ブラームスについて残っている疑問のいくつかが解消するかもしれない。
シューマンやワーグナーのように作曲活動と平行して評論も行っていたら、そしてその評論の対象が他の作曲家となっていれば後世の音楽学への寄与は計り知れないと感じる。過去の作曲家の自筆譜のコレクターであり、校訂者、優秀な合唱指揮者、ピアニスト兼作曲家である立場からの論述が残っていればと思う。多くの先輩作曲家の楽譜の校訂に関与していながら、大半が無記名であることは、とても残念だ。
自分からの情報発信を楽譜だけに絞っていた姿勢をカッコいいと思う反面残念でもある。
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