第二の道
音楽之友社刊行の「作曲家◎人と芸術」シリーズの「ブラームス」の202ページにちょっとした疑問がある。交響曲を概観する記事の中に以下のような記述がある。
シューマンの発表した音楽評論文「第二の道」によって紹介されたブラームスは・・・
文脈から素直に読む限り1853年10月のブラームスのシューマン邸訪問に端を発した交流に触発されたシューマンが、ブラームスを世の中に紹介した記事だと考えるのが自然だ。
同じ本の生涯編33ページにそのことが書いてある。しかしその33ページでは紹介論文のタイトルが「新しい道」と書かれている。「第二の道」とは書かれていない。
元々存在した道とは別に新たに道が出来た場合、それが「新しい道」と呼ばれることはよくある話だ。同時にその同じ道が「第二の道」と呼びうることもまた奇異ではない。しかしシューマンによって書かれた名高いその論文は「Neue Bahn」だから「新しい道」の訳語で何の不足もあるまいに、なぜまた「第二の道」と表現しているのだろう。
- 「Neue Bahn」のほかに「第二の道」と訳されるようなタイトルのブラームス紹介文が存在した。
- 「Neue Bahn」をそこに限って「第二の道」と訳した。
同じ書物の中で何の注釈も無く、「新しい道」と「第二の道」が混在するのは、いかにも不自然と感じる。
何か特段の事情があるのだろうか。
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