おいしい
普通に考えると食べ物や飲み物が口に合う場合に発せられる言葉だ。ここから転じて各業界ごとに様々の意味に用いられている。
大乱戦に決着をつけるホームランを打ち、MVPに選ばれたバッターは「おいしいところだけもっていった」と形容される。絶妙のスルーパスをもらって触るだけで得点になった場合、得点者はしばしば「おいしいゴールだった」と発言する。相撲界で用いられる「ごっつぁん」に近いニュアンスだと思う。味わいそのものに加えて「お得だった」というニュアンスを濃厚に含むと思われる。
音楽の場合はどうだろう。耳に心地よい旋律を聴いた場合にも「おいしかった」とは言わない。大満足の演奏会であってもそれを「おいしい演奏会」とは形容しないように思う。演奏の受け手が好ましい演奏を評する場合には使われていないような気がする。それが仮に経済的にもお得な演奏会だったとしてもである。
その一方で演奏者の間ではしばしば使われる。自分が担当するパートに見せ場が割り当てられているとき、あるいは演奏していて気持ちの良い場面に遭遇した場合「おいしい」と表現されることがある。
ブラームスの作品に関する限りヴィオラはおいしい出番に恵まれている。私にとってはこの使い方がもっとも使用頻度が高い。必ずしも主旋律を意味しないし、聴衆に対して十分なアピールが出来るかどうかも必須条件ではない。言葉で完全に定義するのは難しいが、ブラームス好きのヴィオラ弾きは実感できるはずだ。経済的にお得かどうかは基準になりにくい。他の作曲家に比べて見せ場にありつける頻度が大きい。演奏していて楽しみな瞬間が多いくらいが基準である。
ヴィオラ以外の楽器については推測が混じる。おそらくホルンはおいしいハズだ。メゾソプラノもおいしいと感じていると信じたい。このほか私の目から見ておいしそうな楽器は、チェロ、クラリネット、オーボエ、ファゴットだ。ヴァイオリンやピアノはどんな作曲家でもおいしい出番が多いのでブラームスだけを特別視することは少ないかもしれない。
ブログ業界ではどうだろう。面白いブログを評して「おいしいブログ」とは言わないような気がする。ブログ「ブラームスの辞書」が「おいしいブログ」を目指すのも悪くない。
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