小道具としてのお香
昨日の記事「ウィーンに六段の調べ」で言及した守屋先生の作品の右下隅に香炉が描かれている。黒いテーブルが右下からせり出すように置かれて、その上に香炉がある。右下が空白でないところに構図としての巧妙さがあると感じるが、そこに香炉が配されることに深い深い意義を感じる。
時は明治。条約改正に打って出た日本は、欧州に進出し、華麗な外交を展開する。大使たる伯爵の夫人が筝曲の名手というのは格好の国際交流だ。音楽の都ウィーンではなおのことだ。そして当時欧州楽壇の最長老のブラームスの前で琴を実演する場に、お香が焚かれているという状況は、ものすごい説得力だ。
香炉から立ち上る煙が、眉間にしわを寄せて聞き入るブラームスにかかっているのは、演奏を聴いたブラームスの内面への浸透を象徴して余りある。
音も聞こえてきそうなら、薫香までも漂ってきそうだ。
小道具の配置一発で、この効果とは恐れ入る。
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