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2024年2月29日 (木)

うるう年5回目

ブログ「ブラームスの辞書」は2005年の開設。今日まで下記の通りうるう年を経験している。

見ての通り過去4回の2月29日には律儀にそのことに触れてきた。その間一日も記事更新の抜けがないと、毎回自慢に走るのもすっかり定着した。2033年のブラームス生誕200年のゴールまでに、あと2回の2月29日が必要だ。

私の生年1960年もうるう年だ。子年はいつもうるう年だ。それをいうなら1756年生まれのモーツアルトも子年、つまりうるう年だ。

大きく大きくさかのぼって源実朝の生年1192年はうるう年だった計算になる。旧暦において2月29日の付与などという細工があったとも思えないが、少なくとも彼は私と同じ子年だ。その12年前の子年には後鳥羽院がいる。これまたうるう年であると毎度毎度のおバカな落ち。

2024年2月28日 (水)

Verzeichnis

「Verzeichnis」は、ドイツ語で「目録」のことだ。またまた先ごろ買い求めたBWV3の話題だ。「Bach Werke Verzeichnis」で「バッハ作品目録」となる。楽譜そのものではないが、そそられるものがある。

およそ大作曲家とみなされている人物には、この手の目録が存在する。後世の音楽学者による詳細な研究成果が盛り込まれるのが普通だ。作曲、演奏、解釈、鑑賞とも違う音楽の一側面を形成し、総じて音楽学とくくられる。

我が家にはこのほど入手したバッハの他にブラームスがある。

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見ての通り、美しい。ブラームスは赤、バッハは青だ。どちらも布張りの重厚な装丁。ブラームスはヘンレ社、バッハはブライトコップフ社というドイツを代表する楽譜出版社が、手塩にかけた逸品。楽譜とはまた違う趣きがある。ほれぼれとはこのことだ。

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私ごときの素人の家に、これらがあるのも気後れするけれど、この先の嘱託生活からのリタイヤに備えるという側面も見え隠れする。

2024年2月27日 (火)

よき出会い

昨日の記事「BWV3」で、「バッハ作品目録2022年版」に巡り合ったとはしゃいだ。

話せば長くなる。

現在ブログ「ブラームスの辞書」上で進行中の「バッハでたどる教会暦」が、事実上のカンタータ特集であることもあって、その記事執筆の資料としてやはり楽譜は不可欠と、楽譜ショップをうろつくことが増えた。200曲あるカンタータすべてのフルスコアをそろえるなんぞ、夢のまた夢ではあるのだが、せめてお気に入りの作品だけでも楽譜を参照したいと思い詰めた。ドイツの出版社の楽譜は高いし、品ぞろえにも限界もある。そこで米国のドーヴァー社の大判スコアをと考え、店頭取り寄せを依頼した。

お店のスタッフがいろいろ準備する間、店内をうろついていて目に留まったのが「BWV3」だった。それが2月21日のことだ。

限定2冊で価格が税込み60000円。

6万円はさすがに引く。とその日は後ろ髪引かれながら退散したが、どうにもこうにも気になって仕方がない。思えば巧妙な価格設定だ。なぜなら60万円なら簡単にあきらめられた。在宅勤務の谷間で翌日は出勤予定だったこともあり、仕事の後再訪。

店頭で手に取りつつスタッフさんの話に耳を傾ける。「限定2冊だが、すでに1冊は電話で仮予約がはいっています」「この価格実は大変お得ですよ。本来は倍近い価格です」

20年前「ブラームスの辞書」執筆のためにマッコークルの「ブラームス作品目録」を30000円で買い求めたことが思い出された。価格は痛かったが、内容はすごかった。辞書片手にむさぼり読んだ。店頭でパラパラと中身を眺めるとあれと同じことがまた起きる予感がした。

カンタータの楽譜を探しに来なければ絶対に出会うことはなかった。これも運命かつバッハのお導き。60000円分熟読すればいいのだと、自分に3回言い聞かせて、トマス教会の屋根から、パラシュートなしで飛び降りる覚悟で買い求めた次第。

 

2024年2月26日 (月)

BWV³

「BWV3」と申してもカンタータ第3番のことではない。このほど購入した書物のタイトルだ。よく見ると「3」が小さい。

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ブライトコップフ社刊行の「バッハ作品目録」である。「BWV」は、「Bach Werke Verzeichnis」の略だ。ドイツの音楽学者シュミーダーが1950年に考案した。このときの出版がBWV1とされている。バッハ生誕300年の1885年に改訂が企画され1990年に刊行となって、それが「BWV2」である。このほど私が求めたのが2022年に世に出たその第3版ということで最新の研究成果が盛り込まれている。

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ハードカバー付きの重厚な出で立ち。私好みの紺色。記述はほぼドイツ語オンリー。序文の一部が英語併記。けれども「作品目録」なので単語を少々勉強すれば大問題ではない。

BWV番号順に作品が列挙され、冒頭部分の譜例が掲載される。初演日時、自筆譜の所在、原典資料、編成の他、簡単なエピソードが添付される。

 

 

 

2024年2月25日 (日)

ピアノ伴奏はいかが

記事「やっぱりアメリンク」でアンナマグダレーナバッハの音楽帳にBWV82「Ich habe Genug」の第2曲第3曲が収められているとまくしたてた。実は愛聴盤がもう一種ある。ジェイムズマドックスというピアニストが入れていて、ソプラノはイングッド・シュミットヒュッテン。そりゃあアメリンクには一歩譲るけれど、家庭でポロリポロリと弾いている感じがしておさまりがいい。

さらにこちらは2枚組で、同音楽帳の全曲が入っている。ドライブや在宅勤務のおともに好適。

2024年2月24日 (土)

やっぱりアメリンク

お気にいりのカンタータ「Ich habe Genug」BWV82のうちとりわけ第3曲「Schlummer ein」が気に入っている。CDがかなりたまっているのだが、この第3曲に的を絞るなら、アンナマグダレーナバッハの音楽帳も視野に入る。

同曲集のCDの愛聴盤は何と言っても「グスタフレオンハルト盤」だ。ソプラノがエリーアメリンク。つまり同アリアを彼女が歌ってくれているのだ。清潔透明な毎度のアメリンク節が炸裂。最高のシューベルト歌手でありかつ、バッハを歌わせてもさすが。

彼女のCDでは第2曲のレチタティーボと第3曲のアリアが別トラックになっていない。1つのトラックに2曲が入っているのだ。両者が事実上の「序奏とアリア」状態であることが深く考慮されている。「絶対に続けて聞きなさい」という彼女からのメッセージに違いない。

2024年2月23日 (金)

狩りのカンタータ

「バッハでめぐる教会暦」という脈絡の話で1年持たせようという企画が進行中である。バッハには教会での礼拝用とは別に、世俗用のカンタータも残されている。本日は「Jagdkantate」BWV208を取り上げる。「狩猟カンタータ」は1713年2月23日初演とされている。311年前の今日ということだ。現存する最古の世俗カンタータらしい。当時バッハが奉職していたワイマールの領主の誕生日にと作曲された。領主がいたく狩猟好きだというのが作曲の動機に違いあるまい。

狩というだけあってホルン大活躍だ。狩の喜びが特盛にされる。

 

 

2024年2月22日 (木)

序奏付きアリア

BWV82のカンタータからアンナマグダレーナバッハの音楽帳に収載された第2曲と第3曲は、一対だ。第3曲アリアがメインで、それを導き出す第2曲という位置づけ。先行する第2曲レチタティーボはシャープ1個のト長調なのだが、エンディングがニ長調の和音になっている。これは続く第3曲ト長調のアリアを導く属調だ。

カンタータでの第3曲は声楽が入る前に器楽だけの部分を持っているけれど、同音楽帳ではいきなり歌が始まる。第2曲のレチタティーボが疑問形で終わり、第3曲のアリアがそれに対する回答であるかのようだ。レチタティーボがアリアの序奏になっているということだ。

2024年2月21日 (水)

妻への贈り物

バッハ二度目の妻はアンナマグダレーナバッハという。ケーテンの宮廷ソプラノ歌手だった彼女はもちろん音楽の才能もあって、筆写譜の筆跡がバッハそっくりとい手練れでもある。

バッハがこの妻のために、日常の慰めとして残した曲集が「アンナマグダレーナの音楽帳」だ。小品の堆積なのだが、クラヴィーア作品だけでなく声楽も少々ある。平均律クラヴィーア曲集のハ長調プレリュードや、ゴールドベルク変奏曲のアリアなど、超なじみの作品もある。

バッハファミリーの愛奏曲集の意味合いだ。ここには彼らのお気に入りの作品収載されているとみていい。

この中に、カンタータ「Ich habe Genug」BWV82の第2曲レチタティーボと第3曲アリアが収められている。カンタータはバス用だが、バッハ愛妻用にとソプラノ用転調したものだ。バッハ本人のお気に入りだったのか、妻の好みだったのかわからぬが、よいではないか。

2024年2月20日 (火)

四旬節ならでは

四旬節は、キリストの受難を思いやって、つつましくということだからなのか、その間6度ある日曜日では、教会の礼拝の中でのカンタータの演奏も控えられる。この期間内用のカンタータが残されていないのはそのためだ。

ブログ「ブラームスの辞書」上の企画「カンタータで教会暦をたどる」にあたっても記事が空白になる。だからのんびりと梅を話題にもできるということだ。

おかげでどっぷりと大好きなBWV82「Ich habe Genug」に浸かっていられる。

2024年2月19日 (月)

遅ればせ実朝忌

私が師と仰ぐ源実朝は1219年2月13日が命日である。

その日には記事を奉りたいのだが、ことしは肉の火曜日と重なったため今頃言及する。カンタータでたどる教会暦の企画中とは言え、後ろめたい。

数年前、伝実朝の首塚がある神奈川県秦野市で買い求めた梅がこのところの暖かさに誘われて咲き始めた。昨日の観梅ネタで思い出した。

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2024年2月18日 (日)

曽我梅林

先日、梅祭りたけなわの、小田原曽我梅林に行ってきた。

富士山は雲に隠れていたが梅は見ごろだった。そりゃもうすごい。

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師匠に見せたいくらい。

2024年2月17日 (土)

声種と調性

やはりカンタータ82番「Ich habe Genug」BWV82は、人気があったということなのだろう。現在バス用カンタータとして定着しているが、その他の声種用にも編曲されて出版も演奏もされた形跡がある。初演は1727年2月2日だそうだが、再演の記録が下記の通りあるという。

  • 1731年 ソプラノ用 ホ短調
  • 1735年 メゾソプラノ用 ハ短調

もともと第1曲がアルト用で書かれたことから、アルト用での演奏もあると書いたが、メゾソプラノやソプラノもありということだ。

2024年2月16日 (金)

ビオンディの無伴奏

記事「まさかのテノール」で、ファビオ・ビオンディの指揮でBWV82が聴ける。しかもテノール独唱だとはしゃいだ。

実はその日、彼のリサイタルに行ってきた。演目はバッハで、なんと「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」全6曲というご馳走。

<第一部>

  • ソナタ第1番 ト短調 BWV1001
  • パルティータ第1番 ロ短調 BWV1002

  休憩

  • ソナタ第2番 イ短調 BWV1003

<第二部>

  • パルティータ第2番 二短調 BWV1004

  休憩

  • ソナタ第3番 ハ長調 BWV1005
  • パルティータ第3番 ホ長調 BWV1006

第1部は15時開演で、第2部が18時開演。どちらも90分という端正な枠組み。見ての通りBWV番号順に演奏されたが、休憩の差し込み方が巧妙で感心した。

名高いシャコンヌを含むパルティータ第2番が全体の頂点を形成するが、実際の演奏もそうだった。シャコンヌへの花道と余韻を楽しむ構成だ。

言葉は不完全だ。すごい演奏だった。だから生でなければという臨場感、切迫感。軽いのに軽くない。シャコンヌに入ると音色が違った。

2部のアンコールはニ短調のジーク。そしてト短調ソナタのアダージョ。一日の冒頭に回帰してお開き。喉がカラカラになった。

バッハと教会暦をたどる1年にふさわしい、本年最初のコンサートだった。

 

 

2024年2月15日 (木)

ヴァレンタインスルー

昨日の記事で、ヴァレンタインデーネタには触れもしなかった。

1207年2月14日、結婚を禁じるローマ皇帝に反抗して処刑された司祭ヴァレンチノを慕う日が、恋の縁日化として定着したもの。チョコの贈答も女子主体もほぼほぼ日本だけの現象だという。

バッハが気の利いたモテットでも残してくれていればよかったのに。

2024年2月14日 (水)

灰の水曜日

復活祭の46日前の水曜日のことだ。復活祭前の40日は四旬節と呼ばれ、イエスキリストの受難を思い、つつましく暮らすという意味がある。40日とは言っても実際には6回ある日曜日はノーカウントなので、46日前の水曜日が四旬節の入り口になる。ここから40日慎ましく暮らさねばならないということだ。日数は断食の日数に由来するらしい。だから断食とまでは言わぬが、十字架にかけられたイエス様を思い、自己修練につとめねばならぬというロジックだ。

水曜日だから教会での礼拝はないので、バッハもカンタータを残していないという妙な辻褄。

2024年2月13日 (火)

肉の火曜日

世の中カーニバルだ。ラテン語で「Carnival」は「肉よさらば」の意味である一方、ドイツ語では「Fasnacht」で「断食前夜」という意味だ。復活祭に先立つ40日が四旬節と呼ばれ、イエスキリストの受難を思い、つつましく暮らすことになっている。具体的には断食期間である。その入り口が明日だ。だからその直前に肉をたらふく食べておきましょうという意味合いがある。ドイツ語では「断食イブ」が強調され、ラテン語では「肉をたらふく」が強調されていいるということだ。

つまり断食という禁欲生活の前の食いだめということなのだが、今や無礼講のイベントという色彩が強い。少なくとも断食が終わった後の「お疲れ様」という慰労の形式になっていない。

ちなみに昨日は「バラの月曜日」であり、その前日の日曜日は「卵の日曜日」と言われている。

さすがにこれらは教会の公式行事ではないから、バッハはそれようにカンタータを残していない。

2024年2月12日 (月)

小澤征爾先生逝く

2月10日朝、突然の訃報だった。2月6日に指揮者小澤征爾先生が亡くなった。心からご冥福をお祈りする次第。

私がクラシック音楽に目覚めたころ、カラヤンやベームで夜も日も明けぬ毎日に、堂々と割って入ってきた日本人のマエストロという存在だった。

私にとっては、なんと言ってもサイトウ記念オーケストラのブラームスが最大の贈り物だった。

日頃音楽になんぞ興味のない母がポツリと「小澤さんは私と同い年だよ」とつぶやいた。

2024年2月11日 (日)

汝まことの神にしてダビデの子よ

BWV23「Du wahrer Gott und Davids Sohn」は復活祭前第7日曜日のカンタータ。この日朗読される話の内の後半、「信仰深き盲人の目を癒やす」云々に呼応している。

居心地がいささか悪くなり始めたケーテン時代末期、バッハがライプチヒトマスカントルに応募した際に提出した作品がこの曲。ルカ伝のエピソードを題材にとり、後続の偉大なカンタータを予告するかの出来映え。

惜しむらくはバリトンに出番がない。

2024年2月10日 (土)

まさかのテノール

カンタータ「Ich habe Genug」BWV82をシュライヤーさんは歌わずに振った。だからテノールはあきらめていたから、最後の直線で大外から強襲された感じで意外とあっさり見つかった。

ファビオ・ビオンディ指揮ヨーロッパガランテのCD「バッハのカンタータ・シンフォニア」というCDに同曲が収められている。なんとなんと独唱はイアンボストリッジというテノール歌手だ。ジャケットに歌手の名は彼しか書かれていないのだが、帰宅して聴くまでは半信半疑だった。

大好きなビオンディの演奏で聴けるとはこれまた至福。同曲に独奏ヴァイオリンでもあればよかったのに残念。収録された他の曲の独奏ヴァイオリンではビオンディが弾いくれている。

2024年2月 9日 (金)

指揮者シュライヤー

店頭でバッハのカンタータ売り場を漁っていて発見。最初「BWV82」という文字が目に飛び込み、さらに「Schreier」という文字を発見するに至って、思わず二度見。バリトン独唱用なのにテノールのペーター・シュライヤーが歌っているのかと驚いた。

即買いして帰宅する電車の中で、確かにあの名高いペーター・シュライヤーなのだが、彼は指揮だと分かった。独唱はオラフベーアというバリトン歌手で、ブラームスのリートのCDを持っている人だとわかり、別の興味がわいた。

聴いてみて、納得。よい。フィッシャーディースカウ先生に似た歌い方。第二位集団に割り込む。指揮のシュライヤーさんを師匠に仰ぐとは後から知った話。

そう簡単にテノール盤なんかないと妙に納得した。

2024年2月 8日 (木)

カウンターテナーまで

昨日の記事でBWV82「Ich habe genug」がコントラルト独唱で歌われて違和感がないと書いた。

実はルネ・ヤコブスというカウンターテナー歌手も歌っている。「アルトカンタータ集」という試みの中で、この作品が平然と取り上げられている。教会に女性の立ち入りが制限されていたバッハの時代、カウンターテナーは今よりもっと自然だったはずだから、このトライに説得力が宿る。

コントラルトのシュトゥツマンより高い声という感じ。ポンと聞かされたら「あれっ」と思う。女声のアルトとも決定的に違う。なんか変という感じ。聴き進むとそれは不慣れのせいだとわかる。

2024年2月 7日 (水)

歌われて納得

記事「作曲の経緯」で述べた通り、カンタータ「Ich habe Genug」BWV82は、当初アルト独唱を前提に着手され、第1曲完成後バリトン独唱に改定された経緯がある。

ロイグッドマン指揮ハノーヴァーバンドの演奏は、独唱にナタリー・シュトゥッツマンを迎えている。この人は大好きなコントラルト歌手。ブラームスのリートもCDで聴ける。男声用のはずの「4つの厳粛な歌」にだってチャレンジを忘れない人だ。店頭でこのCDを手に取った時は心が躍った。

実際に聴くと、納得だ。大好きなフィッシャーディースカウ先生に次ぐ第二集団に堂々と割って入る。指揮のグッドマンさんも多芸でオルガンやヴァイオリンまで弾いている。ピリオドヴァイオリンだというに、耳になじむ。

問題はバッハがなぜアルト独唱からバリトン独唱に切り替えたかだ。そのままアルト独唱にしておいたらアルト歌手たちの主戦場になっていたはずだ。

2024年2月 6日 (火)

降りゆくものは

降雪お見舞い申し上げます。

およそ8cmの積雪。雪に慣れない地域では大事だ。

車の運転を控えることはもちろん、外出もしない。在宅勤務の恩恵を目いっぱい受けている。

暖かい部屋とコーヒー。そして音楽。

2024年2月 5日 (月)

MVC

私の造語だ。「Most Variable Cantata」の略。脳内最優秀カンタータのこと。これが2月2日に話題にした「Ich habe Genug」BWV82である。コツコツと集めたCDを以下に列挙する。「録音年/指揮者/歌手」の順に記載する。

  1. 1951/リステンパルト/フィッシャーディースカウ Bas
  2. 1961/クルト・トーマス/ヘルマン・プライ Bas
  3. 1968/カール・リヒター/フィッシャーディースカウ Bas
  4. 1968/ヴィンシャーマン/ジェラルド・ゾウツァイ Bas
  5. 1983/ヘルムート・リリンク/フィッシャーディースカウ Bas
  6. 1991/ヘルヴェッヘ/コーイ Bas
  7. 1991/ペーター・シュライヤー/オラフ・ベーア Br
  8. 1994/ロイ・グッドマン/ナタリー・シュトゥッツマン CA
  9. 1998/バンキーニ/ルネ・ヤコブス CT
  10. 2000/ジョン・エリオット・ガーディナー/ピーター・ハーヴェイ Bas
  11. 2000/ファビオ・ビオンディ/イアン・ボストリッジ Tn
  12. 2000/ピーター・ヤン・ルイジンク/マリヨン・ストリイク Sop
  13. 2001/トン・コープマン/クラウス・メルテンス Bas

以上13種類。「鎌倉殿の13人」以来はまりまくっている「13」だが、ここは全くの偶然。して以下少々のコメント。

愛するディートリッヒ・フィッシャーディースカウ先生は3種類。最古の1番はリステンパルト指揮リアス室内合唱団との録音で、26歳の歌唱ながらすでにもう全盛期かもと。後はカール・リヒターとヘルムートリリンクの大定番。それぞれ43歳、58歳の録音。どれもすごい。

ヘルマン・プライ先生も録音している。クルト・トーマス指揮ライプチヒトマス教会合唱団との由緒正しい演奏。なんたって指揮者はトマスカントルだ。ヴィンシャーマン先生はバッハゾリステンを振っている。指揮なんぞいいからオーボエ吹いてほしかった。

歌手の声種はCDジャケット記載のものに従ったけれど、なんのかんので、7種類ある。

  1. ソプラノ
  2. アルト
  3. コントラルト
  4. カウンターテナー
  5. テノール
  6. バリトン
  7. バス

いやいや楽しい。フィッシャーディースカウ先生は別格として、楽しめる。

 

2024年2月 4日 (日)

主よ我らを汝のみ言の下に保ち

BWV126「Erhalt uns,Herr,bei deinem Wort」は、復活祭前第8日曜日用。

ルター作のテキストにグレゴリオ聖歌由来の旋律があてられたコラールに基づく。種のたとえ話を土台に、反プロテスタント勢力への対抗を煽る意図がある云々。トランペットは毎度華々しくはあるのだが、バリトンの出番がないせいか、どうも気合が入らない。

私の脳みそのせいでバッハの知るとことではないとはいえ、無信仰は困ったものだ。

2024年2月 3日 (土)

作曲の経緯

脳内最優秀カンタータBWV82「Ich habe Genug」の話が止まらない。

最近のバッハ研究の成果によると、同カンタータは当初アルト用に作曲されたという。第1曲をアルト独唱で書き上げたあと、その後なぜかバリトン用に改められたらしい。理由は不明。何らかの事情があったのか、単なる直観なのか興味深い。

だから、バリトン用カンタータとして定評ある本作はアルト独唱で演奏されることもある。いくつかCDにもなっている。

みんな歌いたいということだ。つまり名作。

2024年2月 2日 (金)

我は満ち足れり

キリスト出生当時、男児を産んだ母親は出産日から40日後に、神殿で贖罪の儀式を行うことになっていた。それが今日「マリア潔めの祝日」だ。この日のためのカンタータは、BWV82「Ich habe genug」。ほかにBWV83もある。

主役はシメオンという信仰篤き老人。彼はメシアに会うまでは死んでなるものかと思い詰めていたが、幼いイエスに会うなり、「こりゃただものではないわい」とばかりにこの子をメシアだと悟ったという。この第1曲では待ち望んだ存在に出会った喜びがうたわれ、第3曲では満願成就の後の穏やかな心情が歌われる。

いやはや一年間カンタータネタを続けるというのに早くも2月に大好きな作品が来てしまってうろたえている。ほぼ立春というこのタイミングはいささか早い。フランスではクレープを食べる習慣があるとかないとか。

数あるバッハのカンタータの中でも、バリトン用カンタータは珍しい。ディートリヒフィッシャーディースカウ先生の独壇場だ。特にだ。特に第3曲のアリア「Schlummert ein,ihr marten Augen」(眠れ、疲れた目よ)は絶品だなどと我を忘れる。この世の過酷さと対比してあの世へのあこがれを歌う。

 

 

2024年2月 1日 (木)

神の時こそいとよき時

BWV106「Gottes Zeit ist die allerbste Zeit」は「Actus tragicus」(哀悼行事)とも呼ばれている。バッハ22歳の作で、最古のカンタータに推す向きも多いと聞くが謎も多い。

ある人物の葬儀のために作曲された「礼拝用葬送音楽」だというのに、誰の葬儀か不明で、テキストの作者も不明。リヒター盤では、DISC25のラストを飾っている。つまり全集のトリだというのにディースカウ先生の出番はない。ブラームスの「ドイツレクイエム」との関係も取り沙汰されている。

まあしかし、第1曲のリコーダー二重奏の静逸なたたずまいは何にも代えがたい。

今日は亡き妻の命日。28年前の今日だ。

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