唖然陶然
あれからずっとはまっている。「バッハ作品目録2022年版」通称「BWV3 」のことだ。見れば見るほどほれぼれする。全編にほとばしるドイツ語をものともせず浸りきっている。辞書片手とはいえ本当楽しい。
凡例だけで数ページある。パート名、楽器名の略称だったり、原典所蔵の博物館の記号だったり、これでもかとばかりの念の入れよう。この手の深入りの仕方は、ドイツ的と感じる。理詰めに次ぐ理詰め。シンプルなロジックの堆積が、明晰さと同居する。
変に日本語になっていなくてよかったとさえ思える。苦労して意味が分かった時の爽快感がその一例だ。点在していた複数の疑問が、ロジック1つの解明で鮮やかに連結するという体験は他では得られまい。
こうした音楽学の台頭は19世紀。実はブラームスの生きた時代に重なる。そしてそのきっかけはメンデルスゾーンによって立ち上げられたバッハ復興だ。没後一旦は忘れられていたバッハを掘り起こす過程でおきた。そしてブラームスの親友フィリップ・シュピッタの著わした「バッハ伝」こそがその最初の果実だ。作曲家の生涯や作品への体系的なアプローチが確立した。
あっと驚いたあと、恍惚がやってくる。この繰り返しだ。
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