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先に買い求めた「バッハ作品目録2022」の話。
膨大なページ数に圧倒はされるのだが、安らぐ。これにバッハの全作品が言及されているという安心感がある。全部が網羅されているというのが心地よい。こちらがドイツ語に不慣れでたどり着かないという可能性はあるが、どこかには必ず載っているという信頼感に浸れる。
19世紀にメンデルスゾーンらによって始められたバッハ復興運動の果実が、たわわである。
今その恩恵をたっぷり浴びている。
復活祭後第4日曜日には「Es ist euch gut,dass ich hingehe」BWV108だ。イエスが受難と復活を弟子たちに予言する系統の説話に基づく。
リヒター盤では、ディースカウ先生が降り番のせいか、第1曲のバスのアリアではついついオーボエダモーレの響きに耳がいく。続くテノールのアリアには独奏ヴァイオリンがからむ。
カンタータでは独唱とからむ様々な楽器の選択に、センスが光る。ここにオーボエダモーレをもって来なければと思うバッハの脳みそのことだ。
いやはや何とも劇的だ。次女の結婚で空いた部屋をマイルーム化する計画の柱の一つがベッドだった。悩みに悩んで畳のベッドにした。従来、フローリングの床に畳のマットを敷いた上に布団を敷いていたが、なんせ上げ下ろしが億劫でベッドにするのは念願だった。そのベッドはマットレスにしないで畳敷きを選んだということだ。その上に敷くマットにお金を惜しんではいけないと知人から親身の忠告があり、ベッドと拮抗する金額のマットを奮発した。
驚くべき効果とはこのこと。あれから半年、睡眠の質が劇的に向上した。けしてふかふかとは言えぬが、それが腰痛にはいいらしいと聞いてはいた。私自身腰痛持ちではないので聞き流してはいたが、これがなんと肩こりにもいいようだ。単にベッドに腰かけているだけで気持ちがいい。いつしか寝床に入るのが楽しみになっていた。
基本21時にはベッドに入り、朝5時起床という枠組み。ときどき20時就寝ということもある。羊を数えることもなく、あっという間に眠りに落ち、たいていは夜中に1回トイレに立つもののその間ぐっすりだ。8時間以上の長大な睡眠時間が安定的に確保されている。しかもそれが早起きと両立している喜び。
寝具でこれほど違うとは。少々出費がかさんでも、毎日のことだと思うと踏ん切りもつく。
モーツアルトは晩年といっても30代だが、バッハに触れたことで、さまざまな宝物を残してくれた。バッハのオルガン用のトリオソナタBWV525~530にも大きな関心を寄せていた。
2番ハ短調BWV526の第2楽章および第3楽章。3番BWV527の第3楽章を編曲しているらしい。
CDを探しているのだがちっとも見つからない。
1789年だから、モーツアルトが没する2年前の話だ。モーツアルトはウィーンの貴族リヒノフスキー侯爵と連れ立ってベルリンを訪問する途中でライプチヒを訪れた。4月22日にトマス教会でバッハゆかりのオルガンを自ら演奏するという挙に出た。
当時のトマスカントルはヨハン・フリードリヒ・ドーレスだった。バッハ本人から教えを受けたこともある人なのだが、モーツアルトの演奏を聴いてたいそう感激したとされている。モーツアルトの求めに応じて保管していたバッハ作品の草稿をモーツアルトに見せたという。モーツアルト一行は4月25日には、ポツダムに入っているから、ライプチヒ滞在はごく短期間だったものと思われるが、モーツアルトはこのバッハ体験が作品に反映することになる。「魔笛」「レクイエム」「ジュピター交響曲」などだ。
「Weinen,Klagen,Sorgen,Zagen」BWV12は復活祭第3日曜日用。イエスが十字架にかけられる前に弟子たちに予言する話。「近々私を見なくなるが、またすぐ現れるだろう」と。「あなた方は泣いて悲しむだろうがすぐ喜びに変わる」云々。女性の出産の話をまじえた説教だ。
BWV12はワイマール時代の作品。1714年4月22日初演となっている。冒頭、深い悲しみに包まれた短調が印象的だ。暗黒から光明と進行するが、その転換点に置かれているのがバスのアリアだ。リヒター盤ではディースカウ先生の出番になっていないのが不思議なくらいの重要な位置付けだ。
「バッハ作品目録」の話。全作品が列挙されているとはすで何度も述べた。そこにはたった1小節の冒頭譜例も律儀に収載されている。しかしながら、その譜例には、音楽用語が抜けている。「Allegro」や「Agdagio」などの用語や強弱記号が脱落しているということだ。
残念だ。それらもろとも収載されていれば、バッハの音楽用語の貴重なデータベースになっていたはずだ。冒頭部分だけにとどまるにしても、用語が全部わかれば「バッハの辞書」に発展させることもできたはずだ。
先般買い求めた「バッハ作品目録2022年版」の話だ。巻末にほど近い814ページに「Personenregister」とある。「人名索引」だ。
バッハ作品目録中に出現するさまざまな人物の名がアルファベット順に集約列挙されている。人名に次いでBWV番号が付記され、その人物が言及される作品がたちどころにわかる仕組みだ。
なんと。
なんとそこにはブラームスもある。下記8カ所でブラームスが関与しているとわかる。
そりゃあバッハの息子たちやメンデルスゾーンにはかなわないが、8カ所も出てきてうれしい。ちなみにベートーヴェン2カ所、モーツアルト5カ所、シューマン15カ所、クララ・シューマン2カ所となっている。
一昨日人生で初めて年金が振り込まれた。1月に申請書を提出して、先日案内のはがきも届いていたが、実際に振り込まれるまでは半信半疑だった。ああ、いよいよ私も年金受給者の仲間入りだという感慨にひたった。
老後の金回りがだんだんと確定してゆく。
何よりありがたいのは入りの安定だ。収入の安定があってこそ、支出の計画や節約が意味を持つ。何事も家計の安定が基礎だ。ブログ管理もそうした安定あってこそである。
「Ich habe Genug」BWV82の聴き比べファイルを作った話はすでにしてある。
我が家所有の同作品のCDをもれなく列挙した。つもりだったが、漏れがあった。ハンスホッター先生のCDだ。このCD冒頭にこのBWV82が収録されているのだが、そのあとブラームスの「4つの厳粛な歌」があったせいか、我が家のラックではブラームスの歌曲の位置におさまっていた。先の聴き比べファイル作成のときに見落としていた。
BWV82などバッハ先生のカンタータの余白に「4つの厳粛な歌」を収録するのは、ディースカウ先生にも見られた。
偶然とは思えない。
一昨日花見客で賑わう上野の山に行ってきた。東京・春・音楽祭2024の中、ヴィオラ奏者川本嘉子先生のお仲間が集う「ブラームスの室内楽Ⅺ」を聴いてきた。
東京文化会館小ホールは、ほぼ満席。演目はブラームスの弦楽四重奏曲全曲を番号順に一気。
チェロ向山佳絵子先生とともにがっちりと下から支えながらヴァイオリン2本が縦横にという構図。とりわけピアニシモの和音が繊細。3曲とも緩徐楽章の聴かせ方がとりわけ念入り。ピチカート1つを心の奥にそっと置きにくる感じ。
1番冒頭の旋律を第一ヴァイオリンがしずしずとアップボウで始めるのを見て生演奏はいいなと軽い震え。
むかーしから大好きだった2番のフィナーレの良さを再確認できた。ブラームスの意図がクリアに再現されてくる。ちょっとしたリズムのいたずらが整理されきっている。
休憩をはさんで3番。3楽章は期待通りの川本先生の独壇場。番号順の演奏だからこの曲が最後に来るのだが、やはり川本節をラストに据えるのは必然だと思わされる説得力だった。弦楽四重奏曲においてヴィオラを表に引っ張り出したブラームスの勝利。
で、毎度の結論はチェロだ。向山先生が要所を締める。それをスコア上に配したのはブラームスではあるのだが、意図をくみ取って音にしている向山先生の貢献度はもはや作曲者と五分五分だ。
昨年末からバッハ漬けだった脳みそにしんしんと染みこんでくるブラームスだった。
しあわせ。
復活祭後第二日曜日用には「Du hirte Israel hore」BWV104である。「イエスはよき羊飼い」云々のお説教の後に演奏される。
まず目につくのはオーボエ族の総動員だ。オーボエ本体についで、オーボエダモーレとオーボエダカッチャが続く。「愛のオーボエ」と「狩りのオーボエ」だ。
特にだ。第5曲バスのアリアは、愛のオーボエを従えたフィッシャーディースカウ先生の子守歌とも聞こえる。
嘱託生活最後の一年だ。2024年度を満了できないというのに、ふと気がつくと有給休暇が1年分20日律儀に付与されていた。昨年度からの繰り越しと合わせると40日弱だ。計画的に行使しないと最後の1か月まるまる有休消化にもなりかねない。
働き方改革には、慣れてもきたが、休み方改革には不慣れな自分がいる。バッハに注ごうか。
BWVの部立てが、残された作品のヴォリュームの大きい順だということは腹に落ちた。だから先頭にカンタータがおかれているということだ。だからカンタータの番号はBWV番号と一致してくれる。「カンタータ第1番BWV1」ということだ。
一方で別の疑問の湧く。じゃあそのカンタータ200曲の配置はどう決められたのかだ。
きっと書いてあるのだろうが、まだ見つけられない。教会暦順でないことは確かだ。もしかして1950年のBWV1出版の時点で、認識されていた作曲順か。
「バッハ作品目録2022年版」の話。BWV番号順に全作品がジャンル別に列挙される。折角なのでそのジャンルをドイツ語で抜き出してみる。ウムラウトは赤文字にしてある。末尾の数字はページを表す。
以上。慣れればこれで十分だ。およそ600ページのうち、なんと269ページがカンタータに費やされている。だからこれらが先頭に来るのだ。私をバッハに導いた一連の無伴奏作品やブランデンブルク協奏曲は、室内楽と管弦楽作品に含まれるがたったの40ページでしかない。その少なさに唖然とする一方で、同時にその濃さを改めて実感した次第。
気づけて良かった。
ローンの返済も終わったところで、嘱託生活が続くうちにと思い詰めて壁面塗装に踏み切った。およそ15年前にも塗っていたが、その時は2階部分だけだったので1階は、竣工以来の塗装となる。できるだけ当初の色合いを残すことを心掛けた。もっとも大切なのは躯体の保護だ。長持ちのためである。
見た目はさておき、施工の難易度、コストが同じなら躯体の保護の程度を最優先と考えた。
これで20年は安泰らしい。
嘱託満了まであと1年。
この1年は業務引継ぎにあてねばならぬ。日常こなしてる業務も、引継ぎ目線で見直すといろいろなものが見えてくる。この機会にやめていい業務を探すこともできる。
そして、そしてお世話になった人たちに1年かけてお別れの挨拶をせねばならない。
飲みを適度にちりばめて、全力。
花まつりはお釈迦様の誕生日。4月8日とされている。
素朴な疑問。キリスト教のイースターに近いのは偶然なのだろうか?イースターはクリスマスと並ぶ、キリスト教の大切な日。固定ではないとはいえ、お釈迦様の誕生日に近いというのは、偶然と考えていいのか。
聖徳太子もイエスキリストも馬小屋の生まれという伝承がある。そのたぐいの偶然と考えていいのか。私の知らぬ必然が一つ二つありはしないかと疑っている。
20世紀以降で以下の通り、イースターと花まつりが一致する。
この次は2091年だという。
復活したイエスが弟子たちに手とわき腹を見せる云々。「Halt im Gedachtnis Jesum Christ」BWV67だ。
聴きどころは2つ。まずは、ペーター・シュライヤー先生がオーボエダモーレを従えて歌う第2曲のアリア。
で、第5曲はバスと合唱のためのアリア。ディースカウ先生の独唱がイエス様で、合唱が人々という構成だが、複数の拍子が同時に鳴るという凝った作り。3拍子と4拍子が巧妙にせめぎ合う。
わずか2年4か月で、パソコンを交換する流れになった。2年4か月前の記事で「5年持たぬか 」と嘆いた。この調子では2033年5月のブログ「ブラームスの辞書」のゴールまで12年であと最低2回のパソコン更新が要ると嘆いたが、その斜め上を行くペース。
かれこれ1年前から突然のフリーズが始まり、もはや日常となった。一日数回のフリーズ&強制起動を繰り返す状態。対抗策は「マメに保存」だけという惨状。
3月20日の朝パソコンを立ち上げたが、アウトルックが起動しない。エクセルも起動しない。ブログの管理サイトだけにはアクセスできるが、もはやこれまでと覚悟を決めた。バッハ先生の誕生日と1日ずれているのがせめてもの幸いだ。
セッティングの予約は10日待ちという状態。
しかたなく、せめて電源の入るうちにと、さまざまなファイルをUSBに避難させることとした。かろうじて生きているブログの管理画面から記事を整える。
新しいパソコンは軽快だ。
セッティングをしてもらうサービスをつけたので、パソコンのプロと日頃感じている疑問についてやりとりできた。
わずか2年4ヶ月で諦めたパソコンだが、CDの取り込みや、USBの操作など、ネットに関係ない作業用には十分使えるとのアドバイスをいただき、しばらくそれ用に使うことにした。
モアイ像で名高いイースター島は、1722年の復活祭の夜、オランダ船により発見された。それにちなんだ命名であることは、申すまでもない。
なんとそれは4月5日だった。先住民にとってはどうでもいいことながら、つまり今日は記念日。ブラームスの命日4月3日が聖金曜日になる日、つまり4月5日がイースターになる日を調べていて見つけた。
BWV249を背負う。およそ半分は羊飼いのカンタータからの転用と目されている。独唱4名の対話体という特異な性格。などど理屈が先走ってもいけない。復活祭用のカンタータとはまた別の深い味わいがある。
ふとした疑問。1997年4月3日以降、ブラームスの命日が聖金曜日と重なった日はどれほどあるのか。それはつまり4月5日がイースターになった年と同義。調べてみた。
たったこれだけだ。ちなみに2026年も4月5日がイースターになる。
「Der Friede sei mit dir」BWV158は復活祭3日目用。いわば復活祭三が日の最終日だ。自筆譜が失われていることで、いろいろ議論の余地があるとされている。そもそも初演日が怪しいらしい。もともと2月2日「マリア清めの祝日」用に作られていたのを、2曲差し込んで改変したとか云々。復活後弟子たちの前に現れたイエスの言葉である。
なんと申しても第2曲、ソプラノ合唱に溶け込みきったディースカウ先生が美しい。独奏ヴァイオリンとの絡みと合わせて必聴。全4曲のうち3曲にバス独唱がある。BWV82ほどではないがバスの見せ場。
「Bleib bei uns,denn es will Abend werden」BWV6は復活祭第2日目のカンタータ。つまり月曜日用だ。ディースカウ先生の出番は第4曲のレチタティーボのみだが、アルトとテノールの芳醇なアリアが聴き所。ほかに第3曲のソプラノのコラールはバッハ自身がオルガン独奏用に編曲してシュプラーコラールの5番目に収録されている。
コラールの骨格を独唱が装飾する感じ。
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