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2024年5月31日 (金)

皇帝賛歌アメリンク版

エリーアメリンクの出番集をUSB上で作成したことはすでに述べてある。

我が家のコレクションから丹念に拾ってゆく作業の過程で思わぬ掘り出し物。ハイドンの歌曲をエリーアメリンクが歌っているCDだ。全3枚組の3枚目の最後のトラックに「Gott erhalte den Kaizer Franz」とある。これがなんとあの皇帝賛歌の歌曲版だった。皇帝四重奏曲にこれを元にした変奏曲がある。いわば「ドイツ国歌の主題による変奏曲」状態でとてもなじみ深い。

テキストがついた歌曲版があるとは聞いてはいたが、アメリンク先生が歌ってくれているではないか。

そう、本日5月31日はハイドン先生の命日だ。誕生日ネタの連発を命日で締めくくる。

2024年5月30日 (木)

もう一人の5月29日生まれ

昨日、誕生日3連投のトリをヘルムート・リリンク先生に締めていただいたのだが、実は大切な大切な人がもう1人5月29日のお生まれだった。1901年生まれのウォルフガング・シュミーダー先生だ。

プロイセン生まれの音楽学者で、なんといっても1950年シュミーダー番号を考案した。バッハ作品を体系的に網羅したBWV番号の考案者である。先般買い求めた「バッハ作品目録2022」が「BWV3」とされているのは、シュミーダー先生の発表から3代目だからだ。

いやもう大切な3日間。

2024年5月29日 (水)

御年91歳

5月27日、28日と大切なお誕生日が2日続いた。本日もだ。

史上初のバッハ・カンタータ全集の録音という金字塔を打ち立てたヘルムート・リリンク先生は1933年5月29日のお生まれ。今日91歳になられる。つまり存命である。

バッハの孫、ディースカウ先生と続く記念日3連投だ。

もちろん我が家にもそのカンタータ全集のCDがある。

2024年5月28日 (火)

バッハな一日違い

昨日バッハの孫が意外と長生きだと書いた。その孫の誕生日が5月27日であった。一日違いの今日はなんと大好きな大好きなディートリヒ・フィッシャーディースカウ先生のお誕生日だ。1925年のお生まれなので存命なら99歳白寿に相当するか。数えなら100歳かもしれぬ。

先生の功績なんぞ私が語らんでもあちこちで議論になっている。

私の中ではブラームス、シューベルト、バッハの3名の声楽作品を語る上で不可避な存在。先生がオペラの録音を全く残していなかったとしてもその座は微動だにしない。

 

2024年5月27日 (月)

バッハの孫

バッハの孫で唯一の作曲家が、ウィルヘルム・フリードリヒ・エルンスト・バッハだ。父親はバッハの第9子ヨハン・クリストフ・フリードリヒだ。ビュッケブルクのバッハとして有名な作曲家でもあったから、その子ウイルヘルム・フリードリヒ・エルンストは、父の任地であるビュッケブルクで生まれた。1759年5月27日の生まれ、実は今日が誕生日である。

プロイセン王家の信任厚く、楽長やらチェンバロ教師やら歴任した。

死没は1845年12月25日だからブラームス12歳のクリスマスにあたる。当時としては驚異的な86歳であった。

 

 

2024年5月26日 (日)

主を頌めまつれ

三位一体節だ。聖霊降臨祭の次の日曜日ということで「Gelobet sei der Herr,Mein Gott」BWV129。

おおよそ教会暦の折り返し点にあたる。バッハは三位一体節のために4つのカンタータを残したが、本作はそのラスト。

バス、ソプラノ、アルトを主役とする3つのアリアが合唱に挟まれるという構造。つまり珍しくレチタティーボが存在しない。オケの編成も大きい。フルート2、オーボエ2、トランペット3にオーボエダモーレまで加わる上にティンパニもいる。そして要所で独奏ヴァイオリンまで現れる。

2024年5月25日 (土)

志半ば

愛するカール・リヒター先生は1981年に没した。54歳だった。当時としてもまだお若い。

彼が残したカンタータの録音は70曲と少々。教会暦上の祝日を全てカバーはしているが、バッハの残したカンタータ全200曲の3分の1程度に過ぎない。

もし、もう少し長生きしてくれていたら、全曲録音を残してくれていたのかとも思う。バッハに対する真摯なコメントを多々残していることからもそう想像するのはたやすい。

バスの独唱はディースカウ先生を起用することもまた確実だ。

2024年5月24日 (金)

迂闊の連鎖

岐阜県と愛知県の区別がつかない失態 を演じたばかりだ。

記事「ドイツの思い出に 」に掲載した写真の再下段左端に世界最大のレンガ造鉄道橋が写っている。ゲルチュタールブリュッケだ。あの旅行ではここを訪れることがエポックであった。ネチュカウ駅で降りて徒歩。ゲルチュタールブリュッケを過ぎてグライツ駅までを踏破した。 

そのゲルチュタールブリュッケは、行政区でいうならザクセン州のプラウエンという街にある。

そう、その街こそがこのたびのカンタータ特集の旗振り役であるカール・リヒター先生の生まれた街であった。

いやはや後の祭り。

2024年5月23日 (木)

自然発生的

職場オケのメンバー専用サイトの中に、パートの小部屋が用意された。

バイオリンの小部屋ではささやかな議論が始まったいた。4月の練習で参加は6名。まだまだ寄せ集めだ。第一と第二のメンツ分け、コンサートマスターの選定など、その気になればやることは多いとばかりに、それらの議論が始まっているのだ。あるいはパート練習の必要性まで論じられている。

すごいな。

上司から命じられてもいないのに、自然発生的にこの議論が始まる。集まったのは各職場に分散しているメンバーで通常は業務上の接点など皆無だというのに。会社の組織目標は意図的定期的に通知され周知徹底がはかられるもので、得てしてそれらが浸透しない前提になっている一方で、まだよちよち歩きの職場オケは、誰から言われるでもなく、眼前の課題が認識されて解決策が議論されている。

これを音楽の力、オーケストラの魅力とせずになんとする。

音楽と仲間を信じてゆこう。

2024年5月22日 (水)

メンバー専用サイト

久々に職場のオケの話題。

Teamsを使ってメンバー専用サイトが立ち上がっていた。ひとまず登録されたのが三十数名。おおおってなもんだ。弦楽器がまだまだ足りないとはいえ順調だ。

練習日程や曲目連絡、そして出欠登録が重要な機能。そしてそして何より練習後の懇親会への参加申し込みなど、核心をはずさぬ使い方が早くも実現していて感心するばかりだ。

驚くのは練習参加人数に対する懇親会参加者の比率。練習に来た人は高い確率で飲み会にも流れる。4月は練習28で飲み22だった。近い将来練習欠席で飲みだけ参加などという輩も現れよう。練習参加者より飲み会の出席者の方が多いという「仮分数状態」もあり得る。

練習曲目にフィンランディアと花のワルツが加わった。

2024年5月21日 (火)

彼は己の羊の名を呼びて

聖霊降臨祭第3日目。「Er rufet seinen Schafen mit Namen」BWV175。羊飼いが活躍する毎度巧妙なたとえ話。

前日のオーボエとは違うリコーダーの響きで立ち上がる。とりわけ第2曲アルトのアリアに絡みつくリコーダーが美しい。

がしかし、第6曲バスのアリアはトランペットの完璧な出番。ディースカウ先生の出番とも拮抗する名人芸が聞ける。

 

2024年5月20日 (月)

げに神はかくまで世を愛して

聖霊降臨祭第2日目。「Also hat Gott die Welt Geliebt」BWV68。「世を救うために神は一人子を遣わせた」云々。

第4曲。決然とした位置にディースカウ先生の出色のアリアが置かれて雰囲気を決定付ける。そしてそして、またもオーボエがバスと対等に渡り合う。

2024年5月19日 (日)

おお永遠の火、おお愛の源よ

聖霊降臨祭用「O ewige Feuer,o Ursprung der Liebe」BWV34。

山場はアルトのアリア。第3曲だ。

1875年1月16日。当時ウィーンジンクアカデミーの音楽監督だったブラームスはこの曲を演奏した。演奏の準備の中でオルガンのパートを補筆している。通奏低音に和音を付けたということだ。バッハの当時はなかった楽器も一部付与している。

当時のバッハ研究の第一人者だったシュピッタは、ブラームスがオルガンに付与した和声を見たいと申し出ているほどだ。

2024年5月18日 (土)

トマスカントル辞退

私のカンタータライフの中央に君臨するカール・リヒター先生の経歴を調べていて興味深いことを発見した。

ザクセン州で生まれた彼はやがて、ライプチヒで学ぶ。カール・シュトラウベやギュンター・ラミンというトマスカントルたちが師匠である。1956年、ギュンター・ラミンの死去に伴い、トマスカントルにと白羽の矢が立った。すでにミュンヘンに本拠を移していたせいかリヒターは、この申し出を断る。

どこかにそういう人がいた。

そう、ブラームスだ。ブラームスもまた1879年46歳のときに、トマスカントルへの就任要請を固辞している。

両者どちらか、あるいは両方がこれを受諾していたら、音楽史が少しは変わっただろうか。少なくとも私の音楽ライフには大きな影響があったはずだ。

 

 

2024年5月17日 (金)

愛知と岐阜の区別

お恥ずかしい話だ。記事「パリの川上貞奴」の中で大垣市を愛知県と書いた。岐阜県の誤りだ。

ブログ「ブラームスの辞書」草創期からの読者がメールでそおっと教えてくれた。

名古屋で新幹線から在来線に乗り換えたからまったく疑っていなかった。在来線で行けば岐阜を通ったというのに愛知県だと思い込んでいた。首都圏で例えると、東京から総武線で千葉方面に向かう。千葉の県庁所在地である千葉駅を通り過ぎて、たどり着く五井駅を東京都と思い込んでいるレベルかと。土地勘がないにもほどがある。

ご指摘いただいたのは、ブログ「ブラームスの辞書」創設のころ、「継続は力なり」と背中を押してくれた張本人で、今も熱心な読者である。おかげで本ブログの記事はまもなく7000に届く。懐かしいメールをもらえたことを思えば、勘違いも悪くないと考えるスーパープラス思考。

直しておいた。

2024年5月16日 (木)

額縁ライフ

ベッドの足下にブラームスの絵を飾ったり、枕元にバッハの絵をおいた話、母の日に絵を贈った話、そして昨日のカレンダーネタは、一連の共通項がある。

それが額縁だ。元々ブラームスの絵を納めるための額縁探索がきっかけだった。中途半端な大きさの絵だからオーダーメイドの額縁が必要になり、近所のショップを探し当てた。

親身になって相談に乗ってくれた。おかげさまで大満足。結果、額縁を見る目が変わった。絵や写真を見たときに額縁に目がいくようになった。額縁で絵がぐっと引き立つ。額縁の内側の絵や写真周辺の紙の領域も重要だと再認識。色・素材・価格などさまざまな要素が複雑に絡み合う。

その後、魅入られたように通い詰めた。上記4件このお店で買い求めたという次第。

おバカの上に凝り性を上塗りしている。

2024年5月15日 (水)

5月15日付け

黄金期はやがて過ぎる。バッハがきら星のごとき器楽作品を生み出したケーテン生活にもいろいろ隙間風が吹いてきた。

水面下でさまざまな動きがあって、次なる任地が決まった。

ライプチヒのトマスカントルだ。

1723年5月5日契約が締結され、5月15日には4半期分の給与が支払われたという。つまり5月15日付けでの採用かと。その後1750年7月に没するまでその地位にあった。

2024年5月14日 (火)

ドイツの思い出に

ご記憶の向きは多くないと思う。

2019年1月1記事記事「2019年カレンダー 」のことだ。2018年夏のドイツ旅行で撮影した写真から12枚を厳選して、翌2019年のカレンダーに仕立てたものだ。バッハ、パッヘルベル、テレマン、ブクステフーデら4名の墓参を1度の旅行でクリアする企画を柱に、ICE乗りまくり、ビール飲みまくり、オルガン聴きまくりの9泊11日だった。そりゃあ今ほど円安ではなかったということもあって往復ビジネスクラスとしゃれ込んだ。

今にして思えばラッキーだ。

このところの自室整理で、役目を終えていたそのカレンダーの処遇を決めた。古いカレンダーなど使い道はないのだが、写真を捨てるのはもったいないと、全12枚を額縁に納めて自室に飾ることにした。

20240502_073626

左上から右に1月、2月、3月の順。右下が12月だ。

  • 1月 ニュルンベルク・ゼバルドゥス教会の朝焼け
  • 2月 ライプチヒ・トマス教会
  • 3月 ライプチヒ・ニコライ教会
  • 4月 ワルトブルク城 セバウチャン入り
  • 5月 ハンブルク・ブラームス博物館 そりゃ誕生月やし。
  • 6月 ライプチヒ中央駅 セバスチャン入り。
  • 7月 ハンブルク港
  • 8月 リューベックのホテルマスコット
  • 9月 ゲルチュタールブリュッケ 世界最大のレンガ造鉄道橋
  • 10月 ライプチヒ・バッハショップ セバスチャン入り
  • 11月 リューベック・ヤコビ教会
  • 12月 ハンブルク・カタリーネン教会 

これで、末永く保存できる。

 

2024年5月13日 (月)

パリの川上貞奴

昨日は母の日。我が家に母がいるのは私だけなので、プレゼントを用意した。

「パリの川上貞奴」という絵。守谷多々志画伯の作品。この人はブラームス題材に作品を残している関係で興味を持った。歴史上の出来事を題材にその場に居合わせたかのような絵を描く人だ。オーストリア駐在日本大使夫人が琴の名手で、彼女の演奏をブラームスが聴いていたという伝承を絵にした。実物を見るためのわざわざ愛知県岐阜県の大垣市に行ってきたほどだ。

母に贈ったのは、そうした趣向の川上貞奴版だ。

フランスに赴いて大統領に舞を披露したエピソードに基づく。母は絵に描かれた彼女の帯を見るなり「娘道成寺」だと断言。

 

2024年5月12日 (日)

人々汝らを除名すべし

「Sie werden euch in den Bann tun」手元資料では復活祭後第6日曜日用と書かれているが、リヒター盤の説明書では「昇天祭後日曜日用」となっている。初演が昇天祭の3日後であった云々だ。復活祭が移動祝日なだけに、復活祭後第6日曜日が昇天祭より後に来ることもある。どちらも正しいということか。

冒頭は敬虔なオーボエの二重奏。むしろ主役はオーボエという気がする。

 

2024年5月11日 (土)

ケーテンの栄光

そりゃまあ、膨大な数の宗教作品やオルガン曲、さらにはクアヴィーア作品だけをとっても、バッハの凄さはいささかも減じられはしないだろうと、心から思うけれど、ヴァイオリンやチェロ、あるいはその他の楽器の参加を促した管弦楽曲や室内楽がもしなかったら、私のバッハへの傾倒は少し遅れていたはずだ。

1717年から1723年までの6年間、ケーテンの宮廷楽長として過ごしたとき、現代の愛好家から傑作認定されている世俗器楽曲が多数生まれている。バッハ30代の器楽の黄金期と認定する。

2024年5月10日 (金)

結婚カンタータ

「今ぞ去れ、悲しみの影よ」BWV202は通称「結婚カンタータ」だ。信仰に基づくカンタータではないので、世俗カンタータに分類されている。自筆譜の散逸もあって成立には謎が多い。そもそも誰の結婚を祝ってのものか不明だ。だから演奏の時期も不明。

けれども内容は春だ。春また春。春の賛歌である。

そしてそして主役はソプラノ独唱である。

私の愛聴盤は、もちろんエリー・アメリンク盤。指揮がネヴィルマリナーさんと、コレギウムアウレウムの2種。いずれにしても全部で9曲の演奏時間は30分を切る。アリアとレチタティーボの交代でしかないのだが、声楽はソプラノ独唱だけという独壇場だ。

先に制作したアメリンク出番USBは、教会カンタータ限定だったから、こちらからの採用はないけれど、こちらはこちらで十分楽しい。

 

2024年5月 9日 (木)

神をそのもろもろの国にて頌へよ

復活から40日後の木曜日が昇天祭である。その日のためのカンタータは「Lobet Gott in seinen Reichen」BWV11は、事実上昇天祭オラトリオ。

復活後イエスが11人の弟子たちに述べる云々。オラトリオの狂言回し役の福音史家はもっぱらテノールのペーターシュライヤー先生に委ねられる。ディースカウ先生贔屓のわたしではあるが、本作ではさすがに主役を譲る。第4曲のアルトのアリアが白眉だ。第10曲のソプラノのアリアは、アメリンク先生に録音がないなどと嘆くことしきりである。

2024年5月 8日 (水)

飲みの予定

明日から飲みが頻出する。現時点で月内に6回の飲み会が設定済みである。

一部に私の送別の宴も含まれる。来年1月の退職だというのに気が早いなどと思ってはいけない。

あっという間に4月も終わったことを考えると来年の1月末なんぞあっというまである。

 

2024年5月 7日 (火)

第九初演200年

ベートーヴェンの最後の交響曲は「第九」として名高く、その演奏は年末恒例になってもいるけれど、初演は5月7日だった。1824年のことだ。

だから今日は「第九初演200年」のメモリアルデーである。

つまりだ。

第九の初演は、ブラームス生まれるピタリ9年前だったということだ。

2024年5月 6日 (月)

アメリンク出番集

バッハのカンタータで1年を巡る試みは、カール・リヒターのカンタータ選集のCDがあっての企画である。ディートリヒ・フィッシャー・ディースカウ先生をはじめとする盤石の歌手陣が最大の魅力である。バスのディースカウ先生のほか、テノールのペーター・シュライヤー、ソプラノのエディット・マティスの両先生について、その出番だけを抜き出して専用USBを作成した。

こまったのはエリー・アメリンクだ。カール・リヒター盤に何の不足もないのだが、ソプラノがアメリンクでないのが本当に惜しい。先の3名に加えてアメリンクでも、出番抜き出しUSBの作成を試みる。

先の3名は、出所がリヒター盤限定なので割と簡単だ。アメリンク先生は我が家所有のCDだけでも指揮者が下記の通り割れる。

  1. ヘルムート・ヴィンシャーマン
  2. カール・ミュンヒンガー
  3. レイモン・レッパード
  4. エルネスト・アンセルメ

この人たちのCDに分散するアメリンク先生の出番を丹念に拾わねばならない。

独唱アリアは当然として、他の独唱者との二重唱まで取り出した結果、38トラックの大全集になった。全部再生すると2時間14分になる。

同じソプラノのマティス先生の46トラック3時間48分に比べてコンパクト。

何より興味深いのはときどきヘルマン・プライ先生とのデュエットがあることだ。

2024年5月 5日 (日)

今までは汝ら何をも我が名によりて

受難と復活について弟子たちに語りかけるイエスである。「Bisher habt ihr nichts gebeten in meinem Namen」BWV87

第1曲と第5曲のアリオーソにディースカウ先生の出番がある。第1曲はディースカウ先生がイエスの言葉を歌う。これに次いでアルトとテノールが呼応する形。第5曲もまたディースカウ先生によるイエスの言葉だ。

まいどまいど、ディースカウ先生は難なくこなしているように聞こえるが、かなりな難曲のはず。出番がかっこいいという意味では、これもまたバス用のアリアに違いない。

2024年5月 4日 (土)

リヒターの外側で

なんといってもバッハのカンタータはカールリヒターなのだが、ソプラノが大好きなアメリンクになっていない。

カンタータ全集の録音などという大プロジェクトを立ち上げるにあたって、指揮者を誰にするかに劣らず,歌手の起用も重大事項に違いあるまい。リヒターのことだから万全を期したはずだ。アメリンクが漏れているのはさまざまな事情や考えがあってのことだろう。レコード会社の契約の都合などという大人の事情もあるに決まっている。

ディースカウ先生とアメリンクのデュエットがただの一度も実現していないのはもはや拷問だ。リヒター盤のソプラノ、エディット・マティス先生に何ら不満はないけれど、夢のバッテリーを欲する野球ファンの心理に相通ずるものがある。

 

2024年5月 3日 (金)

アコンカグア

アコンカグアはアルゼンチンにある南米最高峰。標高6961mだ。

本日のこの記事はブログ「ブラームスの辞書」開設以来6961本目の記事だ。

エヴェレストまでもう2000日を切っている。

2024年5月 2日 (木)

会心の選考漏れ

一昨日紹介した書物「オペラものしり図鑑」の話を続ける。この中にオペラ歌手名鑑が収載されていて重宝しているとはしゃいだ。

御大フィッシャーディースカウ先生は特筆大書されている。ヘルマン・プライ、ペーター・シュライヤーももちろん写真入りだ。記述がオペラに偏っているのは、趣旨からして当然だ。女子だとマリア・カラスさんの赤文字アンダーライン的扱いも想定内。

ところがだ。ところが大好きな歌手が載っていない。

ソプラノ歌手エリー・アメリンクだ。どうしたことだ。

そう、彼女はオペラ歌手ではないのだ。残されたCDのライブラリを顧みることで納得がいく。シューベルト歌曲の第一人者である一方モーツアルト、ハイドンの歌曲にも確固たる足跡が残る。そしてそして何よりバッハだ。オラトリオやカンタータのアリアこそが主戦場。

オペラ歌手名鑑から漏れていること自体が、彼女のキャラを雄弁に物語る。脳内リーディングソプラノの座に可憐に君臨し続けている。

載っていなくてこんなにうれしいのも珍しい。

2024年5月 1日 (水)

ドヴォルザーク没後120年

5月1日はドヴォルザークの命日だ。1904年になくなっているから、今日は没後120周年の記念日に当たる。

バッハ特集のまっただ中に粛然と割って入るドヴォルザークさんだ。

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