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実は実は一昨日の記事を公開したことで、我がブログ「ブラームスの辞書」は2005年5月30日の創設の日から7000日連続記事更新となった。
母の卒寿と一日違いだ。そしてそして初孫との対面も重なった。
日曜と重なったためにバッハ・カンタータネタを優先させたが本日これらを自ら祝う。
三位一体節後第9日曜日用「Herr,gehe nicht ins Gericht」BWV105である。この日の説法は「財産管理人の不正のお話」だ。「不正にまみれたお金で友人を作っておけば安心」とも聞こえるがどうなのだろう。雇用人の不正にあたっても寛大なイエス様という教訓でいいのだろうか。お金が悪なのではなく、他人を欺くことが悪と補足されねば誤解しかねない。
ディースカウ先生の出番がレチタティーボだけなのだが、弦楽器がしっとりと寄り添うので濃厚だ。マティス先生とクレメント先生がからむ第3曲ソプラノのアリアもお気に入りだ。
数えで卒寿を祝うなら今日だ。1935年7月27日生まれの母は今日満89歳の誕生日を迎える。
私のこの先の人生は母と共にある。亡き妻に代わって子供たち3人を育てきった恩はまだ現在進行形である。あろうことか、つい5日前にひ孫が生まれた。なんという巡り合わせ。懐妊が判明したとき7月26日が予定日と言われ一同色めきだった。ひいばちゃんの誕生日と一致もありかと。
おいしいものを食べて、行きたいところに連れて行ってねぎらいながらも、家事だけはフル回転してもらう。今やそこにひ孫とのやりとりが加わる。もはやそれこそが長寿の秘訣でさえある。家事をいっしょに手伝いながらの毎日の会話こそがお薬。若い頃と代わらぬ心配性を尊重してこそ母に寄り添える。
自分のことが全てやれるどころか、家族の分までやってくれているので「要介護0」くらいだったが、これにひ孫の世話まで加えるとなると「要介護度マイナス3」は堅いところだ。
今時は出産5日後の退院だ。入院中の面会はコロナ以降何かと手続きが面倒なので、ひいおばあちゃんとの初対面は退院後が望ましい。だから予定日より4日早く22日に生まれて、卒寿その日を退院日に配慮するとは、若いのに空気が読める子である。
パリオリンピックが開幕する。ここ数ヶ月オリンピックに向けた報道が悲喜こもごもと頻発していた。一方で我が家は初孫の誕生を指折り数えて待つ日々でもあった。
私は1960年生まれ。その年にローマでオリンピックが開催された。その32年後1992年バルセロナオリンピックの年に長男が生まれた。そこからまたキッチリ32年後に初孫に恵まれた。この奇遇を「ローマバルセロナパリ」だとしゃれ込んだ。サッカーテイストもほんのりと浮かび上がる。32年間隔のこれがどれほど貴重かを述べる。
<我が家>
<もし4年前にずれたら>
<もし4年後にずれたら>
ローマ→バルセロナ→パリの連鎖がいかに貴重かわかる。イタリア、スペイン、フランスというラテン系欧州のサッカー大国を網羅するという奇遇に酔いしれている。妊娠中、ママのおなかを蹴りまくっていた元気な男の子の初孫が、長男や私同様のサッカー好きになるのも時間の問題。そういえばこの子の父親もサッカー好きだ。
昨年末12月30日の記事 の話だ。そこでは昨年1年の我が家の10大ニュースを選定していた。
家族のさまざまな出来事を列挙した。が、その第10位は「秘密」としておいた。そこには「長女懐妊」と入れたいのだが、「セルフ箝口令」に従って明記を避けたということだ。
楽しくも悩ましい措置。おかげでこうして1本記事が書けた。
長女からくれぐれもと言われていた。昨年末に懐妊が判明したとき、実際に生まれるまでは黙っててねと。
だからおよそ7ヶ月じっと我慢を決め込んできた。
7月22日その長女が男の子を産んだ。私にとっては初孫。彼の両親にとっても初孫。そしてそして母にとっては「初ひ孫」である。
記事「起源接頭辞Ur 」で述べた通り、「Ur」は、様々な語頭について意味を遡らせると書いた。その続きだ。
ドイツ語で「Grossmutter」が祖母(おばあちゃん)で、これが「Urgrossmutter」になると曾祖母ひいおばあちゃんになる。これだけなら、まだしも「Enkel」は「孫」なのだが「Urenkel」で「ひ孫」になる。
つまり「Ur」には「おばあちゃん」を「ひいおばあちゃん」にしたり、「孫」を「ひ孫」にしたりする機能があるということだ。孫をひ孫にするとは意外な効果だ。単なる起源の遡りではなく、奥深さやスケールの増強と捉え直さねばなるまい。
昨日、私の母が「ひいおばあちゃん」になった。長女が男の子を産んだということ。
昨日のBWV178と同様、三位一体節後第8日曜日用「Es ist dir gesagt,Mensch,was gut ist」BWV45だ。当日の説法の内容により忠実なのはむしろこちらか。リヒター先生は重複して採用しているといいうのに、ディースカウ先生の出番もシュライヤー先生の出番もない。
全体の中核をなす第4曲のバスのアリオーソは、ディースカウ先生の歌唱で聴いてみたかった。
むしろオーレル・ニコレ先生のフルートが聴ける第5曲のアルトのアリアが聞き所になっている。
三位一体節後第8日曜日用「Wo Gott der Herr nicht bei uns halt」BWV178。実によって木を見分けよというたとえ話しで、偽預言者にご用心という説法。
全7曲大編成のカンタータだ。敵から守ってくれるのは神だけというテキストだから、敵との戦いを象徴する表現が出てくる。大編成でがちゃがちゃとやりあう。波のような弦楽器を伴うディースカウ先生の出番だけは品格が前面に出る。
昨日の続き。「野田シェフのドイツ料理」という本のことだ。
ドイツ料理の多様性が念入りに語られている。その切り口が歴史上の人物で14名が列挙されている。うち半数の7名が作曲家だ。
一人一人の記述はまず簡単な略歴。出身地や勤務地、そして死没の土地。そこから土地にまつわる料理に展開するパターン。人によっては食物の好みにも触れている。難しいのは作曲家の伝記が本人の食事の好みに必ずしも言及していないことだ。ビール、ワイン、コーヒーなど嗜好品には言及されることもあるけれど、銘柄までは議論されない。美食家という表現をされる人もいるけれど、ある日のパーティーの献立の記載に留まる。レシピにまで話が及ぶことはない。
それに比べていくらかましなのが通い付けのお店だ。カフェやレストランなどの実名が挙げられるばかりか今も存続していることがあるからだ。
そうそうたる独墺系。この7人に割って入れぬブラームスとは軽いショック。
このところ宴会が多いとかいた。宴会までの時間つぶしに近くの書店に立ち寄っていてお宝に遭遇。
2010年刊行の料理本。ドイツというのが決め手。ドイツ料理が様々な切り口から語られる。人物、地理、歴史、食材など様々な角度からドイツ料理に切り込んでいる。著者は名高いドイツ料理のシェフだ。
問題は人物。取り上げられているのは下記。
簡単な略歴に始まり、ゆかりの土地を切り口に料理に切り込む。1人最低1つはレシピーが写真付きで紹介される。
素材や料理はさすがに詳しい。
ハンバーグ、キャベツ、じゃがいもなど目から鱗の詳しさ。そしてそしてビールやワインも地場の特徴が雄弁に語られる。特筆すべきはお酢だ。他の欧州系の料理に比べドイツ料理はお酢の使用頻度が段違いだと指摘して、お酢の効能まで事細かである。
ドイツとひとくくりにしてしまいがちな点に釘をさす。キーワードは「多彩さ」だ。地域ごとの特性だったり、郷土料理ならほとんど家庭ごとの多彩さだと何度も何度も念が押される。
ドイツ語の話だ。
その気で探すとかなりある。「Ursprung」は起源だし、「Urquel」は元祖だ。「Ur~」で起源や大元を指し示す機能があるから「起源接頭辞」としゃれ込んでみた。
音楽に目を転じるならなんと言っても「Urtext」だ。クラシック音楽の世界は何かと作曲家の意向が尊重され、原典主義などと呼ばれる。裏を返せば広く流布する楽譜には怪しいものも混入しているということだ。
原典版の定義となるとかなり難しい。作曲家自筆譜が候補には違いないが、乱筆で読めないなど課題も多い。ブラームスは出版に際して作曲者自身が印刷屋さんに手渡した楽譜が一番だと持論を述べる。あるいはできあがったゲラ刷りに対する修正稿かとも。
バッハの場合、かなり複雑だ。自筆譜が残っていない場合もある。写譜に写譜が重ねられて始原の姿が分からぬ作品も多い。バッハ作品で原典を名乗るのはよほどの学術的根拠がいる。
素人の私だと出版社の氏素性もポイントだ。ヘンレ、ブライトコップフ、ベーレンライターあたりだとかなり安心。もはや信仰の自由という領域。
職場のオケが演奏会をすることになった。
12月20日夕刻。場所は本社。曲目は検討中。身内にのみ公開らしい。
嘱託生活満了の40日前。間に合うのもまた運命かも。
ところでと、話を切り替えてきたのはリヒター先生だった。「貴殿の職場にオーケストラができたのかね?」と。
「はい」と私。「まだまだメンバーが集まりませんが」と付け加えた。「ほほう」とブラームス先生も乗り出し気味だ。「木管楽器はほぼそろいましたが、金管楽器は各1名程度で打楽器はゼロですわ」「で肝心の弦楽器はヴァイオリンは第一第二各4名程度、ヴィオラは私を入れて3、チェロ4にコントラバス2です。
「昨今のピリオド様式のバッハさんなら十分の構成じゃの」とリヒター先生。「ですがバッハさんの作品を取り上げる予定はまだありません」と私。「もっというとブラームス先生の作品も無理なんです」「なんたってホルンが足りません」「それでも名簿上のメンバーが増えてきて弦楽器の一体感はうれしい限りですわ」
「で、メンバーにはご婦人もおられるのかね?」とはブラームス先生の真顔の質問だ。「はい。もちろん」「それどころか弦楽器はほぼご婦人です」「しかもしかも私の娘らの年頃のご婦人まで少なくありません」
「それに練習の後の飲み会が必ずセットになっているのが楽しみです」と申しあげるとリヒター先生とブラームス先生が「ブラボー」と声を上げた。9割のメンバーが練習後飲み会に流れます。「てことは、つまり、あんたは毎回ご婦人に囲まれて飲んでいるんじゃな」とは察しのいいブラームス先生だ。「ばれたか」と頭をかく私。「恥ずかしながら私が最年長なんですわ」と付け加えた。
いつか演奏会をと決めています。
身内にだけ公開かもしれません。仲間にこの一体感が伝えられればと考えています。とマシンガントークが止まらぬ私を制しながら、「ほほう、それでは一度練習にお邪魔してもいいかな。アマチュアの指導には興味があるもんで」とリヒター先生が割り込んできた。
「コンサートマスターに伝えておきます」とお茶を濁しておいた。
ユーロで早々にドイツがやられたのですっかり長居になったとさっき帰っていった。
「その研究とやらの成果を盛り込む主旨で、バッハ先生存命時の演奏の再現を意図する演奏が多くてげんなりしているのですが」と私。「バッハの時代はこうだったはずだ」という演奏のことです。
「ほうほう」とはブラームス先生の相づち。
「ここ最近バッハ先生の作品はそういう演奏ばかりですわ」「きれいだと思えないのはリヒター先生の演奏になれすぎているからではないのかね」とは、珍しく取りなし調のブラームス先生。時代劇の校証ではあるまいしと私のふくれっ面を見てブラームス先生は「音楽だから聴いて美しくないとな」とまたまた仲裁系。
「隙間なく成熟した市場に割って入る後発マーケティングによくあるロジックじゃな」とブラームス。「当時はこうでした」は典型的なフレーズじゃよ。優れた演奏によって飽和した中に、必ずしも腕の立たぬ人が入るにはそこそこの理屈はこねんとな。とはまた手厳しい。
そんなにバッハ時代を再現したいならCDやDVDにしてはいかんじゃろ。バッハ回帰を歌いながら録音だけは例外ですとはいいとこどりにも見えますな。
「バッハは進取の気性に富んだ人で、よい楽器あるいは新しい機能があれば進んで取り入れていました」とやっと口を開くリヒター先生だ。「当時の楽器に限界も不満もあったはずですが、黙々とその制約の内側で使命を全うしていました」「昨今のピリオド全盛の風潮はそうしたバッハが感じていた限界や不満も再現していることになるのではありませんか。
晩年、ピリオド楽器の台頭を肌に感じたリヒター先生だというのにあくまで淡々と冷静だ。
ブラームス先生に言わせると「ご自分の仕事に自信があるんじゃと」とのことだった。
三位一体節後第7日曜日用「Es wartet alles auf dich」BWV187だ。この日の説教は4千人の空腹を7切れのパンで満たした奇跡のお話。
管楽器の参加はオーボエ1本だけだが、無論マンフレート・クレメント先生。第1曲合唱に先立つソロが気分を決定付ける。この手の決定的なソロはまさに独壇場だ。本カンタータは先の説教の内容を音楽が忠実にトレースしてゆき、冒頭テキストでそれを歌い出すのは合唱だが、オーボエのソロはそれを事前に掃き清めるかのよう。
登場する全てのアリアや合唱がストーリー上の意味を持っている。がしかし、そこにどの声種を充てるかまでは聖書には書いていない。そのチョイスがバッハの判断かと思うと背筋が伸びる。全7曲のうち1,3,5,7の各曲にオーボエの出番がある。全体の中央の第4曲バスのアリアにオーボエをかぶせぬバッハ先生の選択にひれ伏すばかりだ。
フィナーレで合唱が「大地は神によって整えられた」「私たちの命のためにパンやワインを作らせた」と歌って閉じる。
「いきなり核心ですみません」と恐る恐る私。「やはり楽譜は旧バッハ全集ですか?」と。きょとんとするのはブラームス先生だ。無理もない。ブラームス先生は1950年刊行の新バッハ全集を知らないからだ。「バッハの楽譜に新旧があるのか」とは「もっともな質問」だ。
「はい。ブラームス先生」と元気よくリヒター先生が応じる。「ブラームス先生18歳の1851年からライプチヒバッハ協会より刊行が始まって1897年まで延々46年かかって完成したのですが、その第1巻をシューマン夫人から贈呈されていますね」とすらすらだ。「そうとも」とブラームス。「その後は刊行の都度予約購読で全巻そろえたわ」とこちらもすらすらだ。
1950年になってバッハ没後200年を記念して新版が計画され、そこまでの最新研究の成果を盛り込んだバージョンが刊行されたために、最初のものが「旧バッハ全集」と呼ばれることになった経緯は、またまたリヒター先生の独壇場だ。
「このときにBWV番号も考案されたという訳ですね」と申しあげると「BWV?」とブラームス先生がはてな顔だ。「おおそれは、バッハ先生の全作品を網羅する作品番号とでもお考えください」とまたまたリヒター先生。「バッハ先生の場合作曲年代がわからないものが多いので、作曲順にはならんのですわ」と私。いろいろ異論も聞きますが、個体識別の機能という意味では役に立ちますわとリヒター先生。
「で、それでもやはり旧全集ですか」と大真顔のブラームス先生が割って入る。
「はい。」と即答したリヒター先生がジョッキを空けた。
お代わりを注いで戻ってみるとブラームス先生とリヒター先生の議論が白熱している。
「旧版の方が音符の印刷がきれい」「銅版印刷の痕跡まで美しい」など音楽の本質とまでは言えないような論点をあげている。「楽譜のみてくれがきれいというのは、それはそれで重要だからの」とブラームスも同意らしい。「研究とやらはあくまでも実用の妨げになってはいかんがの」と付け加えた。
「そりゃあんた、今年はこの人しかおらんやろ」とドヤ顔のブラームスさんだ。後ろにいる紳士を「マエストロ・リヒターだ」と言って紹介してくれた。おおおおお。昨年末から「カンタータでたどる教会暦」という企画が進行中で、リヒター盤をその主役に据えているのもすっかりお見通しという風情だ。
「よろしく」と手を差し出すリヒター先生。「実は」ともったいを付けながら「私の本名はカール・フェリクス・ヨハネス・リヒターなんです」と名乗りだした。おおおってなもんだ。「それはメンデルスゾーンとブラームス先生にあやかっているのですか?」と真顔の私に、「もちろんです」と即答のリヒター先生だが、「本当は偶然かも」と小声でしゃしゃり出るブラームスさんだ。
「バッハの伝道師とも賞賛されるリヒター先生のミドルネームにメンデルスゾーンとブラームスが関わっているのはド納得ですね」と私が切り出すと「わしならヨハネスをはずしてセバスチャンをからめるがな」とブラームス先生も譲らない。リヒター先生はこのやりとりをにこにこと聞いている。
「そりゃ私だって今年はリヒター先生がおいでになるかもと予想してましたわ」と私がドヤ顔の番。
ミュンヘンのリヒター先生をもてなすならシュパーテンですわいと付け加えた。
ブラームス先生とリヒター先生が顔を見合わせていたが、不意にブラームス先生が「バッハに乾杯」と言ってジョッキを高々とさしあげた。
「ビールはミュンヘン、音楽はバッハですな」と上機嫌のブラームス先生だ。「僕の好みをよくご存じで」とはリヒター先生。ミュンヘンのビールの中でもシュパーテンがお気に入りらしく「アウクスティーナーかシュパーテンばかり飲んでました」と地元っぽく笑う。
何からお話しましょうかと学者っぽい仕草のリヒター先生だ。
次女夫婦が自宅を新築した。
先日母を連れてそのお披露目に行ってきた。3階建ての堂々たる二世帯住宅。彼のご両親と住む。ご両親と次女夫婦それぞれの玄関が別の道路に面しているという凝った構造。両家のプライバシーにも配慮しているようで、柔軟に往来もできるという考えた作りに感心した。
次女たちが背負う軽くないローン返済を思いやりはするものの、やはり新築はいい。「ぴかぴか広々今時」のスイートホームを堪能してきた。
しかし、私の感慨は別な点にある。
母と私をもてなす準備の厚みだ。全て手作りのお料理。少なくない母の苦手食材を巧妙に回避してある。耳が少し遠くなった母へのさりげなく配慮した語りかけなど、あげればきりがない。
そうした一家総出の準備に、嫁である次女が継ぎ目なく溶け込んでいた。親冥利。よい家族に温かく受け入れられた次女は幸せだ。
ぴかぴかの新居はやがて経年とともに劣化するが、次女を囲む温かな団らんが、衰えることはあるまい。
帰路、車の中で母も同じ事をいっていた。
次女夫婦とご両親にブラームスとバッハのご加護を。
5月の飲みの席が6回だったことはすでに書いた。6月はなんと7回だった。
昨今何に付け「コロナ前の水準に戻った」と言われる。この飲みの席の頻度は、コロナ前に戻ったどころではなくて、ここ10数年で最高の水準だ。7月はすでに5回設定されている。来年1月末の嘱託満了を前にお世話になった人たちと、というコンセプトも混入している。ギリギリのタイミングでは年末の忙しさもあって無理があるからだ。
話せば長い。カール・リヒター先生のバッハ・カンタータ選集全75曲を聴いていると、起用する独唱歌手の序列が鮮明に浮かび上がる。バスのディースカウ先生を筆頭に、テノールはペーター・シュライヤー先生だし、ソプラノはエディット・マティス先生だ。これら3名は出番の数で同声種の他の歌手たちを圧倒する数になっているし、有名作品には必ずありつけている。
ところがアルトは事情が違う。
上記4名だ。出番の数でいうならアンナ・レイノルズが最多ではあるのだが、私の好みはユリア・ハマリだったりする。どうしたものかと思案するうちにこまったのが昨日話題にしたBWV170だ。大好きな作品なのだが三位一体節後第6日曜日用にリヒター先生が採用したのはBWV9であって、このBWV170は落選している。実はこれがアルト独唱カンタータとして脳内最高位にある。リヒター先生がこの曲の独唱に誰を起用するかで、序列がわかるのだが、選集から落選しているために煙に巻かれている。
代わりに愛聴するのがグッドマン盤。ハノーヴァーバンドの演奏でアルト独唱はナタリー・シュトゥッツマンだ。さすがの一言。
まさかとは思うがリヒター先生、適役がいなかったからBWV170の収録を見送ったなどいうことはあるまいな。もし収録されていれば、冒頭のオーボエダモーレはマンフレート・クレメント先生が吹いていたに決まっている。
もはや拷問。
「Vergnugte Ruh,beliebte Seelenlust」BWV170も三位一体節後第6日曜日用だ。リヒター先生がこの日用に収録したのはBWV9だけで、本曲はスルーされている。
異議ありだ。
私ならこちらだ。
珍しく、合唱の出番がない可憐なアリア。とりわけ第1曲は本当に素晴らしい。揺れる8分の12拍子は、アルトが歌い出すまで、オーボエダモーレが雰囲気を決定付ける。「満ち足りた安らぎ」にピタリだ。
三位一体節後第6日曜日には「Es ist das Hell uns kommen Her」BWV9だ。ガラリア湖で4人の漁師を弟子にした後のエピソード。和解の重要性を訴える。
バスに出番があるがものの全てレチタティーボという珍しいケース。全部合わせても6分程度。むしろ興味はペーター・ルーカス・グラーフ先生のフルートとマンフレート・クレメント先生のオーボエだモーレというのり。
昨日、オーボエのマンフレート・クレメント先生の画像を探した話をした。
リヒター先生指揮のマタイ受難曲のDVDにも出演なさっているということで盛り上がったが、さらにうれしい落ちがついてきた。
そのマタイの演奏、コールアングレを吹いているのは、シェレンベルガー先生だった。バッハのカンタータ選集のDISC18で師弟競演が聴けると喜んだが、こちらは画像付きである。
リヒター先生のカンタータ選集で、ディートリヒ・フィッシャー・ディースカウ先生に匹敵する位置付けにあるオーボエのマンフレート・クレメント先生だというのに、お顔がわからない。どこかに画像でもないものかと探していたらあっさり見つかった。
我が家にあるリヒター先生指揮のバッハ・ブランデンブルグ協奏曲のDVDにお姿が写っていた。出番があるのが1番と2番。特に2番ではオケの前面に立っての独奏とあって何かと目立つ。
その気になって探すと、リヒター盤のマタイ受難曲やロ短調ミサのDVDにも出演しておられる。
その出で立ちは「品のいい紳士」という表現でピタリだ。
その上オーボエの音がきれいということだ。もう惚れ惚れだ。
「シュープラーコラール」と通称される一連のオルガン作品がある。BWVで申せば645から650までの6曲を指す。出版譜には次のように書かれている。
「2つの手鍵盤と足鍵盤を持つオルガンで前奏するためのいろいろな種類の6つのコラール」
出版人は「テューリンゲンの森の近くのツェラのヨハン・ゲオルグ・シュプラー」とある。だからこれらが「シュプラーコラール」といわれているということだ。1746年以降という事以外出版年はわかっていない。作曲年は不明だが、6つのうち5曲までが、カンタータの単一楽曲からの編曲になっている。残る1曲BWV646も実は現存しないカンタータからの編曲とする説もある。バッハ在世時にすでに人気が出てきた楽曲を作曲者自身が手際よくオルガン独奏曲に仕上げたとも受け取れる。楽譜の売れ行きを考慮したマーケティングのたまものとするなら、出版人シュープラーはなかなかのやり手ということになる。
さてその6曲は以下の通り。
BWV10は昨日話題にしたばかりだ。原曲の出所が確かな5曲はリヒター先生のカンタータ選集にも全て入っている。バッハ在世当時の「人気楽曲」だとしても不思議ではない。
こちらもまたマリアのエリザベート訪問の祝日用だ。「Mine Seel erhebt den Herren」BWV10。リヒター先生はBWV147と同じ祝日用だが重複して採用している。
カトリックでマニフィカトと呼ばれるマリアの賛歌がここに反映している云々。マニフィカトの独訳がそのまま。バッハはこのフィナーレをオルガン独奏用に仕立てている。いわゆる「シュプラーコラール」の4番目に収まるBWV648である。
第2曲アリアはソプラノ屈指の出番。バスがディースカウ先生の出番になってないこともあって、リヒター先生には内緒でアメリンク盤を愛聴している。
マリアのエリザベート訪問の祝日用「Herz und Mund und tat und lieben」BWV147ではあるのだが、「主よ人の望みの喜びよ」と題されたピアノ編曲があまりに有名で、バッハの預かり知らぬところながら、ややもすると鑑賞を妨げる。
大天使ガブリエルから受胎告知を受けたマリアが親戚のエリザベートを訪ねたということに由来する固定祝日。
その上、バスの独唱がディースカウ先生の出番になっていない。
オーボエのマンフレートクレメント先生の出番集をUSB上に作った。
それを作る過程で、あっと驚くネタにたどり着いた。
リヒター先生のバッハカンタータ選集は全75曲が24のディスクに収められている。その中のディスク18を聴いていたときのことだ。オーボエの演奏家にハンスイェルクシェレンベルガーと書いてあるではないか。
この人ベルリンフィルの主席を務めた人で憧れのオーボエ奏者だった。たしかミュンヘンの生まれだった。シェレンベルガー先生はマンフレート・クレメント先生に師事していたのだ。どこかで聞いたことがあると感じたのはこれだった。
そう。カンタータ137番地と33番では、クレメント先生とシェレンベルガー先生の競演が聴ける。
もはやバッハそっちのけ。
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