お盆のファンタジー55
「その研究とやらの成果を盛り込む主旨で、バッハ先生存命時の演奏の再現を意図する演奏が多くてげんなりしているのですが」と私。「バッハの時代はこうだったはずだ」という演奏のことです。
「ほうほう」とはブラームス先生の相づち。
「ここ最近バッハ先生の作品はそういう演奏ばかりですわ」「きれいだと思えないのはリヒター先生の演奏になれすぎているからではないのかね」とは、珍しく取りなし調のブラームス先生。時代劇の校証ではあるまいしと私のふくれっ面を見てブラームス先生は「音楽だから聴いて美しくないとな」とまたまた仲裁系。
「隙間なく成熟した市場に割って入る後発マーケティングによくあるロジックじゃな」とブラームス。「当時はこうでした」は典型的なフレーズじゃよ。優れた演奏によって飽和した中に、必ずしも腕の立たぬ人が入るにはそこそこの理屈はこねんとな。とはまた手厳しい。
そんなにバッハ時代を再現したいならCDやDVDにしてはいかんじゃろ。バッハ回帰を歌いながら録音だけは例外ですとはいいとこどりにも見えますな。
「バッハは進取の気性に富んだ人で、よい楽器あるいは新しい機能があれば進んで取り入れていました」とやっと口を開くリヒター先生だ。「当時の楽器に限界も不満もあったはずですが、黙々とその制約の内側で使命を全うしていました」「昨今のピリオド全盛の風潮はそうしたバッハが感じていた限界や不満も再現していることになるのではありませんか。
晩年、ピリオド楽器の台頭を肌に感じたリヒター先生だというのにあくまで淡々と冷静だ。
ブラームス先生に言わせると「ご自分の仕事に自信があるんじゃと」とのことだった。
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