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2024年8月31日 (土)

パートリーダー受諾

先日の「介護付き個人練習 」後の飲み会で職場のオケのヴィオラパートのパートリーダーへの就任を受けてしまった。

3時間ぶっ通しの練習の後、コンマス氏がいきつけのお店で食事でもと誘ってくれて、即決。

これがまた完璧な台湾系餃子ショップ。

周囲は混雑で3名がなんとか潜り込んだ。混雑と喧噪の中、われわれのトークも弾むうちに、ヴィオラのパーリーがおらんという話になった。

最初、弦が一人しかいなかったときからのメンバーということもある。親切でボウイングを施したりもした。飲み会には欠席しない。まだ私を含めて3名しかいないヴィオラパートだが、当然ながら最年長。周りは皆20歳は歳下。

一方、全然弾けていない。演奏会までに弾けるようになるかどうかも怪しい。

これらもろもろを考慮して、餃子とビールの勢いもあってトップ奏者ではなく、パート世話人だと条件を付けて引き受けた。

これにて弦楽器のパートリーダーが全て決まった。むろんそこでも私が最年長。それどころか私の子供らの世代だってちらほら。

ブラームスとバッハのご加護に餃子の効能を加えてもまだ足りない。初孫の手も借りたいくらいだ。

 

2024年8月30日 (金)

農民カンタータ

農民カンタータBWV212の初演は1842年8月30日だ。ライプチヒ近郊のとある村の新領主着任のお祝いにと作曲された。領主の名前は、カール・ハインリッヒ・フォン・ディースカウという。そう、彼は歌手ディートリヒ・フィッシャー・ディースカウ先生の遠い先祖にあたる。

とにかく殿様を誉めまくる祝賀系のテキストに、舞曲感満載の音楽を貼り付けるバッハの才能がまぶしい。

おかげで楽しい楽しい曲になっているが品格だけは維持されている上に、これをディートリヒ・フィッシャー・ディースカウ先生の歌唱で聴けるとなるとありがたみは教会カンタータなみになる。

今日は初演から282年目の記念日。

 

2024年8月29日 (木)

介護付き個人練習

職場のオケの話。8月26日のことだ。普段は都内で練習しているのだが、この日は神奈川県での弦分奏だった。

当日になって5名が次々とキャンセル。全体練習に加えて弦楽器だけの練習の必要性だけは、みなわかっているのだが、平日の業務終了後であることや、普段と違う練習場所ということなど、事情があってのことだが、不安。

名目、18時から20時までということだったが、余裕をもって17時に到着すると一人すでに来ていたコンマス氏が「やばいっす。今日は二人かもしれません」まあそりゃあれだけキャンセルがあればそれも想定内と平静を装って準備。

どうせ2人ならさっさと始めましょうかとなって念入りにチューニング。ヴィオラの難所をメトロノームを付けて二人でさらった。いやはや効果的。一人で練習していてもよくわからんところなのだが、第一ヴァイオリンと一緒だと音楽の起伏やテンポがわかる。音程の悪いのも分かる。わかると直せる。

とりわけマイスタージンガーの練習番号E、シャープが4個に転ずるところ。

あそこもここもとばかりに次々と第一ヴァイオリンとヴィオラのからむ場所を弾く。延々と弾いて90分。トイレ休憩のあと最初からやろうということになって、今度はメトロノーム無しで通す。弾けぬは弾けぬが、なんとか通る。相手のしていることがわかる。

その通しがラストにさしかかったところで、もう一人メンバーが現れた。セカンドのパーリーを務める女子だ。「おくれてすみません」と言いつつ入ってきた。見れば19時。規定の時間まで1時間ファースト、セカンド、ヴィオラで合わせられる。

セカンドが入ってみるとまた視点が増える。こりゃありがたいとばかりにまた最初から。あっと言う間に20時になった。ほぼ3時間ぶっ通し。疲れたが心地よい。コンマスとセカンドのトップ二人を私の個人練習に付き合わせたとみることもできる。名付けて「介護付き個人練習」。

 

 

2024年8月28日 (水)

眼鏡屋はホルン

楽器練習用に中距離用眼鏡をあつらえた話は既にしておいた。そこから思わぬ奇遇にたどりついた。

眼鏡ショップに事情を説明するのにマイスタージンガーのパート譜を持参した。今の遠近両用が中途半端である旨を説明するためだ。かれこれ25年のつきあいがある眼鏡ショップのご主人は、からりとわかってくれた。「シャープとナチュラルの見分けがつかぬ」という説明ですんなりわかるとは意外で、「もしかして音楽やってました?」ときいたところ「はい」というお返事。「へっ?」てなもんだ。25年前からしょっちゅう通っているのに知らなかった。

そういえば音楽の話なんぞしたことはなかった。

「して、何か楽器でも?」と尋ねると「ホルンを少々」という夢のような回答。どうりでマイスタージンガーも腹に落ちたわけだ。一連の職場オケネタでしばし時間を忘れて盛り上がった。

奇遇に奇遇を重ねて今、機が熟してきている。

2024年8月27日 (火)

練習専用眼鏡

意外な難問だ。

昨年秋の白内障と剥離の手術から半年以上経過し、視力が安定してきた。眼鏡は遠近両用であつらえた際、「遠近」のうちの遠は、自動車の運転を想定した。一方の近は、スマホやパソコンの使い勝手を想定した距離に合わせた。30~40cmくらいだ。スマホだとこれでも遠いくらい。

楽器を触るようになってはたと困った。巨大ヴィオラを構えて楽譜に相対すると楽譜までの距離は80cm程度となる。遠近どちらでも中途半端だ。実際に楽譜を見ると細かい文字が読めない。最も困るのは「♯」と「♮」が見分けられないことだ。

やはり楽譜は正確に読み取れたほうがいい。読み取った上でそれを正確に音に転写するのは目の役割ではないが、おさえておきたいと思い詰めた結果、練習用に眼鏡を購入した。

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既にもっている遠近両用の中間として使うから、今回はシンプルなレンズでいい。放っておくといつも黒縁になってしまうのでたまにはと、つや消しの赤を選んで気分を変えた。遠目には茶色だから気に入っている。

 

2024年8月26日 (月)

楽器磨き

頻繁に楽器に触るようになってどうにも気になりだした。

楽器をきれいにしておきたい。練習後の弦に付着した松ヤニだけは拭き取っていたが、胴体の表面にもついている。その他顎当て周辺も微妙にすすけている。楽器用クリーナーを前に使っていたが古くなっているので買い換えた。店頭には5~6種類品揃えされていたが以下。

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機能はともかく頑としてドイツ製をチョイス。「バッハ専用」あるいは「ブラームス対応」などというものはないらしい。「音程がよくなる」は諦めているが「鳴りがよくなる」くらいなら信じてしまうかもしれない。

これをぼろ布で塗布する。ひとまずこれで様子見。「楽器に2時間触る」という目標のうち15分くらいは手入れで消化できる。残りのうちの60分はバッハなので、マイスタージンガーは15分くらいが関の山かもしれぬ。

2024年8月25日 (日)

ただ汝のみ主イエスキリストよ

三位一体節後第13日曜日用「Allein zu dir,Herr Jesu Christ」BWV33にもまたオーボエにシェレンベルガー先生の出番がある。

またフィナーレ直前の第5曲がテノールとバスの二重唱になっていて、シュライヤー先生とディースカウ先生のアンサンブルが聴ける。この二人の二重唱は意外なことにここだけだ。同曲にはクレメント先生とシェレンベルガー先生にも出番があるという贅沢の極みだ。

 

2024年8月24日 (土)

一旦けじめ

旧盆にブラームス先生がファーバー先生を伴って我が家に来てくれるという趣向を打ち出して、初孫ネタに一区切り付けたい。

人生屈指の吉事ではあるのだが、きりが無いからだ。新盆と旧盆の間ほぼ1ヶ月初孫ネタで埋まってしまった。加えて、この先も区切り区切りで必ず初孫に触れるがメリハリが大切だ。ブログ「ブラームスの辞書」がゴールと掲げる2033年5月7日のブラームス生誕200年のメモリアルデーには、この子は8歳だ。

引き締めて行かねばと自分に言い聞かせている。

2024年8月23日 (金)

骨密度

母は骨粗鬆症をわずらっている。毎年2月と8月に骨密度を計ってもらっている。

今年も計った。

8月10日のことだった。病院から帰宅した母は、息せき切って報告する。「すごいのよ」と検査結果の用紙を取り出して私に見せる。検査結果が過去も含めて折れ線グラフで表示され、「健康」「要注意」「骨粗鬆症」が領域別に色分けされている。母はここ15年くらいずっと「赤色」つまり「骨粗鬆症」の領域をうろついていたのだが、今回、前回や前年に比べ劇的に改善し「黄色」の要注意領域になっていた。

このような劇的な改善はなかなかないとお医者さんに誉められたそうだ。病は気からと申すが、実際に検査結果が伴うとなると説得力がある。加えて信頼関係にある主治医から誉めてもらえたとあって、母の顔色が輝いていた。

医学的な説明など私にはできないが、一つだけ心当たりがある。

もしかしてひ孫ドーピングかと。

 

2024年8月22日 (木)

22世紀

生まれたばかりの初孫。男の子だ。我が国の男性の平均寿命は80歳を超えている。

ということは、この子は西暦2100年を超えて生きながらえることになる。

22世紀が急に身近になってきた。

初孫本日生後1ヶ月。

2024年8月21日 (水)

背筋も凍る

ちょうど1ヶ月前の話だ。17時過ぎて母は台所に立つ。夕食の支度だ。甘酢和えを作るためにきゅうりを包丁で薄切りにしていた。急に「きゃー」と悲鳴。急いで駆けつけると包丁で左手の人差し指を切ってしまった。絆創膏で応急処置をしてソファで休ませた。

主婦歴65年のベテランだ。刻み物をしていて指を切るなどほぼない人なのになんとしたことだ。その日は仕方なく私が刻んだきゅうりを使ったがどうにも様にならぬ厚切りだ。止血に成功して痛みも治まったので18時くらいから夕食を食べ始めた。

と、そのとき長女の婿からライン。「どうも生まれそうなので入院させました」「私は一旦帰宅させられましたが、いよいよの時はまた呼び出される」云々。そこからおよそ6時間後7月22日になって24分後に初孫が誕生したということだ。

7月27日初対面にと長女宅に行って、当日の話をあれこれ聞いた。7月21日は朝からおかしかった。陣痛めいたものもあるので産院に電話したところ、痛みが5分間隔になったら入院と言われた。5分間隔にならないのに破水が始まってしまい、驚いて電話し指示されるままに入院したのが17時20分だという。

背筋が凍った。母が包丁で指を切った時刻だ。

孫娘の破水を神様が母に知らせたのだ。

2024年8月20日 (火)

バッハで指ほぐし

昨日の記事「一人夏合宿」の続き。演奏順は検討中ながら、年末の演奏会の曲目は以下。

  • ワーグナー 「マイスタージンガー前奏曲」
  • シベリウス 「フィンランディア」
  • チャイコフスキー 「花のワルツ」
  • アンダーソン 「そりすべり」

これまでの練習で浮上した課題はマイスタージンガーに集約される。この先の練習もここが肝になるはずだ。私の課題もこれと一致する。なんせオケで弾くのは35年ぶりだ。

一人夏合宿中から少しずつ感じてはいたし、上記の作品には本当に申し訳ないのだが、連日取り組んでいると飽きるのだ。弾けもしないくせに飽きるということなのだ。作曲家や作品に罪は無いのだが、私のこまった性分だ。

そこで、練習前の指慣しにバッハをと思い立って昔の楽譜を引っ張り出してきた。

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ひとまずこの2つ。無伴奏チェロ組曲のヴィオラ版とガンバソナタのヴィオラ版。どちらも編曲物だが、学生時代から練習だけはしていた曲たちだ。チェンバロの伴奏が不要な前者を思い出し出しさらってみたら、はまった。

なんだかすごい。全く弾けないのに飽きない。課題が次々と露呈するけれど、飽きない。テンポ無視の上にスラーぶった切りなど楽譜無視のいいとこ取りで延々とさらっていられる。

私の楽器は胴体長46cmの巨大ヴィオラだ。1992年1月に店頭で接して鳴りに一目惚れして購入した経緯がある。大きいだけに取り回しには苦労が絶えない。具体的にはフィンガリング。長いながーいブランクで左手の指が硬くなった。開かない。4の指、つまり小指で取る音が総じて低くなる。これらへの対処のため無伴奏チェロ組曲をさらいまくった。

キーワードは「増4度」だ。ピアノの白鍵でいうなら「HとF」。この音程が組み合わせを変えて延々と出てくる。それらを丹念に取る。人差し指と小指でとるとき拡張がいる。移弦でとるとなると指がもつれる。重音でとるにも弦を指が飛び越えるのでこつがいる。いやには違いないが、正確にとれたときにはバッハのスパイスがもれなく発動する。とにかく気持ちがいいのだ。

 

 

2024年8月19日 (月)

一人夏合宿

私の楽器演奏の話。

所属するの職場のオケの初演奏会が決まったせいもある。弦楽器の分奏練習もやった。課題はいくつもあるが、解決方法はシンプルだ。練習しかない。それも個人練習。みんなと合わせる前に楽譜通りに弾けるようになっていないとアンサンブルどころではないのだ。浮上した課題全てが個人練習で解決する。この歳になって35年のブランクを埋めるのだからコツコツとやるしかない。

お盆が昨日まで12連休だった。結果毎日2時間楽器を触った。練習とは言えないレベルだが「毎日楽器に触る」を目標に始めた。朝起きて自室の清掃後、すぐに楽器のケースを開ける。これが意外と効き目があった。空いた隙間時間に楽器に触ろうという魂胆だ。従来ならスマホをいじって無為に過ぎる時間を練習に振り向けることだ。

どん底から少しだけ船底が浮いた気がする。左手と右手両方が少しずつ思い出してきた。心なしか楽器が鳴ってくれるように思える。

2024年8月18日 (日)

主を頌めまつれ

三位一体節後第12日曜日用「Lobe den Herren,den machtigen Konigden ehren」BWV137に先立つのは、イエスが耳の聞こえない人や舌のまわらない人を癒やした話。

テキストの提供者ネアンダーが散歩した谷間で発見された古代人はネアンデルタール人と呼ばれているなどと思わぬ脱線も。

トランペットは人々に「神」や「王」を連想させる働きがあるとかないとか。冒頭の合唱はトランペットやティンパニを伴った壮麗なもの。

続くアルトのアリアには独奏ヴァイオリンが付き従う。

なんと申しても第3曲だ。バスとソプラノの二重唱だがここでは2本のオーボエまで加えた四重奏のようだ。ディートリヒ・フィッシャー・ディースカウ先生とエディット・マティス先生に加えてオーボエにはマンフレート・クレメント先生とハンス・イェルク・シェレンベルガー先生の師弟まで合わせた華麗極まりないメンバーだ。

 

2024年8月17日 (土)

マネープラン

毎偶数月の15日は年金の日。指定の口座に2ヶ月分が振り込まれる。初年金から数えて3回目の支給があった。庶民にとってかなりのまとまったお金が、定期的に振り込まれるので、まだ不思議な気分だ。

だんだんこれが日常になってゆく。初孫も生まれ、嘱託満了まで半年を切って、月日の流れはよどみが無い。

老後の資金繰りは課題の一つだ。65歳男性の平均余命からみても、軽視はできぬ。マイカーやマイホームの維持にはお金もかかる。マイカーは免許返納で終止符だが、マイホームはそうも行かぬ。

収入と支出のバランスと簡単に言うがなめてはいけない。収入が多い場合は単に貯金が増えてゆくだけだが、収入が少ない場合には対処がいる。

とはいえやることはシンプル。「節約と計画」だけだ。

2024年8月16日 (金)

バッハの子守歌

昨日の記事で、ブラームス先生とファーバー先生が子守歌を歌う趣向を組み込んだ。こまったのがバッハだ。「バッハの子守歌」なるものはないからだ。

主旨は違うが無理やりBWV82の第3曲を持ち出した。「眠れ疲れた眼よ」といきなり「Schlummert」とあるが子供を寝かしつける意図はない。でもまあ「アンナ・マグダレーナ・バッハの音楽帳」にも入っているし、うまくいけば子供も寝るだろうという希望的観測だ。

いやむしろ、誰かを眠らせるという意味ならゴールドベルク変奏曲の方が効き目はあるかもしれんと、歌の出番がないことは承知で組み入れた。

歌の無い子守歌という趣向でいいならバッハには候補曲が少なくない。チェンバロ協奏曲BWV1056の第二楽章や、ブランデンブルク協奏曲第6番の第二楽章など、すぐにいくつか思いつく。コンチェルトの緩徐楽章など、遅い楽章が長調の場合、どれでも子供が寝そうだ。

2024年8月15日 (木)

お盆のファンタジー59

さてとブラームスが向き直る。今日はこの人をお連れしたわ。「ベルタ・ファーバーさんだ」

お祝いに誰を連れて行くのがいいかと少し考えたよ。とまたまたトークが止まらんブラームス先生だ。この人の出産を祝ってお贈りした子守歌がやけに有名になってしまってな。

「このたびはまことにおめでとうございます」とファーバー先生が握手を求めてきた。

ブラームス先生がファーバー先生に目配せするともうピアノが鳴りだした。

  1. シューベルト 子守歌
  2. モーツアルト 子守歌
  3. バッハ 「眠れ疲れた眼よ」BWV82より
  4. バッハ アリア ゴールドベルク変奏曲より
  5. ブラームス 「砂の精」
  6. ブラームス 「子守歌」

あっという間にこれを2人で演奏してくれた。4曲目はブラームスさんの独奏でファーバーさんの休憩にもなっていた。「なあに最後の2つが余計じゃがの」と謙遜しきりのブラームス先生だ。「本当は自作はやらないとおっしゃっていたのですが、それはだめと私が説得しました。とファーバー先生が小声で打ち明ける。

「てへ」とブラームス先生。「自作をやるのを認める代わりに、なんとかアルトの曲も歌ってはくれぬかとソプラノのファーバー先生を説得したわ」と。「???」意味が飲み込めない私にブラームス先生が楽譜を差し出した。「聖なる子守歌」op91-2ではないか。アルト用の独唱歌曲だが、珍しいことにヴィオラとピアノが伴奏につく作品だ。

「ほらおじいちゃん、さっさとあんたのヴィオラを持ってきなさい」とブラームス先生が得意げに促す。「私がアルトのパートを歌いますから、三人で一緒にやりましょう」とファーバー先生もせきたてる。

古いスコットランドの子守歌の旋律をヴィオラが受け持つ。楽譜を見てるのは私だけ。ブラームス先生もファーバー先生も楽譜なんか見ずに私の顔をのぞき込みながら悠々と演奏している。

ありがとうございます。と絞り出すのがやっとの私の肩を抱きながら「今日の演奏すべて、貴殿の好きなUSBとやらに録音しておいたから、お嬢様に渡してくれ」とウインクをかますブラームス先生だ。ファーバー先生はただにこにこと笑っているだけだった。

2024年8月14日 (水)

お盆のファンタジー58

ところで貴殿のお嬢様は安産だったのですか?とブラームス先生が話題を切り替えてきた。「おかげさまで」と私。ブラームス先生が懐からごそごそと何か取り出す。

これ天国からメッセージを預かってきたと。

  • クララ・シューマン
  • ユーリエ・シューマン
  • マリア・バルバラ・バッハ
  • アンナ・マグダレーナ・バッハ
  • コジマ・ワーグナー
  • アンナ・ドヴォルザーク
  • アルマ・マーラー

出産の経験があるご婦人たちからメッセージを預かってきたんじゃ。だいたい作曲家奥様会の連中じゃよ。みんな心配していたわ。いくら説明されてもわしにはわからんが。とまくしたてるブラームス先生だ。特にシューマン先生のお嬢様のユーリエは、産後の肥立ちが悪くてご苦労があったと聞いているからと訳知り顔だ。

「ありがとうございます」と私。よく見るとワーグナー先生の奥様までおるではないか。とぼけているがブラームス先生はあちこち駆け回ってくれたに違いない。

娘にどう説明するかちょっと難しい。

2024年8月13日 (火)

お盆のファンタジー57

「貴国のお盆という風習には新旧の区別があるのかね」と息を切らしながらブラームスが入ってきた。つい1ヶ月前に来たばかりなのにと驚きながらも「はい。ご指摘の通りです」と私。「新旧があるとはバッハの楽譜みたいじゃの」と鋭く切り返してくるブラームス先生だ。「お言葉ですが、バッハの楽譜は旧が先で新が後なのですが、お盆は新が7月に来たあと、旧が8月に来るのです」と私がやりかえす。

「おお」と爆笑するブラームス先生。

汗も拭かずに「初孫誕生おめでとう」とハグしてきた。「これが言いたくて旧盆とやらを利用させてもらったわ」「来年の7月では間が抜けるからのう」と相変わらず目端の利くブラームス先生である。「元気のいい男の子じゃの」とどこで見たのかなコメント。

「どうだい。おじいちゃんになった気分は?」と真顔で切り出してきた。「かわいくてかわいくて」「噂には聞いていましたがそれ以上ですわ」と返す私。「ですがこまったことに、どうにも旗色が悪くて」ともじもじしているとブラームス先生は「はて?」といぶかしげだ。

「私の初孫にはちがいないのですが、母にとってはUrenkelなのです」「日本語でひ孫といいますが、初孫よりは明らかに稀少なので、話題がそちらに行きがちなのです」

「そりゃ気の毒に」「ひ孫が孫より格上なのはドイツでも同じじゃがの」とまた爆笑のブラームス先生だ。

2024年8月12日 (月)

心せよ汝の敬神に偽りあらざるかを

昨日のBWV199に続いて三位一体節後第11日曜日用にリヒター先生が重複採用するのが「Siehe zu,dass deine Gottesfurcht nicht Heuchelei sei」BWV179である。自らを正しいとうぬぼれている人を戒める説教に、より忠実なのはBWV199よりむしろこちら。

ディースカウ先生の出番はあるにはあるが、短いレチタティーヴォだけなので、イングリッシュホルンのしっとりとしたソロを楽しむためにある。

2024年8月11日 (日)

我が心は血の海に漂う

三位一体節後第11日曜日用「Mein Herz schwimmt im Blut」BWV199だ。何やら物騒なタイトルではるのだが、ソプラノ用アリアの頂点に君臨する名作。全8曲で構成されて全てにソプラノ独唱が現れる。

リヒター盤ではマティス先生がお歌いになる。独奏オーボエは当然クレメント先生である。この2人の競演だけでも相当ありがたいというのに、私はアメリンク盤。ヴィンシャーマン先生がオーボエを吹いていない。指揮なんかせんでいいから吹いて欲しかった。せやから言わんこっちゃない。第2曲冒頭のオーボエの独奏は、リヒター盤のクレメント先生を支持する。

地味に聞き所なのが第6曲。大変珍しいヴィオラの独奏がある。ソプラノ独唱とのからみは宝物だ。

2024年8月10日 (土)

産後3週間

「産後3週間」は母の口癖。「大事にせよ」との先人の知恵だと事細かだ。産後の体調回復と赤ちゃんとのコミュニケーションに集中しなさいと孫娘に諭す。今どきの事情は知らないがと前置きも忘れぬ母だが、目が真剣だ。

言われた娘も従順に聞いている。お医者様のいうことと大して変わらないが、「ありがとう」とだけのおだやかなリアクションに成長を感じる。

おかげさまで母子とも健康。とくに赤ん坊はすくすくだ。3日も目を離すともう様子が変わる。「昨日までできなかったことが今日次々とできるようになるんだよ」という母だが、一方で「私ら年寄りは昨日できていたことが明日にはできないかもしれないから」とひ孫の世話に邁進する。

私の初孫であることはどこかに吹き飛んで、ひ孫とひいおばあちゃんを中心に回っている。

まもなく産後3週間となる。

2024年8月 9日 (金)

出産祝い

私からの娘夫婦への出産祝い。

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開けると赤ちゃんの名前が書いてあるので表紙だけ。体裁としては寺社仏閣での御朱印を押す御朱印帳だ。初宮参りに始まり、お食い初め、初節句、七五三、入学、卒業、はては成人結婚までの節目で手形や写真をコンパクトに収めることができる。

図柄は若草色の「七宝繋ぎ」で子孫繁栄を表す。

 

2024年8月 8日 (木)

命名事情

初孫の名前の話。

娘夫婦はおなかの赤ちゃんの性別が判明した時点から名前を考えていたという。男の子の名前は早いうちにすんなり決まったらしいが、完全に秘密を貫いていたから、誕生の翌日ラインで知らせてきた。

初孫誕生は慶事であり、格好のブログネタではあるが、名前や画像をさらすわけには行かない。だがそうした制限の内側でなんとかするのもブログ管理の醍醐味だ。

初孫の名前は

  1. 今どき
  2. 希少性 そんなに多くないが単なる奇抜でもない
  3. 両家配慮 そんな配慮ができるとは成長したな@長女
  4. 漢字二文字、パパから1文字もらう 「通字」は日本古来の美習だ。
  5. 漢字の意味 パパからもらってない方の漢字が佳字である。
  6. ひらがな三文字
  7. 声に出して呼んだ感じ
  8. 書いてみて眺めた感じ
  9. 字の電話口頭での説明がたやすい
  10. かすかに音楽にかする

それを知らされたラインに「うおー」と4回リターンした。感動的。この名前をよくぞ。我を忘れて感激した。詳しくは書けないが私自身の名前と絶妙な関係にある。親族の誰とも成立しないレアな関係に歓喜した。その前日に生まれたニュースを聞いた際にはびくともしなかった涙腺に決壊警報が発令された。

ありがとう。

2024年8月 7日 (水)

新旧写真事情

我が家の子供たちは平成一桁の生まれ。写真は、まだデジタルではなかった。せっせと写真屋さんに通ってプリントした。それらの整理も楽しみの一つだった。3人あわせてかれこれ2万枚ある。それらは今でも直ちに閲覧可能な状態に整理されている。私の自慢の一つだが、このたびの初孫は、そうした写真事情も今時である。

スマホに専用のアプリをダウンロードし使用登録をすると、娘夫婦が撮影した写真や動画が見放題だ。私自身が撮ったものも登録できる上にコメントの投入も自由自在。自動で月別に管理されるほか、掲載の順番も見るたびにランダムで入れ替わる。もっとすごいのは、それらの動画や写真は他のアプリに共有転送できない。両親の認めた身内にだけ公開される仕組みだ。もし子供が二人目三人目と増えても子供別に整理される。

いやはや今どきだ。幸い私はスマホユーザーでさくさくと登録ができた。毎日最新の動画や写真が見放題である。

最大の課題は母だ。スマホを使えない。

最新のものを私のスマホで見せてはいるが、画面は小さいし自分の都合で見ることができない不自由も感じる。

そこで、妙案。写真を数枚を引き延ばしてプリントアウトし、クリアファイルに納めて渡したら、母の顔が輝いた。何でもこれでご近所に見せに行けるということだ。なじみのクリーニング屋さんや美容院に持って行って見せると言っている。まだまだアナログど真ん中だ。

2024年8月 6日 (火)

有休消化

嘱託満了まで残り半年を切った。最後2024年度は年度末まで在籍しないにもかかわらず、通年通り有給休暇が付与される。40日弱を10カ月で消化せねばならぬ。8月の旧盆に合わせてまとめて消化しておかないと、最後の月は全部有休消化となりかねない。

だからと言い訳しつつ明日から12連休に入る。

と格好をつけてはいるが、実はこれで孫の顔を頻繁に見に行けるという算段だ。

2024年8月 5日 (月)

カテゴリー「孫」

お気づきの向きも多いかと思うが、このほどブログ「ブラームスの辞書」に新カテゴリー「768孫」を追加した。長女に止められて実際に生まれるまでは孫ネタの発信を控えていたが7月23日以降解禁の運びとなり、怒濤のような孫ネタラッシュになっている。

今後孫ネタはこのカテゴリーに集約する。今の勢いだと100本は意外と早くに到達するかもしれない。

ブラームス先生の苦笑いが目に浮かぶ。

2024年8月 4日 (日)

主よ汝の目は信仰を顧み給う

三位一体節後第10日曜日用「Herr,deine Augen sehen nach dem Glauben」である。説法の内容はイエスのエルサレム入城で、境内の商人たちを追い出した話。全体にエルサレムの堕落を嘆く曲調で全7曲が2部に分かれるうち、第一部のラスト4曲目にディースカウ先生のアリオーソがある。

ではあるのだが、このカンタータの主役は第5曲かもしれない。テノールのアリアにフルートの完璧な見せ場がリヒター盤ではオーレル・ニコレ先生の名人芸が聴ける。

 

 

2024年8月 3日 (土)

待つ楽しみ

性別や予定日は早くから分かっていた。7ヶ月間楽しみに待った。ブログ記事にそれらを反映させるのだが、事前に記事の配置ができない。生まれるまで配置日が正確に確定しないからだ。

脳内にネタは浮かぶが生まれんことには配置できない。脳内に記事が渋滞する結果となった。

一昔前ならこれをイライラと感じたものだが、歳のせいか待つのも一興と切り替えることもできていた。

2024年8月 2日 (金)

子育て三代

7月27日母はついにひ孫をその腕に抱いた。その後車で1時間程度の距離をものともせずマメに出かけてはあれこれと孫娘の産後の世話をする。授乳補助、入浴補助、炊事補助などなど、孫たちを慈しんだ日々と何ら変わらぬメニューを粛々とこなす89歳だ。

すごい。

64年前私を産んで抱いたのが昭和。初孫の長男をはじめとして孫たち3名を抱いたのが平成。そして今年ひ孫を抱く令和。

昭和平成令和の三代で子育てが自分事化している。

例年夏には暑さでヘロヘロになるのだが、今年は違う。ひ孫ドーピングとでも申すべきか。

2024年8月 1日 (木)

残り半年

来年1月末の嘱託満了まであと半年となった。

ここ半年は初孫の誕生を待つ日々となったこともあってか、あっと言う間だった。すごく早い。業務の引き継ぎもさることながら、飲みの引き継ぎに重心が偏った。5月6回、6月6回、7月7回という驚くべき高密度の飲み会。8月は盆休みもあるのでさすがに、4回程度に収まる見込みだ。後任を飲みの席で紹介するという意味で、絶対に必要な飲み会は残り2回となる。

下手なマニュアルを残すくらいなら飲みだ。

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