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2024年10月31日 (木)

神は堅き砦

宗教改革記念日用「Ein fest Burg ist unser Gott」BWV80。ルターの宗教改革は10月31日とされている。ルターが「95箇条の論題」をヴィッテンベルク城教会に掲げた日だからだ。ルター作の有名なコラールをベースにバッハ節が躍動する。

冒頭ルターのコラールを題材にした独唱4名による壮大なフーガはまさにバッハ。特に第2曲のソプラノとバスの二重唱が大のお気に入りだ。独唱二人の問答に弦楽器のユニゾンがからむ。テンポが軽快なこともあって、重厚というより爽快という感覚。ましてや他を圧倒するディースカウ先生の歌いっぷりにただただ感動する。ここでの弦のユニゾンはヴァイオリンとヴィオラをさす。第一第二のヴァイオリンとヴィオラが同じ旋律を弾く。オクターブでもない完全なユニゾン。BWV140の第4曲「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」でも観察された。記譜はハ音記号が用いられているが、よく見ると音域はヴァイオリンの演奏可能範囲にとどまっている。

バッハはときどきこれをやる。

 

2024年10月30日 (水)

楽器痕

15年の休眠から覚めて頻繁にヴィオラに接するようになった。身体のあちこちに異変が起きている。

まずは顎当ての当たる位置に赤い斑点が出てきた。首ともう一カ所、左の鎖骨の端。学生時代にもあったが、楽器から遠ざかるうちに消えていたのがめでたく復活した。

それから左手、人差し指、中指、薬指の先が固まってタコになってきた。小指はタコの成長が鈍い。そらそうだ。巨大楽器の取り回し事情によって、開放弦を使いがちだし、できるだけ小指を使わぬフィンガリングを試行しているせいだ。逆に申せば小指のタコが成長するくらいまで、突き詰めればいいということかもしれぬ。

それから左手人差し指の第二関節の内側だ。このタコは指先のものより大きい。これは指板にあたることで成長している。とりわけC線側の低い弦を押さえようと思うと、指板に押しつけられることが原因だ。

タコというほど固まっていないが、弓を持つ際に唯一下から支える右手親指の先にもほんのり痕がついている。

いい感じである。

2024年10月29日 (火)

ヴィオラ無双

バッハの弦楽器用無伴奏作品はヴァイオリンとチェロのために書かれている。ヴィオラはスルーだ。室内楽やコンチェルト、あるいはカンタータなど宗教作品にでもたくさんの出番に恵まれていながら無伴奏作品にはありつけない。

物は考えようだ。 

無伴奏チェロ組曲をオクターブ上げ、無伴奏ヴァイオリン作品を5度下げれば、どちらも様になる。これら両方をそこそこ楽しめるのはむしヴィオラの特権ではあるまいか。無伴奏チェロ組曲のヴァイオリン版や無伴奏ヴァイオリン作品のチェロ版は、あまり楽譜を見かけない。

人前で弾こうなどという野望は元々なく、老後の慰みとして極上かと。

2024年10月28日 (月)

備えて怠るな我が霊よ

いささか歯がゆいと書いたBWV55の他に、三位一体節後第22日曜日用がもう1曲ある。「Mache dich,Mein Geist bereit」BWV115である。

BWV55がテノールの独壇場であったのと対照的に、フル編成だ。4人の独唱に加え、オーボエダモーレ、フルート、ホルンが入る。収録のメンツもディートリヒ・フィッシャー・ディースカウ先生、ペーター・シュライヤー先生、エディット・マティス先生、マンフレート・クレメント先生、ペーター・ルーカス・グラーフ先生という豪華キャスト。

強いて山場をあげるなら第4曲のソプラノのアリアか。ソプラノ独唱にフルートとピッコロチェロがからむ独特の味わいが売り。ディースカウ先生もシュライヤー先生も出番はレチタティーボだけとあって太刀持ち状態だ。

2024年10月27日 (日)

我哀れなる人罪の下僕

三位一体節後第22日曜日用「Ich armer Mench,ich Sundenknecht」BWV55。当日の説法は「自分に対する罪7回があったら、7回赦すべきか」という問いに「イエスは70回赦しなさい」と赦しの10倍返しを説く。耳の痛い話だ。

本作BWV55は代表的なテノールのためのカンタータ。全5曲のうちフィナーレのコラールを除いてテノールの独唱がある。

がしかし、リヒター先生の選集ではいささか影が薄い。ひとえにペーター・シュライヤー先生の独唱になっていないせいだ。オーボエダモーレ独奏もクレメント先生ではない。こちらの脳みそのせいではあるが歯がゆい。

2024年10月26日 (土)

Martin Stegner

マルチン・シュテークナーはドイツのヴィオラ奏者。1996年にベルリンフィルへ。2021年にはバッハの無伴奏チェロ組曲ヴィオラ版を録音している。我が家にもこのCDがある。

新しい録音のせいか音質がクリアだ。彼自身のキビキビしたスタイルと合わせて気に入っている。そもそも同曲の演奏は、瞑想系が多い。オリジナルのチェロ版ではその系統が優勢だ。解釈の部分がやけにクローズアップされた結果、「演奏者の哲学」「集大成」めいた迫真の演奏が歓迎されてきた。ヴィオラ版ではそれがすこし薄まる気がする。シュテークナー先生の録音は「思い詰め系」と「カジュアル系」が高い位置で均衡する。

今井信子先生、サイモン・ローランド・ジョーンズ先生のCDと並ぶ愛聴盤の位置に上り詰めた。

2024年10月25日 (金)

5度上げて無チェロ

我が家の無チェロコレクションの話。元々は申すまでもなくチェロ用なのだが、チェロよりオクターブ高い音が出る楽器ヴィオラにとっても古来おいしい素材だったと見えて、楽譜はもちろんCDも割とよく見かける。

がしかし、これを5度上げてヴァイオリンでとなると楽譜もCDも手薄と感じる。無伴奏ヴァイオリンには、それようにとバッハ自身が用意した渾身の作品群があるから、わざわざチェロ用を移調してまでとは思わないのだろう。無伴奏ヴィオラ作品をバッハが残さなかったから、せめてチェロ用でと思い詰めるヴィオラ奏者とは訳が違う。

ところが、ジュリアーノ・カルミニョーラという名高いヴァイオリン奏者が、その「5度上げ移調版無チェロ」のCDを出していた。

最初はあれっという感じ。無伴奏ヴァイオリン作品の5度下げヴィオラ版よりは慣れない感じ。でも繰り返し聞いていると慣れてくる。もっとCDがあっても良さそうだ。思うに「シャコンヌ」クラスの名曲が含まれないからCDの売り上げが芳しくないという大人の事情もからむ気がする。

2024年10月24日 (木)

無チェロコレクション

さて、ヴィオラの練習指慣しにバッハの無伴奏チェロ組曲ヴィオラ版を使っているけれど、同曲の音源が我が家にどれほどあるのか調べた。録音順に列挙する。6曲すべての録音がない人を青文字にしておいた。

  1. 不明 ウイリアム・プリムローズ Va
  2. 1961 ピエール・フルニエ Vc
  3. 1979 アンナー・ビルスマ Vc
  4. 1985 ミシャ・マイスキー Vc
  5. 1986 ミシャ・マイスキー Vc
  6. 1993 ミルトン・トーマス Va
  7. 1997 サイモン・ローランド・ジョーンズ Va
  8. 1997 ヨーヨーマ Vc
  9. 1997 今井信子 Va
  10. 2000 アレクサンダー・リディン Vc
  11. 2002 ラデク・バボラク Hr
  12. 2004 アントニオ・メネセス Vc
  13. 2005 ジャン・マルク・アパップ Va
  14. 2005 松実健太 Va
  15. 2006 ヤープテアリンデン Vc
  16. 2018 キム・カシカシアン Va
  17. 2020 マルティン・シュテークナー Va
  18. 2020 シモーネ・リブラロン Va
  19. 2022 ジュリアーノ・カルミニョーラ Vn

ヴィオラ版は赤文字にしてある。全部で9種。なかなか壮観。ホルン版があるのが笑える。

 

 

 

2024年10月23日 (水)

日本のヴィシェフラッド

先週、三重県の伊賀上野市に1泊で出張があった。出張では泊まった翌朝の散歩が恒例となっている。同地には立派なお城がある。

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天守閣は昭和10年の再建と聞く。あたりは公園として整備されているのだが、ギリギリに突き詰められてはいない。石段の多くは昔のままだったり遊歩道の舗装も最小限だ。しかし、こちらの印象としてはけしてネガティブではない。築城の名人・藤堂高虎の設計は城本体はもとより城下町の区割りにまで及ぶ。町並みの多くが残されていて散策にはうってつけ。

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そぞろ歩いて見晴らしのいい高台に出た。

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高い石垣に息を呑んだ。これが同城の名所・高石垣だと後から聞いた。人のいない早朝のお城でしばしたたずんだ。

思い出したのがチェコ・プラハ郊外のヴィシェフラッド だ。現地語で高い城だ。こちらの眼下はモルダウ川ではなく堀だが、気分はそのまま。

もうこの街を出張で訪れることもないという感慨とセットであった。

 

2024年10月22日 (火)

初孫生誕3ヶ月

初孫の誕生から本日で3ヶ月。体重も7000gに届いた。順調。

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近所のケーキ屋さんにお願いして「4分の1イヤー」のプレートを書いてもらってお祝いだけはすませてある。3ヶ月は1年12ヶ月の「12分の3」なので約分したと言うわけだ。こういう場合「Year」を単数形のままでいいのか自信はない。娘夫婦に孫、そして曾祖母がわいわいと盛り上がった。

この3ヶ月、曾祖母である母の体調やメンタルへの好影響は想定をはるかに超える。「これほどか」と言葉を失うばかり。もはや「生きる理由」というべき存在だ。わが孫の成長を区切り区切りで祝うことは、同時に曾祖母である母の健康の確認作業である。これを娘夫婦と定期的に行えることは何にも代えがたい。

孫夫婦の来訪の前、母は気合いが入る。何を食べさせるか考える。まだ授乳中の赤ん坊はともかくその母である娘夫婦のもてなしだ。好物の料理を考え材料を買い出す。ひ孫と接する時間を増やすために、来訪後に何もせんでいいようにと準備は事前に終えるという周到さだ。

7kgのひ孫を抱いて立ち上がることなど何の問題もない。

ひ孫が帰った後の寂しさが課題だが、それとて次また会いたいというモチベーションに代えるという無敵のルーチン。

 

2024年10月21日 (月)

剥離一周年

思えば昨年10月20日の朝だった。起床してみると、右目の視界下半分に黒い影が現れた。視線の向け方で解消もするが、やがてはまた復活する。いぶかしく思いながら様子を見ていた。10月27日には次女結婚によってあいた部屋の自室化の工事もあり診察に踏み切れなかった事情もある。

結局近所の眼科に診せたのが10月30日。速攻で大学病院への紹介状が書かれて受診。即入院を勧められたが、そうも行かずに11月6日入院で翌7日に手術と相成った。

人生初の網膜剥離から1年。今は順調。孫のかわいい顔も見放題だ。

そうそうバッハの譜読みにも重宝している。

 

 

 

 

 

2024年10月20日 (日)

深き悩みの淵より

いやはや秋も深まる。「深き悩みの淵より」とは物思う秋にピタリだ。

三位一体節後第21日曜日用「Aus tiefer Not schrei ich zu dir」BWV38だ。イエスがガラリアでお役人の子供の病気を癒やすお話。

ルターのコラールに基づく荘厳なカンタータ。なんと申しても4本のトロンボーンが壮麗だ。第5曲には三重唱がある。ソプラノ、アルト、バスの3名のアンサンブルだ。ディートリヒ・フィッシャー・ディースカウ先生の出番にもなっている。

無理目のこじつけ。ホ短調カンタータがフリギア調気味に始まるのはブラームスの第4交響曲を想起する脳みその構造になっている。そういえばブラームスのop38はチェロソナタ第1番で、ホ短調であった。

2024年10月19日 (土)

チャイルドシート事情

初孫のためのチャイルドシートをマイカーに取り付けた。

我々の子育ての頃にだってチャイルドシートはあったけれど、当時とは規制が段違いに厳しくなっている。抱っこひもで抱いて母親がシートベルトは御法度だ。そのくせタクシーや路線バスには抱っこやおんぶで乗れる。二種免許の運転手さんは、運転が上手だから、そういうことになるのかと感心しきりだ。

で、今どきのチャイルドシートは大きくて頑丈だ。とりつけも難しい。我が家に孫たち家族は同居していないが、頻繁に遊びに来るには、駅との送迎を考えてもマイカーにチャイルドシートはもはや必然だ。とりつけの難しさを考えるに、付けっぱなしが合理的だ。

かくして大人一人分のスペースをがっつり占有することとなり、孫のおらんときには乗車定員が1名減となる。

よいではないか。

2024年10月18日 (金)

メトロノームワーク

15年の放置から覚めて、思い出したように取り組むヴィオラ。演奏会の曲目もそこそこに、指慣しのはずだったバッハに夢中だ。

今さらながらネタが多いが今日は極めつけ。

メトロノームだ。

練習にメトロノームが欠かせなくなった。若い頃は大切と知りつつ遠ざけてもいたが今はこれなしではいられない。楽譜にメトロノームテンポの指定なんぞあるはずもないから、自分で決めている。曲中のもっとも細かいところ、あるいは難所をカラリと弾ける位のテンポ。作曲者バッハが望むまでも無く舞曲には古来踏襲されてきた適正なテンポがあるはずだが、それはひとまず無視。やがてそうしたテンポで弾けるようになるための準備と自ら位置付けている。

ゆっくり弾けねば絶対に早くは弾けない。

演奏会の演目にしたって遅いテンポでいいから、ひとまず楽譜上の音はたどれるレベルにしてから、練習にのぞみたいものだ。

指回しの他に、ゆっくり弾いている間にやれることは山ほどある。右手の収まり、譜読み、ポジションなどなどだ。CDやDVDの演奏がいかに揺れているかも実感できる。

2024年10月17日 (木)

意外と手薄

カール・リヒター先生関連の参考文献2種「カール・リヒター不滅のバッハ伝道師」「カールリヒター論」のお話。紙で読める数少ない情報源として重宝している。リヒター先生とバッハの関係に光があてられている。

では、あるのだが小さくない疑問もある。

カンタータや受難曲の収録にあたって競演している演奏家たちへの言及が思いのほか少ない。アリアを歌う歌手たちへの言及がもっとあってもよさそうなものだ。ペーター・シュライヤー先生やディートリヒ・フィッシャー・ディースカウ先生だってほぼスルーだ。こうした歌手たちとの関係に興味があったのだが肩透かしをくった感じ。オーボエのクレメント先生も、フルートのニコレ先生もスルーされている。

カールリヒターの本なのだから仕方ないとはいえ、愚痴の一つも言いたくなる。

 

2024年10月16日 (水)

軸足楽器

オーボエのクレメント先生やお弟子さんのシェレンベルガー先生の妙技にすっかりはまっているところだ。

オーボエ以外の楽器にも聞き所が多い。

フルートではオーレル・ニコレ先生やペーター・ルーカス・グラーフ先生だし、トランペットはピエール・ティボー先生だ。ホルンにだってヘルマン/バウマン先生など私がクラシックに目覚めた頃既に名が知れていた名手たちの演奏が聴ける。

あるいは独奏ヴァイオリンにも出番が多い。数は少ないがヴィオラやチェロにだって独奏がある。

ディートリヒ・フィッシャー・ディースカウ先生をはじめとする歌手たちばかりに注目していたら、そうとうもったいない。

2024年10月15日 (火)

リヒター先生のお誕生日

本日はカールリヒター先生のお誕生日。1926年のお生まれなので今年は98回目のメモリアルデーだ。

一年間、教会暦をカンタータでたどる企画をと思いついたのはリヒター先生のカンタータ選集の録音あってこそだ。だから企画の恩人。

やはり恩人の誕生日ははずせぬ。

本当にありがたい。

2024年10月14日 (月)

ヴィオラは光

それにしてもだ。BWV5の第3曲「あなたは神の泉」は特異な編成だ。テノール独唱と通奏低音、そしてそしてヴィオラ独奏。これだけだ。バッハの全カンタータを見回してもこれしかない。

変ホ長調4分の3拍子。突き詰めないテンポながら連続する16分音符がスラーでくくられながら、時に流れ時に淀みテノールに付き従う。

冒頭のアウフタクトはB音の4分音符1個。ここから満を持して6度上のGにせり上る。深々としたBだ。BWV140の「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」と同じBの4分音符1個のアウフタクト。

野望。これ弾きたい。なんとかしたい。

2024年10月13日 (日)

装いせよ我が魂よ

三位一体節後第20日曜日用「Schmucke dich,o liebe Seele 」BWV180だ。説法の内容は婚礼の招待客の比喩で天の国に招かれる招かれないの説明だ。同カンタータ冒頭はその描写かとも言われている。独唱は4名ながら、フルート、オーボエとイングリッシュホルン。どうした都合かクレメント先生は降り番だ。

ディースカウ先生の出番はレチタティーボだけ。第4曲アルトのアリアが聞き所か。珍しくピッコロチェロ独奏の伴奏が聴ける。

2024年10月12日 (土)

アルマンドマニア

BWV1004は大好きだ。無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータニ短調だ。そのト短調版をリダウト先生に聴かされて打ちのめされたが、こちらはただでは起きぬ筋金入りのドアマチュアだ。同曲の第1曲だけはなんとかならんものかと弾き始めた。重音が限定的なので、テンポ緩めてスラーぶった切りなら、音だけはたどれる。

そう第1曲のAlmandaだ。アルマンドと通称される舞曲。ドイツ舞曲だ。突き詰めないテンポの4拍子。必ず冒頭にアウフタクトを伴う。これがなぜ「ドイツなのか」なお深い事情があろう。

そういえば、無伴奏チェロ組曲ヴィオラ版の6曲をいいとこ取りのつまみ食いをしているうちに、どの曲も前奏曲の次に置かれるアルマンドが気にいった。「♪=80」程度にメトロノームを設定して弾くと指慣しに格好の素材となる。遅いといえば遅いがアルペジオも重音もなんとか様になる。特にBWV1007ト長調、BWV1008 ニ短調、BWV1009ハ長調、BWV1010変ホ長調の4つはさらさら流れる。BWV1011ハ短調とBWV1012ニ長調は一旦棚上げだ。

ドイツ好きたるもの、アルマンドははずせぬ。

2024年10月11日 (金)

5度下でつまみ食い

ティモシー・リダウト先生の余韻に浸っている。

我が家に、バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータのヴィオラ編曲版の楽譜がある。無理を承知で昔買い求めたものだ。それをめくりながら、過日のリサイタルを思い出している。元々独奏ヴァイオリン用にと書かれているが、それをヴィオラで弾こうという編曲だ。5度低く移調することで、同じフィンガリングで弾けるという寸法だ。楽器の大きさからくる取り回しや、発音の感度を別にすれば、無伴奏ヴァイオリン作品でバッハが想定した効果をそのまま期待できる。

理屈はともかく思い出すだにすごい演奏だった。

自分で弾くのはほぼ無理。無伴奏チェロ組曲のヴィオラ版よりは、数段難易度が上だ。シャコンヌはとにかく重音が物理的に無理だ。指が届かぬ。がむしろ、決定的に無理なのが右手だ。先般のリダウト先生の妙技の過半はやはりボウイングなのだ。自在に弓が操れてこそなのだと当たり前のことを再認識。

だから重音の出ない曲を、テンポ無視スラー無視でつまみ食いする程度。

すごい演奏に触れて、自分と比べての絶望的な差におそれおのおいて、楽器を遠ざける愚だけは犯すまい。

2024年10月10日 (木)

MVC

ティモシー・リダウト先生のヴィオラリサイタルの話。プログラムのトリが、バッハだった。無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ2番BWV1004のヴィオラ版だ。原曲ニ短調を5度下のト短調に移調したバージョン。当然ラストは例のシャコンヌだ。

みんなこれ目当てだろう。当夜、そこまでの演奏が素晴らしかったので期待は高まるばかりだったが、やはりすごかった。ヴィオラでの演奏だということをいつしか忘れて夢中。

私が生で聞いた中では過去最高のシャコンヌだった。名付けて「Most Variable Chaconne」略して「MVC」である。しかも29歳は最年少生シャコンヌでもある。ヴィオラの暖かい音色が切れ味とも共存する。楽器の取り回しや、発音の遅さなど普段取り沙汰されるヴィオラの特色なんぞわかった上で、さらにヴァイオリンにない境地を示してくれた。

なんといっても楽器の鳴りだ。売りはそこなのだろうが、頻発する重音の音程も完璧。テンポは軽快をベースに聞かせところではほのかに揺れもする。自在かつ周到のバランスが絶妙だ。

変にアンコールを弾かなかったも見識の一つと見た。

2024年10月 9日 (水)

無伴奏ヴィオラの夕べ

先週金曜日10月4日だった。都内でヴィオラのリサイタルを聴いてきた。

ティモシー・リダウト先生による古今の無伴奏ヴィオラ作品を集めたコンサート。

最近、私自身がヴィオラを練習し始めていることもあって、興味津々というばかりに出かけたが圧倒された。

聞けば先生の生年は1995年。つまり我が家の次女と同い年。新進気鋭の若手奏者という謡い文句だが、その演奏は堂々たるもの。

これがヴィオラの音かという驚き。楽器を通じて小さなホール全体が共鳴する感じ。ヴィオラ独特の暖かくてまろやかな音色なのに切れ味めいたメリハリもついて回る。特にだ。バッハやテレマンなど、元々ヴァイオリン用にと書かれた作品を5度下げてヴィオラで弾いているというのに、いつしかそれを忘れた。

 

2024年10月 8日 (火)

初宮参り

一昨日の日曜日、初孫の初宮参りだった。車で45分の神社まで母を連れて行った。本来生後33日目らしいが、猛暑を考慮して延期していた。目論見通りの涼しさで安堵した。本人は140ccのミルクを一気飲みの後、「ややこしい儀式はお断り」とばかりに60分ほど豪快に寝込んだ。

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抱き手が代わろうが、太鼓が響こうがぐっすり。おでこに魔除けのお印を貼ってもらうも熟睡。

ここでもまた曾祖母の威光は絶大。6700gのひ孫を悠々と抱いて感激の記念撮影。眠り続ける赤子に代わって主役級の位置付けだった。

両家が一同に会するのは昨年の結婚披露宴以来だが、「孫、超かわいい」で一致。

2024年10月 7日 (月)

我は喜びて十字架を背負わん

豊作とはこのこと。三位一体節後第19日曜日用は昨日BWV5を紹介したばかりだが、リヒター先生の選集にはもうひとつ「Ich will den Kreuztab gerne tragen」BWV56が採用されている。BWV82と並ぶバス用カンタータの最高峰だ。

全5曲のほぼ全てにバスの出番がある。当然ディートリヒ・フィッシャー・ディースカウ先生の縦横無尽の歌いっぷりだ。第1曲冒頭は珍しくセカンドヴァイオリンの見せ場。2番オーボエと重なっているものの、満を持した重厚なとっておき感がうれしい。第2曲のバスのレチタティーボは、通奏低音とバス独唱の他に、繊細な独奏チェロが加わる。16分音符が延々と連なるアルペジオと説明しては身も蓋もない、奥行きと味わい。いやもうエチュードめいた楽譜面ではあるのだが、和声の移ろいを映してやまない絶妙なタッチに息を呑むばかり。そしてそして第3曲のアリアは、事実上「オーボエとバスのための二重協奏曲」だ。もちろんオーボエはクレメント先生というお宝。

 

2024年10月 6日 (日)

我はいずくにか逃れゆくべき

三位一体節後第19日曜日用「Wo soll ich fliehen hin」BWV5だ。さまざまな場面でバッハの人気カンタータランキングめいたものを見かけるが、このBWV5は漏れていることも多い。がしかし、私なら絶対に採用する。しかも上位に来る。当日の説教はといえば中風の人をイエスが癒やす奇跡譚だ。

ディートリヒ・フィッシャー・ディースカウ先生の出番としては第5曲「黙りなさい、地獄の者どもよ」が秀逸。華麗なトランペットの三連符の刺繍が付き従う。ディースカウ節の炸裂が聴ける。

がしかし、このカンタータが脳内不滅の位置にあるのはひとえに第3曲のテノールのアリア「あなたは神の泉」のおかげだ。ペーターシュライヤー先生のテノールに通奏低音まではいいとして、なんと独奏ヴィオラの華麗な伴奏が絶品だ。ヴィオラ奏者のタメスティ先生がバッハのリサイタルのアンコールでお弾きになったほどの出番。ヴィオラはこんこんと湧き上がる泉・ドイツ語「Quelle」の上質の描写と映る。と同時にそよぐ風や差し込む光まで届いてくるほど。

2024年10月 5日 (土)

空白の言い訳

職場オケの発足で楽器を取り出したのがおよそ15年ぶりだと繰り返している。その15年前になぜ楽器を触らなくなっていったのか記憶をたどっているところだ。

1992年今の巨大ヴィオラの購入後しばらくは定期的に弾いていた。室内楽ばかりだ。で2007年に今の弓を買った。2009年に長女の高校受験があって、楽器の演奏がはばかられるようになった気がする。予算の関係で間取りをケチったから私は自室をもっていなかった。楽器の練習はイコール家族への気兼ねとなっていった。CDやDVDの鑑賞も自粛するようになった。

もう一つは金回りだろう。住宅ローンの返済に子供の教育費で楽器どころではなくなっていったというのがもっとも正確な説明かもしれぬ。

2024年10月 4日 (金)

自己メンテ

懇意にしている楽器の主治医とときどき話をする。何気ない話だが本当にためになる。

いわく。

楽器の最良のメンテナンスは頻繁に楽器を弾くことです。

おおおお。

ケースを開けて空気にあてるだけで違うとも。取り出して音を出す。自分の弾く音を聴く。満足して練習を終える。ケースに戻す前に楽器と弓を拭く。柔らかい布でから拭き。またねとばかりにケースを閉じる。

これを頻繁に行うことがご自身でできるメンテナンスなんです。しかもお金はかかりません。加えて、なんとなんと運がよければ上達もするんです。

よいことだらけ。

15年放置はもう取り返しがつかないが、このあとずっと償って行こうと思う。

2024年10月 3日 (木)

音楽室プロジェクト

次女が結婚により巣立ったことで、その部屋が空いた。そこがやっと念願の自室になったことはすでに書いてある。昨年10月の模様替えでついに私は自室を持った。CDやDVDの鑑賞が思いのままになった。

そこで止まった。CDやDVDの鑑賞が自由にできるようになってうれしかった。がそこまでだった。

同じ頃、職場にオケが発足した。ヴィオラでこれに参加することになって楽器を取り出して練習を始めた。そこから半年、初演奏会の開催が決定し、練習に励む中から、楽器を弾く面白さを再認識するに至った。

そうだ。自室はこのためにあったのだ。CDやDVDの鑑賞の他、楽器を気兼ねなく弾くためにこそ必要な自室だった。雨戸を閉めれば音が隣家に聞こえることはない。

鑑賞オンリーだった自室が事実上の音楽室になったということだ。老後の最大の備えが、この音楽室だという自覚がやっとわいてきた。

2024年10月 2日 (水)

テレワークという光明

有休消化をかねたお盆の12連休を、「一人夏合宿」と位置づけてヴィオラの練習に励んだ話はしてある。毎日最低2時間は楽器に触れることをノルマとして自分に課した。学生時代ではあるまいしという気後れもあったが、めでたく達成した。

バッハの「無伴奏チェロ組曲ヴィオラ版」が暗躍した。とにかく面白くて飽きない。最低2時間楽器に触っていられたどころか、多い日には4時間という日もあった。これはひとえにバッハの同曲集のおかげだ。

問題はその後だ。さすがに平日にこれは難しい。がしかし、それを補うのが在宅勤務である。

在宅勤務をすると片道60分の通勤時間が消滅する。往復120分が自分のために使える。これ全部楽器に触っているのは無理としても60分なら望みはある。

平日は毎日楽器に60分触っていようと思う。

そう、世はまさに芸術の秋。

2024年10月 1日 (火)

コーヒーカンタータ

BWV211を背負う本作は、初演日がはっきりしない。ブログ「ブラームスの辞書」でカンタータでたどる教会暦の企画上、いつ記事を発するかについて課題になっていた。

ものの本によると今日はコーヒーの日ということで、無理矢理本日の公開とした。

作品は、コーヒー好きの娘とその父親のコミカルなやりとり。他愛ないと言って軽視してはいられぬ。なんと言ってもアメリンク盤一択。父親役をディートリヒ・フィッシャー・ディースカウ先生が歌っているCDもあるにはあるが、やはりアメリンク。

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ブラームスの辞書写真集

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    はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
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