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2024年11月30日 (土)

引き継ぎの宴

来年1月末の嘱託満了に備えての動きだ。一昨日までに、「後任をよろしく」という主旨の飲み会やランチ会が全て終わった。

私の退任が1月末なので年末年始の繁忙期と重なることもあって、引き継ぎは今月をもって一区切りとなる。あとは日々発生するトラブルとまでは言えないような小ネタに誠実に向き合って場数を踏む2ヶ月としたい。

飲み会はオケの打ち上げが残るのみ。

2024年11月29日 (金)

BWV140の魔力

カール・リヒター先生についての書物で、共通して論じられているのが、リヒター先生とバッハの出会いのエピソードだ。

少年時代にはじめて接して感動した作品が名指しされている。BWV140「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」だ。とりわけ第4曲のテノールのアリアだ。独唱に先立つヴァイオリンとヴィオラのユニゾンの部分に心酔したことがバッハの傾倒のきっかけだったと回想されている。

同曲のリヒター先生の演奏は群を抜く。ピリオド楽器含め様々な音源があふれた現代、それらを手元において自在に聴き比べもできるのだが、リヒター先生のその場所の聞かせ方は最高だ。同じフレーズが2小節後に確保される場所の、ピアニシモに打ちひしがれるかの美音は、どんな解釈も吹き飛ぶ。ピリオド楽器がどれほど「バッハ時代の忠実な再現」と力説しても私の心が動かない原因の一つとまで断言できる。

2024年11月28日 (木)

カンタータ楽曲ランキング

昨日カンタータの脳内ベスト5を選定したばかりだ。カンタータは複数の楽曲の集まりだ。カンタータ総合では先の5曲でいいのだが、それらを個別の楽曲で見るとまた代わってくる。というわけで楽曲別のベストを選定しておく。交響曲で申すなら楽章別ベストの選定に相当する。

<第1位> 「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」BWV140の第4曲。悩んで悩んでこれ。ヴァイオリンとヴィオラのユニゾンを従えたテノールのアリア。元のコラールの存在をかすませるバッハの技法。

<第2位> 「我は満ち足れり」BWV82の第3曲。バスのアリア。こちらが一位でも申し分ない。バス最高の聞かせどころ。

<第3位> 「我が片足は墓穴に」BWV156第1曲のシンフォニア。声楽なし。オーボエが織りなす可憐なモノローグ。

<第4位> 「我は満ち足れり」BWV82の第5曲。事実上バスとオーボエの二重協奏曲。

<第5位> 「我はいずこに逃れ行こう」BWV5の第3曲テノールのアリア。光の描写としてのヴィオラ独奏が宝物。

<第6位> 「神は固き砦」BWV80の第2曲。バスとソプラノの二重唱。

<第7位> 「満ち足りる安らぎ」BWV170の第1曲。アルトのアリア。

<第8位> 「キリストは死の縄目につながれたり」BWV4の第6曲バスのアリア。

<第9位> 「いかにはかなき、いかにむなしき」BWV26の第5曲バスのアリア。

<第10位> 「我は喜びて十字架を背負う」BWV56第3曲バスのアリア。

切りが無い。切り口がバスとオーボエに偏ってしまうのはご愛敬だ。

 

 

2024年11月27日 (水)

マイカンタータ

リヒター先生の録音を頼りに、バッハのカンタータで巡る教会暦の企画がコンプリートした。めでたしめでたし。この辺で大好きなカンタータをランキングしておく。あくまでも今日の時点の評価だ。

<第1位> 「我は満ち足れり」BWV82

不動の位置。ディートリヒ・フィッシャー・ディースカウ先生最高の聴かせどころ。5曲全てに出番がある。クレメント先生のオーボエとの二重協奏曲という側面も見逃せない。

<第2位> 「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」BWV140

三位一体節後第27日曜日用つまり教会暦の年末どん詰まりで、年によっては存在しないレア祝日用。第4曲のテノールのアリアを頂点にしみじみ、ほのぼのではあるのだが、キレッキレのオーボエも聴ける。

<第3位> 「神は堅き砦」BWV80

宗教改革記念日用のカンタータ。ソプラノとバスの二重唱にユニゾンの弦が絡む第3曲を頂点にルター作のコラールをかみ砕く。

<第4位> 「我はいずこに逃れ行こう」BWV5

第5曲バスのアリアにおけるディートリヒ・フィッシャー・ディースカウ先生の剣幕が山場ではあるのだが、第3曲のテノールのアリアを可憐に縁取る独奏ヴィオラが秀逸。

<第5位> 「満ち足れる安らぎ」BWV170

アルト用アリアの最高峰。リヒタ-先生の選集に収録がないが特別にランクイン。

 

2024年11月26日 (火)

バッハと出張

先日、会社生活最後の福岡出張に行ってきた。往復新幹線。ポータブルCDプレイヤーを持ち込んでバッハを聞きまくった。

  • 無伴奏チェロ組曲ヴィオラ版
  • ブランデンブルク協奏曲第6番
  • 無伴奏ヴァイオリンソナタとパルティータヴィオラ版
  • ガンバソナタ ヴィオラ版
  • オルガンのためのトリオソナタ オーボエとヴィオラ版。
  • インヴェンション ヴァイオリンとヴィオラ版

できるだけ楽譜も持ち込んで聴いた。往復で10時間になるがまったく退屈しなかった。

2024年11月25日 (月)

目覚めよと呼ぶ声が聞こえ

昨日は三位一体節後第26日曜日だった。だから来週の日曜日が「三位一体節後第27日曜日」かというとそうは参らぬ。来週の日曜日はクリスマスの4つ前の日曜日になるので、待降節になってしまう。

だからその三位一体節後第27日曜日用の「Wacht auf,ruft uns die Stimme」BWV140を本日取り上げる次第。三位一体節後第27日曜日は希にしか現れないから、この作品もなかなか上演の機会がなかった。

けれども脳内カンタータランキングでは上位の常連だ。第1曲冒頭の付点リズムの連なりを聞くと「年の瀬感」が脳内に充満する。特徴的なのは2重唱のアリアで、その第2曲や第6曲にあるオーボエの出番もマンフレート・クレメント先生の極上の見せ場だ。

がなんと言って第4曲だろう。ヴァイオリンとヴィオラのユニゾン変ホ調。この旋律は私の結婚披露宴の来賓入場のBGMだった。その披露宴は11月25日で、本カンタータの初演日という小細工を楽しんだ。

で、あまたある同曲のCDの中でもリヒター盤が脳内最高位に長年君臨する。第4曲冒頭の弦楽器の4分音符1個の「B音」の響かせ方が他に類を見ない。

2024年11月24日 (日)

目を覚まして祈れ

「Wacht betet,seid Bereit Allezeit」BWV70は2部構成の大規模カンタータ。バッハ特有のパロディだ。もともと待降節後第2日曜日用にとワイマール時代に書いた作品をもとに、ライプチヒ着任後に三位一体節後第26日曜日用に改作したもの。

第1曲は当日の説法に合わせて、神の裁きを前にした人々の心を描写する。トランペットの大ファンファーレが先導する。第3曲アルトのアリアに独奏チェロが付き従うのもうれしい。

紆余曲折あるけれど第10曲のバスのアリアが「この紋所が目に入らぬか」調で締めくくる。ディートリヒ・フィッシャー・ディースカウ先生お得意のパターン。

2024年11月23日 (土)

憧れのフェストビア

先日都内某レストランにてドイツはミュンヘンの大醸造所ハッカープショルのオクトーバーフェストビアを賞味してきた。

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オクトーバーフェスト現地では同社のテントは人気が高く、なかなか入れ無いとも聞く。昔ミュンヘンを旅行したが瓶で我慢した記憶がある。

この度やっとありついた。甘みと切れがほどよく同居するなどという月並みの説明では到底伝わらぬ。

幸せだ。

 

 

2024年11月22日 (金)

タッチセンサー

孫と接していてつくづく不思議なことがある。

孫を抱く姿勢だ。座って抱いているうちに泣き出す。しばらくあやしても泣き止まないとき、立ち上がってみるとけろりと泣き止む。で、座るとまた泣き出す。こんなことが珍しくない。

立っているか座っているか、赤ん坊は分かるのだろうか?どうして見分けているのだろう。まさか天井との距離を目で測っているのかとも思った。座ってあやすときの揺れと、立ってあやすときの揺れを感じ取っているというのが直感だが定かではない。

精巧なセンサーがついているとしか言えない。

名付けてタッチセンサーだ。

本日初孫生後4ヶ月。3分の1イヤーのバースデー。

 

 

2024年11月21日 (木)

A線はラー線

「エチュード変ロ長調」としゃれこんでブランデンブルク協奏曲第6番をさらい込んでいる。

A線の鳴りにやや不満を感じるようになった。同曲への取り組みが始まってすぐ、小さくない違和感が生じた。テクニックの未熟を弦のせいにするのはもっての他ではあるのだが、私のテクニックは4本どの弦を弾くにも同様に未熟なのに違和感を感じるのがA線だけとなると、やはり弦に原因を求めてもいいのではと思い始めた。

楽器をメンテナンスし、4弦全てをヘリコアに代えたばかりではあるのだが、1週間前にA線のみラーセンに取り替えた。2ヶ月しか使っていないヘリコアは非常用スペア弦としてとってある。

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デンマーク製。お店の人に悩みを打ち明けると「価格がお高くはあるのですが」と前置きしながら勧めてくれたもの。

第一印象としては、明るくてレスポンスがいい。良くも悪くもオープン。バッハ弾くならもう少し陰影も欲しいところだが、そこはこちらの腕前とのかねあいもあるので、弦のせいにしてはなるまい。

なじむにはもう少し時間がかかるかと。

2024年11月20日 (水)

ソートキー不全

昨日、我が家のブランデンブルク協奏曲の第6番のコレクションをとりまとめた。

録音年順に列挙したが、ひとまず「演奏団体名」をキーに表示しておいた。しかしソリストがジギスワルト・クイケンの演奏には団体名の記載がない。著名なピリオド楽器奏者の集まりでの演奏という事情もありそうだ。

そうした目で見てみると、ブランデンブルク協奏曲第6番の演奏は「演奏団体」「指揮者」「ヴィオラ奏者」の3つどれで表そうとも、最低1つは「不明」の演奏が出てしまう。

そりゃバッハだから指揮者なしの演奏はあるに決まっているとして、演奏団体名は名はともかくヴィオラ奏者の名前も書かれていないこともある。これはあんまりだ。ブランデンブルク協奏曲全6曲のうち、ソリストの名前不記載があるのは6番だけだ。

かといってヴィオラ奏者の腕前の披露という楽曲でもない。ヴィオラ奏者の名前を前面に押し出しにくい事情も透けて見える。

 

2024年11月19日 (火)

ブラ6コレクション

エチュード変ロ長調、ことブランデンブルク協奏曲第6番に親しんでいる。我が家には同曲の録音がどれほどあるのか調べた。録音年順に列挙する。

  1. 1965 イムジチ
  2. 1965 コレギウムアウレウム グスタフ・レオンハルト指揮
  3. 1968 ミュンヘンバッハ管弦楽団 カールリヒターCem
  4. 1972 ベルリン室内楽団 ヘルムート・コッホ指揮
  5. 1973 パイヤール室内管弦楽団
  6. 1976 (ジギスヴァルト・クイケンVa)
  7. 1978 ルツェルン室内管弦楽団 ヨゼフ・スークVa
  8. 1982 イングリッシュコンサート ピノック指揮
  9. 1983 ライプチヒゲヴァントハウスバッハ管弦楽団 カール・ボッセ指揮
  10. 1997 ベルリン古楽アカデミー 
  11. 2000 バッハコレギウムジャパン
  12. 2010 ナショナルコンソール ファビオ・ビオンディVa
  13. 2021 ベルリン古楽アカデミー アントワン・タメスティVa

さすがに古い録音が多い。どれもみな思い出深い。これらをUSBに取り込んで連続再生する。第一楽章だけ一気、ついで第二楽章だけ、第三楽章だけなとどいうおタクな聴き方も自由自在だ。

2024年11月18日 (月)

ステージリハーサル

演奏会本番の会場で、練習を行うことくらいの意味か。「ステリハ」と略す事も多い。「ゲネプロ」とも違う。

先日職場オケのステリハがあった。

本番の会場は、本社玄関ホールの特設会場だから、ステリハもそこで執り行われた。普段多くの人が行き交う玄関ホールを、練習のために封鎖して椅子を並べ会場を設営するのだ。裏方事務局の根回しや準備には頭が下がる思いだ。

その感謝を演奏に込めてきた。

本番まであとおよそ1ヶ月。やれることはまだまだある。

2024年11月17日 (日)

汝平和の君イエスキリスト

三位一体節後第25日曜日用「Du Friedefurst,Herr Jesu Christ」BWV116だ。

クレメント先生のオーボエダモーレを筆頭に聞き所が多い。とりわけ第4曲の三重唱だ。ディースカウ先生とペーター・シュライヤー先生、エディット・マティス先生の競演が聴ける。

三位一体節自体が移動祝日で、そこを起点に何番目とカウントするから、三位一体節が遅い年は、このあたりで教会暦の年末になってしまうことも出てくる。第26日曜日や第27日曜日が存在しない年もおおいということだ。

いよいよ押し詰まった感じになってくる。

2024年11月16日 (土)

卒業旅行もどき

多くは大学卒業の記念旅行か。昔娘らも出かけていた。

これに習って私も、試してみた。嘱託満了をおよそ2ヶ月半後に控えて、ささやかな卒業旅行を企てた。

目的地は北海道函館と松前。JR東北新幹線のグランクラスで往復するという魂胆。目的地が函館なのはそのせい。

グランクラスへの乗車が目的ではあるのだが、あちらで一泊しレンタカーを借りて松前まで足をのばした。

現地の食事はイカとラーメン。少々の刺身とスイーツ。

ひとまず天気に恵まれてコートが要らぬ位の陽気だった。

2024年11月15日 (金)

楽器の鳴り

「エチュード変ロ長調」ことブランデンブルク協奏曲第6番との格闘を通じて、学生時代のヴィオラ生活を思い出してきている。今思うとあの頃はレッスンの課題でしかなかった。先生のお導きに忠実ではあったが、バッハや楽典の知識もまだまだ不足気味だった。あれから40年経過してバッハへの思いの他、音楽の知識一般は見違えるほど堆積してきている。

全然違うのだ。バッハへの思い、音楽の知識をがたまった上で練習をすると聞こえてくるものがある。

とここまでは既にブログで語ってきた。

学生の頃とのもっとも大きな違いがある。

それは楽器だ。大学3年までは入学後購入した7万円のチェコ製の楽器だった。そして4年の春にアルバイトして買ったドイツ製の楽器。92年に今の巨大楽器を購入するまで使い続けた。

その巨大楽器は大きさから来る取り回しの悪さに目をつむって、鳴りに一目惚れして衝動買いしたものだ。だから楽器の鳴りが違うのだ。例えばブランデンブルク協奏曲第6番の第1楽章を象徴する下降する分散和音がC線に差し掛かるときの楽器の底鳴りが格段に違う。あるいはG線上第1ポジション薬指で取るC音がはまったとき、隣の開放弦のCがかすかに、しかしはっきりと共鳴するのだ。C線の開放弦は、1度弾くとちょっとの間響き続けるから、事実上保続低音が実現する。これら全て今の楽器の鳴りがあってこそ実感できる。

あるいはあるいは、もしかして歳を重ねて少しは耳も肥えているかもしれないい。

 

2024年11月14日 (木)

ドイツ式音名のまさか

先日ヴィオラの第二ポジションを2系統に分けた。G線上の人差し指で取る音を元に「B型」「H型」と命名してみた。

その過程でまた妄想が膨らんだ。

ドイツ式音名はなぜ「シのナチュラル」を「H」と呼ぶのだろう。英語圏では「B」だ。ドイツ式で「シのフラット」は「B」なのに英語圏では「B♭」と呼ぶ。ついでに申すならイタリアなどラテン系でも「シのフラット」はあくまでも「シの派生」だ。

なぜドイツ式だけが「H」「B」と呼び分けるのだろう。隣り合う半音に独立した文字を当てているのは、ドイツ式においてもここだけだ。

なぜだろう。私の知らぬ歴史が一つや二つ隠れていそうだ。

いいではないか。

音名に「H」を加えることで何が起きるか考えてみるといい。

「BACH」という綴りが完成するではないか。AとCの1音半がかくも濃密に音名となる。

私はこの結論で満足。

2024年11月13日 (水)

臨時記号の素性

ブランデンブルク協奏曲の第6番を「エチュード変ロ長調」と称して練習している。ひとまず第一楽章に話を限ってみる。もちろんフラットは2個。「シ」と「ミ」につく。同楽章に現れる臨時記号を以下に列挙する。

  1. ナチュラル BについてHを作り出したりEsについてEをひねり出したりしている。
  2. フラット Aについて変ホ長調を作り出すが、変イ長調テイストの時もある。Dにつく場合、これは大抵変ホ長調の属7だろう。
  3. シャープ CやFにつく。これらは大抵ニ短調やト短調のしるしだ。

だいたい上記の6種類だ。実は最近の練習では一つ一つの臨時記号の意味を弾きながら考えている。同曲の全体の調としては変ロ長調とひとまず押さえながら、曲の流れでそれらがどのように移ろうのかが楽しみだ。

学生の頃この曲に取り組んだが、先生からは「味わいなさい」と言われてはいてもあまりピンと来ていなかった。長い中断を経て歳を重ね、今先生の言っていたことがやっとわかってきた。

調性や和声について知識がたまった。今何調で次どこに行くのかが楽しい。重音やアルペジオを弾きながらそれがわかるのは、フィンガリングにも役立つ。ときどきバッハがそれらを逆手にとるのも楽しい。

2024年11月12日 (火)

シャープ苦手

私のことだ。楽譜各段左端に付与される記号はシャープとフラット。ナチュラル左端には来ない。もちろんダブルシャープやダブルフラットもだ。だから話をシャープとフラットに限る。CDやDVDを鑑賞しているだけならこのようなことは言わない。

ヴィオラ演奏に際しての私の癖だ。

大学入学後初心者でヴィオラを始めた私は、およそ9ケ月後に初演奏会を迎えた。ブラームスの第二交響曲だ。これはニ長調でシャープが2個。同曲の第2楽章がなんとシャープ5個のロ長調だった。これが今に至るも続くシャープ苦手の原点だ。さらに次、2年生春の演奏会では、ベートーヴェンの第3交響曲とブラームスの大学祝典序曲。曲頭だけでいうならフラット3個だ。ところが加藤知子先生をソリストに迎えたメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲のフィナーレがシャープ4個で凍り付いた。第1楽章のホ短調はシャープ1個なのだが、短調は厄介でDにちょくちょくシャープがつく。これが混乱に拍車をかけた。

そうだ。エロイカ交響曲の変ホ長調の主音と異名同音だというのにこの嬰ニ音がどうにもこうにも様にならなかった。

試しに異名同音を以下にいくつか列挙する。

  1. AisーB
  2. Cis-Des
  3. DisーEs
  4. Fis-Ges
  5. Gis-As

赤文字にした方が使い勝手がいい。2と4は引き分け。フラットvsシャープの争いなら3勝2引き分けでフラットの勝ちだ。

私だけだろうか。

 

2024年11月11日 (月)

いかにはかなき、いかに空しき

三位一体節後第24日曜日用「Ach wie fluchtig,ach wie nichtig」BWV26だ。リヒター先生の選集には同日曜日用にはBWV60も採用されているが、ディースカウ先生の出番があるのはこちらだけなので、ついこちらを聴きがちだ。

特にだ。

第4曲バスのアリアは大のお気に入り。ディースカウ先生が世俗の宝なんぞ無用の誘惑に過ぎないと熱唱するのだが、、それに先立って3本のオーボエが無情の雰囲気を決定的にする。マンフレート・クレメント先生の屈指の出番でもある。

バスの出番とてもオーボエの出番としても最高級だ。

 

2024年11月10日 (日)

おお永遠そは雷の言葉

三位一体節後第24日曜日用「O Eigkeit,du Donnerwort」BWV60だ。亡くなった娘をよみがえらせたりの奇跡譚だ。

BWV60はアルト、テノール、バスの3名の独唱を伴う。それぞれ「恐れ」「希望」「キリスト」を演ずるオペラテイストになってはいるのだが、残念なことにディースカウ先生もシュライヤー先生も降り番だ。

恐れと希望の言い争いの仲裁役がキリストという位置付けか。

 

 

2024年11月 9日 (土)

巨大楽器の指回し

我が愛器・胴長45.5cmの巨大ヴィオラの話は再三している。その大きさには取り回しの苦労がついて回る。

たとえばG線を例に取る。

第1ポジションで人差し指がA音となる。これにピタリと寄り添って中指がB音を取る。薬指でC、小指でDをと書くのはたやすい。中指を人差し指にピタリと寄せると小指で取るD音が低くなりがちだ。「第一ポジションの長三度を2と4で取りにくい現象」が起きる。歯を食いしばり気味に「よいしょ」とばかり小指を伸ばすと中指がずれ上がる。遅いパッセージならそれもありだが、早いテンポや重音だと困る。

この長三度の重音はシャコンヌの冒頭にいきなり来る。オリジナルのヴァイオリンだと低い方から「DーF-A」だが、5度低いヴィオラ版では「GーB-D」となる。一番上はD線の解放弦だが、GはC線上を小指で取り、BはG線上中指でとなる。この時小指と中指が開かぬ。あるいは届いても、いらぬところで指が弦に触れるのできれいな重音にならない。

しからばと考える。

この音を中指と小指で取らずに人差し指と薬指で取ればいいのだ。

何のことはない、これは先日述べた第2ポジションの分類のうちの「B型2ポジ」にあたる。「2と4の拡張を回避するため」とでも言えようか。実は第2ポジションの2つの形「B型」と「H型」のうちB型が断然重宝するのは、この用法のせいだ。

フラット系楽曲の演奏に重宝するB型が、巨大楽器の取り回しのツールにもなるということだ。第1ポジションだと拡張に難があるこの長3度をヴィオラの各弦でどうなるか以下に示す。

  • C線 Es-G
  • G線 B-D 
  • D線 F-A
  • A線 C-E

これだけ見ればこの長三度がどれだけ実演上貴重かわかることと思う。そうとりわけフラット系の作品で重宝する。

 

2024年11月 8日 (金)

ポジションの2分類

第二ポジションが苦手と書いた。変ロ長調はその克服によい。一口に第二ポジションと申しても実は2系統ある。

G線を想像いただく。G線上のB音の位置に人差し指をのせるパターンと、G線上のH音のを人差し指で取るパターンだ。行きがかり上前者を「B型2ポジ」後者を「H型2ポジ」と命名する。G線上の音を列挙して整理する。

  • B型 B→C→D→Es
  • H型 H→C→D→E CはCisになることも多い。

こうした2系統は第1や第3の各ポジションでも想起し得る。同様にG線の音で以下の通り指し示す。

<第1ポジション>

  • A→H→C→D
  • As→B→C→D(3連長三度で無理目)
  • Gis→A→H→Cis(実用的)

<第3ポジション>

  • C→D→E→F あるいはEをEsに。
  • Cis→D→E→Fis

実演奏上、第1第3の両ポジションにおいてこの手の2系統の区別にはあまり違いを感じない。

その理由の一つとしては、第2ポジションのB型はフラット系の調、H型はシャープ系の調でより便利なことがある。第1や第3ではこうした側面は薄まる。ヘ長調に始まって変ロ変ホと続くフラット系の調で断然2ポジB型だ。

 

2024年11月 7日 (木)

手術1周年

思えば去年の11月7日だった。人生初めての手術を受けた。10月20日に降って湧いた右目の網膜剥離だ。事前説明の段階ではドキドキしていた。書面と口頭での説明だとどうなることかと思ったが、全長50分で無痛で終わった。

網膜剥離のついでに白内障の手術もするという効率の良さだ。退院は11月15日。むしろ術後一週間のうつぶせ生活の方が苦痛だった。

退院後定期的な通院の他、何の不自由もなかった。視力が徐々に戻るために眼鏡の度が確定しないのが小さな課題だったが、安定してみると手術前より視力が劇的に回復した。

結果、ヴィオラの音程が悪いのは、目のせいではないことがはっきりとわかったのが収穫。

 

2024年11月 6日 (水)

2ポジ苦手

ブランデンブルク協奏曲の第6番が、さながらエチュード変ロ長調となって重宝だと書いた。無伴奏チェロ組曲ヴィオラ版にフラット2個のこの長調がないからだ。フラット2個が奉られるこの変ロ長調は、ヴィオラ演奏上の私の課題にぴったりだ。

そう2ポジ。第二ポジションが苦手という課題克服のよい教材だ。3ポジションへの移動や、そこでのフィンガリングに比べて、まだまだ練り込みが足りないのだ。それは初見演奏で現れる。3ポジなら初見でも割と便利に使えるのだが、2ポジは意図的に繰り返し練習しないと回らない。

G線第1ポジションのB音を人差し指で取る。このとき小指はEs音になる。あるいはD線で同様にすると「F音とB音」になる。これは変ロ長調の属音と主音だ。先のブランデンブルク協奏曲第6番にはこの進行が山ほど出る。ところが第1ポジや第3ポジでは移弦せねばならぬ。

息をするように使い回せるようになるために同曲はよい教材というわけだ。おじいちゃんヴィオラ弾きたるもの4ポジ以上の高いポジションをと思い詰める前にこちらの方が重要だ。

2024年11月 5日 (火)

エチュード変ロ長調

どこかにあったはずと思っていたが見つけられずにいた楽譜をこのほどめでたく再発見。

バッハのブランデンブルク協奏曲の第6番だ。事実上の2つのヴィオラのための協奏曲だ。学生のころレッスンの副教材だった。

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超、懐かしいなどと感慨にふけっている場合では無かった。全く弾けない。指が広がらない。

という訳で、やはり毎日これをコツコツと練習することにした。エチュード変ロ長調とはこのこと。無伴奏チェロ組曲ヴィオラ版にはフラット2個の長調はないからちょうどいい。正確なチューニングに遅めのテンポ。メトロノームで淡々と繰り返すのみだ。

2024年11月 4日 (月)

お食い初め

昨日、初孫のお食い初めの会があった。娘夫婦の住まいの近所の料理店に両家が集合して、簡単な儀式と会食だ。料理店にそれようのプランが用意されているのが今どきだ。生後100日の儀式として古くから伝えられているも聞くが、肩の力を抜いてわいわいと盛り上がった。

尾頭付きの鯛と、専用の膳。赤飯、吸い物、漬物、煮物とあって手順に従って箸で赤子の口元に寄せる。同じ事を全部で3回繰り返すとある。父母が各1度やったあと、3回目は曾祖母である母が親戚代表で担当した。箸を近づけると口を開けるというお利口さんだった。

赤ん坊のかわいさだけでもう満腹だ。身内だけの集まりなので親馬鹿、じじバカ全開に加え、卒寿の曾祖母が鎮座するめでたい席。みんな自動車で来るのでアルコール抜きながら、「孫かわいい」「曾祖母お元気」でつくづく盛り上がった。こういう席に自然に出られるのは幸せと母がぽつりとつぶやく。杖も車椅子も無縁の上に、昔からの根っからの心配性であれこれと思い巡らすのがボケ防止に一役買っている。美容院で頭を決めて、とっておきのブラウスを着込んで、ひ孫を抱くという至福。

この調子で初節句もお誕生日も集まりましょうとみなから励まされてお開き。

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2024年11月 3日 (日)

幸いなるかなおのが御神に

三位一体節後第23日曜日用「Wohl dem,der sich auf seinen Gott 」BWV139だ。皇帝の税金という身近な説法だが、作品中に税金の痕跡はない。

第4曲バスのアリアがききどころ。ディースカウ先生の出番は当然として、オーボエダモーレのクレメント先生とのアンサンブルが美しい。オーボエダモーレとは「愛のオーボエ」だ。実際にはオーボエより低いヴィオラっぽい位置付け。しっとりとしていい感じだ。

2024年11月 2日 (土)

爪のお手入れ

ヴィオラを頻繁にさらうようになって、手の爪を切りそろえる癖がついた。学生時代は当たり前にしていたが、楽器への緩い接し方が続いて途絶えていた。髪と違って爪だけは元気に生えてくる。

とりわけ左手の爪は慎重な扱いがいる。フィンガリングのためだ。伸びすぎはもちろんなのだが、深爪にも注意がいる。

昔は比較的放置していた右の爪も最近はついでに手入れしている。なぜか。

そう。それは初孫だ。孫とのスキンシップでの万が一に備えたいと思い詰める。赤子の柔肌を爪でひっかくなんぞあってはならぬ。若い頃には無かった視点。

2024年11月 1日 (金)

物思う秋

さて。

今日から11月。我がサラリーマン生活の終焉まであと3ヶ月だ。物思うことしきりである。いつもの秋ではない。

「会社生活最後の~」が多くなってきている。会議の末尾で次回の日程を決めるときそれが、1月末の退任後になることもちらほら出てきた。

一方で、職場初のオケの演奏会も控えている上に毎日楽器の練習に余念がない。

昨年末から展開してきたブログ「ブラームスの辞書」上の「カンタータでたどる教会暦」の企画も大詰めだ。来年にはこれらは全て消滅している。自分の脳みそがどう反応するのか楽しみ半分怖さ半分だ。

その後はきっと、孫やヴィオラとのスキンシップが支えになるはずだ。

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