楽器の鳴り
「エチュード変ロ長調」ことブランデンブルク協奏曲第6番との格闘を通じて、学生時代のヴィオラ生活を思い出してきている。今思うとあの頃はレッスンの課題でしかなかった。先生のお導きに忠実ではあったが、バッハや楽典の知識もまだまだ不足気味だった。あれから40年経過してバッハへの思いの他、音楽の知識一般は見違えるほど堆積してきている。
全然違うのだ。バッハへの思い、音楽の知識をがたまった上で練習をすると聞こえてくるものがある。
とここまでは既にブログで語ってきた。
学生の頃とのもっとも大きな違いがある。
それは楽器だ。大学3年までは入学後購入した7万円のチェコ製の楽器だった。そして4年の春にアルバイトして買ったドイツ製の楽器。92年に今の巨大楽器を購入するまで使い続けた。
その巨大楽器は大きさから来る取り回しの悪さに目をつむって、鳴りに一目惚れして衝動買いしたものだ。だから楽器の鳴りが違うのだ。例えばブランデンブルク協奏曲第6番の第1楽章を象徴する下降する分散和音がC線に差し掛かるときの楽器の底鳴りが格段に違う。あるいはG線上第1ポジション薬指で取るC音がはまったとき、隣の開放弦のCがかすかに、しかしはっきりと共鳴するのだ。C線の開放弦は、1度弾くとちょっとの間響き続けるから、事実上保続低音が実現する。これら全て今の楽器の鳴りがあってこそ実感できる。
あるいはあるいは、もしかして歳を重ねて少しは耳も肥えているかもしれないい。
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