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2025年3月31日 (月)

努力目標

昨日ブログ「ブラームスの辞書」のゴールをバッハ没後300年まで延長するという妄想を述べた。

高らかに宣言とまではいかぬ事情もある。私が90歳まで生きることが前提となるからだ。ただ生きるでけではない。ボケずにそこそこ健康であることが条件となる。母の血筋を濃厚に引くなら望みはあるが、なんせ母と違って私は男だ。

もう一つ。有力なモチベーションがある。ゴールの2050年7月28日には私の初孫は26歳になっている。そう子供がいてもおかしくない年頃。つまり私の初ひ孫だ。

ブログのゴールを延長すること、ひ孫に会う可能性の追求でもある。

だから、これを努力目標と掲げることにした。

2025年3月30日 (日)

まさかの発案

ブログ「ブラームスの辞書」の公式ゴールは2033年5月7日、ブラームス生誕200周年のメモリアルデーだ。自分の健康状態との勝負になってきているが、あと10年もない。

その後どうするのかについて、最近妄想が浮かんできた。

バッハ没後300年のメモリアルデーまで延長するというプランだ。それは2050年7月28日だ。ブラームスの生誕200年の公式ゴールから17年先になる。私は90歳に到達する計算だ。

 

2025年3月29日 (土)

教室の三箇条

レッスンの話の続き。

私が通い始めた教室には、ホームページがある。そこに様々な情報が集約されていて貴重だ。中でもお教室の三箇条が興味深い。

  1. 正しい姿勢を身につける。
  2. 豊かな音楽性を身につける。
  3. 楽しく弾く。

おお。うなずくことしきりだ。第1条に「姿勢」が据えられていることに深い深い意義があると心から共感する。詳しくは踏み込まぬが立ち位置や構えにとどまらぬことは確実だ。まずは基礎から形からという思いが伝わる。

でもって2条が音楽性とは。第1条からの意識転換が劇的だ。飛躍に近い。第1条で基礎を固めさせておいて見上げる頂きの高さに目がくらむ。

基礎と頂点の両極を押さえておいて最後に「楽しく」とは、さすがだ。

老後のたしなみとしてひっそりとヴィオラでバッハという私の受講マインドを思うとき、ゴールは「楽しく弾く」で必要にして充分だ。

がしかし、楽しく弾くには基礎を固めるのは不可避だ。そして音楽性がそこに適度に混ぜ込まれねば楽しめぬ。

初回レッスンを思い起こす。

スケールやアルペジオの確認と見せて実は右手の握りをという着眼は、まさに「姿勢」なのだ。右手握りの改善はただちに脱力に直結する。ここを起点とせずになんとする。

そして、最初に取り組む曲を決めるとき、「ご自宅で最近よく練習している曲の中から」という発案は、まさに3番「楽しく」の実現である。初めての取り組みがバッハ、しかもガンバソナタとは本望だ。

ト長調BWV1027の第一楽章アダージョへのたった25分の取り組みから露呈したさまざまな課題。一つ一つは細かいものだが、後になって集団として眺めるとそれはバッハへの深い理解と共感なしにはあり得ぬ指摘だった。そうそれこそが音楽性なのだと。

 

2025年3月28日 (金)

初レッスン

先週火曜日、大学4年の1月以来実に44年ぶりのヴィオラレッスンがあった。日取りの決定以来10日。教則本を紹介いただいたり、右手首の柔軟さを鍛えるエクセサイズをお教えいただいた他に課題は出なかったが、ドキドキと緊張して待った。

初回レッスンはその教則本の82ページ。25番から始まった。

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Gdurの音階とアルペジオを第三ポジションに居座って弾くというもの。スラーぶった切りでスケールを上って降りて2往復したとこで、ストップがかかった。「何を言われるのだろう」と緊張が走る。「ト長調の音程感が備わっています」「が、むしろ」とおっしゃる。ドキッ。

「弓をもう少し張りましょう」「その方がもっと切れのいい音が出ます」「弓と毛の感覚が1センチ弱程度を目安に」と。

そっちかという感覚。さらに先生は続ける。右手の人差し指が弓に深く絡みすぎています。第二関節の内側が弓に触れる程度にと細かい。同じく右手の小指が弓のネジ部に接しているので、弓本体に当てましょう。えーっ。で、右手の親指は中指と相対する位置に保ちましょう。

44年ぶりのレッスンはこうして始まった。Gdurの音階もアルペジオもこれを見るための素材に過ぎなかった。言われた通りに持ち替えて再度と促された。音がクリアになりましたよと言われたがあまり自覚はない。

左手が立て込んでくると、右手の注意を忘れがちになるけれど、ときどき立ち止まって右手の持ち方を点検しましょうとしめくくられた。

で、次は同じ教則本の62,63ページ。両隣へのポジションチェンジだ。

 

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1ポジ、2ポジ、3ポジ以下同様にオクターブ上がってまた降りる。写真は人差し指だが、同様に中指も薬指もということで以下。

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難しい。途中から先生が一緒に弾いてくれたが、ユニゾンにならぬ。音程が悪いのだ。隣のポジションへの移行と言っても音階によっては半音も混じる。これを指がキリリと意識していないと、最後同じ音にかえってこれない。

第一から第三への移動より、実用性が高いとおっしゃる。

家庭での練習の際、これらを指慣しに使ってくださいと念押しされた。

ここまでおよそ25分。

さて何か曲をと言われた。「最近はまっている曲はありませんか」と先生。

恐る恐るバッハですがと申し上げるとニコニコとうなずいてくれる。調子に乗ってガンバソナタと申し上げたところ「何番にします?全部いいですよね」と嬉しい反応。1番からですかねと私が応じて以下始まる。

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第一楽章アダージョを通して弾いたところで、「まずは」と言いながら4小節目から始まるA音の伸ばし。8分音符にして19個分の伸ばしについて目から鱗のご指摘。ただ拍を数えて待っているだけの音楽にならぬようにと。伴奏のピアノパートを先生が弾いてくれた。これを意識して寄り添うようにダイナミクスなりヴィブラートを工夫しましょうと。世の中バッハにヴィブラートはいかがなものかという向きもあるけれど、音楽の流れの範囲内で質のいいヴィブラートなら何ら問題はないときっぱり。

さらに、少しボウイングとフィンガリングの整理をしておきましょうとおっしゃる。これが出来ていないと半信半疑が音に乗り移りますと。とりわけトリルの下準備。下解放弦で「0,1」のトリルは必ずしも悪くはありませんが、薬指と小指のトリルは避けましょう。これらを含めて曲全体についてポジションやフィンガリング計画をあらかじめ決めておくといいでしょうと。

で極めつけはスタカート。冒頭4,5拍目に現れて以降曲全体にちりばめられたスタカートをどのように弾くのですかという問題提示があった。私ならこう弾くとばかりに手本を示してくれた。ちゃんと意味を考えて弾きたい物ですねと。

第二楽章アレグロに少し入ったところで、デタシェ気味に少し弓使いを早く。つまりアダージョとアレグロの差を運弓面で意識してくださいと。速い楽章をゆっくり練習するのは大切だが、アレグロ感は常に念頭においてくださいと、なったところでお時間。

あっと言う間。

ああ。泣きたい。

2025年3月27日 (木)

練習チェア

話せば長くなる。

2020年にコロナ禍が起きて、在宅勤務が激増した頃に、自室デスク前にチェアを買いそろえた。在宅勤務用と自らに言い訳してゲーミングチェアに近い代物だ。このチェアのシートがビニール製で、もうボロボロになっていて気がかりの一番手だった。

このことが、背景にあるにはあるが、木製譜面台の購入を決めて以来、安っぽく見えるようになってしまった。そこで、自室で練習用に用いていた椅子をデスク前に転用し、練習用に何かよい品物はないかと探していたら、これまた知人の紹介で知り合ったアンティークショップでよい品物に出会った。

結論から申せば衝動買い。

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デザインが気に入ってどうにも止まらなくなった。オーダーメイドの譜面台の高さにもなじむ。肘掛けが練習の邪魔になるかと思いきや、胴長の私には問題にならない。

2025年3月26日 (水)

Quasi Desk

ほとんど机の意味。不器用な私の造語である。

昨日の記事の続き。オーダーメイドした木製譜面台に熱狂している。楽器の練習周辺の小物が全てこぎれいに収まる。

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チューナー、肩当て、松ヤニ、鉛筆、消しゴム、メガネ。家中から色調の合う小物を集めてそっと置いている。もはやデスクだ。子供の頃誰しも経験のある「秘密基地」感もほのかに漂う。

2025年3月25日 (火)

木製譜面台

楽譜への書き込みが頻繁になるにつれて、従来の譜面台の脚部不安が露呈していたが、その点への決定的な対処が出来た。

木製の譜面台をオーダーメイドした。知人に工房を紹介いただき、現地を訪問して発注した。楽器屋さんで売っている折りたたみの譜面台から比べると高価だが、心の満足感はそれ以上だ。安いとさえ思える。製作依頼から3週間首を長くして待った。

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基本的なフォルムはあらかじめセットされていて、そこに細かなオプションが設定出来る仕組み。高さ、幅、奥行きなどの微調整を始め色合いや装飾もだ。文字入れで「BACH」と入れてもらうことで唯一無二の価値が付与される。

なんと言っても安定性が高い。上下二分出来るが、一度組み立てたら分解なんぞしない。大きさ、高さ、色形、機能全て満足。

 

2025年3月24日 (月)

風当て虫干し

妻の形見のヴァイオリンは、長女の受験を機に弾かれなくなって17年。我が巨大ヴィオラの空白より長く放置された罪滅ぼしに最小限の手入れをしたら、いっそ「ご自分でお弾きになれば」と言われて少し触ってはみた。幸いバッハを筆頭に興味深い楽譜が我が家にあった。

しかし触ってみていろいろ無謀だと自覚するに至った。心も身体も巨大ヴィオラへの適用が思いのほか進んでいた。存在しないC線の響きをヴァイオリンに求めたりはせぬが、D線やG線の響きでさえもう完全に別物だ。

毎日のヴィオラ練習の際に、ついでにヴァイオリンも取り出して風に当てる程度が関の山だ。二刀流なんてほど遠い。それでも毎回取り出してチューニングをしてやっているうちにまた気も変わるだろう。

初孫がヴァイオリンをと言い出す日まで。

 

2025年3月23日 (日)

まさかこれほどとは

ヴィオラを練習する時、ついでに妻の形見のヴァイオリンにも風を当てている。どっちもケースから取り出しているということだ。休憩代わりに触ってやるくらいの関わり方だ。で、音程が悪いのはサイズのせいではないと実感させられたが、驚いたのは鳴りの差だ。

元々ヴィオラ弾きの端くれとしてヴァイオリンには存在しないC線の響きを愛してきた。その延長線上で巨大ヴィオラに憧れてここまできたのは事実ながら、D線やG線の鳴りも全く違う。あるいはA線まで加えてもいいかもしれぬ。それらはヴァイオリンにも存在するけれど、巨大ヴィオラの鳴りとは全く別物である。

15年のブランクから復帰してかれこれ1年、復旧にいそしんで来た甲斐もあって、腕前はともかく耳と脳みそはすっかりヴィオラ仕様に塗り変わっていたということだ。

結論が遅くなった。ヴィオラを生涯の楽器にせねばならぬ。

2025年3月22日 (土)

3分の2バースデー

本日は初孫満8ヶ月のメモリアルデー。12分の8がめでたく約分されて「3分の2」となり、しかもそれが3月22日とほのかに、あるいは無理目に語呂もあう上に、バッハの生誕340年にかするという吉兆までついてきた。

あまり初孫ネタが膨らんではなるまいと脳内自主規制をかけているが、時々こうして言及する。

2025年3月21日 (金)

生誕340年

本日バッハさんのお誕生日。1685年のお生まれなので生誕340年のメモリアルとなる。

340はいささか半端だ。しかし350年となる2035年では、ブログ「ブラームスの辞書」ゴール2033年5月7日を越えてしまう。10年区切りのメモリアルデーは今日が最後なので、勢いで言及する次第。

2025年3月20日 (木)

言い訳無効

妻の形見のヴァイオリンのケアの一環として楽器に触っている。

我が家にあった楽譜を取り出して、音だしを試みて愕然とした。

楽器のサイズからくる取り回しの違和感や、鳴りの違いは想定内ではあるのだが、音程が悪いのはご愛嬌だ。従来音程の悪さついて、巨大のヴィオラの取り回しの難しさを言い訳にしてきたが、こんなに小さいヴァイオリンでも音程の悪さは変わらなかった。

それが分かったのが収穫とポジティブに開き直る。

2025年3月19日 (水)

思わぬ弱点

困った。

音無き練習として、フィンガリングやボウイングを楽譜に書いてゆく作業に没頭するとして、弾きながら気づいたことを書き込むとき、譜面台が不安定なことだ。

知り合いの大工さんにお願いして作ってもらった譜面台が気に入っていたのだが、脚部が狭くて安定しない。楽譜を置いて弾くだけなら何ら問題はないのだが、頻繁に書き込むとなると怪しい。特に、消しゴムで消すとなると倒れることもある。

怪我の原因となりかねない。さらには楽器や弓を損傷するリスクさえ現実的だ。

2025年3月18日 (火)

メトロノーム縛りの例外

昨年8月の12連休を利用した「一人夏合宿」で自分の練習にメトロノーム縛りをかけた。特にバッハを弾くとき、メトロノームを必ずセットするという自主規制だ。必ずしもインテンポ遵守ではない。CDで聞くようなテンポにはこだわらぬ。そもそもそんなテンポで弾けないのは分かっているが、かといってずるずるだらしなく練習をするのを戒める意味だ。

ところが、そこに例外を設定するニーズも浮上した。

音無き練習でフィンガリングをつきつめて指番号やポジションあるいはアップダウンを書き込んだ後、ためしに弾いてみる。弾いてみて違和感を感じたら、修正する。これを繰り返すときは、メトロノームはやや邪魔になる。メトロノームなしで書き込んでひとまず確定。

でまたメトロノームで弾く。確定したはずのフィンガリングやアップダウンがメトロノーム付で弾いてみて違和感が無ければ最終確定。

以下その繰り返しだ。

 

2025年3月17日 (月)

音無き練習

自室の練習室化が佳境だ。娘2人の結婚巣立ちで空いた部屋を自分の寝室化し、CDやDVD鑑賞の拠点に改めたが、一歩進んでそこを練習室に格上げする試みのことだ。44年ぶりに楽器のレッスンも決まり老後の生活の枠組みが着々と組み立てられている。しめしめだ。

隣家とは離れており、雨戸締め切りの練習で音漏れはないのだが、やはり早朝深夜の練習は家族にも申し訳が立たぬということで、そうした時間には音無き練習をすることにしている。

読譜だ。「ふよみ」と訓じてもお叱りを受けることはあるまい。

これから練習しようという楽譜に、あれこれ書き込みをするほか、難所の事前把握にもなる。突然ト音記号になる場所、そしてそれがハ音記号に戻る場所は要注意だ。増4度の重音あるいは連続する増4度はバッハの醍醐味なのだが、破綻のきっかけにもなりかねないから下見は不可避だ。

あと、ボウイングのアップダウン。曲中の同一音型が同じボウイングになるよう割り付ける。あとはフィンガリング。大学オケデビュウのころは全ての音符に指番号を振ってしまい、仲間から「乱数表」呼ばわりされたものだが、さすがに最近は要所にとどまる。音符に指番号が添えられるだけで、同時にそれがポジション指定にもなる。第一ポジションで長3度がとりにくい巨大ヴィオラ対策にも配慮中だ。

特にだ。体験レッスンのときに指摘された装飾音符周辺のフィンガリングが、とてもとても面白い。なんだ今頃。あたりのフィンガリングの再点検となるありさま。

楽しい。こんなに楽しいのに音は出ない。秋の夜長はもちろんだが春の曙にもおすすめだ。

2025年3月16日 (日)

定点観測としての書き込み

第三次令和の大整理と大仰にふりかぶって、自室整理を進めている。サラリーマン生活42年10ヶ月の垢落としに加え、自室の練習室化、そして楽譜の整理。レッスンが決まったこともあって精が出る。

その楽譜の整理はいろいろ興味深い。

昔ヴィオラで弾いた楽譜が出てくる。あれっていうような曲もある。いつ弾いたかわからぬ楽譜は室内楽に多い。書き込みまで消えずに残っている。ヴィオラの放置が15年だったので、もっとも新しくて15年前の書き込みだ。

書き込みの内訳はおよそ下記。

  1. ボウイング ボウイングは奥深い。アップとダウンの二種類ながら、凝り出すと無限。ダウンとアップのあの記号がパソコンで打てないのは私の技量のせいか。
  2. フィンガリング 「0:開放弦」「1:人差し指」「2:中指」「3:薬指」「4:小指」など左手への指示だ。
  3. ポジション 第一ポジション以外のポジションについてその始まりやおわりに目印。
  4. メガネ印 指揮者を見ろという目印。
  5. 五度印 早いテンポで連続する完全五度音程へ目印だ。一つの指で隣り合う2本の弦を同時に押さえねばならぬというサイン。
  6. ぐりぐり 重要な音や楽語に丸印。
  7. その他 「コンマス見ろ」「チェロ聞け」とか。

懐かしい。考古学的興味もある。当時の自分の技量や意識がパラレルに反映している。今見て見るとおやっとおもうこともある。当時は開放弦が忌避されていたような気がする他、A線回避目的のポジション変更も目立つ。巨大ヴィオラ購入前か後かで変わってもいよう。

とりわけ無伴奏チェロ組曲ヴィオラ版やガンバソナタ、あるいはブランデンブルク協奏曲第6番に取り組むとき、今の自分との意見の違いが浮上する。

70,80と歳を重ねると今の書き込みも古くなるかもしれない。

2025年3月15日 (土)

65の手習い

事実上の体験レッスンの最後に、レッスンのクラスについて説明があった。ひとまず初級をと所望した。60分のレッスンの指導料が示された。リーズナブルで安心した。頻度は柔軟に、空き時間を調整しながらとなった。月2回くらいから始めたいと申し上げてすんなりだ。教室の生徒さん向けの発表会はあるけれど、参加は強制しないとの説明に安堵した。

老後のバッハ素材のヴィオラ三昧に客観性と効率を付与するのが目的。

さっそくおすすめの教則本を買い求めた。

行く手にブラームスとバッハのご加護を。

 

2025年3月14日 (金)

事前面談

記事「思案のしどころ 」でヴィオラレッスンを受けるかどうかで考え中と書いた。

ヴィオラの工房のマスターの紹介で、レッスンの先生を捜し当てた。いただいたメモを見て恐る恐る電話を入れたところ、まずは一度お打ち合わせをと勧められて、すっかりその気になった。

あくまでもプレレッスンの打ち合わせだというのに、楽器の他に、最近使用中の楽譜をいくつか持参するよう求められて、キャイーンと緊張が高まった。

どうしよう。

一昨日、お邪魔してきた。

これまでの楽器歴、今回の意図など一通りのヒアリングの後、持参した楽譜をお見せしたところ、どれか弾いてみてくださいとなった。インヴェンションの2番ハ短調のヴィオラパートを弾いたが、緊張した。

最初の指摘は、トリルなどの装飾音符の入れ方。「そこか」という感じ。装飾音符のフィンガリングから逆算してポジションを決めるといいとは、目から鱗。いくつか種類のあるバッハの装飾音符は、破綻のきっかけになりがちだが、対策がとれていなかったと痛感。

次は、上行はクレシェンド、下降はディミヌエンドというフレージング。これを律儀に心がけることでバッハに近づけるとのこと。

開放弦を必ずしも忌避しないでよいとも。

最後にこちらからのリクエスト。右手の柔らかさをもっと実現したいとお伝えすると、きりっと明確なお答えがかえってきた。

あっと言う間の60分で、事実上の体験レッスンだった。

 

 

2025年3月13日 (木)

用心のランクアップ

クラス会での話題はなつかしい思い出話ばかりではない。病気やケガの話も多かった。本人に加えて家族までいれたらかなりな量。大なり小なりみな抱えているから盛り上がる。

つくづく健康はありがたいと再認識。

転倒は老後最大のリスクと位置付け得る。89歳の母はもちろんだが、私とて同じだ。仮に大腿骨の骨折なら本当に一大事だ。

一般論としてその通りだが、楽器を老後の楽しみとする立場からは腕や指先の怪我も相当に困る。両腕の肩から先のケアは本当に大切だ。骨折を筆頭に、切り傷、擦り傷、捻挫、深爪、心配し出すと切りが無い。

一方で、楽器に深く関わるようになって肩こりが少々緩和した気もしている。なぜだろう。楽器演奏の効果というよりも、単にパソコンやゲームに費やす時間が減ったということかもしれぬ。

そうその腕は今や、孫を抱く腕でもあり、手は孫をあやす手でもある。

 

2025年3月12日 (水)

高校のクラス会

先週土曜日、都内で高校のクラス会があった。ほぼ48年ぶりの再会。45人のクラスだったが集まったのはおよそ15名。

なつかしいなつかしい。

担任の先生がご健在だとわかった一方、音信不通のメンバーも数名。男子2名がこの世を去っていた。うち一人は親友。高校入学後最初に出来た友人。彼の家にも行ったことがあるし、彼は我が家に来てもいる。高1の夏休みに福島・五色沼にキャンプに行ったりもした。母は彼を覚えていて、よく麻雀をしたわねと言っていた。

つまりそういう年代だということか。

開宴。幹事あいさつに次いで各自近況法報告。

卒業後バラバラになったクラスメイトの消息を根気よく突き詰めた幹事団のキャラは当時のまま。私もそのうちの一人に釣られた。彼はブログ「ブラームスの辞書」がなければ見つけられなかったと言ってくれた。ブログを長く続けているとこういうこともある。

あっという間の3時間で、最後に懐かしい校歌をみなで歌ってお開き。

クラスメート用ライングループに早速呼ばれた。こういう点は今時。

亡き友の冥福を祈るとともに、この場を設定した幹事団の尽力に敬意を表する次第。

2025年3月11日 (火)

アルペジオーネソナタ

コセ先生のヴィオラ曲集全13枚は、古今のヴィオラ作品が網羅されていて嬉しい。

ひとまずざっと全DISCを聴いた。

ブラームスのヴィオラソナタ2曲、バッハの無伴奏チェロ組曲ヴィオラ版が私的定番なのは棚上げして、古今のヴィオラレパートリーの中から気に入ったものを見繕う。

なんと言っても筆頭はアルペジオーネソナタだ。今は廃れているアルペジオーネという楽器用にシューベルトが作ったが、ヴィオラのレパートリーとして定着している。コセ先生の演奏は可憐。シューベルトすごいと思い知らされる。それからモーツアルトのヴァイオリンとヴィオラのための二重奏だ。他にシンフォニーコンツェルタンテや、K563の三重奏などデュメイ先生と共演する諸作品が秀逸。

ヒンデミットやショスタコーヴィッチも食わず嫌いはいけないと反省しきりだ。

テレマンのヴィオラ協奏曲が収録から漏れている他、ドヴォルザークのテルツェットあたりも聴かせてもらいたかった。アメリカ四重奏曲などヴィオラのおいしい出番を含む室内楽も聴きたい。そこいらはブラームスにだって見せ場が多い。

2025年3月10日 (月)

イタリアのハロルド

先般の自室整理の最大の収穫がジェラール・コセのCD集全13枚だった話はしてある。 

その中にベルリオーズの「イタリアのハロルド」は二度出てくる。あれってなもんだ。DISC1とDISC3だ。このうちDISC3の方には「Transcription:Franz Liszt」と書いてある。鈍感な私はこれ見てもピンと来なかった。「2度入れるような曲か?」ってなもんである。

ブラームスとベルリオーズの関係は一昨日述べた。ヴィオラ弾きの端くれとして「幻想交響曲のベルリオーズが満を持したヴィオラ付き交響曲」とは知りながらものめり込むまでには行かなかった。

聴いてみた。

あー。

「イタリアのハロルド」のピアノ編曲版だった。そうか。リストは古今の名高い管弦楽作品をピアノ用に編曲していた。まさにその線上にある。しかしあれを編曲するとは「編曲者リスト」のヒントを添えられても思いつかなかった。

いやいや。ピアノに相当な腕前を要求するリストテイストではあるが、私は管弦楽版よりすんなりと入る。ヴィオラの妙技に焦点を絞って聴ける。「超絶技巧ヴィオラソナタ」としてだ。

あー驚いた。

2025年3月 9日 (日)

ジェラール・コセ

フランスの名高いヴィオラ奏者。この度の自室整理の収穫はなんと言ってもこれかと。

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書棚の隅から出てきた。いつ入手したかわからないから、何年放置とも言えない。日本語の解説はないけれど、名高いヴィオラ奏者のエラートへの録音の集大成というのは明らか。

全13枚に名高いヴィオラ音楽が集められている。ヴィオラコンチェルトやヴィオラソナタの他にも、ヴィオラのある室内楽まで入っている。以下に取り上げられている作曲家を五十音順に列挙する。

  1. ウェーバー
  2. グラズノフ
  3. クルークハルト
  4. シューベルト・フランツ
  5. シューベルト・ヨゼフ
  6. シューマン
  7. ショスタコーヴィッチ
  8. チャイコフスキー
  9. バッハ
  10. ブラームス
  11. ブルッフ
  12. ブロッホ
  13. フンメル
  14. ベートーヴェン
  15. ヘルツォーゲンベルク
  16. ベルリオーズ
  17. ヘンデル
  18. ホフマイスター
  19. メンデルスゾーン
  20. モーツアルト
  21. ラフマニノフ
  22. リスト

とりあえず、このリストを見るだけで楽しいと分かる。テレマンの抜けが気になる程度。ヨゼフ・シューベルトとは紛らわしい。共演者もヴァイオリンのデュメイが嬉しい他、オーボエにシェレンベルガーもいる。ブラームスの2曲のヴィオラソナタの余白にop91の2曲がある。アルト向けの歌曲にヴィオラ伴奏がついている作品で、アルト独唱がナタリー・シュトゥッツマンだ。このCD集を入手した理由はこれかもしれない。

この先、老後の楽しみとしてヴィオラに親しむにあたり、座右に置くのもありかと。

2025年3月 8日 (土)

ベルリオーズ

Louis Hector Berlioz(1803-1869)はフランスの作曲家だ。幻想交響曲がとりわけ名高い。ベルリオーズの誕生日は1803年12月11日なのでブラームスより30歳年長だ。で本日は彼の命日。1869年にパリで没したという。

さてシューマンによりセンセーショナルな紹介をされたブラームスは1853年11月17日、自作を出版するための打ち合わせという目的でライプチヒを訪れた。名高い出版社ブライトコップフ社の本拠地である。約1ヶ月の滞在期間中、打ち合わせ以外にも有意義な出会いが数多く待っていた。

そこでベルリオーズに会っていた。

ブラームスはベルリオーズの前でピアノソナタ第1番を演奏したのだ。後にベルリオーズはヨアヒムに、ブラームスを紹介してくれたことを感謝する手紙を書いている。音楽史上を飾る2人の出会いもさることながら、この時点でまだ22歳でしかないヨアヒムの顔の広さは相当なものだ。

さらにウィーン楽友協会の芸術監督在任中の1874年11月8日の演奏会で、ブラームスは、「イタリアのハロルド」を取り上げている。独奏ヴィオラ付きの交響曲だ。誰がソロを弾いたのだろう。マッコークルにも書いていない。

2025年3月 7日 (金)

ヴァイオリンの楽譜

これからはヴィオラに加えてヴァイオリンも練習しようかと考えている。

そのつもりで探したら興味深い楽譜が出てきた。

まずはバッハのヴァイオリンソナタ全6曲。BWV1014からBWV1019まで。前半の3曲がベーレンライターで後半3曲がヘンレという豪華さだ。

さらにだ。無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータもペーター版がある。言わずと知れたシャコンヌを含む。同曲集は5度下げたヴィオラ版を練習の対象にしているので、このオリジナルをヴァイオリンでさらえるということになる。調が5度高いだけでフィンガリングは同じでいいはずだ。テレマンの無伴奏ヴァイオリンのための12のファンタジーだってある。

そうそうブラームスのヴァイオリンソナタもある。

巨大ヴィオラへの適応に走らされてきた身体がどう反応するんだろう。

 

2025年3月 6日 (木)

思わぬ提案

目から鱗。妻の形見のヴァイオリンが弾かれなくなって17年たつ。最近知った工房に持ち込んで点検を頼んだ。

マイスターは、楽器を一目見るなりフランス製とわかるとおっしゃった。f字孔からラベルをのぞき込んでふむふむとなった。1821年ミルクールとある。名のある個人製作ではないもののフランスの工房の作品だとのこと。経年の割には状態は健全に保たれているので、急を要する修理は不要との判断をいただいた。

細かくはいろいろあると付け加えることも忘れない。これをきっかけに誰かがこの楽器を弾くのかそうでないのかで、対応が変わるとのことだ。

もし、すぐ弾くなら、弓の毛替えと弦の交換は不可避。肩当てのパットの部分のスポンジが劣化してボロボロだからこれも代えた方がいい。さらに細かくはアジャスターだ。さび付いてボロボロなのでチューニングがストレスになるはずだなどと事細かだ。

当面弾く予定はないと伝えたところ、「いっそ貴殿が弾いてはいかがか」という想定外のコメントをいただいた。楽器は弾かれてなんぼ。適度に弾くことが最良のメンテだということだ。ヴィオラとヴァイオリンの二刀流を勧められたということだ。

娘たちがヴァイオリンを習っていたころ、その練習に付き合うためにヴァイオリンを弾いたことはある。バッハのニ短調のドッペルの2番ヴァイオリンを弾いたり、ヴィヴァルディのイ短調op3-6に付き合ったり。

言われるまで思いもしなかった。どうしよう。

 

 

 

 

2025年3月 5日 (水)

ヴァイオリンもメンテナンス

自室整理中、妻の形見のヴァイオリンにも風を当てた。少し弾いてもみた。「ちいさい」。日頃巨大ヴィオラをいじっているからなおのことだ。楽器のサイズの違いから来る違和感は、大から小への持ち替えに当たる場合、ストレスにはならない。小から大へのトライだと40.5cmくらいの標準サイズのヴィオラでも、ストレスになるのだろう。

思えば、長女がこの楽器を弾いていた。中学3年になった年2008年の5月にレッスンをやめて以来、誰も弾いていない。17年放置だ。私の巨大ヴィオラより期間が長いではないか。

この度楽器をメンテナンスに出すことにした。

2025年3月 4日 (火)

遺品整理

少し遠い未来の話。避けることの出来ない未来の話。

この度の自室整理をしながら思ったこと。

私がこの世に別れを告げた後、私の持ち物が残る。衣類、食器などの日用品はどうでもよろしい。気になるのは一連の音楽関連グッズだ。

  1. ヴィオラ 45.5cmの巨大ヴィオラと40.5cmの普通ヴィオラ。それに弓とケース。
  2. ヴァイオリン 妻の形見。
  3. パソコン ブラダスを筆頭とするお宝データが詰まっている。
  4. 「ブラームスの辞書」 おそらく完売することはあるまい。完売しても私の持分は残る。
  5. スコア ほぼ全部のブラームス作品が揃う。
  6. 楽譜 ヴィオラ関連と室内楽。
  7. CD・DVD これがボリュームとしては一番大きいかもしれない。
  8. 小物 ブラームスのブロンズ像、作曲家の肖像画。写真、絵葉書、トートバッグ、コーヒーカップ
  9. 書物 音楽関連、鉄道関連、ビール関連、ドイツ語関連、地名関連、和歌関連、歴史関連。

中学生の頃、自分が死んだ場合持ち物を誰と誰に上げるかリストを作った記憶がある。あの頃作ったリストには載っていなかったものばかりである。

遺品整理にやってきた人全てが、「この人のブラームス好きは尋常ではありませんね」と驚いてくれるようなコレクションを目指している。死んだ後に張る見栄なのだ。CDや楽譜の量で驚かれたはいいが、「この人誰が好きだったンだろ」などと思われないようなコレクションを目指している。むしろ量は控えめでブラームスだけという世界が理想である。

最近バッハが膨らんできているのが意外に心配。

こういうことを思うような歳になったということだ。

 

 

2025年3月 3日 (月)

第三次令和の大整理

先般の退職を機に、デスクの整理を始めたと書いた。実は、整理の範囲はデスクに留まらず、自室全般に及んだ。令和に入って我が家はかつて2度の大整理を経験した。

  1. 2022年4月 長女の結婚巣立ちによるもの。こちら
  2. 2023年8月 次女の結婚巣立ちによるもの。こちら
  3. 2025年2月 私の退職によるもの。←今ここ。

この度令和三度目の整理である。およそ1年半の間隔で大規模整理を執り行ったことになる。最大の目的は42年10ヶ月のサラリーマン生活によってたまった仕事の垢落としに他ならない。とりわけコロナ禍に見舞われた2020年以降定着した在宅勤務のために、自宅に業務関連の資料がかなり残っていた。それはデスクの周辺に留まらず、書棚やクローゼットにまで及んでいた。

さらに一つ付け加えるなら、自室の練習環境改善だ。物の配置、収納に加えて、古い楽譜の掘り出しなどなど。楽器を15年放置している間、オケのスコアはともかくヴィオラ用の楽譜は未整理であった。

整理完了後の状態は気持ちがいい。これがいつしか崩れてゆく。退職して時間が出来たのだから、マメに整理しようと心に決めた。

2025年3月 2日 (日)

備えとしての二重チェック

昨日日々平穏と余裕をかましてみせたものの、ミクロに眺めると実は冷や汗もかいていた。

ブログ管理の日常として、月末には翌月の記事を公開予定日順に整列させる。200少々の備蓄記事のうち翌月予定分を、公開予定日にセットしている。2月は短いのでその作業を行ったのは25日だった。

一方ココログのシステムメンテナンスは25日26日の両日だ。このメンテに際してトラブルが発生し、25日更新のデータが管理画面に反映しない現象に見舞われた。

そりゃ困る。といって大急ぎで修正に入るとろくな事は無い。冷静にシステム復旧を待つ方が賢いとばかり、静観した。データの復旧は月末までかかり、昨日ようやく復旧した。

記事の公開管理は、ココログの管理画面とは別にエクセルファイルで行っている。ココログのシステムがトラブルを起こしても、パソコン上にエクセルが生きているから、そちらを参照しながらココログ側のデータをコツコツと修復すればいい。

こういうこともある。記事の備蓄は多い方がいいし、その管理はココログ管理画面とエクセルの2重管理がいい。普段はこの両者の一致だけを見張り続けている。

 

2025年3月 1日 (土)

日々平穏

1月31日の退職から1ヶ月経った。

退職後の生活を想像出来ずにいたが、なんということはなかった。毎日が土日という感覚だ。血圧がやや改善したほかには、ほぼ想定内。

何より母を一人にする頻度が減った。異変の備えなどと身構えてばかりも野暮で、ときどききれいな景色を見せておいしいものを食べに行く。こうなるとうまいものだけを食べて生きてゆけばいい。どうせカロリーを摂るならおいしい物でだ。

加えて毎日楽器が2時間弾けている。在職中も毎日1時間は楽器に触っていたが、まんまと倍増だ。CDやDVDの鑑賞まで加えて、ことある毎に音楽。とりわけバッハ。

通院が多いと言えば多いが、奇妙なことにそれが健康のあかし。むしろよい気分転換で、都内に出る格好のきっかけ。

在職ラスト1年だったことと、職場オケの関係で飲み会が激増していたが2月はゼロ。そのことがストレスになっていないのでOK。

収入が年金のみになる。節約と計画だけは不可避。

そして全てを覆い尽くす初孫とふれあい。

この枠組みこそ新しい生活。

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