退職3ヶ月
1月末日付けの退職から3ヶ月経過した。一言で申すなら「毎日土日」で言い尽くせる。
以下私を構成するパラメータ毎に現状を列挙する。
- 母 元気
- 孫 元気
- 娘ら 元気
- 息子 元気
- ブログ 順調
- ヴィオラ 順調
- バッハ 元気
- 血圧 順調
アルコール摂取の機会が劇的に減った。つまり職場系の付き合いが激減ということなのだ。想定内だがある種拍子抜け。職場系の人脈、付き合いがごっそり抜けた余白に、孫とヴィオラとバッハが幅を利かせてきた。
« 2025年3月 | トップページ | 2025年5月 »
1月末日付けの退職から3ヶ月経過した。一言で申すなら「毎日土日」で言い尽くせる。
以下私を構成するパラメータ毎に現状を列挙する。
アルコール摂取の機会が劇的に減った。つまり職場系の付き合いが激減ということなのだ。想定内だがある種拍子抜け。職場系の人脈、付き合いがごっそり抜けた余白に、孫とヴィオラとバッハが幅を利かせてきた。
昨年8月、会社生活最後の夏休みが12連休となり、その間「一人夏合宿」と銘打ってヴィオラを集中練習した。1日2時間をノルマにして年末の職場オケ初コンサートに備えたものだ。
連休は、何かとエポックになる。連休にはいってしまうとあっと言う間で、むしろその準備や事前のテンションの盛り上がりこそが楽しみでさえあったものだ。仕事はまた次の連休のためにある。
5月といえばゴールデンウィークで、大型連休がらみの話題であふれる「連休まっただ中」「連休もたけなわ」という風情だ。ブラームスの誕生日5月7日はいつもその連休明けにやってきたものだ。
がしかし、今年私はいささか勝手が違う。1月末の退職以来365連休のまっただ中にあるからだ。上司同僚の職場系、あるいは取引先のメンバーとの交流が途絶し、ヴィオラを中核として新たな人間関係が立ち上がっている。それはこの365連休を前提に成り立っている。この先「10年連続365連休」ということにだってなってゆく。
ヴィオラ、母、バッハ、そして孫。
ガンバソナタの練習楽譜をヴィオラ版に変えてストレスが減じられた話を昨日したばかりで、舌の根もかわかぬうちにとのお叱りも覚悟だ。
ガンバ版の魅力は総じて低い音域に留まることだ。それがヴィオラのC線より低い音になると途端にストレスの元になるのだが、そうでない場合は大抵大好きなC線に寄り添う音域になる。
たとえば2番ニ長調BWV1028のフィナーレ第4楽章の82小節目のガンバ版。
82小節目の2つめがヴィオラ解放弦の半音下のHなのでオクターブ上げる。その次のCisも行きがかり上オクターブ上げるなど、苦労が絶えないが、続く83小節目冒頭から始まるフレーズはC線の第3ポジションにしがみついて、やっかいな臨時記号に翻弄される。特に日常破綻のきっかけになりがちな「Eis」なのだが慣れてくると底光りがしてくる。
これがヴィオラ版になると、まるごとオクターブ上に差し替えられている。
D線の第一ポジションにとどまって、少々易しくなってはいるが、台無し感も漂う。ガンバ版を弾いてしまった後にここをさらうと物足りぬとさえ思えてくるから不思議である。逆にストレスと感じるのだから身勝手なものだ。
ガンバソナタを練習している。従来なぜかガンバ用の楽譜を使っていた。
たとえば3番ト短調BWV1029の第一楽章の62小節目。
よく見るとヘ音記号になっている。64小節目でハ音記号に戻るまでの間、どれどれと弾いてみると、ヴィオラのC線より低い音は出てこない。ここがわざわざヘ音記号にすり替わっている理由は必ずしも明らかではない。私の知らぬガンバ演奏上の常識が一つや二つありそうだ。
同じカ所のヴィオラ版は以下の通り。
当然のようにハ音記号が貫かれている。弾くときのストレスは段違いである。ヘボなヴィオラ弾きではあるがハ音記号慣れだけはしているということがいやでもわかる。
ガンバやチェンバロの楽譜が被る上に、レッスン1回分以上の出費だが、ヴィオラ版を買い求めた効果は小さくない。
世の中「小顔」がもてるらしい。
昨日眼鏡のオーダーメイドを話題にした。お値段は張ったが満足の出来だった。唯一想定外の事態に見舞われた。顔のサイズを計って作った眼鏡は、でかいのだ。特にテンプルが長くなった。眼鏡を折り畳んだ状態にすると、フレームの幅にテンプルが収まらない。
眼鏡を作ると大抵はケースをおまけしてくれる。今回もそういう流れだったが、ショップの眼鏡ケースの在庫を全て当たったが私の眼鏡は大きすぎて入らないのだ。
つまり私の顔がでかいということだ。
コクタンは漢字で黒檀。熱帯産の高級材だ。弦楽器でも指板や、弓のフロッグなどに使われている素材だ。固くてきれいなつやがある憧れの素材。これが眼鏡のテンプルに用いられた製品を購入した。
と申しても、簡単ではなかった。枠とテンプルの組み合わせ、材質や色について在庫品に好みのものがなく、オーダーメイドにした。
網膜剥離の手術から1年3ヶ月経過した。3ヶ月に1度の通院が解け、半年に1度でいいと言われた。視力回復も順調で、そろそろ安定期だという。
職場オケ初コンサートの当日フレームが破損した眼鏡の修理を依頼する縁で知ったショップが、木製テンプルを扱うということで練習用の眼鏡を作ったが、使い勝手と見栄えがいいので、このほど自動車運転を含む常用眼鏡を黒檀で作ったということ。
前置きが長い。これには自分への言い聞かせや言い訳も多分に含まれている。
つまり値段が高いのだ。自分へのご褒美などと言い出したらその手合いとみて間違いない。
本日は初孫の満9か月のメモリアルデーだ。「12分の9」が、からりと約分されて「4分の3」となる。生後1年間の分数バースデーは以下の通りだ。
つくづく「12」という整数は偉大だ。約数が多いから約分が弾む。1ダースという単位がいかに実用的かわかる。我々が慣れ親しんでいる「10」という整数が意外に不便だとわかる。「5」で割り切れることと引き換えに「3」で割り切れぬ不便さはいかがなものか。
さて、上記の各分数をよく見てほしい。9か月の「4分の3」だけが音楽の拍子になる。
だから今日は4分の3拍子のブラームスの子守歌でお祝いだ。
ガンバソナタがレッスンの課題曲になった。古来なぜかヴィオラの私がガンバの楽譜を参照していた。ヴィオラのC線開放弦のCより低い音をオクターブ上げて弾いていたが、先生からの指摘もあってヴィオラの楽譜で練習することにした。
が、そこには問題があった。探しても我が家にはヴィオラの楽譜がなかった。同曲の楽譜はヴィオラのパートのばら売りをしていないから、新たに買い求めるとガンバとチェンバロの楽譜が被る。ヴィオラのパートだけで数千円の出費という痛みだ。
いやいや、そこはレッスン再開の勢いで何とか耐え忍ぶしかない。
で、さっそく買い求めてきた。長く練習してきたガンバの譜面にはボウイングやらフィンガリングなど書き込みがたくさんある。それらをサラのヴィオラ譜に書き写した。ボウイングは丸写しでOKだが、フィンガリングは一部変わる。楽器を傍らにおいて確認しながら書き込む。
今のところレッスンは1番ト長調BWV1027だけにとどまっているが、書き込みのひっこしだけは2番3番もやっておいた。
次のレッスンにはこれを持参する。
私のヴィオラは大学オケ備え付けの楽器から始まった。今となっては詳細は不明だ。2年生になるころに自分の楽器を買い求めた。チェコ製で7万円だったことしか覚えていない。志望大学に現役で合格したら買ってもらうと親に約束していたものだ。1979年か翌年のことだ。1981年に31万円で西ドイツ製を自分でアルバイトしてためたお金で購入。ここまでは40センチ程度の通常サイズだ。
大学4年間はもちろん1992年に今の巨大ヴィオラを買うまで、12年間、標準サイズのヴィオラを弾いていたということに他ならない。
1992年巨大楽器を買った直後に長男が生まれ、子育てが始まった。時間的にも金銭的にも余裕がなくなってゆく。巨大ヴィオラの大きさを克服するほど練習量がとれなくなった。厳密には今でも克服できていないと申していい。
それでも鳴りがはまった時の快感だけをよりどころにヴィオラを触り続けている。巨大ヴィオラは単に胴体の大きさだけの話ではなく、色艶、形を含むたたずまいに深くはまりこんでしまっている。愛器が大きいということが心の支えになっているとでもいうのだろう。
残りの人生でヴィオラを弾き続ける覚悟のうちの半分をこの巨大ヴィオラが占めている。そして残る半分がバッハ。つまりバッハと同格だということだ。
バッハラヴのヴィオラライフが「鳴りへの執着」にあると昨日書いたばかりだ。ヴィオラらしい鳴りこそが優先で、バッハをさらう。右手左手が立て込んで鳴りが損なわれがちだと自覚するからこその決意でもある。
15年のブランクからの復旧で目指すのはどこなのか自問した。大学4年のときの自分なのか、はたまた15年前の中断時の自分なのかと、思いを巡らせてもみた。が、それではあまりに志が低いと思うようになった。
元々たいしたヴィオラ奏者ではなかったのだから、そこを今更目標にして何になるというのだと気づいた。しからばそれに変わる目標はと自問してひねり出したのが「鳴りへの執着」だ。生涯の楽器としてヴィオラを選んだ奇跡、私にヴィオラを勧めてくれた学生オケが原点であることは変わらぬが、この先目指す目的ではありえぬ。
マクロに見れば人生の残り時間が長いとも思えぬが、ミクロに見れば日々楽器に費やす時間は長い。それらの内側で「どんな鳴りを理想とするのか」の脳内基準を絶え間なく更新して行きたい。
老後の慰みとしてのヴィオラ演奏において心に決めていることがある。その最たるものはバッハへの執着であることはすでに何度も述べている。
それに次ぐ位置にあるのが「鳴りへの執着」だ。ヴィオラらしい音の追求。そりゃ素人高齢ヴィオラ弾きたるもの、左手が立て込んでくれば、右手に皺寄せがいき、鳴りが陰ることなんぞしょっちゅうだ。しかし、必ず立ち返って鳴りの陰りを反省する。ヴィオラらしい楽器の鳴りが、指回しの犠牲になってはならぬ。その2点の両立する最低ラインの底上げを目的とした練習であり、その素材にバッハはうってつけだということだ。
独学を貫くなら頼りは自分の耳だけだが、レッスンに通うことで、もう一つ客観的な耳が付加される。つくづくレッスンはありがたい。
さてさて昨日は4月15日だった。偶数月の15日は年金の支給日とあって、入金を確認した。長くサラリーマンを務めていたから、毎月25日の給与と夏冬の賞与というサイクルに慣れきっている。1月末に退職したから今月が初めての満額支給だ。
これからずっとずっと、このサイクルが続く。つまり奇数月の月末は金回りが悪くなるということなのだが、クレジットカードの決済や、公共料金など、月1サイクルの支出には注意がいる。
妻を亡くして両親との同居が始まった時点から、家計は母に任せている。90歳になる今も母が家計を切り盛りしている。月一度25日に生活費を手渡していたが、そのサイクルは今後も変えないこととしているから、奇数月25日の生活費の手渡しが要注意で、その後の偶数月15日までのおよそ3週間が要注意期間となる。
計画と節約あるのみ。
一昨日、大雨の中母を連れて小田原に行ってきた。ケアハウスに伯母を見舞うためだ。予報が悪いこともあってか道路が空いていたことで快適なドライブとなった。訪問前に名物のおでんで腹ごしらえと、かまぼこのお買い物。
時間にして15分の面会だった。母は伯母の手を握って話しかける。伯母は母と私の名を呼んで「来てくれてありがとう」と一言。耳が遠いこともあって会話がかみ合わない。「ありがとう」と何回もつぶやいていた。それが今の伯母の気持ちだと納得。
伯母を見舞ったあと、介護士の先生と少し話した。ひとまず元気なのだが、透析のときに血圧から目が話せなくなったとのこと。スタッフの皆様のご尽力に心からの礼を繰り返した。
片道2時間のドライブを苦にせぬ90歳はすごいのですよと介護士さんから言われ目を輝かせる母であった。
レッスンから帰宅してすぐ、楽器を取り出すことにした。たった今受けてきたレッスンの内容をすぐに落とし込むためだ。指摘や提案の反芻を、記憶の定かなうちにやっておきたいという願いからだ。
先生の実演や説明を聞いてその場でわかったつもりでも、実際には腹に落ちていないケースもある。レッスンではじっくり時間をかけてもいられないケースもある。帰宅後即今一度楽器を取り出して「こういうことだったのか」と納得度を高める。
帰宅後すぐが無理でも夜には必ずと自らに義務づけた。
ガンバソナタの練習中、第一楽章28小節目にさしかかったところで、先生から不意に質問された。「お使いになっている楽譜、ガンバ用ですが、おうちにヴィオラ用はないですか?」と。
その28小節目先頭の音はH音。よく見るとへ音記号にすり替わっているので、C線開放弦の半音下の音だ。やむなくオクターブ上げて弾くのを聞いてのおたずねだ。「ブライトコップフ社の楽譜にはガンバとヴィオラ両方のパート譜が付いているはずなので、あえてガンバ用をお使いになっているのはなぜかしら?」と続く。
たしかにご懸念はもっともで、第1番ト長調では、このようなカ所はここだけだが、2番、3番に進むにつれて増えてくる。「ヘ音記号を見て、ヴィオラで発音不能の高さの音を瞬時にオクターブ上に読み替える」というヘ音記号訓練になるにはなるが、説得力はない。
ガンバ用とヴィオラ用の違いは、ヴィオラ発音不能ケ所周辺で、オクターブ上げるかどうかでしかない。むしろ巨大ヴィオラのC線愛好家としては、なるだけ低い音域に居座っていたいと願ったというのが真相だ。
時折訪れるオクターブ上げがストレスにならぬうちはこれでいいが、2番3番はかなりストレスになるので、レッスンがそちらに差し掛かったらヴィオラ用を弾こうかと思案中だ。
44年ぶりのレッスン。教則本での指慣しに続くのはバッハだ。「今はまっている曲は?」という問いに「実は」と答えた作品がそのままレッスンの教材になった。とりわけ1番ト長調BWV1027は、44年前学生時代に受けていたレッスンでも教材になっていた作品だ。つまり腕前の復旧ぶりを押し計るには最適ということだ。しかしながら今使っている楽譜は1992年に巨大ヴィオラを買い求めた後に買った楽譜だから、書き込みは学生時代のものではない。
先生の前で第一楽章をひとまず通す。そして先生が「まずは音程が気になったカ所をと」以下。
7、8小節。3回出現する「Ais」および1回ある「Eis」。共通点はどちらも苦手系臨時記号。1ポジション1の指を半音上げて取る。これらがことごとく高めになっているというご指摘。何度か実演も聞かせてもらった。人差し指や小指で取るCisやDが低めになる現象と、根は同じようだ。この2小節にそれら課題が凝縮されていると納得。
この手の臨時記号は破綻のきっかけではあるのだが、綺麗に弾けたときの快感も約束されている。いわばバッハ節。
他に何かと聞かれてそれではと質問したのが以下。
同楽章の冒頭だ。第一ポジションの中指でH音を取る。次のDを小指でまさぐるのだが、運試しの様相を呈する。音程が安定しないことへの不安が音に出ると悩んでいるとお伝えし、冒頭のHを人差し指でとるアイデアはいかがなものかとご意見を求めた。そうすればDを小指ではなく薬指でとれると。「問題ありません」と、自らさらりと弾いてくれた。
「ただし」と付け加えるのも忘れない。「H→D→C」に続く「H→A」では再び第一ポジションに降りてとりましょう。それが守れることが条件です。スラーで連結されるHとAの間でポジション移動をしてなならぬというお導きだ。「そっちか」とうなずくばかり。むしろこの話が収穫だ。
続く第二楽章でも同様の課題摘出がかれこれ3カ所。とりわけ「連続する完全五度」における「2弦同時押さえ」だ。これが苦手で困っている件、弾いてみせたところ。「連続する5度のうちのあとの方に気持ちを寄せて」と実演をしながら聞かせてくれた。「しかしむしろ」と意外な指摘。それ2弦同時に押さえる左手のフィンガリングの問題よりも、右手の肘の移動が不十分なせいかもしれません。それを敏感に感じて左手がこわばっているのではと。「あー」と。右手から鱗が数枚落ちた。
帰宅して即同じカ所をさらった。
気持ちが晴れている。
火曜日にヴィオラのレッスンがあった。初回受講から2週間で2回目となった。その二週間、教則本から少々の課題と、バッハ・ガンバソナタト長調の1.2楽章を自主練してきた。
あっという間にレッスンが来た。受講のペースとしては2週に1度あるいは月2回が目安だから、今後このペースが維持されることになるが、2週間があっと言う間で困った。退職後とあって練習の時間はたっぷりとれるが、効率も追求せねば間に合わない。
今回のレッスンも有意義。教則本は地道に繰り返す。音階に沿ってポジションの上げ下げについて指摘。第4ポジションまでは、親指の位置も連動して上がるようにと。5ポジションより上に行くとき、親指をネックに引っかけて回り込むと手本を示しながら丁寧なご指導があった。
でバッハ。ガンバソナタト長調BWV1027第一楽章へ。
巨大楽器の取り回しのせいか、3薬指と4小指の音程が下がり気味。4小指の対策は不可欠で、そのためにも第二ポジションは有効と確認が進む。
で、3薬指、4小指の下がり癖のせいか、1人差し指、2中指が吊られて高めになると判明。とりわけ、G線上1人差し指を半音上げるAisがいつも高いと指摘された。さらにはD線上のハーフポジションとして取る3薬指のFisも高いなど高低様々の破綻が明るみに出た。
フィンガリングの工夫、ポジション移動の確度上げ、開放弦の有効活用など、テンポや状況に応じた総合的指摘が続く。
第一第二楽章の課題抽出が終わったところでお開き。
次回は教則本に加えてガンバソナタト長調の第三楽章をやりますので練習して来てくださいと言われて帰宅。
インターバル2週間があっという間なら、レッスンの60分もあっと言う間。
1月末に退職して以来、ヴィオラ演奏が生活の中心に来た。在職中の平日、毎日楽器に1時間は触ることを自分に課してきた。そうでもしておかないと楽器に触らない日も出てくるからだ。
土日祝日には2時間接触ということもあったが、退職後はそれが毎日可能になった。それが退職ということなのだ。
ヴィオラという趣味のいいところは、自宅での練習が基本になる点だ。つまり母の見守りと両立する。釣りやゴルフなどのアウトドア系の趣味は、外出が不可避だから、打ち込もうと思うと留守がちになる。アマオケの参加で発生する練習あるいはレッスン通いさえケアしておけばいい。
退職後の生活のリズムに慣れるまで、楽器に触ることが目標だったが、そこを練習に格上げせねばならない。長く触っていればいいというものではないということだ。1日60分しか触れないとなったらいかに中身を濃くするか工夫するはずだ。時間があるからといって、メリハリのない単なる楽器への接触を練習とは定義できまい。
どうしたものか。
退職を区切りと買い求めた楽器ケースはピカピカの今時カーボンマックだった。さらにはテールピース一体アジャスタも思案中だ。年甲斐も無く新しい物好きなのかと思う。
ところがだ。そのケースに収めているのは150年前のヴィオラだ。その楽器を毎日慈しみながら、弓には今時の黒毛を張って、これまた今時のスティック松ヤニを塗ったくっている。それでいて弾くのはたいてい300年前の作品だ。現代音楽には一顧だにくれていない。もっとも新しくてブラームスかドヴォルザークという時代観。
これを両極端、あるいはアンバランスと嗤う向きもあろう。数あるパラメータのうちのどれとどれを「今時」に走るのか。あるいはどれを「伝統」と留め置くのか。そのあたりの取捨選択こそ個性だ。
これが私のありのまま。
昨日話題にしたヴァイオリンの絵本の中に、「ヴァイオリン音楽の流れ」というページがあった。作曲家切り口になっている。取り上げている作曲家を掲載順に列挙する。
この10名だ。絵本の作者はページ冒頭で「ヴァイオリンの作曲家を何人か紹介します」とことわって略歴が簡単に紹介されている。
ヴァイオリン作曲家は有名ヴァイオリン作品を作曲した人程度の意味かと考えていたが、違和感もなくはない。パガニーニ、サラサーテは納得だ。ヴィヴァルディやバッハもスンナリ入ってくる。ベルクはよう知らん。
ハイドンは交響曲と弦楽四重奏、あるいはピアノ三重奏においてヴァイオリンに出番があるが、ヴァイオリン協奏曲やヴァイオリンソナタは必ずしも主役ではない。モーツアルトやベートーヴェンだって似たようなものだ。
でブラームスだ。彼の記述はヨアヒムとセットになっている。ヴァイオリン協奏曲の存在が無視されていない印象。それでいて名高いヴァイオリン協奏曲を書いたメンデルスゾーンやチャイコフスキーが落選しているという人選。
私ごときの小さな違和感はともかく、これが世の常識なのかもしれないと納得。
ブログ執筆上の自主規制の話。
15年放置したヴィオラを取り出して日々練習に励む。バッハを中央に据え、ブラームスやドヴォルザークにも時々触れる。そうした取り組みを続けていると、懐かしさに目から鱗ということも起きてくる。あるいはいい歳をして今頃発見という着眼も出てくる。
世の中のヴィオラ弾きたちなら、アマチュアといえどもとっくに分かっているようなネタを、今更ブログでさらしたら恥ずかしいとも思うのだが、それを忖度して記事にすることを諦めはしませんということだ。
「何を今更」というネタをいちいち封印していては書くことがなくなってしまう。
この先この系統の記事が増えそうなのであらかじめお断りする次第。
本日4月3日はブラームスの命日であると同時に亡き父の誕生日だ。2025年はブラームス没後128年なのだが、父の生誕からみると90年のメモリアルイヤーにあたる。存命なら90歳ということ、つまり母と同い年である。1997年というブラームス没後100年の年に62歳で他界してから28年、母は父の代わりに家族を見守ってきた。
父の冥福を祈ると同時に、残された母の健康と長寿に思いをはせる日。
エープリールフールめかして、シャコンヌを目標にと大上段にふりかぶってみたものの、あまりの道のりに腰が引けているのもまた事実だ。
対処法は基礎をじっくりしかない。志だけは高く持ちながら、山積する課題を一つ一つ地道に解決してゆくしかない。レッスンはそれをより効率的に進めるための手立てに過ぎない。課題の細かさに没入するあまり大志を見失ってはならぬ。ときどきそれを思い出すためのレッスンでさえある。
とまあここまではよくあるお題目だ。
実際にレッスンに通い始めてつくづく実感するのは話の早さだ。日頃の練習で感じる小ネタ系の課題に、一問一答で即答してもらえる。例えば例えば。
さまざまな悩みをレッスン中に発すると、けろりと即答がある。実際に楽器を弾いて示しながらである。独学では絶対にあり得ぬスピード。このような実益をともなうやりとりの果てに、何かが堆積する。
私は。
私はそれを「音楽性」と定義してやまない。
昨日、一昨日と妄想を繰り広げた。
2050年7月28日バッハ没後300年のメモリアルデーまでブログ「ブラームスの辞書」を継続するという主旨だ。そのついでにもう一つ宣言する。
いつかヴィオラでシャコンヌを弾きたい。言わずと知れたバッハ。無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番BWV1004の終曲だ。5度下げのヴィオラ版だが無理は承知。
生きている間の目標として掲げる。夢を見るだけならお金はかからない。
そして、「エイプリルフールでした」と取り下げる手もある本日の公開としておく、おバカなリスク管理だ。
最近のコメント