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2025年5月31日 (土)

お祓いが必要

この5月、いろいろあった。

初孫の初節句、長女夫妻の新築祝いの両者は吉事であるにはあるが、新築の話のテンポが速過ぎて面食らった。

年金生活1年生の私にとって、奇数月のやりくりが鬼門だとリスク抽出は出来ていたが、想定以上だ。自宅の固定資産税や自動車税など5月はそもそも出費が多い。11日の親戚の法事はあらかじめ分かっていたが5日に叔父が急逝した。

母の日に栗椀を贈って喜ばれたのも束の間、その日の夜にヴィオラの弓のネジが壊れた。その後弓の毛のトラブルまで重なって散々だった。

そうこうするうちに19日に奥歯が欠けた。21日に応急処置をしたが金属をかぶせる処置まで必要と診断された。

で、25日に母を連れて叔母を見舞いに行く途中で、車のディスプレーがブラックアウトしてしまった。

験直しが要る。

2025年5月30日 (金)

ブログ開設20周年

本日は、ブログ「ブラームスの辞書」開設20周年の記念日。ディートリヒ・フィッシャー・ディースカウ先生の生誕100年と2日ずれてくれてよかった。

2005年5月30日のブログ開設から7306日目、その間1日も記事更新の抜けがないまま、7353本の記事が堆積した。ということはつまり、今未成年の読者、全て誕生日の記事がブログ上に必ず存在するということだ。

2033年5月7日ブラームス生誕200年のゴールまであと8年もある。がものは考えよう。今までの年数の40%でいいのだ。もうすぐそこだ。

2025年5月29日 (木)

サードオピニオン

弓の購入について、工房の先生、レッスンの先生に次ぐ第三の相談をした。

相談相手は母だ。

65歳過ぎて打ち込むヴィオラ。いつまで元気で弾けるのだろうという疑問は、1992年巨大ヴィオラを買い求めた頃には考えもしなかった。あるいは2007年に今の弓を買ったときもだ。

どうせ長く弾けないのだから、購入を見送るという考えについて母にそれとなく尋ねた。母は自分の買い物をする際、もう先が短いからというのが口癖だ。そのフレーズを吐くようになってかれこれ20年経つ。

  • 1案 どうせ先が短いのだから購入を見送る。
  • 2案 いつ弾けなくなるかわからないのだから出来るだけ早く買う。

母の意見は意外にも2案だった。確かな人に頼むだけ頼んでみたら?と即答だった。車や家など大きな買い物ほど止めない。そのくせ洗剤やティッシュなど日用品のコスパにはうるさい。取説通りの反応である。まだまだぼけていない。

 

2025年5月28日 (水)

生誕100年

本日5月28日はディートリヒ・フィッシャーディースカウ先生のお誕生日。1925年なので生誕100年にあたる。

ヴィオラ、バッハ関連のネタが充満していたが今日ばかりは譲れぬ。生後100年のメモリアルに言及しておかないと生涯の遺恨になる。

脳内最高歌手の座は永遠に約束されている。何せ広大なレパートリーが先生の売りなのだが、私としてはバッハ、シューベルト、ブラームスの3名で大満足だ。

2025年5月27日 (火)

練習用の弓

何気なく使ってはいるものの、定義をわかっていない。「本番用の弓」の対立概念だとは想像するくらい。思いあまってネットで検索するとそれらしい記述がたくさん見つかる。

私のヴィオラは老後の慰みに留まる。コンクールはもちろん、発表会や演奏会への参加を前提にしていない。人に聞かせる意図はない。レッスンの先生に聞いてもらうほかは、家族や隣近所への音漏れくらいしか想定できない。

となると私は練習用の弓を持っていればいいのかとなる。

2007年に買い求めた今の弓に少々の問題が生じ、あれこれ対応を考えている。安い練習用の弓を買い求めて今の弓をスペアにするという枠組みも選択肢の一つだという。この先本番はなく練習しかしない私にはこれでいのかもとも思う。

一方ヴィオラの先生はいう。「あなたは練習が本番ですよね」と。だから良い弓を買ってバリバリ心置きなく弾いてはいかがかと。

そもそも本番では、いつも練習で使っていない弓を用いることが前提の言い回しかとも思えるが、それでいいのかなど疑問はつきない。

2025年5月26日 (月)

電子部品ハザード

伯母を見舞いに小田原まで母を連れ出した。

往路、小田原厚木道路の平塚SAで休憩。さてとばかりにエンジンを起動して面食らった。ディスプレイがブラックアウトしたまま動かない。エンジンを切ってリセットを試みたが回復しない。

エンジンは起動した。空調も機能する。

動かないのは、ETC、カーナビ、オーディオだけだと分かった。ブラームスの弦楽六重奏第1番を再生中だったが、ウンともスンとも言わない。この先帰宅まで長い。もはや見舞いにも慣れているのでナビは無くてもなんとかなるし、音楽も我慢だ。しかしETCは困る。昔は都度現金払いが当たり前だったが、今やETCに慣れてしまっている。その先全てゲートは一般を通らねばならぬ。

幸い、見舞いも済ませて道路も空いていたので15時30分に行きつけのディーラーに飛び込んで見てもらった。ディスプレイの接触不良とのことで、ヒューズ交換で事足りた。かれこれ60分くらいで復旧。無料修理であった。

母を乗せて遠出のときにこれが起きるとは運が悪い。

 

2025年5月25日 (日)

セカンドオピニオン

3月25日の初レッスンから数えてまだ5回目だというのに、折り入った相談があると切り出した。先般のレッスンが弓の損傷の話題で盛り上がったのだが、レッスンの時間を10分切り取って今後弓をどうしたらいいのか、先生にアドバイスを求めた。

事前にお聞きしておいた工房の先生の意見は以下。

  • 1案 今の弓とは別に価格の安い練習用の弓を買って普段はそちらで練習する。
  • 2案 今の弓よりよい弓を買って、今の弓をスペアにする。

今の弓に構造的な欠陥があって、激練には耐えられないことは明らかという専門家の見立てがベースになっている。このことをヴィオラの先生にお伝えして、意見を求めたという訳だ。

レッスンの先生は私のヴィオラの腕前は既にご存じな上、私の老後の取り組みが発表会や演奏会への参加を目的としていないことも伝えてある。その上でどうしたらいいのか、セカンドオピニオンをとお願いした。

いつもの通りニコニコと優しく笑いながら、「ご予算のことを棚上にして申してよいなら」と前置きして、「できるだけ早く新しい弓を買った方がいい」とおっしゃる。「今の打ち込み方から見てけして無駄にはなりますまい」「今の弓にストレスを感じながら打ち込むのは好ましくない」「できるだけ良い弓を買って、今の弓を後悔なくスペアに追い込みましょう」「むしろ今回のダメだしが楽器に対するものではなくてよかったですね」

なるほど物は言い様。

工房のマスターに希望を伝えて、値段と質の折り合う弓を探してもらってはいかがかと。今愛用のドイツ製巨大ヴィオラを鳴らすのにぴったりの弓を探しているとはっきり伝えるべきと。

予算の制約に関しては、中国製もありかなと。今本場フレンチはもちろん、欧州製の弓は値段が張る。やけに高くなっていて、品質とのバランスが崩れているものも多い。信頼できる専門家の目でたしかな品物をリーズナブルに求めるべき。

背中を押された気がする。いや尻を蹴られたに近い。

2025年5月24日 (土)

成長を見守るには

昨日出来なかったことが今日出来た。

初孫の成長はこんなことの連続だ。今日出来ることが明日出来なくなるかもと恐れる我々とは真逆。初孫を囲む家族は祖父母もふくめて文字通り子供の一挙手一投足に注目している。写真動画共有アプリが大活躍で、記念の瞬間を分け合う。

日々の細かな成長を逃さずキャッチ出来るのは母つまり我が娘だ。毎日毎日ずっと一緒にいる我が娘が主役。どんな小さな成長も見逃すまいと目を配る。

そう。楽器の腕前もだ。毎日毎日成長できるかどうかは、毎日楽器に触るかどうかにかかっている。赤ん坊に接するような熱意と愛情を楽器に注いでやらねばならぬ。しかも義務にかられていやいやではなく接することが出来るかが大切。成果はこちらの感性次第。弾けた弾けないのセンサーをクリアに保たねばならぬ。そこを助けてもらうためのレッスンでさえある。

昨日弾けなかったフレーズが今日弾けた。

2025年5月23日 (金)

ひょっとするのか

婿殿の母が孫にピアニカを聞かせた動画が送られてきた。

キラキラ星だ。

孫の反応は実に興味深い。演奏する祖母の顔をじっと見つめたまま、微妙に身体を揺すっているように見える。曲のテンポに合っていると言えなくもない。本当に合っているかテンポの違う曲をいくつか聴かせれば分かるのだが。

普段は元気で、じっとしているのが長続きしないくらいアクティブなのだが、演奏中はピタリと集中している。

そういえば母が子守歌を聴かせる時の反応と同じだ。歌と楽器の違いはあるが、反応は同じだ。

ひょっとして

ひょっとして音楽、

好きなのか。

2025年5月22日 (木)

必睡の子守歌

「ねんねんころりよ、おころりよ」と始まる子守歌がある。

  ねんねんころりよ、おころりよ

  坊やはいい子だねんねしな

  坊やのおもりはどこへ行った

  あの山越えて里へ行った

  里の土産に何もろた

  でんでん太鼓に笙の笛

母はひ孫を寝かしつけるとき決まってこれを口ずさむ。母親である長女は「ゆりかごの歌」を歌う。私は当然「ブラームスの子守歌」なのだが、効き目に関しては分が悪い。

母はとてもとても低い声で、ゆっくりとしたテンポで繰り返す。「坊や」の部分を本名に変えて歌うのがお約束。おまけにお尻のあたりを軽く叩きながらだ。その哀調は西洋音楽の短調ともまた違う微妙であたたかな節回し。

眠気で機嫌が悪い時も母がこれを歌い始めると「ピクン」とばかりに反応してじっと母の顔を見つめる。まるでじっとしていない赤ん坊もコロリと眠りに落ちる。

「盛者必睡の子守歌」である。

本日初孫満10ヶ月のバースデー。

2025年5月21日 (水)

怪我の功名

母の日の夜、愛用の弓にトラブルが発生し、15日の夜までヴァイオリンの弓を使って練習した。19日の夜にも弓の毛が抜けるトラブルが起きて,1日預けて修理した。

ヴィオラの弓を使えずヴァイオリンの弓でしのぐ日は、バッハを弾かなかった。仕方ないから、教則本のスケールだけを延々と練習していた。

で昨日はレッスンだった。いつも通り教則本からレッスンに取りかかるが、やけに出来がよく次の課題をもらえた。この1週間バッハ棚上げでスケールばかりやっていたが、その効果が出たということだ。普段からこのくらい気合いを入れてスケールをやれという神様のメッセージに違いない。

教則本の練習の後、事情を先生にお話すると、ニコニコと笑ってうなずいてくれた。

大事なのはその先だ。レッスン前1週間、ほぼバッハのガンバソナタをさらえていなかったにも関わらず、レッスンが流れた。「テンポの早い4楽章の8分音符はもっと弓を使って」「開放弦を恐れるな」など毎度毎度のアドバイスがやけに心にしみてきた。次回は2番を始めましょうとなった。

 

2025年5月20日 (火)

アレンジ無双

昨日オルガンのためのトリオソナタのアレンジで盛り上がった。そもそもバッハでヴィオラを楽しもうと思うとアレンジ物が重宝する。そりゃあ、カンタータなど宗教作品やコンチェルトを含む管弦楽曲には必ずヴィオラのパートがあるにはあるが、伴奏よりに振れ過ぎてもいる。

一方アレンジ物は以下の通りだ。

  • ガンバソナタ レッスンの課題に取り上げ中。全3曲
  • 無伴奏チェロ組曲ヴィオラ版 全6曲
  • 無伴奏ヴァイオリンのソナタとパルティータヴィオラ版 全6曲
  • オルガンのためのトリオソナタヴィオラ入り三重奏 全4曲

全部で19曲ある。これにブランデンブルク協奏曲の第6番を加えてぴったり20曲ある。あとはカンタータ5番や18番など一部つまみ食いでもう、おなかがいっぱいである。

フーガの技法やゴールドベルク変奏曲にまで行かなくても退屈しない。

2025年5月19日 (月)

トリオソナタアレンジ

楽譜屋さんに取り寄せをお願いしておいた楽譜が届いた。

オルガンのためのトリオソナタをヴァイオリン、ヴィオラ、チェンバロの三重奏に編曲したものだ。そもそも原曲のオルガンのためのトリオソナタが大好きである。明細は以下。

  • 1番変ホ長調BWV525
  • 2番 ハ短調BWV526
  • 3番 ニ短調BWV527
  • 4番 ホ短調BWV528
  • 5番 ハ長調BWV529
  • 6番 ト長調BWV530

オルガンの右手と左手とペダルのトリオという巧妙な仕組みは、さておきその内容が可憐。全て3楽章からなるが、長短仲良く3曲ずつ。シャープとフラットのバランスもいい。世の中これを別の編成にアレンジしたCDが多く出回っている。私はオーボエのハンス・ホリガー版を愛聴している。このうちの2番と4番と6番にヴィオラを加えた三重奏になっている。ヴィオラのタベア・ツィンマーマンがお気に入りのせいもある。

取り寄せた楽譜は、AMADEUS社のもので、上記のうち、2番、4番、5番、6番の4曲。1番3番はヴィオラが入っていないので購入を見送った。おまけに4番がハ短調、6番がヘ長調に移調されている。これ調号にシャープが出てくる調が回避されていると感じる。シャープ苦手の素人への配慮とも思えぬが興味深い。

弾いてみる。大変面白い。各楽章の終末の小節の終止感が希薄という、アンサンブルのパート譜にありがちな現象も気にならない。流れる。ヴァイオリンとチェンバロの仲間がそうそう見つかるはずもないが、教則本代わりにメトロノームとの二重奏で楽しみはつきない。

 

 

 

2025年5月18日 (日)

弓こそは全てか

ひょんなことからヴィオラの練習にヴァイオリンの弓を使った。5月12日から15日までの4日間だ。

ヴィオラの弓のスペアがないという失態のせい。

老後のたしなみにヴィオラ演奏をと目論んでバッハを主神とあがめる立場。ドイツ製巨大ヴィオラの鳴りこそ全てとばかりに練習に打ち込もうと決めた矢先だ。ヴァイオリン弓になんら罪はないが、その鳴りの違いにうなだれた。

考えてみる。そもそも楽器の鳴りを構成する要素は何なのか。

「腕前」「楽器」「弓」で完結する気がする。この場合「鳴り」とは、「いい音」を指す。が、必ずしも「いい演奏」ではあるまいとにらんでいる。そりゃあ腕前が最重要には違いない。楽器や弓がどんなに優れていても鳴りは腕前の範囲内にとどまると言われたら返す言葉はない。

この度の4日練習するにはしたが、鳴りが目を覆うばかりだった。「腕前」と「楽器」を固定しておいて「弓」だけ差し替えた状態だから、説得力がある。せっかく練習に時間をかけるのだからいい音を出したいが、場合によっては弓がそれを妨げることがあるかもしれないと感じた。あるいは「楽器」の性能を充分に引き出せないというリスクを痛感した。

「腕前」には素質という制約がついて回る。素質の範囲内でいいから高みを目指したい。同様に「楽器」や「弓」には予算の制約がついてまわる。予算の範囲内で高みを目指したい。腕前と予算というよくある制約の内側でどこまでやるのか。幸い楽器には不満はない。弓をどう考えるのか思案が思案を呼ぶ。

これらに気づかされたことを今回の収穫とさえ思い詰める。

2025年5月17日 (土)

ボウクライシス

突然のトラブルに見舞われた弓が修理を終えて帰ってきた。

お預かり修理の間、苦肉の策としてヴァイオリンの弓で練習した。ヴィオラ弓のスペアは予備楽器ごと知人に貸しているという失態。つまり弓の損傷修理などリスクと感じていなかったということだ。おかげでヴァイオリンの弓とヴィオラの弓の違いを嫌でも思い知らされた。

修理を終えて帰ってきた弓で、ひとまず日常の練習には支障がない。が、練習を続けているとまだ同様のトラブルを引き起こす可能性が低くないと判定された。様子を見ながらだましだまし使って行くしかないとのことだ。やっかいな持病を持っていると考えた方がいい。

先生はいう。もし予算に目処がつくなら、今と同等の弓を新たに購入して、今の弓はスペアに回すのが理想と。予算に制約があるなら中国製も視野に入るのではないかとも。

思案が続く。

 

2025年5月16日 (金)

形見の駒

自室整理でこんなものが出てきた。

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ピー缶の缶だ。おまけに日本専売公社時代の代物。中身はこれ。

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見ての通り将棋の駒だ。小学生のころ父や母とに将棋に親しんだ記憶がある。ピースの缶に入れているのは愛煙家の父らしい。

先般法事があって親戚が集まった。父の兄弟の中で、唯一元気な実弟に、これを見せたところ嬉しい反応。これは父の父の持ち物だという。私の祖父だ。祖父が買ったのか、誰かからもらったのかは不明だが私が生まれる前の品物であることは間違いなさそうだ。木製というだけで具体的なことは不明。「歩兵」のかわりに「イミ」と書いてあるし裏には「と」のかわりに「、」が彫ってある。「銀」もおかしな文字だし、突っ込みどころが多い。

我が家の持ち物でいうならヴィオラに次ぐ古さである可能性が高い。

2025年5月15日 (木)

危機は突然

11日から母の日関連ネタを4連投していたが、実は大変だった。

思えばそれも母の日だった。一日の用事を終えて19時頃練習のためにとヴィオラを取り出し、弓を張る。時計回りにネジを巻くと弓が張るのだが、突然フロッグが外れた。

何が起きたか分からず呆然とした。

フロッグがはずれるなんぞ初めての体験だ。弓を張るつもりで逆にネジを回して外れたものと思い込んだ。「歳をとったもんだ」とばかり狼狽した。すぐなじみの工房に連絡し、翌日訪問のアポを取った。

見るなり先生の顔付きが変わった。弓を止めるネジが摩耗して外れたのが原因と。ネジの逆回しではなくてほっとしたのも束の間、事態はより深刻だったのだ。

弓の中央部に鉛筆の芯のような状態で収まっているネジがよく観察すると曲がっている。これらの現象から見て元からネジが劣化していた可能性が高いとのこと。ひとまずあり合わせの部品で応急処置をとなって、16日までお預かりとなった。おととし15年ぶりに練習を再開した当時から弓を張るときのネジの手応えがきついと感じたことと符合する。これが15年放置によるものではなく最初からだった可能性が高いらしい。

ひとまず明日戻って来るまでヴァイオリンの弓で練習しているが、実に微妙。楽器の鳴りが別物で面食らう。これほどとは。

2025年5月14日 (水)

母の日三重奏

長女を母にしてくれた初孫、その孫にピアニカを聞かせたのは、婿殿の母。還暦もとうの昔に過ぎた私だが、孫と婿殿の二人と共通点がある。

それは、

それは。

元気な母がいることだ。私は65歳過ぎて元気な母が健在。考えればすごいことだ。今年66回目の母の日だ。大学卒業後就職して大阪に赴任してから、妻を亡くして両親と同居するまで14年のブランクがあるから、母と同居の母の日は52回目となる。

世代違いの母3人ではあるが、集まればかわいい赤ちゃんの話題で魔女の会議となる。

議長は私の母90歳である。

2025年5月13日 (火)

初母の日

節句も、正月も、初めてを祝う。母の日はどうなっているのだろう。

11日の母の日は昨年出産した長女が初めて迎える母の日だった。この1年長女の成長は目を見張るばかりだ。年頃に差し掛かって以降父である私との関係は時に微妙だったが、今はもう立派な大人。

本当に母の日を実感するのは、我が子から何かメッセージをもらったときなのだろう。9ヶ月の初孫にその力はまだないなどと思ってはいけない。母に抱かれる時にだけ見せるとびきりの笑顔をもってこれに代えたい。

私はといえばささやかなブログでこのことに言及するが関の山だ。

2025年5月12日 (月)

栗椀

昨日母の日。いくら物持ちがいいからと言って昨年のカーネーションでごまかす訳にもまいらず、実は熟考の末プレゼントを用意しておいた。

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偶然立ち寄ったショップで一目惚れした。母の日用にと丁寧な包装をしてくれた。何よりそのセンスが嬉しい。

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母が日頃使っている汁椀がどうにも古びてきたので、狙っていた。栗材で作った汁椀。

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写真ではどうにも伝わらぬが驚くほど軽い。なんせ母は栗が好きなのでぴったりだ。

66度目の母の日。

2025年5月11日 (日)

越年カーネーション

カーネーションと言えば母の日の定番。

昨年の母の日を前に私が贈った鉢植えのカーネーションの話をする。我が家のデッキは鉢植えに優しいと見えて毎年これらの鉢植えが長持ちして、敬老の日まで花を咲かせることも多い。母の丁寧な水やりと日当たりに合わせたローテーションの賜と感心していた。

ところが、敬老の日どころか、クリスマス、お正月、ヴァレンタインを越えて今つぼみを持った。母の方針としてどんなに寒くても室内には入れないのだが、梅の鉢植えの横でぽっつりとカーネーションが咲いた。母に聞いても「特別なことはしていないけど」と素っ気ないコメントだが顔は嬉しそうだ。

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翌年の母の日までもつとは、お財布孝行である。

2025年5月10日 (土)

レオ14世

一昨日就任した新しいローマ教皇だ。なんと267代目という。バッハもブラームスもプロテスタントなので、話題としては本筋ではないが、時事ネタとしては無視も出来ぬ脳みそだ。なんと言ってもアメリカ出身というのが特筆されている。

ブログ「ブラームスの辞書」を2005年に開設したときの教皇は、先々代の265代目でドイツ出身のベネディクト16世だった。就任から1ヶ月半にブログが開設されたとは後から知った話。あれから20年、教皇はこれで3人目。まだお若いので2033年のブラームス生誕200年のゴールまで、レオ14世が取り仕切ることになるかもしれぬ。

2025年5月 9日 (金)

応用無限

昨日娘の家のチェアソックスを話題にした。さっそく我が家にも取り入れた話。

先般、知人紹介でオーダーメイドした譜面台の足にはかせてみた。

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短くて太いタイプを買ってきた。この脚のサイズにフィットするフエルトが見つからずに困っていたが、ソックスをはかせることで万事解決だ。持ち上げずに移動させることがストレスではなくなった。色といい機能といい大満足。

どや顔級の会心の応用。

2025年5月 8日 (木)

チェアソックス

入居間もない娘夫婦の新居。賃貸の頃に比べて室内の装飾には気合いが入るという。

たとえば、テーブルや椅子があちこちでこういうソックスをはいている。

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新居の床を傷つけたくない狙いに違いない。我が家では脚の底にフェルトのマットを貼っていた。娘が言うにはそれ、意外と剥がれ易い上に割とお値段高目だとか。チェアソックスなら脚4つ分セットで百均で買えると。その上デザインもいろいろあってかわいいだとか。

コスパ重視の我が娘である。

 

2025年5月 7日 (水)

絶妙のタイミング

ブラームスの誕生日5月7日のことだ。

よいのか悪いのか、ゴールデンウィーク明けの憂鬱と重なる。7日が日曜日だとほぼ連休最終日。6日が日曜日か振り替え休日の場合連休明け初日だ。退職して365連休となったから連休終盤の憂鬱からは解放されてもいる。

そしてさらに絶妙なのは、5月7日は母の日にならないことだ。母の日が5月の第二日曜日と定義される限り絶対に母の日にはなるまい。

母への感謝とブラームスへの感謝を別の日に行える。

母の日の設定は、日本のゴールデンウィークやブラームスの誕生日なんぞ考慮されているはずはないので、この偶然はありがたい。

2025年5月 6日 (火)

慶事重来

「慶事」はよいこと。昨日は初孫の初節句だった。これが一つの慶事。実はもう一つ。娘夫婦は自宅を購入した。1月に不動産屋さんとコンタクトを始めて、4月12日に入居という早業だった。気に入った建て売りが近所にあって猛烈にアタックしたと聞いている。

エリア、駅からの距離、間取り、日当たり、価格、ローンなどなど山積する課題を夫婦で乗り切った。これら手続きが生後間もない赤ちゃんの世話とパラレルに進んだ。早く家を決定しないと「保活」に影響するとか。保育園探しだ。家を固定させてそこを起点に保育園を探すとのこと。でないと産休からの復帰のプランが描けないという。

昨年7月に初孫が生まれた瞬間に5月の初節句は覚悟出来ていたが、まさかその初節句を新居で迎えるとは想像の上を行く。

そして長い返済。

がしかし彼らにはかわいい一粒タネがいる。いくら頭金を積んでも買えないかわいさだ。

娘たち夫婦と孫にバッハとブラームスのご加護を。

2025年5月 5日 (月)

初孫初節句

本日端午の節句。初孫初節句。

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私と母が用意した兜だ。年金生活者には結構なお値段だが、幸せフィーとしてはリーズナブル。

2025年5月 4日 (日)

千本ノック

野球系青春ドラマではつきもの。「猛練習」の代名詞である。「白髪三千丈」と同じく誇張で、本当に1000をカウントしたりはしないものだ。

365連休に突入し、もはやゴールデンウイークを特別視する必要もないのだが、世の中の連休モードにつられてヴィオラの課題に集中的に取り組んだ。レッスンの課題はもっぱらガンバソナタなので、日頃充分にかまってやれなくなった無伴奏チェロ組曲ヴィオラ版を掘り出している。たとえば1番ト長調BWV1007の第一曲プレリュードの以下。

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30小節目の2拍目からスラーがはずれる。ここが難所でストレスの元だった。ここから37小節目の冒頭までの演奏がすっきりしなかった。少々の整理が要る。

  • 4分音符が1小節に4個で8分音符なら8個、16分音符なら16個収まる枠組み。
  • 全6小節において偶数個目の16分音符はA音になっている。
  • こうした後打ちのAを開放弦で弾くというお約束。
  • そうすることで、あたかも保続音があるかのように聞こえる。
  • その一方で拍頭の音にはフィンガリングを用いてD線上でメロディーラインが施してある。時折混じるA音はD線上で取る。
  • 弓はD線とA線を絶え間なく移弦で往復する。
  • 上手に弾けると保続音Aを伴うメロディーがきれいに浮かび上がる。
  • 要注意は34小節目からの「HーC」あるいは「H-C-D」だ。写真では「1,2、3」など指番号を付与しているが、これがA線1ポジションで弾いてはならない。D線の第5ポジションでの番号だ。A線を押さえてしまっては開放弦のA音が途切れて保続音でなくなるからだ。

理屈はわかっていてもこれが実に厄介だった。ほぼ右手の問題だ。移弦がぎこちない。左手はA線に触れて開放弦の鳴りを邪魔しない配慮をするだけでいい。余計なことを考えずに移弦のメカニックに徹することが大切。耳が答え合わせをしてくれる。ちゃんと弾けると気持ちがいい。

てな訳で34と35小節を延々と繰り返し練習した。

 

 

2025年5月 3日 (土)

山師の心境

それにしてもだ。

退職を機にヴィオラレッスンを再開した。2005年に開設したブログ「ブラームスの辞書」は、それまでの間レッスンネタを発信することはなかった。管理人である私の経歴としてヴィオラ演奏の経験に言及する程度にとどまっていた。それでいておよそ7000本の記事を生み出せていた。

ブログ「ブラームスの辞書」はヴィオラ演奏ネタに頼らずにここまで記事を連ねてきたということだ。ブログの公式ゴール2033年5月7日まで必要な記事が3000を切った今になって、巨大な埋蔵量を誇る鉱脈を探しあてたようなものだ。

今後適宜注意深くヴィオラ演奏ネタを混ぜることで、ブログゴールまでの記事の確保が容易になるとにらんでいる。

2025年5月 2日 (金)

レッスンネタの脅威

3月にヴィオラのレッスンを再開した。いろいろ腑に落ちたり鱗が落ちたりと満足でいっぱいだ。

それらにいちいち反応してブログ記事を発信するのかどうか迷っている。ヴィオラを弾く素材はオールバッハなので、ブログの主旨からは外れている。そこに自主規制をかけるべきか。それほどネタには事欠かない。

このところゲームやパソコンに費やす時間が激減したほか、あろうことかCDやDVDを鑑賞する時間も減った。楽器ヴィオラの演奏に集中している。

そこでだ。今はヴィオラ演奏の素材をバッハに限っているが、そのうちブラームスもやろうと思う。出来ればヴィオラソナタ。これをレッスンの課題曲に取り上げてもらえるよう精進を続けたい。

そうすればレッスンネタがそのままブラームスネタになる。弓の上げ下ろしから記事にしても、ブログの主旨の内側にとどまる。

 

2025年5月 1日 (木)

縁の連鎖

次女の高校オケの後輩たちが、懇意にしていたヴァイオリンの工房を紹介されたのが手始めだった。自宅から近いという条件をきれいにクリアしたお店のマスターがなんとも魅力的であった。良心的な仕事っぷり、確かな経験と技術。弓の毛替えを思い立ち黒毛という思わぬ収穫にありついたばかりだ。コスパも魅力。17年以上放置してあった妻の形見のヴァイオリンをメンテに出した話は、彼との出会い抜きにはありえなかった。

今時の楽器ケースにありついたのも記憶に新しい。

そしてそしてダメ元で切り出したレッスンの先生捜しも、彼からの紹介でからりとクリアされた。

一方、これまた同様な知人の紹介から、木製譜面台の工房を探しあてた話、職場オケのクリスマスコンサート当日のメガネ破損危機から巡り会ったショップで出会った木製テンプルもまばゆい。

つまり非職場系の人間関係が短い時間に濃密に錯綜した3ヶ月であった。

そしてそれらに輪をかけるような初孫の存在まで含めて、退職後の枠組みが早くも固まってきた。

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ブラームスの辞書写真集

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    はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
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