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2025年6月30日 (月)

薄幸の弓

昨日の続き。

先般損傷して応急処置しておいた弓、この度新たに購入したことでスペアに回る。昨日の言い回しをするなら「弓3号」だ。2007年に25万円で買い求めたブラジル製である。

今2025年なので18年前なのだが、よく考えると2010年からの演奏空白があるので実働3年ということになる。1992年に購入のドイツ製巨大ヴィオラを鳴らそうと購入したのだが、わずか3年程度の使用で、冬眠を余儀なくされた。そこから15年を経て職場オケの創設によりもう一度楽器演奏を志すことになったのが2023年秋。そこからの1年半を加えても4年半の実働に過ぎない。

さまざまな事情はある。仕事も子育ても忙しい時期、何より住宅ローンやら教育費やらで経済的にも余裕がなかった。演奏団体に参加してもいなかったから、楽器演奏のモチベーションは低かった。あのころ職場にオケがあったらまた違ったはずだ。

それでも今年の母の日の夜ネジが損傷しなければずっと使い続けたはずだ。1992年購入の楽器は弓3代を従わせてまだまだ弾かれてゆくが、このブラジル弓は気の毒だ。

C線を鳴らしに入るときの音量だけは、今回の弓に負けない。丁寧に手入れしてスペアとして日の目の待つ。あるいは、どこかのオケに呼ばれて音量の必要な作曲家を弾く際に引っ張り出すか。

孫がヴィオラをと欲する日までときどき風に当ててやる。

 

2025年6月29日 (日)

楽器4代・弓5代

 すでに47年経つ私の楽器歴を整理しておく。

<世代1>1978年4月10日 ヴィオラ1号&弓1号

大学オケ部室を訪問して、そこにヴィオラの先輩が居合わせたことで、単なる弦楽器志望がヴィオラの新入団員に変わった。即、備え付けの楽器と弓を貸与された。それがヴィオラ1号と、弓1号だ。今となってはいろいろ不明。楽器も弓もグレード、生産国、生産年ともに不明。この楽器で、翌年1月7日の大学オケデビューを迎えた。つまりブラームスの第二交響曲を弾いた。今どうなっているのだろう。

<世代2>1979年たしか4月 ヴィオラ2号&弓2号

団貸与の楽器を返却せねばならず、購入。ただし大学現役合格の褒美として親に買ってもらった。レッスンの先生の紹介だ。ヴィオラはたしか新作で、チェコ製。やけにオレンジ色の強い楽器で7万円。弓の生産国は不明だが2万円。ケースが1万円。正直なところストレスの多い楽器ではあった。大学オケの定期演奏会5回をこなした。練習量という意味でなら過去最高の組み合わせだ。ブラームス作品なら大学祝典序曲、交響曲第1番を弾いた。他にブルックナー4番、チャイコフスキー悲愴、新世界も弾いている。

<世代3>1981年8月 ヴィオラ3号&弓3号

大学4年の夏合宿明け。大学オケ最後の演奏会でマーラーの5番を弾くために購入したとも言える。1979年西ドイツ製のヴィオラ31万円に7万円の弓。大学オケでの活躍は少なかったが、卒業後のアマオケでよく弾いた。ブラームスは交響曲全てと、ヴァイオリン協奏曲を弾いている。室内楽はブラームスのクラリネット五重奏曲と弦楽六重奏曲第1番。で、この組み合わせで特筆すべきは今でもまだ所有していることだ。知人にお貸ししている。

<世代4>1992年1月 ヴィオラ4号&弓3号

長男出生の直前、今は亡き妻に背中を押されて購入した今のヴィオラ。1877年ドイツ製45.5cmの巨大ヴィオラ。100万円だった。弓にお金が回らず弓は3号を使い続けた。ブラームスは弦楽六重奏曲第2番、ピアノ四重奏曲全曲。

<世代5>2007年10月 ヴィオラ4号&弓4号

ドイツ製巨大ヴィオラをそのままに弓をグレードアップ。ブラジル製25万円。しかしこの3年後くらいからあまり楽器に触れなくなっていった。

<世代6> 2025年6月 ヴィオラ4号&弓5号

この度弓4号の破損を機に購入。スイス製。弓4号はスペアに回す。つまるところ現在の巨大ヴィオラは3号から5号の3本の弓で弾かれたことになる。貸与中まで入れればヴィオラ2本、弓3本の陣容だ。

  • 世代1 1年
  • 世代2 2年
  • 世代3 11年
  • 世代4 15年
  • 世代5 18年

ご覧の通りだんだん更新の間隔が延びている。楽器も弓もグレードが上がっているから簡単には更新できないということだ。とくに今回の弓の損傷が無かったらこのまま何もしなかった可能性が高い。今後世代6のために気合いを入れて頑張らねばならぬ。

この先孫がヴィオラ演奏を指向するのか望みだけは捨てずにいる。はたまた「世代7」があるのかどうか。何かと興味深い。

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左からヴィオラ4号と同3号、そして弓4号。

2025年6月28日 (土)

舞踏譜

昨日話題にした本「バッハを弾くためのバロックダンス入門」の件。

最大の驚きは舞踏譜の存在だ。踊りを踊るための図形。ステップや身体の回転などが図形上に記載されていて、図形としても美しい。

宮廷舞踏の本場フランスには200以上も保存されているという。

これを見て踊れたのかというシンプルな驚き。楽譜とセットで保存されている曲もあるらしい。楽譜から音楽への転写には苦労が絶えない素人ではあるが、舞踏譜に比べれば慣れてもいる。

バッハはそれら舞曲のリズムや音型だけをしっかり維持しながら、取り入れているとの指摘と合わせて恐れ入るばかり。

組曲やパルティータなどでおなじみのバッハの舞曲に別角度から情報が肉付けされる。

2025年6月27日 (金)

舞曲は踊る

5月最後のレッスンの日だった。「それではまた」とレッスン室を出る時に、目の前の書棚にあった本。

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先生これって?とおたずねすると「面白いわよ」と激賞。いろいろすごいと。さっそく注文して手元に届いた。

バッハの器楽作品の重要な柱、組曲やパルティータを構成する舞曲たちの氏素性が舞曲側から明らかになる本。踊りのステップが図形風に記載されている「舞踏譜」から解き明かす舞曲。

歴史的には「フランス」である。フランスが欧州と同義だったかのトーン。

バッハ作品の演奏に役立つかどうかはともかく、話として面白い。

2025年6月26日 (木)

転ばぬ先の弓

先頃買い求めた弓は高価である。母にその話をすると、「お金のかかる趣味ねえ」と痛いところをつかれた。一呼吸置いて「5月いろいろあったから験直しだと思えばいいんじゃない」とぽつり。「この先あんたが元気で生きてゆくには必要よ」と付け加える。

90歳も近いというのに驚くほど冷静。的確かどうかはわからぬが少なくともぼけていない。

毎日2時間20年弾いて単価を下げようと思い詰めていたが、肩の荷が少し下りた。レッスンで浴びせられた冷や水が少し乾いた。

2025年6月25日 (水)

新弓初レッスン

昨日弓を新しくして最初のレッスンがあった。

いつも通り、音階から始める。毎度毎度の音程不安は弓を代えたくらいでは収まらぬ。

弓を代えたという心理的効果で練習に精が出るのはよいとして、家庭での練習の視野、目的、方法が定まらぬと元の木阿弥であると再認識した。

やはりヴィオラの演奏は右手と左手の共同作業だから、弓を代えた効果は限定的になる。当たり前の話を再認識。

1年後あるいは10年後か「それでもやっぱり代えて良かった」と思えるように研鑽を積むだけだと、冷や水を浴びせられた。

2025年6月24日 (火)

選定の決め手

レッスンの先生にご同席いただいての弓選定の話。

全7本の候補品から1本に絞る過程が興味深かった。弾いた私と、それを聞いていた先生が7本から上位3つを選ぶ。弓に通し番号は振るがブランドと価格は伏せておく。1番から7番までだ。それらには生産国もブランドも価格もあるが、それを知っているのは工房の先生だけ。私も先生も知らずに選ぶ。一方知っている工房の先生には投票権がない。まさに二重盲検法が成立していると見る。

最終的に先生の一押しと二押しは僅差。二押しの方は通し番号7でA線がなめらかできれい。バランスもいい。となっていたが、C線の鳴りで通し番号3を一押しにしたとおっしゃる。私は2,3,7が気に入ったが、その差は微妙。3と7が共通だ。

思えば思えば貴重。2007年前回の弓選びはお店の人と私2人で選んだ。店頭なので思い切った試奏も出来なかった。本当にここ重要。素人のドアマチュアが、一般店舗でガンガン試奏など出来るものではない。今回は勝手知ったる工房に、ご主人とレッスンの先生と私の3人だけ。腕前バレバレのメンバーを前に気遣いは無用だ。

7本のうちの最高値は実は7で、税抜き48万。これが優勝でも買えなかった。実は7本のうちこれだけがフレンチだったようだ。

通し番号3に決定。スイス・フィンケル社の「E・サルトリー」というモデル。「ユージン・サルトリー」は名高いフレンチボウの作り手の名前で、これをモデルにしたということだ。スイスのフィンケル社の創業者はドイツの人らしく、同社もスイスのブリエンツにある。スイス公用語を構成する4言語のうちのドイツ語圏にあると聞く。

そりゃあ、弓と言えばフレンチではあるのだが、何せお値段も張る。そこで真芯を少々はずして、ドイツ製巨大ヴィオラを鳴らしたいドイツ好きのアマチュアにはぴったりかと、後からやけに納得。この手の納得感あるいは言い聞かせは大切。

2025年6月23日 (月)

下世話な話

この度購入に踏み切ったヴィオラの弓の価格の話。

高い。

規定の小売り価格で申すならほぼ年金2ヶ月分だ。年金は隔月支給と考えると1回の支給分が吹き飛ぶ。で割引はありがたい。割引後の価格で申してもこれまでの弓よりは高い。マイカーの購入よりは「ゼロ」が一個少ないとは言え、庶民小市民には痛手だ。

この先元気に弾き続けることで、単価を下げるしか手立てがない。

毎日2時間20年使うくらいを目指すべきかと思い詰める小心者である。

2025年6月22日 (日)

12分の11を祝う

さすがに1歳を超えたら分数誕生日をいちいち話題にすることもあるまい。

だから満11ヶ月の本日、初孫の12分の11バースデーを祝う。

まさに「すくすく」という表現がピタリとはまる9780g。弓購入の熱狂に、くるりと割って入る初孫ネタだ。

2025年6月21日 (土)

選定立ち会いの儀

まさに恐る恐るだった。

ヴィオラ弓購入にあたって、工房の社長に好適品の選定を依頼し、6月11日に候補品が見つかったと連絡をもらった。6月20日までの間に一度弾きにきてほしいとのお誘いだ。14日15日の週末は予定が合わずに諦め、週明け16日に決まった。

問題は試奏。そこに複数の選択肢がある場合、自分で選ぶのは少々怖い。単純に価格やブランドで決めそうな気もする。

まだ、初レッスンから3ヶ月も経っていないヴィオラの先生に失礼と無理を承知でお願いしてみた。しかも16日11時のピンポイントだ。

意外にもご同席いただけることとなった。梅雨明け前6月の異例の猛暑の中、駆けつけてくださった。

事前に工房にお伝えしておいた私の好みや予算を踏まえて7本の候補品の中から1本を選ぶ作業。あるいはお気に入りが見つけられずに見送る選択だってある。現在レッスンで取組中のガンバソナタの楽譜を持ち込んで、弾き比べということになった。まずは、先生からは以下のアドバイス。

  • 弓をきちんと張りましょう。いつもゆるめにする私の癖を考慮してか。
  • ヴィオラの各弦がちゃんと弾ける場所を選びましょう。
  • テンポの速い場所と、遅い場所、ロングトーン。

価格ブランドをマスキングしてもらい、かれこれ30分で一通り弾いた。先生と私がそれぞれ直感で3つ選ぶ。先生の3つと私の3つのうち2つが共通していた。その2本をもう一度徹底して弾き比べた。この後にブランドと価格をオープン。

結果として最初の直感評価で先生の1位、私の2位だった弓を購入することとなった。

2025年6月20日 (金)

弾きっぱなし

6月18日12時新しい弓を持ち帰った。午後からずっと弾いていた。

ここ1年取り組んで来たバッハを片っ端から弾き直してみた。以下所感。

  • 気のせいかわからんが、弓が軽い。計れば1グラム未満の差だろうが持った感じ軽い。
  • C線の鳴りが穏やか。鳴りは穏やかだが優しさは倍増。
  • 何が驚いたってA線だ。鳴りがまとまる。キンキン感が鳴りを潜めている。ハイポジションの音が収まる。C線の鳴りこそ全てとばかり意気込んでいたのに、A線で驚かされた。
  • C線の鳴りは落ち着いたかもしれぬ。攻撃的ではないまろやかさにとって代わった。DやGも同様。しっとりという感じ。
  • スピカートが弾む。やけに軽い。
  • 弓の反応がいちいち軽やかで、弓から脱力を促される感じ。
  • 諦めていた難所、いくつかでからりと指が回った。

前回2007年に弓を買ったときも驚いたが、今回はそれ以上だ。何が違うって思うに練習の厚みだ。当時はたまの休日に取り出しての練習だったから、弾き込みも足りていなかった。弓の善し悪しを判断するパラメータが決定的に不足していた。バッハにそこまで没入していなかったせいもある。長く取り組んでいるバッハ作品を弾いたときの心地よさが自己評価の切り口になる。

2025年6月19日 (木)

大願成就

ヴィオラの弓を購入した。

6月16日のことだ。付いていた毛があまりいい状態でなかったので無料交換のサービスを受け手元にやってきたのは18日。午前11時、約束の時間に駆け込んだ。

強いて申すなら車を買うときと同じような高鳴りだが、やはり車とも違う。

  • 5月11日 夜の練習前に弓のネジ破損。
  • 5月12日 急遽工房に持ち込んで修理。
  • 5月16日 修理完了も、長持ちはしない旨宣告される。
  • 5月24日 レッスンでヴィオラの先生に相談。
  • 5月30日 購入の意思を工房に伝える。
  • 6月16日 購入。弓毛替えにて預かり。
  • 6月18日 毛替え完成で引き渡し。

ネジに発生した最初の異変からおよそ40日だ。買うと決めるまでの20日、買うと決めて手に取るまでに20日。年甲斐もなくテンションが上がった。具体的には練習に精が出た。楽器を取り出して鳴らすのが楽しくて楽しくてという状態。新しい弓を手に取ってのこの興奮なら理解も出来るが、欠陥を抱えた今の弓でこのテンションは説明不能だ。

 

2025年6月18日 (水)

二度見三度見

ディートリヒ・フィッシャー・ディースカウ先生の伝記の話。巻末にディスコグラフィーが載っている。

バッハ、ブラームス、シューベルトの記述が膨大でさすがに先生ならではだと感心していたらあっと驚く記述。

ブラームスの最後の項目に「交響曲第4番」とある。1976年2月の録音。オケはチェコフィル。ディースカウ先生の指揮ということだ。二度見三度見とはこのこと。我が家のコレクションにはない。

よくよく読むと、出てくる。

  • 1973年2月 シューベルト5番、8番 ニューフィルハーモニア管
  • 1974年1月 シューマンピアノ協奏曲 バレンボイムpf ロンドンフィル 
  • 1975年10月 シューマン2番、3番 バンベルク交響楽団

これら全てディースカウ先生の指揮だ。録音年を見るとブラームスが大トリかとも思える。ハイドン、ベートーヴェン、モーツアルトでは観察出来ない現象。あるいはバッハの膨大なレパートリーを見渡しても指揮はない。

そりゃ聴きたい。

2025年6月17日 (火)

ディースカウ伝

それは6月7日のことだった。

飲み会前の時間調整に立ち寄った古書店で、ディートリヒ・フィッシャー・ディースカウ先生の伝記を見つけた。

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650円とあって即買い。1985年の刊行。ディートリヒ・フィッシャー・ディースカウ先生の還暦記念かとも思えるタイミング。古いと言えば古いが、目次をパラパラと見ただけで脳内が熱くなった。

5月30日に先生の生誕100年を祝う記事を公開した甲斐があったというものだ。

2025年6月16日 (月)

リセットのためのドライブ

5月一部6月は我が家にとって受難続きだった。まずはお断りしておきたいのは初孫の初節句。これを筆頭とする初孫とその家族には吉事が目白押しだった。このこととは別に我が家は要お祓いともいうべき事態の連続だった。少々の整理がいる。

  • 4月11日 小田原に伯母を見舞う。透析中止の可能性について説明を受ける。
  • 5月5日に叔父がこの世を去った。
  • 5月11日の法要の際、叔母2人が車椅子で出席してきた。ボケも始まっていると分かった。
  • 5月11日夜 ヴィオラの弓が破損して、応急修理をしたが買い換え不可避の事態。
  • 5月23日 伯母に透析中止の判断が下された。
  • 5月24日 急遽伯母に面会 帰路マイカーのディスプレーがブラックアウト。
  • 5月26日 私の奥歯が欠けた。金属かぶせる処理が不可避。
  • 6月2日 伯母この世を去った。
  • 6月6日 伯母の葬儀。
  • 6月9日 伯母の遺品の引き渡し。母欠席で遺族代表が受領。

以上だ。ヴィオラの弓と私の奥歯以外はみな母の心労に直結した。片道2時間の小田原に3回母を連れ出している。

で、昨日6月15日母をリセットのドライブに連れ出した。亡き妻の誕生日でもある。静岡日帰りの強行日程。母の好物のとろろ汁を食べに、旧東海道丸子宿を訪ねた。そして安倍川餅を手土産に買い求めて、小田原のケアハウスを訪問。遺品引き渡しを欠席した母の希望だ。伯母の最後の日まで手厚い献身をしてくれた、ケアハウスのスタッフにどうしても礼が言いたいという。ここいらは割と頑固。

当日中に絶対食べてねと安倍川餅を手渡す母。6月2日の伯母の最後の様子を今一度聞き出して涙した。この手順を踏まないと母のこの先が収まらぬ。今後の元気を保証するための不可避な手続き。

帰路、やけに明るくなった母がこれだけの受難が続きながら、家族誰も怪我していないのは逆にすごいとぽつり。

2025年6月15日 (日)

グリーグ

今日はノルウェイの作曲家グリーグのお誕生日。亡き妻と同じ6月15日だ。1843年生まれだからブラームスの10歳年下。

グリークは1896年秋ウィーンにブラームスを訪問している。ノルウエイに来れば第5交響曲のアイデアも湧きましょうと言ってブラームスにノルウェイ訪問を促している。

残念ながら実現していない。

2025年6月14日 (土)

眼科定期健診の夜

網膜剥離の手術とついでに行った白内障の手術から1年経過した昨年12月、職場オケ初演奏会に向けた練習が山場の頃に、経過観察があった。そのとき異常なしで次回は半年後となってから6ヶ月経過したのでまた診察があった。退職後初めての検診。

結果から申せば良好。術後の経過に加えて、糖尿病性の病変も見られないとのこと。

で、眼科検診では必ず瞳孔を広げる目薬をさす。4、5時間目が見えにくくなる。診察から戻って自宅で練習しようと思っても楽譜が見にくい。

仕方なく、教則本の音階練習に当てる。さすがに毎日繰り返しているから暗譜出来ている。

2025年6月13日 (金)

捜すというだけで

5月30日にヴィオラの弓を買うと決めて、好適品探しに着手した。年内を目処にということなので、手元に来るのはまだまだ先だ。

あれから2週間。不思議なことがある。買うと覚悟を決めて工房の先生にそれを伝えただけなのに、気持ちが盛り上がっている。具体的には練習に精が出る。レッスンの先生に伝えたところ「お気持ちよくわかります」と強い賛同があった。

年甲斐もないこの高鳴りは何だろう。

 

2025年6月12日 (木)

楽器の寝床

愛する我がヴィオラと寝食を共にしているという話ではない。

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朝起きて床を離れ、一通りの清掃を終えると、楽器を取り出してベッドにおくことにしている。肩当てをつけて、チューニングをしておいておく。これで日中の空いた時間を見つけてはマメに楽器に触れる。

椅子や譜面台はすぐベッド脇にある。練習中にちょっとの間楽器を置くのもベッドの上だ。弓や楽器を中途半端な置き方をして破損してはいけない。楽譜への書き込みのときも楽器片手にということは避けてできるだけ楽器をおいて書き込む。

考えてみればベッドはよい環境だ。普段私以外は誰も近寄らない。周囲に大地震で倒れそうなものはない。長く家を空ける時以外はこれでいい。昼寝するときと夜だけは移す。日中風にあてる。

これのためにこそベッドを清潔に保っていると申してもいい。

2025年6月11日 (水)

ケース内除湿

昨日梅雨入り。そしてまもなく夏。

温暖化の影響によってか、今や亜熱帯もどきの日本の梅雨や夏は、弦楽器のコンディション維持にとって鬼門だとも聞く。

除湿が完全に行き届いた部屋などというのはあまり現実的ではあるまい。楽器を取り出して演奏する時はいたしかたないと諦めて、弾かないときの保管には注意を怠るまいと心から思うが、ケース内に除湿剤を入れておく位が関の山でもある。みなどうしているのだろう。

いっそのことと思い詰める。

ずっと弾きっぱなしというのはいかがか。除湿がままならぬならせめて風当て。あるいは、弾かぬときも寝床の上にそっとおいておく。365日24時間我が家の自室には私以外入ってこない。楽器を寝床に放置でもうっかりなどということはない。

リスクと言えば火災、地震などによる避難のとき、楽器を持って逃げるのが一手遅れるくらいか。

2025年6月10日 (火)

ドーヴァーで御の字

44年ぶりで懐かしい懐かしい、ブラームス弦楽六重奏第一番の楽譜を買ったらベーレンライターのイメージカラーだった話はしてある。

いかんせんお値段が張る。万札は飛ぶ。パート譜だからヴィオラ以外のパートは持ち腐れることを考えるとコスパはさらに低い。

そこで代替となるのは大判のスコアだ。ヴィオラで弾いてみたいおいしい場所を開いて譜面台にくくりつけるだけだ。

大判スコアなどと申しているが実際にはドーヴァー社のスコア一択。交響曲、室内楽、協奏曲と出ている。パート譜に比べれば遙かにお安い。万が一古本ショップで見つければさらにおいしい。

ヴィオラのおいしい場所のつまみ食いにはもってこいである。

 

2025年6月 9日 (月)

トウハク

博物館好きの間ではこれで「東京国立博物館」の意味でまかり通るらしい。

次女たち夫妻が同博物館の正面ホールを舞台にブライダル写真を撮った。きちんとドレスを着て、化粧してもらい、一生に一度の記念写真となった。披露宴をやっていない二人にとってこれが決勝戦。年内には欧州に旅行に行くとも言っている。

私の披露宴の際のお色直し後に亡き妻が着たようなダークブルーのドレス。プロの化粧にプロの着付け、そしてプロのカメラマンの手にかかってそれはそれは立派なできばえ。

ましてや場所は2人の思い出の「トウハク」。重厚な内装はまるで欧州のお城のよう。かれこれ半年待っただけのことはある。

もはや立派なジューンブライド。

スマホを持っていない母にと二人から厳選の写真集が贈られた。

2025年6月 8日 (日)

爪切り

都内の某刃物専門店と母は長い付き合いだ。20年以上前に包丁を買い求めてからずっとである。時折その包丁を研ぎに出す程度の付き合いだが、出来るだけ自分で出向いている。包丁の使い勝手が変わったといって持ち込むと、研磨を繰り返したために刃の高さが低くなって、包丁を持つ右手指がまな板に当たることが原因だと判明。

お店からしたら20年前自社の販売した包丁がここまで使われて嬉しいとなる。で、対処方法はもう新しいのを買うしかないとわかり、気持ちよく3万円を払って買い求め、従来のはスペアにすることとなった。

あれから半年、その新しい包丁を研ぎに持ち込んだ。

このとき店頭で爪切りを見つけた。

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そもそもヴィオラ演奏を老後の趣味と定めて打ち込み始めて1年半。まじめに爪も切っている。爪の手入れは弦楽器に限らず演奏家は必須である。歌手たちはどうなっているか知らぬが、弦楽器や鍵盤楽器では不可欠。「音程がよくなる」とか「バッハ専用」とか言われたら信じかねない。どこかにいかした爪切りはないものか探していた。薬局やコンビニでも扱いがあるにはあるが御利益がなさぞうで面白くない。

東京の老舗専門店で買うのも悪くないと衝動買い2000円だ。

2025年6月 7日 (土)

3重の繰り上げ

小田原の伯母が亡くなった。長嶋さんの訃報が駆け巡って関税も、備蓄米も吹き飛ばした前日のことだ。

10年以上続いた透析が中止されることになり、先般急遽会いに行ってから10日だ。周辺の事情は親族、医師、関係者で共有済みであった。もちろん母も覚悟は出来ていのだが、やはりショックは隠せない。

昨日、母を連れて葬儀に参列してきた。

伯母には子供がいない。出席は母と私の他は、私の従兄弟一人だけ。たった3人で伯母を見送る一日であった。平日のため移動だけで片道3時間かかった。斎場に直接集合しすぐに火葬に移る。90分で収骨が始まってあっと言う間に終了。その足でお寺に向かう。お寺では「葬儀」「初七日」「四十九日」「納骨」の4種の儀をまとめて行うという段取り。葬儀以外の3種の儀式を繰り上げて行ったということ。葬儀の後、最年長の母はご住職に求められて姉との思い出話を披露した。お話が上手なご住職は話を聞き出す達人でもあった。姉との思い出をとうとうと語り尽くし、満足した様子。供養のようでいて実は、残される母のための瞬間でもあった。明日からまた母ががんばるための儀式にとも思えた。これを仕組んだご住職に感謝あるのみ。帰路3時間、母はなぜか上機嫌だった。

これにて母は、親戚一同の中で最年長となる。母方はもちろん父方を見渡しても90歳は最年長だ。

 

2025年6月 6日 (金)

例えばゴールドベルク

装飾音符の処理は、演奏家に任されている。とはいえしきたりだけは守らねばならぬ。数字を見て和音をとっさに付けて行かねばならぬ通奏低音ほどではないが、現代の演奏家には荷も重い。

例えばゴールドベルク変奏曲冒頭だ。

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見ての通り装飾音符だらけ。事前にちゃんと整理が出来ていないと弾けない。同曲が別編成に編曲されるとき、そこが配慮される。

例えば、以下。

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ゴールドベルク変奏曲冒頭の装飾音符が一部律儀に記譜されている。

現代の名人たちは、楽譜に落とされてさえいればかなりな難曲でも軽々だ。アンサンブルの厳密さは記譜の方がより安定するものと思われる。

2025年6月 5日 (木)

装飾音符どうする

バッハの楽譜には装飾音符がかなり出てくる。

3月に始めたヴィオラレッスンで落ちた鱗はかなりな枚数に上るが、今のところ最大の鱗は装飾音符だ。

バッハ作品に新たに取り組む際、まずは楽譜を前にボウイングやフィンガリングを決めに入る。小節の頭はダウンだとかアウフタクトはアップだとか。同時にフィンガリングも。開放弦は割と使ってよろしいが、トリルを薬指と小指でかけてはならぬと。

先生は曲中全ての装飾音符を抜き出してその周辺の効果的なフィンガリングを割り付けよと説く。バッハの装飾音符は複雑でそれだけで本も書けるという。演奏に取り組む前にそのあたりの整理は終えておくべしと。

ボウイングにだって影響する。曲の性格やテンポも考慮せねばならぬ。逆に申せばそれらがきれいにはまったとき見違えて曲が流れることもある。

2025年6月 4日 (水)

トリル

「tr」が付与された音符の示す音と、その2度上の音を急速に交代させる奏法とでもしておく。定義はあっさりと出来るがその奏法は奥が深い。奏法をめぐって本が書ける程だという。一般に音の強調を意図して用いられるが、一筋縄では行かない。ぬるい定義でお茶を濁そうとすると思わぬところで破綻する。第4交響曲第3楽章32小節目のトライアングルに「tr+波線」が現われる。これは2度上の音との急速な交代の意味ではあり得ない。そういえばティンパニでも事情は同じだ。してみると打楽器における「tr」は「トリル」ではなくて「トレモロ」だと考える必要がある。今更人に聞けない系の疑問だ。

トリルの弾きはじめや弾き終わりには一定の作法があるらしい。小音符による装飾音が組み合わされることでさらに複雑になる。トリルが続く間楽譜上に波線が書かれることもある。ロングトーンでは必ず音の減衰を伴ってしまうピアノと弦楽器ではトリルの位置づけも違って来るだろう。

奏法もさることながら、その音符をトリルの扱いにするかどうかの基準は作曲家の頭の中で行われる高度な芸術上の判断に属すると思われる。楽譜の上にはそうした判断の結果としての「tr」が記されているだけである。

難攻不落で有名なピアノ協奏曲第1番には、独奏ピアノに厄介なトリルが目立つ。特に第1楽章の111小節目は、小指の酷使ここにきわまるという感じの難所である。よくよく見ると「tr」という表示こそ存在しないものの、ひとつ前の110小節目も同様だ。わずか2小節の休止をはさんでまた115小節目にも同じパターンが出現する。どうやって弾いているのだろうという怖いもの見たさが頭をもたげる。しかししかし、この程度で驚いてはいけないとばかりに、楽章のクライマックスを形成する317小節目あたりから17小節間、この手のトリルが執拗に現われて休む間もない。弾き手の苦労ばかりが透けて見える難所である。ブラームスもクララもこれが弾けたということなのだ。

音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第1巻91ページに興味深い記述がある。ピアノ協奏曲第1番のブラームス自身の演奏の回想だ。第一楽章のとてつもないトリルを、前のトリルと後のトリルの間にわずかな隙間を設けることで強調していると証言している。音が切れる瞬間に両手を高く振り上げる動作を雄大と評している。この描写が本日話題の場所のことである可能性は高いと思う。

さてさて難易度は棚上げにして、ブラームスがヴィオラに与えた最長のトリルはというとピアノ四重奏曲第3番第2楽章の結尾だと思われる。224小節目からH音のトリルが4小節間続く。ピアノやティンパニには長いトリルが頻繁に現われるから4小節程度ではベスト10にも入るまい。

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単に長さの問題ではなく、カッコいいかどうかに基準を移す。個人の趣味に大きく左右されてしまうが私にとってもっともカッコいいトリルはヴァイオリン協奏曲の第1楽章332小節目である。ここから5小節、4分音符単位で進む間、独奏ヴァイオリンはずっと一貫してトリルで貫かれる。トリルでなければならぬ必然性において随一のような気がしている。

2025年6月 3日 (火)

65歳と130日

1750年7月28日にバッハはこの世を去った。満65歳と130日だ。

今日一日を永らえば、私はこれに並ぶ。明日からバッハを超える長寿を享受できる。彼の作品をヴィオラで堪能しながら老いを重ねて行く。

2025年6月 2日 (月)

五月七日

漢字で「五月七日」と書いて「つゆり」と読む。申すまでも無く5月7日はブラームスの誕生日なので、気になる。これが名字にもなっているらしい。さすがにさすがにブラームスとは無関係である。「つゆいり」が圧縮された形らしい。この時期ちょうど梅雨入りが多いからだと。実感として五月七日では梅雨入りが早いと思ったら、これは旧暦だった。今の暦になおすと6月2日である。

2025年6月 1日 (日)

捜索願い

行きつけの工房の先生に、ヴィオラの弓の捜索願いを出した。

現在の弓に加えて店頭の在庫をいくつか弾かせてもらいながら、私の好みの傾向をご指摘いただいた。概ねの合意は以下の通り。

  • ドイツ製巨大ヴィオラを私が一生楽しむための弓。
  • 控えではなく一軍を探したい。
  • 弓の生産国にはこだわらない。
  • 大きな音を出したい。
  • 柔らかい音を出したい。
  • 急いでいない。

大体お値段はこれくらいと提示があった。「気に入ってもらえた場合のみお買い上げでOK」ということだが、高価。

条件に合う弓が見つかったところで、連絡があってお店で弾かせてもらって決める。

口頭での合意。契約書、発注書の類いはないので、これを発注とは呼べまい。お取り寄せよりもっと前の段階。

不運が続いた5月の験直しにつなげたい。

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