リセットのためのドライブ
5月一部6月は我が家にとって受難続きだった。まずはお断りしておきたいのは初孫の初節句。これを筆頭とする初孫とその家族には吉事が目白押しだった。このこととは別に我が家は要お祓いともいうべき事態の連続だった。少々の整理がいる。
- 4月11日 小田原に伯母を見舞う。透析中止の可能性について説明を受ける。
- 5月5日に叔父がこの世を去った。
- 5月11日の法要の際、叔母2人が車椅子で出席してきた。ボケも始まっていると分かった。
- 5月11日夜 ヴィオラの弓が破損して、応急修理をしたが買い換え不可避の事態。
- 5月23日 伯母に透析中止の判断が下された。
- 5月24日 急遽伯母に面会 帰路マイカーのディスプレーがブラックアウト。
- 5月26日 私の奥歯が欠けた。金属かぶせる処理が不可避。
- 6月2日 伯母この世を去った。
- 6月6日 伯母の葬儀。
- 6月9日 伯母の遺品の引き渡し。母欠席で遺族代表が受領。
以上だ。ヴィオラの弓と私の奥歯以外はみな母の心労に直結した。片道2時間の小田原に3回母を連れ出している。
で、昨日6月15日母をリセットのドライブに連れ出した。亡き妻の誕生日でもある。静岡日帰りの強行日程。母の好物のとろろ汁を食べに、旧東海道丸子宿を訪ねた。そして安倍川餅を手土産に買い求めて、小田原のケアハウスを訪問。遺品引き渡しを欠席した母の希望だ。伯母の最後の日まで手厚い献身をしてくれた、ケアハウスのスタッフにどうしても礼が言いたいという。ここいらは割と頑固。
当日中に絶対食べてねと安倍川餅を手渡す母。6月2日の伯母の最後の様子を今一度聞き出して涙した。この手順を踏まないと母のこの先が収まらぬ。今後の元気を保証するための不可避な手続き。
帰路、やけに明るくなった母がこれだけの受難が続きながら、家族誰も怪我していないのは逆にすごいとぽつり。
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