ブラームス神社

  • 道中安全祈願

おみくじ

  • テンプレート改訂しました

独逸日記

  • ドイツ鉄道博物館のおみやげ
    2012年3月28日から4月4日まで、次女の高校オケのドイツ公演を長男と追いかけた珍道中の記録。厳選写真で振り返る。

ビアライゼ

  • Schlenkerla
    自分で買い求めて賞味したビールの写真。ドイツとオーストリアの製品だけを厳選して掲載する。

カテゴリー

« 2025年6月 | トップページ | 2025年8月 »

2025年7月31日 (木)

6590問題

「6590」でも「9065」でもそれはこの際どちらでもいいけれど、昨今の報道を見ていると2つの側面があると感じる。

一つ目は老老介護。私が65歳で母が90歳だからこうなる。90歳の母を65歳の私が介護しているとなると、まさにその通りなのだが、母は「私は介護されていない」と断固言い張る。たしかにその通り。その気力こそ長生きの源泉。なんせ今も生活費を母に手渡している。

今一つの側面は、65歳の息子が引きこもって、90歳の親の年金で暮らすという、いわゆる「引きこもり」問題だ。幸い幸い、私も母も健全に年金がもらえている。

いつまでも対等。ときどきけんかもする。

2025年7月30日 (水)

母と同居51年

7月26日の記事「無茶の代償 」で、すごいことを書いていた。「7月の生活費を母に渡した」云々だ。

つまり、私は65過ぎて、90歳の母に生活費を手渡しているということだ。家計のやりくりは今も母にかかっている。

私は22歳で就職すると同時に大阪に単身赴任した。これが1982年4月のこと。そして結婚し、妻が亡くなったのが1996年2月。会社の配慮で両親と同居が始まったのが1996年5月。1996から1982を引き算する。これまでの人生が65年で14年だけ母と別居したものの、残る51年が母と同居ということになる。

就職前は大学に通うのも自宅からだった。妻の死去で子供3人と両親と同居することになったときから、生活費を母に手渡してきた。母は当時在世だった父の年金と合わせて家計をやりくりしていたということだ。が、その枠組みが今も続いているということに他ならない。父没後母は遺族年金を受け取っている。会計的には2世帯同居ということだ。

なんと、母は家計簿もちゃんとつけている。夕食の献立とともにメモされ半ば日記化した家計簿が何冊もうちにある。

そりゃあ、ぼけない訳だ。

2025年7月29日 (火)

バターケース

90歳「第三交響曲寿」の祝いに母に何を贈るか超迷った。

選んだのが以下。

20250727_122213

木蓋つきホーロー製のバターケース。母は訳合って450gユーザーだが、適当なケースがなくていつももじもじしていた。誕生日のお祝いにこのような家庭雑貨をお贈りするのは賭けでさえあったが、喜んでくれている。

20250727_122952

実はこの木製バターナイフだ。よく見るとネックが少し曲がっている。これ右利き用ということだ。

喜んでもらえた。こういうところは90歳を迎えたとはいえ、現役の主婦感が色濃い。ある意味読み通りだ。

2025年7月28日 (月)

大パーティー

家族総出で母の90歳を祝った。目玉は初孫。つい7日前に一升餅を背負わせたばかりの初孫が、曾祖母の90歳を祝いに一家でやってきた。

7月27日は母の誕生日ということで、早くから企画していた。家を新築した勢いでマイカーまで買い求めていた娘夫婦が、そのマイカーでやってきた。これまでに母や私から贈ったベビー服で全身を着飾った孫は、すでに母から主役を奪う勢い。

20250727_151003

誕生日5日違いの2人だから、母はひ孫の誕生日を指折り数えて待ちながら自分の誕生日も自動的にたぐり寄せる構造になっている。

2025年7月27日 (日)

第三交響曲寿

本日は母の誕生日。1935年の生まれなので満90歳となる。だから第三交響曲寿。もちろんブラームスの交響曲第3番ヘ長調op90の作品番号にちなむ。

昨年12月末に肺炎を患ったり、今年5月以降、親戚に不幸が重なった心労など乗り越えてこの日を迎える事が出来た。

車椅子はもちろん杖にも頼らずに、家事全般を私と分業している。掃除も洗濯もするし飯も作る。医者はいくつか掛け持っているものの、毎月の美容院とデパートがいいアクセントになっている。

そしてそして89歳違いのひ孫との交流が生きがいではあるのだが、それだけにもなっていないところがすごい。

心からおめでとう。

 

2025年7月26日 (土)

無茶の代償

弓の購入からおよそ40日経過した。ヴィオラ演奏への貢献は計り知れない。力を抜けとつぶやき続けてくれる。

効果の程は身にしみているが無理を承知の買い物だった話はしてある。高価だ。

そもそも退職1年目は何かとリスキーだ。税金、健保などは前年の収入を元に計算されるから、今年は嘱託勤務だった昨年の収入が根拠になっている。百も承知で備えていたつもりの少々の蓄えを弓の購入に充てた。昨日、7月の生活費を母に手渡した途端にお金がない。あとおよそ2週間、水を飲んで暮らせということだ。

つまり家に閉じこもってバッハを練習する。むしろこれは悪循環ではなくて、良いことだと言い聞かせる。

2025年7月25日 (金)

父の無念

私たち一家4人。そして母を残して病に倒れた父はさぞさぞ無念だったろうという話。

私が妻を亡くしたとき、残された子供、つまり両親たちからみれば孫3人の養育が大大大課題だったが、父が養育を買って出た。私には「じいちゃんとばあちゃんで孫3人見るからおまえは今まで通り働け」と。母に対しては「息子のピンチを二人でアシストしよう。それを老後の生きがいにしてゆこう」と自筆の手紙で呼びかけた。

家族思いを絵に描いたような男。

だからそのわずか1年半後に息を引き取るのはさぞ無念だったはずだ。判明したときには手遅れの膵臓がんである。もし永らえていれば母と一緒の再子育ての中に、小さな幸せを見つける事も出来たはずだ。

玉のようなひ孫を父にも抱かせたかった。父の分まで母を大切にするという決意はここに由来する。

2025年7月24日 (木)

母は偉大

話題の浸透には話の整理が必要だ。

1996年2月私が妻を亡くしたとき、我が家の子供たちの年齢は下記。

  • 長男 3歳10ヶ月
  • 長女 2歳2ヶ月
  • 次女 0歳5ヶ月

母の子育てはここから始まる。このとき61歳の父母と我が家4人の共同生活が始まった。1年後に今の住居を買い求めた。その引っ越しからわずか5ヶ月後父が病に倒れ1997年11月には息を引き取った。

私は勤務を続けながら、母一人の子育てがそこから始まった。3人ともちゃんと成長し、このうちの長女が子供を産んで、1年が経過したと言うことだ。母にとってのひ孫、私にとっての初孫の成長を見守ったのは幸せには違いない。母となった長女の奮闘ぶりは、見ていて健気でさえある。

孫の5ヶ月到達は小さなショックだった。なぜなら妻を亡くしたとき最年少の次女が5ヶ月だったからだ。5ヶ月の孫が母である長女に依存する様子を見るにつけ、その歳で母を亡くした次女を思いやる気分が勝っていた。長男長女も似たりよったりだ。

私はといえば子育てに必要な部門への再配置はしてもらえたものの産休は無い。母は長男長女を保育園ではなく幼稚園に入れて、次女を見続けた。

今の長女の子育てぶりを見るにつけ、ただただ呆然とする。私は母にそれをさせたのだ。3人の子育ての苦労が1人の場合の3倍とはなるまいが、還暦過ぎの母にそれを強いたということだ。今自分が還暦を越え、そこから3人の子育てをさせた重みは増すばかりだ。初孫の成長を見る楽しみと同等に、母の苦労を思いやっている。

この先なんとしても母の老いを見守らねばならぬという強い決意はここに由来する。初孫の1歳を機に改めて誓いを表明する次第。

2025年7月23日 (水)

Kinderkleidung

「Kinderkleidung」ドイツ語で子供服だ。

初孫1歳の誕生日にと服を選んだが、どうせならとばかりドイツ製をさがした。ネットで買うのは怖いので都内のショップを物色した。

20250609_165013

胸のメッセージが英語だったりと突っ込みどころも無くはないが、そこは気持ちの問題だ。海外製のベビー服はアメリカの他イタリアやフランス、あるいはスペインあたりの欧州が優勢だが、やはりやはりドイツを選ぶ。

デザインよりも丈夫さとか優しさとか、環境配慮とかに傾きがちなのがドイツらしいところである。

2025年7月22日 (火)

一升餅

本日初孫1歳。誕生日が連休明け火曜日になる暦のせいで、親戚一同が昨日娘夫婦宅に集まって、赤ん坊に一升餅を背負わせた。

両親に両方の祖父母、我が家はもちろん曾祖母の母が、娘夫婦宅に集まって祝いの午後を過ごした。

壁にはバースデーのディスプレイ。で、特注の一升餅を背負わせる。まだやっと立つか立たぬかの孫を皆で囲んで専用のザックにいれたお餅を背負わせる。かなり重い。そりゃ歩くのは当然無理だが、はいはいならと割とさくさく這い回った。いつまでも機嫌良く這ってはいるが、ときどき進路がぶらつく。

20250721_142547

「おめでとう」と切り上げて15時にはバースデーケーキ。ろうそく1本に火をつけて吹くまね。のつもりが、ろうそくに手を伸ばして触ろうとするハプニング付き。

20250721_150634

最後は専用の色紙に1歳記念の手形を押させた。

20250721_160258

要は家族の満足だけなのだが、全員で盛り上がった。大人6人の真ん中で常に愛嬌を振りまいてくれた初孫の未来に、ブラームスとバッハのご加護をフォルテシモで。

2025年7月21日 (月)

ピアノ書法

思うだに難解。

ピアノ作品におけるピアノの取り扱いを言うと感じている。浮かんだ楽想と、楽器の機能・性質・音色のマッチングのさせ方かもしれない。作曲家の個性がパラレルに反映するから「ショパンのピアノ書法」「モーツアルトのピアノ書法」という言い回しも頻繁に見かける。

例によって音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第2巻120ページをご覧頂きたい。ホイベルガーとの会話の中に興味深い話がある。

親しい知人の特権だろうか、ホイベルガーはブラームスのピアノ作品について鋭い突っ込みを入れる。ブラームスのピアノ作品が世間様ではしばしば「ピアニスティックではない」と言われていると水を向ける。

ブラームスは怒るでもなく「知っているよ」と答える。「でもピアノでちゃんと演奏出来るように気を配っているんだ」と続ける。

禅問答とはこのことだ。ピアノで演奏不能なところが無いよう気を配っていても「ピアニスティックではない」と言われてしまうことを当然と受け止めていると見た。

そしてブラームスはこのあと面白いことを口にする。「シューマンの作品はピアノでは演奏不能に見えるところもある」「その方が幻想的で素敵だけれど」と続けるのだ。ピアノで演奏不能な箇所があることを半ば肯定している感じである。そのほうがかえってピアニスティックであるかのようなニュアンスだ。

具体的に作品名を挙げていない上に私自身にシューマンのピアノ作品の知見が無いこととで、これ以上議論を深められないのが残念だ。けれどもピアノ書法に関するブラームスとシューマンの個性をうまく言い表しているのかもしれないと感じる。

 

 

 

 

2025年7月20日 (日)

ちょっとしたこと

ブラームスは協奏曲を交響曲に近付けたいと念じていた形跡があると言われている。最初の協奏曲であるピアノ協奏曲第1番が「ピアノのオブリガード付きの交響曲」と呼ばれていたり、最後の協奏曲、ヴァイオリンとチェロのための協奏曲は、第五交響曲との関係まで詮索されている。至宝ヴァイオリン協奏曲は、当初四楽章制を目論んでいた。

ピアノ協奏曲第2番では、とうとう現実に四楽章制となった。解説書ではしばしばそれに言及される。「協奏曲と交響曲の融合である」云々だ。この主張の根拠は概ね以下のように集約できると思う。

  1. 4つの楽章を持つこと
  2. その4つのうちソナタ形式の楽章が2つあること
  3. 独奏楽器の名人芸の披露が主目的ではないこと

特に上記の2番目は重要だ。ピアノ協奏曲第2番の終楽章がロンド形式でなくてソナタ形式になっている点、強固な意志の存在を感じる。

しかししかし天邪鬼な私は、安易にうなずいたりしない。しからば問う。ピアノ協奏曲第2番の特徴のうち以下に掲げる諸点をどう説明するのだろう。

  1. 緩徐楽章が第3楽章に位置している。ブラームスの4つの交響曲では緩徐楽章はすべて2楽章だからだ。
  2. 事実上スケルツォを配置している。ブラームスの交響曲の第3楽章にはスケルツォが置かれていない。
  3. フィナーレが「allegretto」だ。交響曲のフィナーレを「allegretto」にした例はない。

とりわけ3番目に注目願いたい。フィナーレがロンドでなくソナタになっているのは、交響曲側の慣習に沿っているが、その楽章が「allegretto」なのは異例だ。ソナタ形式の楽章が「Allegretto」を採用する唯一の例である。この場合縮小語尾の目指すターゲットはテンポではなくて規模である可能性がある。いわば「小ソナタ」のノリだ。

ピアノ協奏曲第2番を「協奏曲と交響曲の融合」とする文章が、上記の事実に言及するのを見たことがない。

ブラームスは、本当に「協奏曲と交響曲」の融合を目指したのだろうか。4楽章制を指向したことは事実だと思うが、それをただちに交響曲に結び付けてよいのだろうか。未解決の疑問が残っていると感じている。

 

 

 

 

2025年7月19日 (土)

協奏曲のフィナーレ

ブラームスの4つの協奏曲を聴いていていつも思っていることがある。まず以下のリストをご覧願いたい。

  • ピアノ協奏曲第1番op15第3楽章Allegretto non troppo
  • ヴァイオリン協奏曲op77第3楽章Allegro giocoso,ma non troppo vivace
  • ピアノ協奏曲第2番op83第4楽章Allegreto grazioso
  • ヴァイオリンとチェロのための協奏曲op102第3楽章Vivace non troppo

ピアノ協奏曲第2番だけが第4楽章になっているが、協奏曲のフィナーレを作品番号順に列挙したものだ。4つとも「アウフタクトを伴わない4分の2拍子」になっていることに加え、テンポも似たりよったりだ。

協奏曲というジャンルは本来独奏者の演奏テクニックの披露が大きな目的の一つとなっているから、第1楽章と緩徐楽章で作曲家の言いたいことはほぼ言い尽くしてしまって、フィナーレは独奏者に花を持たせるという作りになっていることが多い。複雑で華麗なパッセージを目にもとまらぬテンポで駆け抜けてこそのフィナーレだ。古今の名曲はほとんどそうなっている。ヴィヴァルディやバッハの時代はまれにメヌエットが置かれることもあったが「Allegro」または「Presto」と相場が決まっていた。古典派以降も序奏がある場合を除けば「Allegro」は最低ラインである。独奏楽器が何であれ、その点が揺らぐことはない。

ところがところが、見ての通りブラームスの4曲はスカーッとした快速な音楽にはなっていない。「Allegro」や「Vivace」が「non troppo」によって抑制されてもいる。ピアノ協奏曲第2番に至っては「Allegro」から「Allegretto」に陥落している。

言いたいことは緩徐楽章までに盛り込み終えて、フィナーレは「演奏者の花道」というような構造になっていないと断言したいくらいなのだ。フィナーレに至ってもなお言いたいことが山ほどありそうな感じである。あるいは華麗なパッセージを目にも止まらぬ速さで弾けることより大切なことがありますとでも言いたげである。「そういうコンチェルトをお望みなら他を当たってくれ」というメッセージかもしれない。盛り込もうとした音楽が濃いから、テンポが速過ぎると伝わらないことを危惧した結果のようでもある。

これらの協奏曲は楽譜の通りに弾くこと自体が超高難度であることは周知の通りだが、ただ間違えずに弾ければいいというものでもない度合いも半端でなく高い。そういうところが何だかブラームスっぽい。

昨日梅雨が明けた。

2025年7月18日 (金)

ガンバソナタラブ

極論すればバッハにヴィオラ用の作品は無いに等しい。無伴奏系はヴァイオリンとチェロに限るし、二重奏ソナタもヴィオラはない。わずかにブランデンブルク協奏曲の第6番がヴィオラ独奏という様相だ。カンタータなど宗教作品にヴィオラ独奏のオブリガートはあるにはある程度。

しからば絶望かと申すととんでもない。ヴィオラダガンバのためのソナタをヴィオラ用にと編曲した3曲が旱天の慈雨だ。

学生時代ヴィオラのレッスンに通っていた時代、先生のすすめで1番を取り上げたが、あまり深入りしていなかった。オケの定期演奏会の演目中心で、授業やコンパに忙しくてまともに練習していなかった。もったいない。当時その程度の若造に、ガンバソナタを勧めてくれた先生の慧眼に今更ながら敬意を払う。

職場オケの発足に触発されて15年ぶりに取り出したヴィオラの腕前復旧にと心を砕くうちにやみつきになった。特に1月末で仕事をやめてから、空いた時間にみるみる浸食してきたのがバッハとヴィオラで、ガンバソナタ3曲はその中核にある。3月から初めたレッスンでは、迷わずガンバソナタを取り上げてもらった。先生と一緒になって丹念に演奏上の要所をさらいこむ。ト長調ニ長調ト短調という並びが初心者ヴィオラ奏者にはうってつけだ。

さらにグールド好きのピアニストと巡り会って、そこでもまたガンバソナタだ。

メトロノーム相手に一人でさらう。レッスンで弱点の抽出と埋め合わせ、グールド好きと突貫アンサンブルが妙なルーチンになっている。

全11楽章が本当に多様で飽きない。

2025年7月17日 (木)

音楽は身を助く

43年10ヶ月の会社生活が、残り1年半を切った頃、職場にオケが発足することになった話はしてある。

15年ぶりに取り出したヴィオラをなんとか弾きこなそうともがく中から、退職後の趣味をヴィオラ演奏にしたいと思い詰めるようになった。決め手はバッハだった。演奏会の演目の曲そっちのけでバッハをさらい、これを生涯の趣味にと決意するのにさしたる時間はかからなかった。

その頃、自宅付近に弦楽器工房を探しあてて通い出した。自己流の練習を戒めるためにと、レッスンをすることになり、楽器工房の紹介で近所に先生が見つかった。弓を新たに購入して、さあこれからという時に、古くからの知人が実はバッハ好きのピアニストだとわかって、アンサンブルを試みた。

これらみな音楽が取り持つ縁だ。顧みれば今から47年前大学入学と同時にオケに入ったことにたどり着く。2010年くらいには完全に途絶えた演奏の習慣だったが、ここにきてみるみる復活を遂げた。仮に定年後1からヴィオラを習うことになったとしたら、技術的にも経済的にも巨大なハンデとなったことだろう。1992年無理を承知で買った巨大ヴィオラが今ここにある。そのことを2005年に立ち上げたブログ「ブラームスの辞書」で記事に出来る。

しあわせと言うほかはない。

 

 

2025年7月16日 (水)

お盆のファンタジー63

無伴奏チェロ組曲を弾ききったブラームスが「おっと、失礼。貴殿も何か弾いてくれ」とこちらに向き直った。

3月からヴィオラの先生についてレッスンをしてもらっている。仕事をやめて一生ヴィオラを弾いてすごそうと決めたところだが、自己流は良くないと思い詰めた話をした。うんうんとうなずいてくれている。一生バッハだけ弾いていたいとも付け加えた。ブラームス先生は「それはいい」「本当におすすめだ」と予想以上のノリ。「わしの曲よりずっといいわい」と毎度毎度の謙遜。「で、今レッスンで何をやっているの?」と身を乗り出す。

ほれとばかりに私がガンバソナタの楽譜を差し出すと、やってみようとなった。へ?とたじろぐ私。

「何番をご所望で?」と聞いてくるブラームス。おずおずと「1番ト長調ですが」と答えるとOKという合図。

さっそく第一楽章に取りかかる。またまた暗譜だ。

通る。そりゃあドアマチュアに合わせて手加減もしてくれてはいるのだろうが、何より楽しく通る。音外すとこちらをゆるくガン見してくる。響きがはまると「ひゅー」と口笛も聞こえる。ガンバソナタ3曲ぜーんぶ。やった。特に特にだ。3番の第二楽章をブラームスの所望で2度やった。「わしゃあこれが大好きでのう」とお茶目な言い訳を聞いた。「最高のBdur」と手放しだ。「あんたがピアノ弾けるなら、わしがヴィオラを弾きたいくらいだわい」と。

長男がビールをもって「反省会反省会」と言いながら割り込んでこなければ3度目が始まったはずだ。

反省会は案の定盛り上がった。

「譜読みだけは、進んでいるようですね」がブラームス先生の第一声だった。「ですが楽器の能力を引っ張り出す途上のようです」「巨大な楽器ですがあなたに合っているので、もっとテンポを落としてきれいな音を出すことを心がけましょう」「よい弓に変えたのだから少し張り気味にして、しっかり音を出しましょう」「楽器鳴らすのは必ずしもフォルテを意味しませんよ」「基礎ちゃんとしておくと、いつかはカラリと弾けますよ」

耳は痛いが返す言葉はない。

「楽しい」「バッハすごい」「ヴィオラ万歳」の3点についてはブラームス先生と完全に意見が一致した。

 

2025年7月15日 (火)

お盆のファンタジー62

トランプが7並べに変わったところで、ブラームスが私のところに近づいてきた。

「ヴィオラの調子はいかがかな」とにこにこと切り出してきた。「貴殿のヴィオラ古いドイツ製と聞いたが見せてもらえまいか」と懇願する仕草。実は半ば待ちかねたように私がヴィオラを取り出して、ブラームスに見せた。目を輝かせるブラームス。いきなりf字孔に目をあててのぞき込む。

「Otto Bauschは聞いたことあるぞ。1877年ライプチヒ製とは驚いた。どこかですれ違ったことがあるかもしれん」で、「弾いてもいいか」と。私が「Ja」と言う前に構えている。「うお!大きいな」と一言漏らす。「18インチですわ」と半ドヤ顔の私。

さっそくバッハ、無伴奏チェロ組曲だ。楽譜も見ないでさくさくと弾く。

ト長調の1番を弾き終わって「これを鳴らすのは腕前の他にも体格も必要じゃのう」「貴殿は十分な体格だからがんばればなんとか」独り言めいたメッセージが続く。

私が「貴殿のソナタをどちらか弾いてはもらえませんか?」とヴィオラソナタを催促すると聞こえないふりをかまして、バッハのニ短調の2番に移る。増4度をやけに強調したりするものの、スラーやトリルは楽譜通りに入れてくる。「全部暗譜ですか」と恐る恐る尋ねると「まあね」代わりのウインクが帰ってきたが、弾くのはやめない。

行きがかり上私も楽譜を見ながら聞いていたけれど、暗譜すごい。

最後に「バッハいいな」とポツリ。

2025年7月14日 (月)

お盆のファンタジー61

さてさて道中の続きということでユーリエがトランプを持ち出した。ブラームスを入れて5名の道中ということでナポレオンに興じていたらしいが、何か違うものをというブラームスの求めで、大貧民を私が教えることにした。

お父さんのロベルトがカードでいろいろと遊ぶのを見たことはあるらしいが、4人とも大貧民ははじめてだという。この時代に身分差別を助長するような遊びはいかがなものかと「もごもご」つぶやくブラームスを尻目に女子たちは大乗り気だ。

末娘オイゲーニエの呑み込みが一番早い。お姉さんがたを早々に手玉にとっている。三女ユーリエは、おしとやかな外見に似合わず勝負師だ。イチかバチかの勝負に出て裏目に出ることがない。お人好しのマリーエは目下万年大貧民の泥沼にあえいでいる。「ブラームスさんは、ユーリエには手加減している」と次女エリーゼから鋭い突っ込みを入れられている。大変な騒ぎになっているが、帰ったらお母様にも教えましょうと意見が一致したようだ。

エリーゼの突っ込みにしどろもどろの対応で大貧民から早々に退散したブラームスは、長男とサッカーのゲーム。長男はハンブルクのチームを操って連戦連勝で、ブラームスを驚喜させている。ミュンヘンやブレーメンには絶対に負けるなと言って熱くなっているが、オフサイが納得いかないという表情だ。長男が苦労して説明しているが、飲み込みが悪い。

トランプはいつの間にか七並べに変わっていた。

2025年7月13日 (日)

お盆のファンタジー60

道中ご機嫌だったと見えてブラームスがやけににやけている。

今日はこの人たちをお連れしたと紹介してくれたのはご婦人方4名。「マリエです」「エリーゼよ」「ユーリエです」「オイゲーニエです」と次々と自己紹介があった。そうシューマン夫妻の娘たちだ。ご婦人4名に囲まれての道中、どうりでブラームスの顔がほころぶわけだ。

さっそくですがと長女マリエが綺麗な箱を差し出す。「お孫さん満1歳おめでとうございます」

それは「マリエ姉さんが今朝焼いたクッキーです」と付け加えるのは次女のエリーゼ。「母直伝のシューマン家のクッキーなんです」とユーリエまでしゃしゃり出る。おお。我が家の初孫まもなく満1歳をお見通しとは、さすがに目端が利く。

末娘のオイゲーニエが何やら大きな紙袋を持ちだして「これ母から預かってきました」と差し出す。「ここに来ていませんが我が家には男の子も3人おります」「末の弟フェリクスの古着ですみませんがお孫さんに着せてあげてください」「お孫さん体格が大きいと聞いていますのですぐお試しください」と女子4名の補足がにぎやかだ。

「もし、もし、この先女の子が生まれたら、かわいい古着が山ほどありますので」とマリエから嬉しい念押しがあった。

出番のないブラームス先生に長男がビールを差し出している。

2025年7月12日 (土)

大々奇遇

10年以上のおつきあいの知人が、実はピアノ好きだったとわかった。もちろんアマチュアながらピアノを弾く上に、バッハ好きであるとわかり驚いた。尊敬する演奏家はグールドだと聞いて盛り上がった。

私がヴィオラを演奏するという話から急展開。近所のレンタルルームでアンサンブルしようということになり、8日に合わせてきた。気の利いた防音設備のある小部屋で、ピアニストの他1名が入るのがやっとというサイズながら、ピアノのコンディションが良くて大満足。

レンタル初回ということで恐る恐るだったが120分あっと言う間に過ぎた。

バッハのガンバソナタ全3曲を通してみた。ヴィオラももちろんだが、ピアノが相当難しいと聞いている。テンポを落として、時には片手になりながら、なんとか3番の第二楽章まで行ったところで時間切れ。

今年1月末の退職から次々と拡大中の「非職場系」の人間関係がここでも爆発寸前だ。

楽器の工房、レッスンの先生、そしてピアニスト。切り口は音楽、とりわけヴィオラとバッハ。老後の楽しみがまた増えた。

 

2025年7月11日 (金)

f non troppo

「程ほどに強く」とでも訳すのだろうか。ブラームスの楽譜上に用例はない。私自身が「pocof」のニュアンスの理解を深めるために使用しているに過ぎない。

「non troppo」をブラームスが多用していることは周知の通りだが、その用例はトップ系に限られている。つまり「f」のようなパート系専用の用語との共存はあり得ないのだ。そのようなことは百も承知でなお用いている。

「non troppo」は何かが過剰になることを戒める意味で用いられ、とりわけテンポの速過ぎに目を光らせていた。その感覚は独特なものだ。「allegro」または「presto」を抑制するために使われている。「presto」は単独で用いられるより「non troppo」を伴うことのほうが多くなっているほどだ。

「poco f」もまた「f」が過剰にならぬような自制を演奏者に求める性格がある。片やテンポの自制、片やダイナミクスの自制ではあるが、「過剰を恐れる」という一点においてニュアンスを共有していると直感している。

「poco f」のニュアンスを一言で表す場合、「f non troppo」という表現を「ブラームスの辞書」の293ページで推奨している。このことは「poco」や「non troppo」というブラームス独特な微調整語の理解を深めるのに役立つと思われる。

2025年7月10日 (木)

Andante non troppo

ブラームスは速過ぎを恐れる傾向があると記事「速過ぎを恐れる」で書いた。特にアレグロが速過ぎることを恐れていたと思われる。物事が過剰であることを戒める「non troppo」は主に「allegro」を修飾する。

本日のお題「Andante non troppo」は、その意味では異例である。「Andante」を構成する何らかの要素が極端にならぬようにという警告の意図があるとひとまず考えておく。「Andante」を「歩くような速さで」と解する立場から解釈するとたちまち行き詰まる。「Andante」には古来より、「速いのか遅いのか判らぬ」という側面が付いて回る。用いた作曲家によって意味合いが代わるのだ。ブラームスにおいては「遅い側」の用語なので、「non troppo」で修飾されれば「過剰に遅くなるな」の意味と推測出来る。

生涯で唯一度の「Andante non troppo」はインテルメッツォop117-2に出現する。作品117は3つのインテルメッツォからなる珠玉の小品集だ。3曲の冒頭における発想記号は以下の通りだ。

  • 1番変ホ長調 Andante moderato
  • 2番変ロ短調 Andante non troppo e con molto espressione
  • 3番嬰ハ短調 Andante con moto

見ての通り、3曲全て「Andante」ベースになっている。速いのか遅いのかちっとも判らぬというのはブラームス節の一つである。ブラームスにあっては「遅め系」の用語である「Andante」を敷き詰めておきながら、それらを修飾する用語の使い方を見ると「遅め一辺倒」にはなっていないのだ。

中でも本日話題の2番は「Andante」系の用語としては異例なのである。「Andante」が「過剰であること」を恐れるというのは、直観としては理解しにくい。

フラットてんこ盛の調で歌われる旋律は、16分音符羅列の繊細さとともに、チャーミングな旋律の存在も浮かび上がらせねばならない。旋律自体は「Andante」でよいのだが、それにまとわりつく16分音符の流れを感じさせねばならないことを考えると、停滞はご法度だ。その微妙さが「Andante non troppo」の意味だと考えている。

「Andante non troppo」を異例だと感じるところから全てが始まると思う。

2025年7月 9日 (水)

ディミヌエンドの目安

昨日の記事「クレッシェンドの目安」で「piu f」の解釈の柱を提案した。前後のダイナミクスを調べると「前<後」になっていることが多いことが根拠だった。

しからば「piu p」はその逆つまり「ディミヌエンドの目安」になっているのかというのが本日の話題だ。

結論から申すならばNOである。「piu p」総数98のうち「前>後」のパターンつまり「ディミヌエンドの一里塚」型は3分の1にも満たない30箇所だ。驚いたことに「前<後」のパターンが29箇所でこれに拮抗しているのだ。さらに「前=後」というパターンも25箇所あって混乱に拍車をかける。

つまり「piu p」は前後のダイナミクスの分析では尻尾がつかめないのだ。

お手上げかと申すとそうでもない。直前のダイナミクスに特徴がある。驚いたことに前のダイナミクスに「mf」以上が現れないのだ。まんべんなく現れた「piu f」と対照的だ。「クレッシェンドの一里塚」に対応する「ディミヌエンドの一里塚」というよりは「p枠内での微調整」の性格を強く帯びている。

一見対応している語句の意味が線対称の位置にない。こうしたアンバランスはブラームスの特徴でさえある。

注意しておきたい。

2025年7月 8日 (火)

クレッシェンドの目安

著書「ブラームスの辞書」の中で、「piu f」の解釈の柱として提案している。

ブラームスの「piu f」全用例90箇所について、「piu f」前後のダイナミクスを調査した。直後のダイナミクスが直前より強くなっているケースが51箇所に達する。クレッシェンド途中の踊り場としておかれていると解される。

この51箇所をさらに分析すると、28箇所が「f」と「ff」の中間に置かれていることが判る。この現象を指して個人的に「クレッシェンドの一里塚」と命名したという訳である。

「piu f」は厳密に申せば「いままでより強く」だから、直前が「pp」の場合は「p」と同等のダイナミクスということさえあり得る。現に「ハイドンの主題による変奏曲」には前後を「p」に挟まれた「piu f」が5回も観察される。おまけに6回目には「f」と「ff」の中間に置かれていて演奏者の注意力が試される。

ブラームスの創作経験が深まって行くのと呼応して「piu f」の用法に「fとffの中間型」が増えて行く。「piu f」の字面につられて解釈が混乱しないように配慮したと考えられる。このパターンで使われることがもっともストレスが小さい。

2025年7月 7日 (月)

初たなばた

本日、初孫の初七夕。本来旧暦かとも思うけれど娘夫婦の自宅の飾りは今なのでひとまずお祝いの記事を奉る。

Mitenef8b4a7567f784169929af06e2d3352d8

 

 

2025年7月 6日 (日)

ハンガリーの歌

ブラームスがはばたくきっかけとなったのはヴァイオリニスト、レーメニとの演奏旅行だ。ハンガリー出身で、ヨアヒムとも面識があった。ブラームスは伴奏者として同行している途中で、ヨアヒムと知り合うことになる。

相当な腕前の持ち主で来日の経験もある。

ブラームスはハンガリーの旋律を彼から教わった。後にハンガリア舞曲として実を結んだが、当のレーメニーから著作権侵害のクレームをつけられ、裁判沙汰にもなった話は昨日しておいた。ハンガリア舞曲ばかりが有名だが、レーメニーから教わった旋律は他にもある。

1853年に書き留めておいた「ハンガリーの歌」がある。これを元にピアノ独奏用の変奏曲を書いた。これが「ハンガリーの歌による変奏曲」op21-2である。ハンガリー特有の4分の7拍子の旋律が特長だ。1862年の出版なのでハンガリー舞曲のブレークよりは早い。著作権云々の話を持ち出すならこちらのが先かとも思うが、変奏曲特有の「だれそれの主題による」というタイトリングのせいか表立った騒ぎにはなっていない。

楽譜が売れたからというシンプルな落ちということがあるかもしれない。

後日発売されたハンガリー舞曲集の第2集には、ブラームス自作の旋律も密かに混ぜてあると言われていて、ヨアヒムあたりはちゃんと区別していたらしい。

 

2025年7月 5日 (土)

深謀遠慮

物事への考えが深いこと。おそらくこれに加えていくつか条件がある。先が見通せるという意味を濃厚に含む。その結果に基づきタイムリーに適切な手が打てていることが予見される。考えることに時間がかかり過ぎないことも必須だろう。多分に良い意味だ。

シューマンの知己を得て世の中に広く認められる前、ブラームスはレーメニーというヴァイオリニストと組んで欧州を演奏旅行していた。ブラームスの伝記であればほぼ漏らされていることのないメジャーな話だ。レーメニーはハンガリー系のヴァイオリニストで、情熱的な芸風だったという。ハンガリー民謡をレパートリーにしていた。伴奏者として同行していたブラームスは、このときにハンガリーの語法を吸収したと思われる。

1869年ブラームスは、ピアノ連弾用の「ハンガリア舞曲」を発表する。これが楽譜の売れ行きという面で大ブレークとなった。言わば「欧州の紙価を高めた」という状況が生まれた。前年1868年に初演されたドイツレクイエムの成功とともに、作曲家ブラームスの地位を飛躍的に向上させた出来事といってよい。

こうなってしまうとレーメニーはブラームス無名時代のパートナーということになるのだが、大ヒット作ハンガリア舞曲には自分の教えてやった旋律が含まれることを理由に著作権侵害というクレームを付けた。ついには訴訟沙汰にまで発展するが、結果としてはレーメニーの訴えは退けられることになる。理由は以下の通りだ。

  1. ハンガリア舞曲の元になった旋律の作曲者が特定不可能だから著作権を設定出来ない。
  2. ハンガリア舞曲の出版にあたってブラームス作曲とされずにブラームス編曲となっている。
  3. ハンガリア舞曲にはブラームスの作品番号が付与されていない。

大抵の伝記では「レーメニーのねたみ」を原因に挙げている。関係者間のレーメニー評も添えられていることとも多い。ブラームスの伝記の中だから争いの当事者レーメニーの評価が芳しくないことについては、100%信用は出来まい。

そんなことより、ハンガリア舞曲の出版にあたって、作品番号も付けずに編曲扱いとしたブラームスの姿勢を喜びたい。裁判沙汰の発生を予見したとまでは言えなかろうが、民謡に対する姿勢に一貫性が見て取れる。自作と採譜を厳密に区別するストイックさを味わいたい。どんなに魅力的な旋律でも「おいらの作曲じゃあないよ」と宣言する潔さは、彼の作品に充満するストイックさと呼応してはいまいか。

2025年7月 4日 (金)

左手の親指

ブラームスのピアノ演奏を知る人々の証言、あるいは「51のピアノ練習曲」の傾向から、ブラームスのピアノ演奏法の独特な癖を類推することが出来る。

まず言われているのが、左手の重要性だ。多くの人にとって利き腕ではない左手を自在に繰ることが、練習の目的になっていることが多い。申すまでもなく、左手は低い音域を担う。自作のベースラインを曖昧に演奏しようものなら烈火の如く怒ったというエピソードや、「僕はこれしか見ていない」といってピアノの右手のパートを隠した話など、ブラームスの低音域偏愛の証拠は多い。

次に認められるのは、親指の役割期待の特殊性だ。親指への黒鍵使用や親指が小指をまたぐような指使いなどなど、通常のカリキュラムでは考えられないアイデアが「51のピアノ練習曲」には数多く盛り込まれている。

本日のお題「左手の親指」は、上記の2系統の話の交点である。ブラームスは自らの左手の親指を「テノール旋律用の指」だと自慢していたエピソードもある。

右手にしろ左手にしろ、腕を交差させない限り親指は、中音域を担当領域にする指である。つまり親指の活躍する音域はヴィオラの音域とかぶっているということだ。ピアノのフィンガリングには全く疎いが、この話はブラームス自身のヴィオラ好きの嗜好とも関係があると勝手に思っている。ピアノ演奏における左手の親指の音域的な位置付けは、弦楽四重奏におけるヴィオラのそれに対応していると思う立場。

2025年7月 3日 (木)

無人島ごっこ

あなたは無人島に行かねばなりません。CDを1枚だけ持って行くことが許されているとした場合、あなたはどのCDを持って行きますか?

という類のお遊びがある。ネット上の掲示板や雑誌の企画で割と見かける。

持ち込み可能な枚数が10枚になったりするバリエーションもあるが、自らのコレクションからの絞り込みという困難な手順を楽しむ意図は明白だ。1枚ではあまり本人の個性が出にくいから10枚くらいがちょうどいいかもしれない。こういう企画をすると決まって、「~全集」を選ぶという反則をする人が現れるのも微笑ましい。この手を許してしまうのでは、究極の選択を楽しむという趣旨からはずれると思うがどうだろう。

絞れやせんのだ。少なくともブラームスが絡んでしまうと私には無理だ。切るという動作に抵抗があり過ぎる。

無人島にたった一人の作曲家のCDなら持ち込み可能という設定なら、迷わずブラームスを選んで終わりだったが、このところバッハの取り扱いが悩ましい。これも難しい選択になりつつある。

何にしろご無体な遊びである。

2025年7月 2日 (水)

必殺の四択

愛好家同士の会話では、しばしば「ブラームスの交響曲でどれが一番好きか」というネタが話題になる。誰も悪気はないし、実際には突き詰めたニュアンスで語られることもない他愛のない話なのだが、私にとっては「心ない質問」に映る。はっきり言って困るのだ。あの中から一つ選べというのは、「3つ落とせ」といっているに等しい。3人の子供の内、誰が一番好きかと言われると困るのに似ている。お遊びと判っていても出来ない。あの4曲から1曲選べる人が羨ましい。

身勝手なもので、これが他人の作品だと躊躇無く答えられる。ベートーヴェンなら7番、モーツアルトなら40番、マーラーなら5番、ドヴォルザークなら8番だ。全作品聴いた上でのチョイスでもなく軽いノリの答えだ。

「好きな交響曲は何番?」という質問は、お互いに面識の浅い間の場つなぎの質問として発せられることも多く、「わかりませぬ」と対応しては場の空気を凍らせかねない。かといって適当な番号を答えようなものなら、「誰の演奏がお好みですか」というもっと怖い二の矢が飛んでくるのが見えている。

何かうまい対応はないものか。

2025年7月 1日 (火)

ブラームス弾き

ブラームス作品の演奏を得意とする器楽演奏家。声楽家ならば「ブラームス歌い」となるし、指揮者なら「ブラームス振り」という具合に変化する。

「得意とする」という言葉の定義一つで意味合いは変化する。一般に演奏家本人が好んでブラームスを取り上げ、その演奏が概ね好評を博すという課程を相当程度積み上げることでこの言い回しが定着すると思われる。演奏家本人が自分は「ブラームス弾き」だと思っているのに聴衆はそう思っていないケースや、演奏家の意思に関わらず聴衆がそう思っているケースも存在するはずだ。

「▲▲のブラームスはさっすがよね~」「やっぱりブラームスは△△に限る」という類のセリフを聴衆が吐くようになることが「ブラームス弾き」のリトマス紙になる。「ブラームス演奏の職人」というニュアンスも時には混入するし、「当代最高のブラームス弾き」といううたい文句は相当効果的だ。

一方「■■弾き」という言い回しは何もブラームスに限ったことではない。「バッハ弾き」「ベートーヴェン弾き」「モーツアルト弾き」「ショパン弾き」という言い回しは珍しくない。こういう言い回しが存在することをもって一流作曲家であるとする定義もあながち的外れではないと思われる。

不思議なことが一つある。「ブラームス弾き」に類する言い回しはしばしば耳にするけれど、「ブラームス聴き」という言い方はされないように感じている。先の定義を流用すれば「ブラームス作品を聴くのを得意とする愛好家」くらいの意味になるだろう。

私は町内一の「ブラームス聴き」になりたい。

« 2025年6月 | トップページ | 2025年8月 »

フォト

ブラームスの辞書写真集

  • Img_0012
    はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
2025年11月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
無料ブログはココログ