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2025年8月31日 (日)

ヘルマン先生の見通し

旧バッハ全集収載のヴァイオリンソナタをヴィオラ用に編曲したのは、フリードリヒ・ヘルマン先生だった。ライプチヒ・バッハ音楽院一期生で、なんと20歳で教授になった彼は、ヴァイオリン演奏に加えて作曲家でもあった。

で、何よりヴィオラ奏者。

その彼をして同曲集のヴィオラ版出版にと駆り立てたのはなんだろうか?

名高いヴァイオリン奏者でもあるから弾こうと思えばいつだってオリジナルのヴァイオリン版を軽々と弾けたはずだ。それでもなおヴィオラ版を用意する意図はなんだったのか、聞いてみたい。仮にヴィオラを手にしたとしてもヴァイオリンパートのハイポジを苦も無く操ることだって出来るのに。

わざわざハ音記号に書き換える手間、場所によってはオクターブ下げる手間。「オクターブ下げる下げない」の判断は必ずしていたはずだ。下げた場所からいつ通常の場所に戻るのかが意外と難しい。で、ピアノ伴奏との兼ね合いはいつも難問だ。

これら手間をかけて売りに出して元が取れるのか。もはや商売そっちのけの品揃えなのか。

 

 

2025年8月30日 (土)

ひとまず快癒

8月14日午後、突然襲われた坐骨神経痛だったが、翌15日外科に診せて投薬を受けた。2週間後の昨日経過を見せたところ、ひとまず回復。痛み止めも今日まで。

実質的に生活に影響の出た痛みは2日間だけだった。少々の発熱と、3日目からは我慢出来る痛みでなんとか乗り切れた。8月14日夜、痛みで一睡も出来なかったときは、どうなることかと思ったが、過ぎてみればたったの2日間だ。人間つくづく痛みに弱い。

またヴィオラが弾けるというありがたみが、いっそう身にしみる。

 

2025年8月29日 (金)

出版の立役者

編曲物の楽譜の表紙には大抵、編曲者が記されている。今回入手したヴァイオリンソナタのヴィオラ版では以下の通り。

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「DAVID-HERMANN」とある。これがなかなか難問で困っていたが、1ページ目の冒頭にも記載があった。

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「David-Hermann」は同一人物ではなかった。校訂者が、「F.David」でヴィオラ版への改定者が「F.Hermann」ということだ。校訂者は簡単だ。フェルディナンド・ダヴィッドだ。メンデルスゾーンのお友達で大ヴァイオリニスト。ヴァイオリン協奏曲の初演時に独奏もしたくらい。で、メンデルスゾーンとともにライプチヒバッハ協会の設立者の一人にも名を連ねた。だから本楽譜は同協会の大事業「バッハ全集」を参照している公算が高い。つまり「旧バッハ全集」である。

で、編曲者「F.Hermann」の正体は見当がつく。1828年生まれのフリードリヒ・ヘルマンだ。1843年にメンデルスゾーンにより創設されたバッハ音楽院の最初の生徒の一人となって、そこでヴァイオリン、作曲に加えてヴィオラ演奏を学んだ。もちろんそのときの教師の中にフェルディナンド・ダヴィッドがいた。だから二人は師弟ということになる。

あろうことか1848年には20歳で同学院の教授に任命された。没するまでその地位にあった。

フェルディナンド・ダヴィッドの校訂したヴァイオリンソナタを弟子のヘルマンがヴィオラ用に編曲した楽譜と概ね位置づけることができそうだ。

昨日の小さないたずらの犯人かもしれない。

 

2025年8月28日 (木)

微細な改訂

あれれ。

バッハ、ヴァイオリンソナタハ短調のヴィオラ版。インターナショナル社の楽譜の第一楽章シシリアーノについて少々。

繰り返し記号を出てすぐ17小節目。

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8分の6で5拍目をご記憶いただきたい。同じ場所の伴奏ピアノ譜面は以下。

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オクターブ違いは、不問に付すとして、17小節目の5拍目が、違っている。同様のリズムが現れる19小節目と、22小節目も同じようなリズムの違いがある。スタカートの有無やスラーのかかり具合などは、かなりのカ所で違いもあるが、このような旋律線の違いは目立つ。

それってんでヘンレのヴァイオリンソナタのオリジナルを見る。ヘンレのオリジナル版がちゃんと家にあるのが地味に自慢だ。それほど大好きな作品だとご理解いただきたい。

案の定だ、ピアノ伴奏版と一致する。ヴァイオリンの楽譜にはこのような揺れはない。

これ、ヴィオラ版を作るにあたって編曲者が付点を施した。

バロック系の演奏ではしばしば、楽譜に書いていないアドリブがある。本件も名高い演奏者のアドリブが編曲の出版にあたり記譜された可能性がある。

2025年8月27日 (水)

衝突はさせねば

    さてさて、ヴァイオリンソナタ第4番のヴィオラ版。大好きな第一楽章シシリアーノを見てゆく。

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ヴァイオリン版をオクターブ下げている。冒頭からエンディングまで、ほぼほぼオクターブ下だ。

ピアノの伴奏は以下。

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ピアノ譜の上段にヴィオラのパートが添えられているかに見える。しかしだ。「Viola」とはっきり書いておきながら、記音はオリジナルのヴァイオリンのままである。ヴィオラは実音オクターブ下で弾き、ピアノはこの記音通り弾くということだ。せっかくヴィオラパートがオリジナルの記譜なので比べるといい。1小節目5拍目裏の「H音」16分音符1個だけ、伴奏のピアノが半音上の「C」を弾く。同様のことが3小節目の5拍目裏「E音」でも起きる。ピアノ右手は流れるようなアルペジオを弾きながら音域はずっとヴァイオリンより下で、先の2カ所だけ半音で衝突しながらピアノが上に出る。

ヴィオラ用への編曲にあたり、ヴィオラ側だけをオクターブ下に移し、ピアノはオリジナルのままということになると、今述べた一瞬の衝突と逆転に全く意味が無くなる。

ああ、それでも私はこの曲が大好きだ。ヴィオラで弾きたいと心から思う。だからこの楽譜に飛びついた。ヴィオラ用にオクターブ下げるなんぞ想定内で大歓迎でさえある。がしかし、オリジナルのもつ、この手の仕掛けも大切にしたい。これぞバッハではないか。

2025年8月26日 (火)

シシリアーノ

BWV1017、バッハのハ短調ヴァイオリンソナタの第一楽章冒頭に「Largo」とは別に「Sicliano」と書かれている。この標記実は一般的ではない。新バッハ全集には書いていない。一部の写本にのみある記載だ。

そもそもシシリアーノは舞曲で、こうしたソナタの冒頭にはあまり出てこない。テンポといい拍子といい調といい言われてみればたしかに「シシリアーノ」なのだが、新バッハ全集の編者たちはそんなことは認めないのだ。「舞曲排除」がソナタの掟なのだ。

先般紹介した「バッハを弾くためのバロックダンス」という本は、文字通りバッハ作品に現れる舞曲のことが事細かに列挙されるが、なんと「シシリアーノ」は掲載されていない。

だから、インターナショナル社の楽譜の参照元がとても気になる。表紙の記述の混乱といい、これは旧バッハ全集の標記が反映しているのかもしれない。

2025年8月25日 (月)

ハ短調BWV1017

ご機嫌で入手したインターナショナル社の楽譜。ヴァイオリンソナタのヴィオラ版だ。これをヴィオラで弾けないものかと思い詰めてネット上で発見した。

そもそもバッハのヴァイオリンソナタではこの4番が大好きだ。解説の文書には大抵妻との死別ネタとからんで説明されている。解説書の手前、言及は避けて通れないのかもしれないが、私は参考程度だ。

この曲ハ短調が抱える情感には心から賛同する。敬意も払う。つまり大好きだが、バッハほどの作曲家が家族の不幸と作品を簡単に結びつけるだろうか。「愛する妻の急死だからハ短調」などとするのだろうか。やるならむしろゴールドベルク変奏曲のアリアのような静かな長調の方がぐっとくる。

2025年8月24日 (日)

オクターブ下げの編曲

バッハヴァイオリンソナタのヴィオラ版の楽譜をなんとか手に入れた。上下二巻で合計12000円強。しかも、インターナショナル社。米国の出版社だ。私のようなドイツ好きからすると、課題も多い反面、価格が数段リーズナブルだ。そのほかドイツのメジャー出版社ではあり得ない企画もときどき目に付く。スコアのドーヴァーと並んでとても無視はできない。

実際にその6曲をヴァイオリン用からヴィオラ用に移すにあたってどのような措置が講じられているのか、ざっと確認した。

ヴィオラ用への移調のポイントは当然オクターブ下げだ。高すぎて弾けないところをオクターブ下げている。元々ヴァイオリンの低い音域で弾かれている4番の3楽章はいじっていない。ハ音記号に変えてあるだけ。一方で6番の冒頭はオクターブ下げてくれても良さそうだがこれは頑としてオリジナルのままだ。大抵は高すぎて弾けないだけをよりどころに、難所をオクターブ下げただけのような気もする。これらヴァイオリンの名曲をヴィオラに編曲するなら、ハイポジション大得意の名人なら何も編曲しないでそのままオリジナルを弾けばいいのだ。

で、問題はピアノ譜。これオリジナルのヴァイオリンソナタ版と同じだ。ピアノ譜面に付与される弦楽器パートはヴァイオリンのままだ。ヴィオラに移すに当たって発生するオクターブの移動には、関係なく伴奏はオリジナルのままである。いいのか悪いのか。

同曲大好きだからヴィオラ版があるだけでありがたいのだが、気になり出すととまらない。

2025年8月23日 (土)

インターナショナル社

一昨日の続き。バッハのヴァイオリンソナタのヴィオラ版を苦労して入手した。

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米国の出版社インターナショナル社である。私のようなドイツ好きにとっては、微妙なこともあるが、価格がリーズナブルなことと、今回のように便利な編曲物が出ているので油断が出来ない。ドーヴァーとともにお世話になっている。

今回もこの表紙の写真だけで突っ込みどころがある。バッハのヴァイオリンソナタ全6曲を上下2巻に分けたシリーズでありながら、上巻と下巻では表紙の構成が微妙に違う。

「BWV」の略号が書いていない。下巻には調が載っていない。大人の事情がありはせぬか気がかりだ。私は店頭に出向いて確認したので安心だが、これはネットでは怖くて買えぬ。

2025年8月22日 (金)

12分の13

見事な仮分数。

本日初孫生後13ヶ月。1歳を過ぎて、そりゃあもう毎日「あれができた」「これができた」の連続だ。伝い歩き、つかまり立ち、一人歩きなどなど。その間写真が撮れた、いや動画はまだだなど、賑やかな毎日。

この先、孫の分数誕生日を律儀に祝うことはなくなって行くだろう。我々の子育てのころと違って今は、スマホに記録が手軽に出来る。意識していなくても細かな記録となる。

子供の成長を娘たち夫婦とその親たちで便利に共有するソフトもある。機能の充実は驚くほどだ。

実は、そうした画像には90歳を超えてなお元気な母がちょくちょく映っている。元気にあやす姿、子供の成長に涙を拭う姿、10kgに届こうかという孫を抱き上げる姿。

まだ元気なのに、不謹慎のお叱りを顧みずに申せば、これは母の晩年の雄弁な記録になり得る。

初孫と母の記録。

 

2025年8月21日 (木)

ヴァイオリンソナタのヴィオラ版

バッハの話。

大事なのは調。無伴奏ヴァイオリンの諸作品はヴィオラ版に移すにあたって5度下の調に移調されている。チェンバロの伴奏を伴うヴァイオリンソナタでそのあたりをどう処理するのか興味深い。

バッハのヴァイオリンソナタは全6曲。BWV番号でいうと以下。

  • BWV1014
  • BWV1015
  • BWV1016
  • BWV1017
  • BWV1018
  • BWV1019

そもそも大好きなので、ヴィオラ版が出ていないか物色していた。このうち前半3曲を収めた1巻をWEB上で見つけた。思いあまってショップに直行して後半の2巻は無いのかきいてみたところ取り寄せならと言われて即、予約。値段も聞かずにだ。これがかれこれ2ヶ月前の話。このほど入荷したとあってそそくさと取りにいった。

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満足。

2025年8月20日 (水)

出しっぱなし

自宅でのヴィオラの練習は、ずっと座奏にしていた。そのために気合いを入れた譜面台も用意した。

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がしかし、坐骨神経痛発症後、16日の練習再開にあたってはとりあえず立奏を試みた。立奏も出来る譜面台があるにはあるから、これを取り出して最も高い位置にセットして弾く。が、しかし、私の立奏には低い。中腰くらいの位置だ。譜面置きを斜めにしてなんとかだが、かえってこれは腰を悪くする。

仕方なく、この譜面台をベッドの上に置く。高さはこれでなんとか。

立奏は気のせいか鳴りがいいかもしれぬ。この先、しばらく様子を見ながら座奏、立奏上手に組み合わせてゆくことになりそうだ。

実は、譜面台の組み立ては毎度毎度面倒だ。これが練習開始の心理的妨げになりかねない。だから立奏譜面台はしばらく出しっぱなしにする。

2025年8月19日 (火)

ヴィオラ演奏と坐骨

坐骨神経痛を患ってから、ずっと考えていた。

本当にずっと。

今回の発症は、巨大ヴィオラの演奏と因果関係があるだろうか?

14日に発症して楽器に触らなかったのは14,15日の2日間だけだ。16日恐る恐る楽器を取り出して、いつも通りスケールから入る。今回は怖いので立奏してみた。楽器はからりと鳴ってくれた。いつも通りからりと。バッハさんから「お帰り」と言われたくらいな感じ。左手の違和感対応で、自らの意思で弾かない1週間より、痛くて弾けない2日間はずっとつらかった。

ひとまずよかった。

楽器が鳴ってくれるなら、それでいい。

2025年8月18日 (月)

坐骨の教え

今朝18日。坐骨神経痛発症から4日目。

坐骨神経痛が降って湧いて考えたこといくつか。

階段の上り下りが、本当につらい。母をアシストするどころではない。ここ数日間90歳の母の方が元気だ。家事分担の役割を私の分まで引き受けて悠々としている。自身が坐骨神経痛の経験者なので、「あーはいはい」という感じで、対応が分かっている。「もっと悪い病気じゃなくてよかった」と余裕のコメント。

長男の仕事が14日15日と休みだったおかげで、私の抜ける分の家事分担を長男がこなしていた。

健康が大切。転んだり、ぶつけたり、様々なリスクが家庭内にある。それを注意深く避けながら、生きてゆく。降って湧いた坐骨神経痛が、そのことを教えてくれている。母、私、長男の三世代同居がこれほど心強く感じたことは無い。

2025年8月17日 (日)

坐骨神経痛

まったくもって急な話だった。

8月14日午後、母を連れて買い物に出かけて帰宅、車から降りるとき、「あれっ」と感じた右坐骨の違和感だ。いつもと違う感じだったがそのときは、すぐに車を離れた。転んだわけでもないし、どこかにぶつけた訳でもないから、軽く考えていた。

買い物を冷蔵庫に片付けて、しばらくすると坐骨が痛い。右お尻の中が痛む。あれよあれよという間に右太ももから膝まで、どんよりとした感じ。姿勢を変えようとすると痛む。我慢の範囲内には違いないが、楽器を弾く気になれない。

夜、痛みでまったく眠れない。こりゃあ外科に見せねばと思い詰めて朝を待った。

翌日、15日お盆だというのにかかり付けの外科が開いている。9日から14日がお盆休みで、15日は通常診察。予約無しで飛び込むとかなりな待ち時間だが、覚悟の上で受診。

レントゲン7枚とって言われたがのが「坐骨神経痛」だ。本日薬を出しますのでそれで様子を見て、改善しなければ、ヘルニアの可能性も疑わねばなりません。うちの母も何年か前になっている。

いやあ。痛い。が、診察で落ち着いたのか、ぐっすり眠ることはできて16日には、気のせいか痛みも緩和。

 

2025年8月16日 (土)

ポストカード立て

知人からドイツ土産にといただいた絵はがきの処遇を考えていた。気の利いた飾り方はないものかと。

このほどよいアイデアグッズに遭遇した。

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木切れに溝がほられている。埋め込まれたネジには磁石。それで画鋲を固定して壁にさしこむ。

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ポストカード立てだ。木材の色合いだけ注意して選んだ。

2025年8月15日 (金)

五線のペンケース

思わぬ発見。

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手頃な大きさのペンケース。巨大楽器の弊害でカーボンマック社のケース内収納用の袋が入らない。鉛筆や松ヤニのスポットが無くて地味に困っていたが、これはピタリとはまる。鉛筆が収納出来る上に松ヤニも収まる。

元はと言えば和服の帯のリサイクル品だ。

しかし、よく見るとこれは五線だ。元々音楽家向けのはずはないが、紛れもなく五線。ト音もヘ音も無いことがかえって趣を添えている。

私はもちろんハ音を想像している。

2025年8月14日 (木)

合宿一周年

思えば昨年の今頃だ。会社生活最後の夏休みを12連休として優雅に休暇を楽しんだ。

自分に課したのが「一人夏合宿」だ。12日間毎日最低2時間の練習を義務づけた。触れる日には4時間ということもあった。年末に迫った職場オケ初コンサートへの準備の一環であった。ヴィオラ奏者が思うように集まらぬというありがちな状況に備えて、自分に気合いを入れた。

もちろん初コンサートの演目をきっちり練習したのだが、そこから派生したのがバッハであった。

ワーグナーやシベリウス、あるいはチャイコフスキーを練習しても面白くなかったので、合宿の途中からバッハの無伴奏チェロ組曲のヴィオラ版とガンバソナタをさらい始めた。

バッハは面白かった。弾けもせんくせに面白い。延々さらっていられた。大嫌いだったメトロノームも大好きになった。

夏合宿が終わるころ、むくむくと脳内に妄想が浮かんだ。退職後の趣味を「ヴィオラでバッハ」にしようと。

2025年8月13日 (水)

アリオーソ

ヴィオラにピアノ伴奏が付くご機嫌なバッハの小品の楽譜をゲット。ピアノとヴィオラの楽譜合わせて3ページだからお値段もリーズナブル。

BWV156の第一曲であると同時に、BWV1056のチェンバロ協奏曲ヘ短調の第二楽章にもなっている有名な旋律。前者ではオーボエ、後者ではヴァイオリンで弾かれるのが普通。後者は変イ長調4分の4拍子だが、これをヴィオラでという編曲でト長調に移調されているうえに4分の4拍子はそのままに拡大されている。

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テンポはゆっくりだし、フィンガリングも超絶技巧ではない。高い音も出てこない。ただただピアノの和音に乗ってモノローグなのだが、これが音程不安には厄介。耳を澄ませて繰り返し繰り返し音を取るには、もってこいの教材だ。

新しく買った弓の良さを引き出すために弾き込んでゆきたい。

 

2025年8月12日 (火)

ヴィオラ香

楽器演奏はメンタルも加わった身体機能の総動員と半ば結論つけている。

だからと言うわけでは無いが、左手の不安に対処するため、練習の前には塗香を使う。

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この容器から、課題の多い左手に少々落として、すり込む。指の張りや関節の不調はもちろんだが、音程が言うことを聞かぬのもここに入る。

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両手ですりすりする。塗香とは香原料を調合したもの。線香と違って火を用いない。厳密な意味で楽器への影響をわかりきってもいないが、合成香料無しの天然原料だけなので、そうそう悪さをするものでもあるまい。楽器を取り出して練習する際には必ずこれを行う。1日1回でもない。休憩明けにも塗るから1日3回ということもある。深くてほのかな香り。

気分転換が最大の目的。指とメンタルのケア。

加えてだ。練習室にお香を焚く。実はこれも天然原料だけのものを選ぶ。お値段が張るので半分に折って使っている。

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少々暑くても必ず焚いて邪気を払う。

クラシック音楽とお香なんぞ、一見なんのつながりもない。が、この先ヴィオラを生涯の友として弾き続けるためなら、どんなこじつけもいとわない。

つまりメンタル。

2025年8月11日 (月)

釜本逝く

驚いた。

元サッカー日本代表FW釜本邦茂さんが亡くなった。

若いころ親しんだスポーツ選手たちのこういう訃報、今後増えてゆくのかもしれない。

ご冥福を祈るばかり。

2025年8月10日 (日)

体内五重奏

私にとっての弦楽器演奏のことだ。

ヴィオラを練習していてつくづく思う。さらに意図的に1週間練習を停止していっそう感じる。

右手と左手の高度なアンサンブルだ。利き腕の右手はもっとも繊細なボウイングを任される。左手は利き腕ではないのに細かなフィンガリングを司る。一見大違いな両手の動作が協力することで演奏が成り立つ。こうした協働は、脳の老化防止に役立つと信じる立場だ。

加えて、目である。両手の協働は楽譜に接する目からの情報によって維持される。仮にオケなら指揮者やコンマスを見るのも目である。目からの情報は同じなのにそれを受けた右手と左手ではまるで違うアクションになる。それでいてその両手が目指すのは統一のアンサンブルだ。これだけで両手と目のトリオが成立するのだが、実は耳もあるとにらんでいる。アンサンブルだと周囲の音を聴く重要性は飛躍的に高まる。いやいや、実は自分が出している音こそよく聞かねばならぬ。もし練習にメトロノームを鳴らすなら、耳はそのビートを聴いている。

両手目耳の四重奏だ。両手に加えて目や耳も健全であることが前提。そしてそしてこれらを統御するものこそ、メンタル。

楽器の演奏はこれらの総動員。だから五重奏。

 

2025年8月 9日 (土)

譲る譲らぬの整理

1週間の練習停止中、身体のストレッチの他、いろいろ考えた。

上手にバッハを弾きたいという大目標があるにはあるが、それとて過剰な練習で身体を壊しては元も子もない。だから練習の頻度と深度が大切と感じ取った。我ながら健全だ。

楽器演奏による身体への負担を少し分解してみた。大きくは右と左。肩や背を含む腕、手首、そして指。これが右と左では構造が違う。今自分の身体で申すなら圧倒的に左だ。右が司るボウイングは脱力が決め手だから、そうした真似事も出来ているのだが、左はまだまだ力んでいる。特に左肩に楽器をのせて顎で挟んでささえるという動作は、力を抜けと言われてもただちにはコツがつかめぬ。

よって左側の肩や背の凝りは厄介だ。巨大ヴィオラだと特にだ。他にフィンガリングでも楽器の大きさから来る無理が小指を筆頭に降りかる。

巨大ヴィオラのハンデは明らかだ。

がしかし、がしかし。

長くヴィオラを弾き続けたいために上達はそこそこでいいと割り切れたからといって、身体に負担の大きい巨大ヴィオラを諦めるわけには参らぬ。断固譲れぬ。楽器を支えるのが負担ならもっと小さなヴィオラに代えてはと勧められても、それはない。ましてやヴァイオリンに代えてみてはなどと思ったこともない。

  • 第1位 巨大ヴィオラを弾く。
  • 第2位 長く楽器を弾く。
  • 第3位 バッハを上手に弾く。

当分、この優先順位でやってゆく。

なんとバッハが3位だ。

 

2025年8月 8日 (金)

もはやメンタル

新弓購入の嬉しさに端を発した過剰練習が、左手全体に波及したという流れではあるのだが、1週間の練習停止を経て、今一度考えてみるとことは多分にメンタルだ。

そうその練習をしない7日間にあれこれと心に浮かんだのは「このまま弾けなくなるのか」「高価な弓が持ち腐れる」「バッハ弾けない」など、悲観的なことばかり。身体のストレッチやマッサージをしながら頭に浮かぶのは悪い話ばかりだ。

そう。もはやメンタルなのだ。だから2日に練習を再開し、おそるおそる弾いてみたときの鳴りには気持ちが高ぶった。あれほど心配した左手の指たちは健全に動く。音程が悪いのは指のせいでは無い。

練習の頻度と深さに過剰を避け、ただただ生きている間ずっと楽器が弾けていればいい。

2025年8月 7日 (木)

新弓の罠

一昨日の記事で楽器演奏のスランプについて話した。その中で7月が転機になったと書いた。2023年秋15年放置したヴィオラを取り出して、練習に励むうちに、これを生涯の趣味にと思い詰めた過程はすでに何度も言及した。

7月体調に異変を感じて思いきって7日間楽器の練習を停止したが、その異変の原因はわかっている。

これだ。

6月19日の記事。5月に損傷した弓を買い換えた話である。6月18日に新しい弓が来て、大願成就とばかりにはしゃいだ。

その後しばらく毎日楽器に触っていた。「練習」と申すにはいささか具合の悪い戯れ。新しい弓が来てその感触が嬉しくて嬉しくてずっと楽器を弾いていた。やがて1ヶ月でそのしわ寄せが来たということだ。

主訴は左肩から肩甲骨下の張り。そして左手指の違和感。弓は右手で扱うのに違和感は左手に集中しているのも奇妙だ。右側は新しい弓に変わって気持ちがいいばかりだったが、そのしわ寄せが左に寄るとは。

高価な弓を勢いで買ってしまった手前、練習量を増やして元を取ろうなどと考えたのがケチのつき始めだ。身体の不調で楽器が弾けなくなったら元も子もない。

 

2025年8月 6日 (水)

最適頻度最適深度

7月25日から31日まで楽器の練習をしなかった話の続きだ。

それまで毎日ほぼ最低2時間は楽器に触っていたが、この7日間ゼロ。手のひらのマッサージとツボ押し、肩や腕のストレッチ、指の体操に終始した。

左肩の凝りと左背中の張りは劇的に改善。鮮やかなものでそこは練習過多が原因であると推察出来る。

左手指は数段難解。1週間おだやかに経過したが。やはりフィガリングで酷使する指たちの悲鳴なのだとうっすらわかる。指を丸める動作を行った際、右手と左手では指の形が違う。左手側各指で第一関節の曲がりが明らかに鈍い。親指だけは左右同等だが、その他は曲がりが鈍い。痛みは全くない。左手人差し指がもっとも深刻で、指先のマメ、第一関節の曲がりにくさ、第二関節の親指よりに大きなタコ。楽器の棹があたるせいだ。

残るはメンタル。これら一連の身体の不備が痛みを伴うようになったら楽器を弾けないという恐怖と言い代えられる。

それは困る。というわけで素人の私が選んだのが1週間の練習停止だった。

8月2日。練習を再開した。1週間のブランクによる指の動きの点検。身体全体の痛み、違和感の棚卸し。結論から言えば問題ない。音程感のずれは、元々だからすぐに戻る。あれよあれよと120分弾いていたが、問題無かった。練習の間指のことは忘れていたくらい。

バッハを上手に弾けるようにはなりたいが、体調の維持の方が優先度は高い。上達はそこそこでいいから長く弾きたいということだ。レッスンの先生とこれらよく共有して行きたい。

 

2025年8月 5日 (火)

楽器演奏症候群

2023年にヴィオラを再度取り出して以降、練習に励んで来たが、去る7月は分岐点であった。平たく言うとスランプだった。スランプに陥るほどの腕前ではないのだが、体調とメンタル面で不調だった。昨日の記事の続きでもある。

主な原因は体調にある。

左肩の凝り、および左指の張り。ネットなど様々な情報を総合すると楽器の過剰な練習が疑われる。激痛ではないのがまた、中途半端。張りも痛みも練習自体はやろうと思えば出来る範囲にあるのだが、メンタルが萎えてもいた。ヴィオラやヴァイオリンなど顎に挟む系の弦楽器にはありがちで、無理な姿勢が最大の原因とも。姿勢の矯正はレッスンでもメインの分野であるから、さほど疑っていないが、巨大楽器のデメリットが出るならこのあたりかという自覚もある。

医者に診せる程のことではないが、過剰な練習を疑ってしばらく練習を休んだ。7月25日から7月31日まで楽器にまったく触らなかった。

2025年8月 4日 (月)

スランプの自覚

およそまっとうな伝記ならば必ず言及されているエピソードがある。

弦楽五重奏曲第2番ト長調op111を完成させた後、ブラームスは創作力の衰えを自覚したという。これ以降作曲はせずに古い作品の整理に徹しようとまで思い詰める。後世に残すに足る、あるいはブラームスの名に恥じない作品を生み出す自信を失ったということだ。弦楽五重奏曲第2番の出来が素晴らしいだけに、ホームラン王をとった打者がいきなり引退を表明したようなものだ。この創作力の枯渇をブラームス本人は回復の見込みのないものと認識していたようだ。

結果としてブラームスのこの認識は誤りだった。引退宣言ではなく休養宣言をすべきだったのだ。比類無きクラリネット奏者リヒャルト・ミュールフェルトの出会いが復活の引き金だった。創作力が回復してみれば、弦楽五重奏曲第2番後の時期をスランプだったと位置づけることができる。スランプとは回復した者のみに言える表現なのだ。好調と沈滞を両方経験しなければあり得ない表現だ。

スランプや創作力の枯渇を自覚出来ることは、ある意味で自信の裏返しである。はじめから創作力を持ち合わせていない者にとっては未踏の感覚だろう。数の上ではそちらが多数派である。良いとされる時間帯があって、その後良くない時間帯が来る。さらにその後良いという時間帯が復活して初めて、良くなかった時間帯のことをスランプと呼べるのだ。一度も良い時間帯が無かった場合はスランプとは言わない。良くない時間帯にさしかかった後、もう一度良い時間帯が復活しなかった場合にもスランプとは言わない。

スランプが来るということは凄いことなのだ。

 

 

2025年8月 3日 (日)

AIに聞いてみる

世の中AIだ。

何でもAIに聞いてみる。一昔前はググルだけだった。なんでも「グーグルさんに聞いてみる」感じだったが、最近はグーグルさんに聞くとAIの回答が添付されることもある。

「ブラームスの辞書」をAIに聞いてみた。

著者には私の本名がきちんと載っていた。ブラームスについての情報を詳しく調べ上げていて演奏家や愛好家にとって有意義な情報が盛り込まれている可能性がある。

AIからはこのように見えているのだろう。AIはどこまで「ブラームスの辞書」実物を参照しているのかは不明だ。中身を見ていない?あとがき読んでいない?ブログ「ブラームスの辞書」参照していない?

著者としては突っ込みどころもなくはないが、世の中からの見え方の平均値としては、こんなものかとも感心させられる。

 

2025年8月 2日 (土)

飲み会ゼロの深層

7月、飲み会がゼロになったとはしゃいだ。「会」と申しても参加者数はまちまちだ。10名程度から2人まである。そこで私も飲む。他のメンバーはともかく私は断固ビールである。

実は地味に大切なことがある。大学卒業で就職して以来、月間飲み会ゼロなど無かったに決まっている。そしてそして。

今現在私は自宅でアルコールを飲まない。だから外の飲み会がゼロということはイコールアルコール絶ちを意味する。退職後6月までは最大でも2回程度の飲み会だったから、私が飲むシーンはそこだけだった。

身体にいい。2月以降の定期健康診断の成績を見れば一目瞭然だ。

そしてそしてお財布に優しい。外でのささやかな割り勘もさることながら、自宅晩酌用にと買い求める缶ビールだって、積み重なると大きい。

がしかし、この先の断酒を宣言する意図はない。仲間とビールに恵まれれば参上する準備だけはしている。会社をやめると飲みがその程度でおさまるということだ。

2025年8月 1日 (金)

月間飲み会ゼロ

まずは以下を。

  • 2月 3回
  • 3月 2回
  • 4月 2回
  • 5月 1回
  • 6月 2回

これは1月末退職以降の飲み会の数だ。昨年5月から今年の1月末まで、退職に備えて後任をよろしくという名目の飲み会が増えた。月に6~7回は飲みにいった。出かけた飲み会では必ず呑む。出席しておいてアルコール飲料を呑まないことはない。だから飲み会の数はそのまま飲みの回数となる。おのおのの飲み会における飲みの深さはさておきそういうアルコールライフだった。もっというなら飲むのはビールだけだ。

そしてとうとうこの7月は月間飲み会がゼロになった。退職後ずっとなんとか飲み会ゼロを達成しようとしていたが、なかなかゼロにはならなかった。身体にいいことは間違いない。血糖、血圧などなど数値は落ち着いている。

 

 

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ブラームスの辞書写真集

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    はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
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