保活復職
昨日から、初孫を産んだ長女が、産休を終えて復職した。
つまり保育園に入れた。待機児童がどんどん減ってもいるが、さまざまな条件が合う保育園はなかなかないという。
自宅から徒歩10分、そこに子供はもちろんベビーカーも預けて駅に徒歩2分。ベストな立地の今風の保育園。
1歳1ヶ月から、ならし保育に入っていたが、なんとかそれも落ち着いた。
初孫と、長女夫婦にバッハとブラームスのご加護を。
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昨日から、初孫を産んだ長女が、産休を終えて復職した。
つまり保育園に入れた。待機児童がどんどん減ってもいるが、さまざまな条件が合う保育園はなかなかないという。
自宅から徒歩10分、そこに子供はもちろんベビーカーも預けて駅に徒歩2分。ベストな立地の今風の保育園。
1歳1ヶ月から、ならし保育に入っていたが、なんとかそれも落ち着いた。
初孫と、長女夫婦にバッハとブラームスのご加護を。
一昨日、秋の健康診断の結果が出そろった。
思えば昨年は、勤務先の健康診断を受けたが、今年1月に退職して枠組みが変わった。市の無料健診を受診し、肺癌検診と大腸癌検診だけは、少々の支出があったが、概ね無事だった。退職後は市の健診を有効活用してゆかねばならない。
結論から申せば問題無い。
「ヘモグロビンA1cを見張りましょう」という話。退職してもそこは変わらぬ。
音程は血液検査には引っかからない。
1825年9月27日英国でストックトンーダーリントン鉄道か開業した。路線の公式の開業日である。だから本日は鉄道開通200年のメモリアルデーだ。バッハにもブラームスにも関係がないけれど、鉄道好きの私としては特筆大書する。
ドイツの鉄道は1835年だから200年のメモリアルデーはブログ「ブラームスの辞書」のゴール2033年5月7日より後になるから念のため言及しておく次第。
いろいろな分野で用いられる言葉だが、大抵は良い意味だ。「吸い付くような肌触り」と言えば不快な意味を指すことは希だろう。
もはや昔話となるが、1986年メキシコで開催されたサッカーのワールドカップ。アルゼンチン対イングランド戦でディエゴ・マラドーナが見せたドリブル5人抜きのゴールがつとに名高い。サッカーという競技においてドリブルで、相手ディフェンダーを抜くと言うことは決定的な数的優位を作り出す。敵陣内において敵ゴールに向かって10mもドリブル出来れば、それ相応のチャンスになる。ましてやマラドーナはハーフライン付近からほとんど相手ゴールエリアまでのドリブルだった。
ため息の出るようなドリブルを称して「足に吸い付くような」と形容されることがある。先のマラドーナ、あるいはジダン、最近ではロナウジーニョ、メッシなど彼等のドリブルはしばしば「足に吸い付くような」と表現された。ドリブルをする場合実際には足にボールがくっつきどおしということは無い。現実にはボールが足から離れている時間はあるのだが、扱いが巧みであるために、相手ディフェンダーがボールを取る隙がないということの形容だ。「一人壁パス」さえ織り込みながら彼等はしばしは相手ゴールキーパーまでも抜こうと試みる。
音楽でも使用例がある。弦楽器特にヴァイオリン奏者の巧みなボウイングを「吸い付くようなボウイング」と形容することがある。サッカーのドリブルよりは実際の密着度が数段高いので、この表現は一段とイメージしやすい。現実の初心者が一番苦労するのが弓の運びだ。特に早くあるいは大きく弓を動かすことときれいなボウイングは両立しないことが多い。ヴァイオリンの名人たちの演奏で弓が吸い付いている様子を見ることは楽しみの一つだ。「吸い付くようなボウイング」が出来れば音は後から自然と付いてくるのだと思う。
何を今さらな話。大事なので言っておきたい。レッスン備忘録だ。
今レッスンでバッハのガンバソナタ第3番ト短調が佳境だ。半年かけて1番からずっと続く取り組み。第一楽章冒頭近くの6小節目。
一つ前の第5小節目の一番最後の音はG線上のCだ。だから6小節目の冒頭の嬰へ音は小指で取る。こうした増4度はバッハの醍醐味だ。直前がCなので小指が自然である。同じ小節の中に嬰へ音が全部で3回出てくる。赤いアンダーラインをいれておいた。
実は直前がCではないにもかかわらずこれらも小指で取ってみた。意外とこれがくせになる。はまるというか。同小節にはCが2回ある。青いラインを打ってある。これらは断固薬指だが、嬰へを小指で取ることでなんだか交通整理が出来た感じがする。
先生に聞いてみたところ、「問題ありません」と一言。当然なんだろうと思う。大きなヴィオラをいじるなら当たり前の工夫かと。
バッハのガンバソナタは1番からずっとこの手のC線上の嬰へが多い。うだうだとどうしようかと迷いながら弾いているよりは、譜読みの段階で「これは小指」と決めてぐりぐりと楽譜に書いてしまう方がいい。
さてさて、今日の記事もまた「マイカー用常用USBの更新」ネタではあるのだが、これ実は「マエストロたちの晩餐」にもつながる話になっている。「マエストロたちの晩餐」ではバッハを含む13名の作曲家が選ばれているのだが、私自身で13名となると多過ぎはせぬか と嘆いた。
ところが、マイカー用常用USBの更新から導き出されたギガバイトランキングのベスト13をこれにあてたい。以下に13位までをギガバイト順に列挙する。
以上13名だ。「マエストロたちの晩餐」にあやかって13名にしたから、メンデルスゾーンもシューマンも入ったけれどベスト10なら落ちていた。ハイドン、モーツアルト、ベートーヴェン、シューベルトの4名はこんなもん。曲が多い分ハイドンが膨らむくらい。地味にすごいのはシューベルトかもしれぬ。これほぼ歌曲だけの数値だ。でもって実はヴィヴァルディが好きだとも分かる。
テレマン、ブクステフーデ、パッヒェルべルは、意外なランクイン。2018年の墓参ドイツ旅行以来の傾向が続いていたかもしれぬ。
で、「マエストロたちの晩餐」にいなかった人は赤文字にしておいた。ちなみに、「マエストロたちの晩餐」にいて、こちらにはいない人は5人。リスト、ショパン、パガニーニ、ヘンデル、クララ・シューマンだ。
やったことはおバカだが、できあがってみると思ったより健全なランキングだ。
昨日の記事「ギガバイトランキング 」の続き。
これをやろうと思うのだから世の中涼しくなってきたということかと申すと、そうでもない。もう2年半くらい前からなので、暑さに関係なくやっていた。じっくりじっくりパソコンにCDをアップロードも一段落したということだ。
所感をいくつか。
自分でもよくわからんかった、自分のマインドシェアの記念碑として貴重だ。
もしかして、これって相当おバカか。
さてさて、我が家のCDおよそ2000本の中から、マイカーでの鑑賞のためにとUSBを準備した。256GB4本組である。
そりゃあ2000枚には同じ曲を違う演奏でという目的でかなりな枚数がかさんだが、この度それらを吟味した。絶対に聞かないと決めたものはUSBへの収録をしていない。マイカーで聞くかどうかだ。自室で聞く分には何ら問題はない。そういう意味で、常用USB化という企ては有意義だった。
結果何が起きたかというとギガバイトランキングである。4本のUSBのファイルをパソコン画面に表示する。そこには作品で1つのバイト数が表示される。それを複数合計した数値も簡単に表示される。つまり全ての作曲家について、作品数ではなく収録した合計バイト数が表示される。
これはすごい。
以下に全てを記す。生年、GB、名前の順だ。
総勢70名。ひとまず目立つところを赤文字にしておいた。
62.5GBブラームスが、バッハに負けている。しかもバッハが一人100GB超えだ。
自宅貯蔵のCDがマイカーで聴けないトラブルに対応するにはUSBしかない。なんと256GBのUSB1本用意してブラームス全作品を取り込んだ。
となると次は、他の作曲家だ。こちらも落ちはUSBという一点で共通している。
結局上記の4本立てに落ち着いた。ブラームスに次いでバッハも256GBのUSB1本をあてる。3番目はバロック。これはイタリアとドイツに分けてファイル化し、作曲家の生年をキーにソートした。もちろん256GB1本だ。
4番のその他もまた256GB1本。
この6名に独立ファイルをあてた。のこりは「その他」でくくった。で作曲家という切り口では分類に困るCDたちはまた「オムニバス」として別途ファイルをあてる。例えば「宗教改革」「クリスマス」「ドイツ民謡」「学生歌」などなど。
常用USBの計4本組という枠組みと書いてあっさりと記事にしたが、これは相当大変だった。がしかし、実は楽しかった。時間がかかったというだけで、事前の準備に少々手間がかかったが、それとて趣味の内だ。
CDのコレクションをUSB化する動きは、当然ブラームスを筆頭に始まった。用意するものは、256GBのUSB1本。そしてパソコンとCD。これらを次々とUSBに取り込む。CD1枚あたり30秒くらいか。適当なタイトルをつけて保存。
マイカーでUSBを再生しようとすると、ファイルの画面になるので、その画面展開に合わせてUSBの中を整理する。
収録作品はもちろん全部だ。主要作品については聴き比べ用の同曲異演も入れる。
早いものでマイカーの交換からまもなく3年になる。そろそろ第一回の車検ですよという案内も舞い込み始めている。
前回の更新 で何が驚いたかと言って、「もう車でCD聴けません」という宣言だった。CDという媒体がLPに取って変わったころから、脳味噌が進歩していない。2000枚にも達するCDコレクションを、車で聴けないということだ。
これが大問題で、対応策をあれこれ考えたが、聴きたいCDをUSBに落としておくという他に、具体策はなかった。2000枚のCDを順にパソコンでUSBに取り込むということだ。
あれから、2年半。
右往左往したが、ほぼその枠組みが固まった。簡単ではなかったがやってみてよかった。「自室では従来通りCD」「マイカーではUSB」と棲み分けが出来ている。
さて、写譜を趣味にしてみてはという算段の話。
我が家には亡き妻の形見のヴァイオリンがある。今年の春少々の出費をしてメンテした。18年前長女がヴァイオリンを辞めて以来のブランクだった。工房の先生に「いっそあなたが弾いては?」と言われその気にもなりかけたが、やはり風あての域を出ない。巨大ヴィオラとのサイズの差は胴長で10センチにも達する。ヴァイオリンに持ち替えた瞬間の違和感は言葉にならない。ヴァイオリニストがいきなり巨大ヴィオラを構えた時の違和感と比べるとどうなのだろう。
で、バッハのヴァイオリンソナタ第4番ハ短調BWV1017が好きで、なんとかヴィオラで弾けないものかと楽譜を探してありついた。最初はあるだけでありがたかったが、いろいろ試しているうちに、違和感も感じた。
このときだ。
いっそ私がヴァイオリンを弾いて、オリジナルのヴァイオリン版をとは、まったく思わなかった。
ちっとも。
でも、もしヴァイオリンが弾けたら、ヘンレの原典版があるから写譜は不要だ。
それでもやはり私はヴィオラにこだわった。
その結果、いっそ写譜したらとなる。やってみると写譜が意外と楽しくて、手間でも苦労でもない。それどころか写譜周辺のネタでブログの記事がいくつか書けるわいと、ほくそ笑んだ。
かくして「写譜」は「演奏」「バッハ」とならぶ老後の三位一体とまで思い詰めるにいたった。
新たに買い求めた弓のおかげで、前の弓はスペアに回った。たまに取り出して弾いている。
C線をガンガン鳴らすという意味ならこちらの弓が適任なのかもしれない。同じ力加減で弾いた場合、新しい弓だと音量が落ちる。無理に力を入れて鳴らそうとすると弓がそれを拒否するような感じがする。
「楽器の鳴り」とは何なのか?
「mf」「f」「ff」という具合にダイナミクスを上げてゆくことが鳴りなのか?
ことバッハに限ってみると、「f」などのダイナミクス記号はあまり出てこない。バッハ限定でこの先弾いてゆくなら、「f」のカ所で気合いを入れるという切り口では、空回りする。
鳴りはフォルテではない。
気がし始めている。
5月に弓の損傷が発覚。あれこれ悩んで40日後6月16日に新しい弓を購入した。
年金生活1年目の家計をやけに圧迫する価格。あれから3ヶ月だ。購入から3日間、かなり弾きまくったせいか、左手に異常を感じて自ら練習時間をセーブして今日まできた。
まずは、すっかり慣れた。元の弓の感触を忘れるくらい。
巨大ヴィオラでC線を鳴らす夢から覚めて、全体のバランスに気をつけるようになった。C線は優しく鳴ってくれる。バロメーターはむしろA線にある。A線の高いポジションの音の収り。高いと申しても3ポジ止まりで充分。
バッハのアリオーソを優しく鳴らすのが日課。フォルテなんて要らん感じ。
一般に個人が好きな作曲家を挙げた場合、13人は多過ぎはしないか?複数の愛好家の意見を聞けば合計で13人くらいは自然だが、一個人の好きな作曲家で13名は多すぎる。私はブラームスとバッハでおなかいっぱいだ。
先の「マエストロたちの晩餐」の企画、自分で13名を選ぶとかなり苦労する。
だからますます難解だ。「マエストロたちの晩餐」を選んだ人の基準だ。何が基準なのか?
さて、マエストロたちの晩餐は続く。
この絵が、実はダヴィンチの「最後の晩餐」のパロディだとなると、気になるのは、ユダ。本物ではバッハの位置から左に3人目にユダが描かれている。そこに描かれているのは、本作ではパガニーニだ。悪魔に魂を売った伝説が関与しているのか。
そこは、もっとフランクかもしれない。
例えばこのメンツ、どうだろうピアノ作品の厚みという観点から眺めてみる。パガニーニ以外だ。左からリスト、ショパン、ブラームス、シューマン夫妻、バッハ。そしてモーツアルト、ヘンデル、ハイドン、シューベルト、メンデルスゾーンにラストはベートーヴェンと来る。ピアノ作品主体の楽譜ショップの店頭でアクセサリーとして売られていて何ら問題のないメンバー。
作品のジャンルという意味で、唯一ユダと重なる位置にいるパガニーニでひとまず、説明がつく。つまりヴァイオリン系だ。異教徒とでも申すか。
そうした目で見ると、フランス人やワーグナー、マーラー、ブルックナー、ドヴォルザーク、チャイコフスキーあたりの落選も違和感はない。イタリアオペラなんぞどうでもよろしい。
それどころかブラームスが当落線上だった可能性さえ浮かぶ。
昨日の記事「マエストロたちの晩餐」の続き。
いやあ、驚いた。アイデアに驚いた。
誰が選んだのだろう。
最年長はヘンデル。最年少はブラームス。女子はクララ・シューマンだけ。中央にバッハ。どう考えてもダヴィンチの名作を思い出す。おのおのの人物のポーズは、ダヴィンチの原画に忠実だ。いわく「イエスがこの中に裏切り者がいる」と言ったシーン。
ドイツ語の話者ばかりかと申すとそうでもない。リスト、ショパン、パガニーニは違う。このメンツを見て誰かが何か文句を言うとするなら、フランス人全滅あるいは、ワーグナー不在か。ブルックナーやマーラーもおらん。イタリアオペラはお呼びでない感じ。で、チャイコフスキー、シベリウス、グリークそうそうドヴォルザークもおらん。
私はよゆーで買い求めたが、実際にこれをほくほく買うのはどんな層なのか。
ここにいる13人より、おらんメンバーを考えさせられる。
バッハ、ヴァイオリンソナタ第4番ヴィオラ版の第二楽章のパート譜から極端なハイポジションを削除するための写譜を終えた。
大切なことがある。名人でもないヴィオラ弾きに第5ポジションを強いる編曲とは何なのか。ずっと考えていた。大好きな同ソナタをヴィオラで弾きたいニーズはどこからくるのか。
ポイントは下記。
これ、ト音記号だ。102小節。3拍目裏にCがある。このCはヴィオラC線のオクターブ上だ。これをヴィオラC線開放弦で弾くよう編曲した。このCが全部で3回出てくる。それらを全てC線解放で弾くように変えてみたのだ。
辺りの景色が一変した。釣られてC線のフレーズもちょくちょく出てくる。AsやBなどのハイポジションをなくすことばかり考えていたが、同時にそれはC線を鳴らす編曲だった。一連のオクターブ下げは、ハイポジ逃れの小細工ではなく、C線鳴らしの工夫であったと、再度位置づけることで、後ろめたさが数段減じられた。
C線弾きたくてヴィオラを弾いている。
バッハ、ヴァイオリンソナタ第4番ハ短調のヴィオラ版。第二楽章を自分で写譜した。
気づいたことをいくつか。
という訳でバッハ、ヴァイオリンソナタ第4番ハ短調の第2楽章のヴィオラパートを写譜した。
ひとまず。写譜が終わった状態だ。第二楽章109小節全てである。インターナショナル社の楽譜の同楽章には、ヴィオラで弾いて5ポジが出てくるから、流れを読みつつオクターブ下げた。フレーズの途中で不自然なオクターブの上下動が生じぬよう心がけた。横一段20センチの五線紙なので3等分して、一段には3小節と決めた。4分の4拍子で全て16分音符なら20個の音符が入るように写譜することになる。
できあがったところでまずはほっとするのだが、実はここからしばらくは実際に弾いてみる。オクターブの上下動を自分でいじったところがなじんでいるかをチェック。写譜ミスの発見修正に努める。シャープ、フラット、ナチュラル、スラーやスタカートを注意。ト音記号とハ音記号の切れ目に注意。5ポジ回避は至上命令だが、必ずしもト音記号を忌避しない。無理してハ音記号にこだわると、高い音は仮線が増えるので、ト音記号はありだ。
で、今回はボールペンで写譜した。これ鉛筆とどちらがいいのか研究が続く。
長女宅への訪問が、1歳記念の餅背負い以来だと話しながら出かけた日だから9月4日のことになる。
いつも通り、孫はにこにこと出迎えてくれて、相変わらず愛想がいいのだが、母である長女が心配顔を隠さない。便秘だ。2日の夕方に小児科を受診し飲み薬を処方されてはいたが、まだ出ない。もう4日になる。もしでなければ「座薬」をと言われたと途方に暮れている。
「やりましょう」と母の結論が早い。母は赤ちゃんへの座薬投与に慣れている。大人の手が多いときにやりましょうと。言うやいなや母はもう座薬の封を開けている「これあなた方の時と形がおんなじ」と。あなたは便秘じゃなくて高熱だったとか記憶がいい。入れた後少し押さえているとまで申している。
便秘とは言え元気な孫の手足を私が押さえて、母が座薬を詰める。14:28だ。長女は赤ん坊をあやす。そりゃあ泣く。いつもと違う泣きだ。すませてすぐもう長女が孫を抱きかかえて寝かしつける。このまま寝かせればいい。と、一同思っていたらすぐ、もよおしてきた。7分後くらい。座薬の後は我慢も必要だが、赤ん坊に言っても通じぬ。おむつの中を覗いたら座薬が飛び出していた。
どうしよう。もう一回トライかと議論しているうちに、「あれー」と長女。何やら匂う。おお。さっそくおむつ交換。4日分としてはまだまだの量だが、匂いはかなりなもん。で、14:45にはもう昼寝が始まった。
めずらしく70分の昼寝のあと、また催してきている。ここもすぐに交換。我々が長女宅を去る夜までに計3回だ。翌朝「ばあちゃんすごい」「あたし一人だったら出来なかった」とラインが入ったので母に見せた。
「ひ孫に座薬か」と嬉しそうな母だった。
本日次女誕生日。30歳に到達する。母が60歳の時に生まれたから、母の90歳と同時だ。覚えやすいと言って喜んでいた次女がもう30歳だ。
2年前の8月2日、結婚のため家を出て以来、しばらく母は体調が優れなかった。さびしさが原因と分かっていたが、どうにもならなかった。妻没時5ヶ月だった最愛の末孫だから。今長女が孫に寄せるような献身を、母は次女に捧げてきた。
気持ちはわかる。
どちらもおめでとう。
バッハのヴァイオリンソナタ第4番ハ短調BWV1017のヴィオラ版。せっかく購入したインターナショナル社に文句はないが、第二楽章だけ、音が高い。やはり第3ポジに留まらぬと、練習が走らん。第2楽章弾くために第5ポジションの訓練をする時間が少々もったいない。
と、思い詰めた結果、第二楽章だけ全109小節を写譜することにした。
用意するもの。
手順。
着工が8月9日土曜日だった。で109小節写譜を終わったのが11日。写譜が3日で終わるなら、第5ポジションの訓練よりはずっと効率がいい。
その3日間、練習はお休み。これつまり左手の不調に対する練習間引きで浮いた時間にはめ込んだということだ。左手は休まったが肩が凝り出した。
バッハ、ヴァイオリンソナタ第4番ハ短調のヴィオラ転用版にはまっている。大好きなこの曲をなんとかヴィオラで弾きたいと思い詰めて入手した楽譜は、オクターブの下げを駆使してヴィオラで弾けるように工夫している。各楽章ともオリジナルのヴァイオリンで弾くなら第3ポジションで収まるのだが、ヴィオラでとなると無理も出る。
各楽章の処理っぷりを整理する。
問題は2と4楽章。どちらも部分的にオクターブ下げなのだが、これ練習してみると4楽章の方がすんなりくる。隠さずに申すと4楽章は3ポジで収まっている。一方で2楽章はちらほらとAやBが出る。第5ポジションだ。ファインガリングに妙な指示もあってストレスがたまる。
第二楽章、曲としては大好きだが、実際に演奏するとなると、還暦過ぎのなんちゃってヴィオラ弾きが、身体にむち打って限られた時間で練習するので、5ポジの訓練は優先順位が低い。
どうしよう。
さてさて、バッハのヴァイオリンソナタ第4番BWV1017のヴィオラ版が続く。
終楽章冒頭は以下。
ご注目いただきたいのが、2小節目のピアノの右手「低いCの連打」だ。これが大好きでこの作品を聞いているようなものだ。通称「ドンドン」である。ヴィオリンには第6小節目に現れるけれどこちらは「低いGの連打」になっている。でピアノの左手には第20小節目にまたCの連打。で押し詰まった44小節目に今度はヴァイオリンにGの連打で出現する。全4回。ピアノが左右で各1回、ヴァイオリンが2回だが、2回目はオクターブ下のGつまり開放弦だ。
ヴァイオリンのG線が解放で鳴らされるのはなんだかかっこいい。この44小節目のGGが解放なのは意味ありげに聞こえる。
インターナショナル社はオクターブ下げでヴィオラ版に対応しているがこのドンドンはどうにもならない。仕方なくヴィオラのG線の解放で弾くのだが、これがC線解放にならぬ無念を感じながら弾かねば。
そりゃあもう分かっている。インターナショナル社刊行のバッハ、ヴァイオリンソナタのヴィオラ版には、校訂者ダヴィッドと編曲者ヘルマンのどちらの仕業ともわからぬ書き込みが印刷されている。およそ下記。
まあ、大量にあるので上記には慣れも必要だ。
中には
第三楽章51小節目の指示。青丸で囲んでおいた。「4」と「0」が縦書きされる。D線のフラジオだ。バッハの時代の演奏習慣には疎いが、フラジオってどうなんだろう。「フラジオという手もありますよ」という提案かとは思うが。
もはやこれらは19世紀後半の演奏習慣の反映でしかない気もしてきた。
さてもさても、バッハ、ヴァイオリンソナタ第4番ハ短調のヴィオラ版インターナショナル社の楽譜について。
ヘンレの原典版にはない記載がかなり多い。特にフィンガリングを指示する番号が目立つ。ヘンレの原典版には一切出てこない。だから校訂者の見解の反映だ。これらのフィンガリングの指示はどういう意味なのだろう。弾き方の一つの提案と考えることにしているが、あまりに多いので落ちつかない。特に「4」だ。小指の使用に関する指示が事細かである。
たとえば。
第2楽章も終盤近くの上記。赤で印をした2カ所。ト音記号だから「As→G」に「4,4」と振ってある。読み下すと最初のAsを小指で取って、次のGもさらに小指で取ると読める。「第4ポジションの小指を下に半音ずらしてGをとれ」ということだ。
私の疑問は「けっこうなテンポで走る中、スラーでつながった音をあろうことか小指をずらせというのか」である。私には無理だ。直前の音「As」や「Es」を1で取ればいいだけのことではないのか。そもそもこのあたりは全体にオクターブ下げろと言いたい。なんのためのヴィオラ編曲なのか?ヴィオラでこのあたりの3,4ポジションの妙技を聞かせてどうする。
これが無理なくすんなりと出来ちゃうほどの名人だということのアピールなのか?
私は、このフィンガリングで弾くための技術がない。限られた人生、その訓練に割く時間も惜しい。
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