ガルテンハウス
「Gartenhaus」と綴るドイツ語。庭付き家屋と訳される。その昔中世のドイツでは、農家も手工業者も自宅が職場だった。日の出とともに起き、日没によって一日の仕事を終える。事情は都市でも同じだ。市門の開閉は日の出日没が基準とされ、日没後つまり市門閉鎖後、市内は事実上外出禁止だった。夜警の出番というわけだ。職場イコール自宅なら通勤を考えなくてよいからそれで問題はなかった。
事情が変わって来るのは港町。とりわけハンザ都市では裕福な商人が郊外に家族を住まわせるようになる。たびたび蔓延する疫病が都市を中心に猛威を振るうことが経験的に学習されると、この傾向に拍車がかかることになる。ハンブルクで最初のガルテンハウスは1600年頃発生したといわれているが、爆発的流行を見せるのは17世紀中期からだ。貴族以外の上流市民のステイタスになってゆく。産業革命によってひと財産築いた事業家もこれに追随する。
そこではたと考える。
家計を助けるために夜のバイトでピアノを弾き続けたおかげで、健康を害したブラームスをみかねて、父の友人ギーゼマンが、ブラームスを自宅に招待した逸話がある。リースヒェンという娘と仲良くなった話だ。後に美談に発展する話の舞台はハンブルク近郊のヴィンゼンだ。そしてギーゼマンは製紙業を営んでいたとされている。つまりブラームスは、ギーゼマン家のガルテンハウスに迎えられたということだ。
後日、両親の不和に悩むブラームスに仕事場としての下宿を提供したレージンク夫人のケースもあった。彼女が提供した家もハンブルク郊外のハムだった。彼女もまたガルテンハウスを提供したということになる。
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