クリスマスコンチェルト
「ラフォリア」と並ぶコレルリの代表作。合奏協奏曲集op6の8番目だ。フィナーレ第4楽章後半に、「キリスト降誕の夜のために」と題した旋律が現れることに由来する。
そもそもコレルリは、「ヴァイオリンの歴史」や「ヴァイオリニストの系譜」的な著述の中では不可欠な人物だ。つまりは大物である。音楽史、演奏史どちらにおいても大物だ。
「ラフォリア」と並ぶコレルリの代表作。合奏協奏曲集op6の8番目だ。フィナーレ第4楽章後半に、「キリスト降誕の夜のために」と題した旋律が現れることに由来する。
そもそもコレルリは、「ヴァイオリンの歴史」や「ヴァイオリニストの系譜」的な著述の中では不可欠な人物だ。つまりは大物である。音楽史、演奏史どちらにおいても大物だ。
楽器による伴奏のない合唱または重唱。注意が必要なのは独唱だ。「楽器による伴奏のない独唱」はアカペラとは言わない。現在では意味が薄れているが、教会で演奏される宗教作品を指すケースが本来の用法だった。
ブラームスには以下の通りアカペラの作品がある。
12の作品番号に分かれた合計56曲である。作品番号の無い作品で9曲存在する。このうち3曲でアカペラと明示がある。古式にならったためか大半が宗教的な内容の作品である。伴奏が要るか要らないかの判断をブラームスがした結果だが、基準は必ずしも明確ではない。
レノンマッカートニーと言えばビートルズに多くの作品を供給したソングメーカーユニットだ。ポールマッカ―トニーとジョンレノンの2人を指す。どちらの作品かは原則として詮索しないのだが、ヴォーカルを担当する方が、曲もテキストも作っていたと言われている。
本日話題の「高野&岡野」も知る人ぞ知るソングメーカーユニットだ。
レノンマッカートニーと違って作詞作曲が分担されている。1909年以降、唱歌教科書編纂委員となった2人の合作から次々と名作が生まれた。
文部省唱歌の「作者を明かさない」という方針により、長らく作者不明のまま歌い継がれてきたが最近研究が進んでいるという。「冬景色」も彼らの作品ではという説もある。
このうち「朧月夜」と「故郷」は2012年ドイツ公演で次女たちがニュルンベルクで披露した。
というよりも次女が通っていた高校の校歌は「高野&岡野」の作品である。6度跳躍から立ち上がる格調高い校歌だ。
アルトラプソディop53のテキストがゲーテの「冬のハルツ紀行」だということは割と知られている。ゲーテは「ファウスト」の執筆のためにこの地を訪れていた。ハルツ地方は旧東西ドイツの国境を形成する山地だ。最高峰ブロッケン山1142mはワルプルギスの舞台である。つまりこのあたり一帯は魔女信仰が存在していたということだ。
804年フランク王国のカール大帝は30年にも達する征服戦の末、ザクセン族を帰順させた。これによりザクセン族はキリスト教化されて行く。つまりザクセン族は古来の信仰を捨てさせられたのだ。アレクサンダー大王の末裔を自称するザクセン族だが、ハルツ山地の甘い水が湧く泉から生まれたという伝承も残されている。ハルツはザクセン族が古来信じてきた宗教にとっての聖地だったのだ。キリスト教化がある程度進んでも、昔の信仰を捨てられない人々が、密かに集まって宗教的儀式を行っていたのがブロッケン山だった。キリスト教側から見ればそうした集まりは異端だ。邪教である。
それが魔女信仰の由来になっていったと解されている。ワルプルギスというのは、ザクセン族のキリスト教化を勧めるためにブリタニアから呼び寄せられた聖女だった。異端信仰を捨てさせるために来ている聖女だ。名目上春の訪れを祝う祭りでありながら、聖女ワルプルギスへのささやかな抵抗であった。
工事中
ブラームスの誕生日おめでとう。
今日は世界中から女性ピアニストがブラームスさんのために駆けつけてくれています。全18曲のインテルメッツォを18人の女性ピアニストが入れ替わり立ち替わり弾いてくれるようです。たった今、ブラームスさんとシューマン夫人が席に着きました。
巨大ケーキが会場に運び込まれたところでいよいよ演奏が始まります。
<第1部>オープニングは作品76の4曲だ。
<第2部>ヨーロッパ、ロシア、北米、日本多彩な国籍の参加者が作品116からの4曲に挑みます。
<第3部>いよいよ佳境の作品117の3曲だ。
<第4部>最高齢の参加者アクセンフェルトさんは、意外なことにただ一人ドイツからのエントリーで作品118を締めくります。
<第5部>フィナーレ作品119の3曲の前にブラームスさんに174本のロウソクを吹き消していただきます。
おおおおっと。これでお開きの予定だが、興に乗ったブラームスさんが、シューマン夫人と何か弾きはじめたぞ・・・・・。これはワルツイ長調op39-15だ。
ウイーンのブラームス邸宅前特設スタジオでした。
工事中
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学生の頃仲間内の会話で単語を逆さにして言い合っていた。音節が2個の単語の場合、音を入れ替えて、真ん中に長音棒を挿入する。「飯」は「しーめ」だし「金」は「ねーか」となる。
「ルービ飲みに行こうぜ。」(ビール飲みに行こうぜ)
「いいや、しーめが先だぜ」(いいや、飯が先だぜ)
という具合である。音節が3個以上になると完全な逆さではなくなる。「バイク」は「クイバ」で「電車」は「しゃでん」だ。
聴くところによるとこの風習は広く音楽関係者の間に根付いているらしい。海外、特にドイツ語圏ではどうなっているのだろう。モーツアルトと従姉妹の間で交わされた手紙はその種の言葉遊びに溢れていると聞いた。ブラームスはどうだろう。
思い当たる節もある。ブログ「ブラームスの辞書」や著書でお手上げ同然になっている課題に「倒置」がある。「molto cresscendo」と「crescendo molto」の類だ。日本語の真面目な文法であれば「倒置」は強調なのだが、はたして音楽用語でもこの考えが通用するのだろうかという疑問提示でお茶を濁している。まさかとは思うが倒置のパターンのいくつかが逆さ読み遊びに近い感覚だったなどという身も蓋もないオチもありはせぬかと、少し心配になってきた。
2011年7月17日の記事「Fix oder Nix」で、ブラームスがハンブルク女声合唱団のための規約を起草したと書いた。その規約の全貌は、あきらかになっていない。複数の伝記の中に現れる断片的な言及だけが頼りだ。
毎度毎度の荒唐無稽な妄想がある。
ハンブルク女声合唱団の規約を起草したブラームスは、学士会の規約を参照していたなどということはあるまいか。1853年にヨアヒムとともに夏を過ごしたゲッティンゲン大学の学士会活動に触れ、その学士会規約を手にしていたなどということはないだろうか。
少なくとも時期的には矛盾がない。
工事中
聖人の書いた書物または、言行を書き留めた書物。もっとも尊重されるべき宗教の教義を指す用法も一般的だ。聖書やコーランなどがその代表格である。
我がブログ「ブラームスの辞書」左サイドバナー最上段に鎮座するブラームス神社も、作曲家ヨハネス・ブラームスを主神とする宗教である。だから教義が存在する。ブラームス神社の聖典は「楽譜」である。「もっとも尊重されるべき教義」という定義で過不足がない。昨今の原典版尊重の傾向とも矛盾しない。
さて、信者の数が多い宗教ともなると教義を一にしながらもその解釈をめぐって宗派が形成される。音楽も一緒だ。同じ楽譜を見ながら人によって解釈が違う。アナリーゼという名の注釈書が百家争鳴という様相を呈することになる。私のブログや著書も、そうした注釈書群の「ワン・オブ・ゼム」に加わりたいと思っている。
ブラームス神社は「ブラームス教私派」の総本山という位置づけである。何しろ弱小宗派なので皆様からのアクセスだけが頼りである。
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