唯一の声楽
13歳、中学1年生で第九に目覚めて、お決まりのごとく合唱付きのフィナーレにはまった。鑑賞の中心が極端に器楽に偏っていたせいで、オペラ全滅は申すまでもなく、バッハのカンタータも、シューベルトのリートも、シューマンの合唱曲もみな視界に入っていなかった。細々とした例外が、音楽の授業で習う「魔王」と「流浪の民」だった。ましてやブラームスは蚊帳の外も外の、論外であった。大学4年になるころ、ブラームスのドイツレクイエムが台頭するまで、私にとって第九が唯一の声楽であり続けた。
これがどれほど偏った嗜好なのかわかったのはつい最近だと申していい。ベートーヴェンに傾倒はしたのだが、フィデリオには目が届いていなかったし、ましてや歌曲も視界になかった。それがベートーヴェンだとまっすぐに信じていた。最初にはまったのがモーツアルトだったら、オペラはすぐに視野にはいってきたはずだ。
今ではもったいないことをしたとは思わない。声楽作品を温存できたと思うことにしている。未盗掘古墳みたいなものだ。
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