賓客をもてなすために天子自ら迎えに出ること。言葉の出所は中国だ。天子がわざわざ出迎えるために宮殿を出るのだから、そんじょそこらの客ではない。郊迎と称してやばい客を首都に入れないという側面がありはしなかったか疑っている。ちなみに郊迎する場所を郊外といった。さしずめ副都心であろうか。
ソナタ形式最後の使い手ブラームスは(この断言も凄い)、主題再現に趣向を凝らす。主題の旋律が原調で再現するのが普通なのだが、原調での再現の前に一瞬原調以外の調で主旋律を歌うことがある。主旋律が郊迎に出るかのような感じである。いくつかの実例を紹介する。
断るまでもないが、これらは典型的なブラームス節である。一旦正しくない調で主題を再現し、聴き手につかの間の安堵感を与えはする。旋律は再現されているのに調が正しくないという状態を意図的に作り出している。作りはするのだが、程なくそれが束の間の安息だと悟らせもする。かくなる手続きの後、待ちこがれた原調が回帰して、「やはりここしかない」と思わせる寸法だ。「正しくない調」にいるとわかった瞬間の心の揺れも鑑賞の目的の一つだ。よくある手とわかっても感動させられる。
ブラームスがはじめて訪れたリスト邸で、リストが自作を演奏する間に居眠りをしたというエピソードに疑問を差し挟んだ。その後の2人の無邪気な対応が不自然だと。
確かにブラームスはリストの作品を評価していなかったし、リストもブラームスの作品をレパートリーに加えた形跡が無い。けれどもブラームスがブレークして以降、2人は時代を代表する作曲家同士、大人のつきあいをしていたと見る方が自然だ。
1882年2月2日、ウィーンでブラームスのピアノ協奏曲第2番の演奏会があった。独奏者にビューローを据えたこの演奏会をリストが聴きに来ていた。ビューローはリストの弟子だから、お呼び立てしたのかもしれない。休憩時間に2人は談笑し、リストがこの協奏曲の楽譜を所望したという。ブラームスは印刷したての楽譜をリストに贈った。
リストのピアノ独奏で聴いてみたいような気もする。
11月26日の記事「都市対抗初演ダービー」の優勝をライプチヒに決定する。受賞理由は以下の通りだ。
上記4にも書いた通り、1859年1月27日のピアノ協奏曲第1番の初演は、大抵の伝記が言及している大失敗だった。さらに第一交響曲も他の都市に比べて冷ややかな反応だったっと伝えられている。加えてライプチヒを本拠とする大出版社ブライトコップフとは、弦楽六重奏曲第2番にからむトラブルから絶縁状態に至っていた。
ライプチヒの鮮やかな方針転換の原因は何だろう。
1879年1月1日のヴァイオリン協奏曲の初演ではないかと感じている。本来初演は1878年のうちに別の都市で済ますはずが、作曲の微調整が長引き結果としてライプチヒに初演のお鉢が回ってきたと推定した。それが良いキッカケになったのだ。バッハが永らく奉職したことで知られる、ライプチヒ・トマス教会が、ブラームスにカントル就任のオファーを出したのが、まさにその年1879年だった。
1886年2月18日にはピアノ協奏曲第2番がライプチヒで演奏された。第1番のリヴェンジを果たす大成功となった。
おめでとうライプチヒ。
昨日大晦日の記事「越年」で、ブラームスのヴァイオリン協奏曲の初演が越年したと書いた。1879年1月1日ライプチヒが初演だった。奇妙な偶然がある。一昨日の記事「皆勤都市」を注意深く読むと判る。
初演ダービーの対象となった3つの協奏曲のライプチヒ初演を見るがいい。
全部元日だ。これが交響曲ともなるとライプチヒ初演は全て元日ではない。だから協奏曲がいっそう際立つ。私好みの偶然。この話を本日公開したいがために、「ワイン特集」の次に「初演特集」を持ってきたおめでたい脳味噌。今年もまたこの手のおバカなこだわりと共に。
あけましておめでとうございます。
ダイナミクス記号「mp」(メゾピアノ)は、ブラームスにおいては特異な分布を示す。第1交響曲を皮切りに堰を切ったように現れる。作品中の分布量で申すならピアノ協奏曲第2番においてピークを形成する。「ブラームスの辞書」ではこれを「メゾピアノの巣」と呼んでいる。以下の通りだ。
たかだか4割ドボダスの段階で断言は危険だが、ドヴォルザークにおける「メゾピアノの巣」はおそらく交響曲第8番だと思われる。下記の通りである。
ご覧の通りみなおいしい。当然と申しては何だが作曲年は1880年より遅い1889年だ。
ピアノ協奏曲第2番に言及する文章は高い確率で、イタリア旅行の影響を指摘する。
指摘はされているのだが、根拠が深く掘り下げられていないのもお決まりである。1881年第2回イタリア旅行の直後に作曲されたこと以外は詳しく論じられない。作品のどこがどうイタリアに関係があるのかという議論が大抵置き去りにされている。
ブラームスのイタリア旅行好きは有名で1878年を皮切りに1893年まで全8回挙行されている。3回目の1882年だけが9月で残り7回は全て春先である。
一方でブラームスの作曲はほとんどが夏の間だ。ウィーンを離れる夏の避暑地で作曲されているのだ。第1回のイタリア旅行の1878年以降ブラームスは亡くなるまでに18回の夏を経験しているが、そのうちの7回はイタリア旅行明けだということに他ならない。大雑把に申せば壮年期以降のブラームス作品の3分の1強がイタリア旅行直後の夏に生まれたことになる。何故ピアノ協奏曲第2番ばかりがイタリアの影響を取り沙汰されるのだろう。
ブラームスほどの大家だ、イタリアの印象がその直後の作品にストレートに反映することは希だと思う。旅行を含む日常の生活の出来事が作品に反映することは無いと断言したいくらいだ。むしろそうした痕跡が顕著に現われることを恥としていた可能性さえ考えている。ブラームスがイタリア旅行にはまっていたことは動かし難いが、イタリア音楽に対しては冷静に距離を保っていた。
私ごときには、イタリアの影響など軽々しく論ずることは出来ない。
ブラームスのピアノの腕前は微妙な位置にある。10代前半から公の場で演奏し高い評価を得ていたことは知られているが、しからばピアノ演奏のヴィルトゥオーソかというとうなずき難いという。演奏に関してはリストやショパンあるいはクララに並ぶ才能とまでは言えなかったらしい。レパートリーも壮年期以降はもっぱら自作の演奏に限られていたという。
ピアノ協奏曲第2番でブラームス自身がピアノ独奏をした演奏を聴いたチャールズ・スタンフォードの証言がある。音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第3巻177ページだ。
「両手にあまるミスタッチの山」「タッチが固くコントロールが出来ない」「遅い楽章では ビロードの肌触りだがその他は疑問」
こんな演奏だったのだ。コンクールだったら本選にさえ進めないだろうし、新聞の演奏評に書かれてしまっては致命的でさえある。
しかし筆者の主眼はそこにはない。「威容と解釈においてこんな演奏は聴いたことがない」と続くのだ。「どうせ楽譜には正しい音が書いてあるのだから、間違えた音を弾くことなど些細なこと」「音の間違いなど弾き手も聴き手も気にしていない」
これがブラームスの故郷ハンブルグでの演奏会だったことを差し引いても異例である。筆者を含む聴衆が皆、作曲者自らの演奏という状況に酔っていたのかもしれない。
ああ聴いてみたい。
管弦楽曲において、弦楽器はいつも合奏させられている。同じ楽譜を複数の奏者が弾くという意味だ。もちろんヴァイオリン協奏曲やチェロ協奏曲の独奏者は独りで弾くが、そうしたケースを除けば基本的に弦楽器は合奏である。独奏した場合と合奏とでは、明らかに音色が違う。やがて作曲家たちはその音色の違いに着目し、管弦楽作品中に弦楽器の独奏を意図的に配置するようになる。時代が下ってオーケストラの編成が大きくなればなる程、音色の落差が大きくなって行くから、変化をつけたい作曲家に重宝されるようになった。
ベートーヴェンの交響曲には見あたらなかったと思うが、「ミサソレムニス」にヴァイオリン独奏がある。シューマンの第4交響曲にもドヴォルザークの8番にもヴァイオリン独奏がある。新世界交響曲には弦楽器のトップ奏者たちによる繊細なアンサンブルも用意されている。マーラーの五番にはヴィオラ独奏とヴァイオリン独奏が出てくる。忘れてはならないシエラザードの超絶な独奏ヴァイオリンも有名だ。ラロ「スペイン交響曲」やベルリオーズ「イタリアのハロルド」などはもはや協奏曲の域だ。
もちろんブラームスにもある。
これらの曲では演奏終了後、ヴァイオリン奏者やチェロ奏者が特別な拍手を受ける場合もある。ラヴェルのボレロの演奏後スネアドラムの奏者がそうされるようにである。CDによっては名前が別記されているケースもあるから相当な出番だと認識されていると判る。
管弦楽に出現する独奏弦楽器の出番を見渡したとき、そのカッコよさにおいて上記2番3番は図抜けているように思う。プレイヤーのテクニックの披露という側面よりも、その場所が独奏でなければならぬ必然の方が勝っているという意味で絶妙のソロだと思う。そしてそれでもやっぱりカッコいいというのが最大の魅力である。このあたりのバランス、勘違いが起きがちであるが、ブラームスは踏み外していない。
「ブラームスの辞書」の中で下記の意味でしばしば用いられている。
執筆中は上記4の意味で漠然と使用していたが、よく整理してみると上記1~3の用法が混在しているのだと思えるようになってきた。なぜ混用してしまったのか、今になって振り返ってみると、上記のパターン全てあるいは複数を併せ持っている場所が少なくないからかもしれない。
以下に実例を挙げる。
ソナタ形式を「再現部に向けた帰宅のドラマ」だと位置づけるとき、外出の到達点は重要である。「どれほど遠くまで来たのか」によって、再現部への道のり、つまり帰宅の手順が決まるからだ。上記1番第一交響曲の例では、「相当遠いところに来てしまった」という響きに満ちていると思う。「さあて、そろそろ帰るか」というブラームスの促しが目に浮かぶようだ。こういうときは大抵低い音域で何かが動き出すのだ。
ソナタ形式楽曲中でのこの種の準備の周到さにおいて、ブラームスは比類無い境地に達していたというのが本日の話題の前提になっている。
001 用語解説 002 ドイツ旅行① 003 ドイツ旅行② 004 ドイツ旅行③ 050 空席状況 051 お知らせ 052 総集編 053 アラビアンナイト計画 054 セバスチャン 055 令和百人一首 056 拾葉百首 060 ブラームス神社 061 縁起 063 賽銭 070 ドイツ分室 071 地名辞書 072 地名探検 073 地名語尾辞典 074 地名語尾 075 ドイツ語 076 ドイツ方言 077 ドイツ史 078 ハプスブルク 079 人名辞典 080 イベント 081 謝恩クイズ 082 かるた 083 のだめ 084 お盆 085 中国出張 086 英国研修 087 ブログ出版 088 意訳委員会 089 ドヴォルザークイヤー総集編 090 ドヴォルザーク作品一覧 091 平均律与太話 092 暦 093 バロック 094 ドイツバロック 095 イタリアンバロック 100 作曲 101 編曲 102 楽譜 103 音符 104 楽語 105 テンポ 106 音強 107 拍子 108 調性 109 奏法 110 演奏 111 旋律 112 音型 113 リズム 114 和声 115 対位法 116 形式 117 編成 118 ヘミオラ 119 テキスト 120 ベースライン 121 再現部 122 微調整語 123 語彙 124 表情 125 伴奏 126 ジプシー音楽 140 ソナタ 141 変奏曲 142 フーガ 143 ロンド 144 コラール 145 間奏曲 146 スケルツォ 147 ワルツ 148 レントラー 149 緩徐楽章 150 セレナーデ 153 カプリチオ 154 トリオ 155 序奏 156 シャコンヌ 157 メヌエット 158 舞曲 159 カンタータ 160 ブラームス節 161 分布 162 引用 170 楽器 171 ピアノ 172 ヴァイオリン 173 ヴィオラ 174 チェロ 175 コントラバス 177 オーボエ 178 クラリネット 179 ファゴット 180 ホルン 181 トランペット 182 トロンボーン 183 チューバ 184 ティンパニ 185 トライアングル 186 チェンバロ 187 オルガン 190 鍵盤楽器 191 弦楽器 192 木管楽器 193 金管楽器 194 打楽器 195 メゾソプラノ 196 アルト 200 作品 201 ピアノ曲 202 歌曲 203 器楽 204 室内楽 205 交響曲 206 協奏曲 207 管弦楽曲 208 合唱 209 重唱 210 民謡 211 オルガン 212 オペラ 213 カノン 214 連弾 215 練習曲 216 学生歌 230 ドイツレクイエム 231 交響曲第1番 232 交響曲第2番 233 交響曲第3番 234 交響曲第4番 235 大学祝典序曲 236 ヴァイオリン協奏曲 237 ピアノ協奏曲第1番 238 ピアノ協奏曲第2番 239 二重協奏曲 248 弦楽六重奏曲第1番 249 弦楽六重奏曲第2番 250 ピアノ五重奏曲 251 クラリネット五重奏曲 252 弦楽五重奏曲第1番 253 弦楽五重奏曲第2番 254 弦楽四重奏曲第1番 255 弦楽四重奏曲第2番 256 弦楽四重奏曲第3番 257 ピアノ四重奏曲第1番 258 ピアノ四重奏曲第2番 259 ピアノ四重奏曲第3番 260 ピアノ三重奏曲第1番 261 ピアノ三重奏曲第2番 262 ピアノ三重奏曲第3番 263 ホルン三重奏曲 264 クラリネット三重奏曲 265 ヴァイオリンソナタ第1番雨の歌 266 ヴァイオリンソナタ第2番 267 ヴァイオリンソナタ第3番 268 チェロソナタ第1番 269 チェロソナタ第2番 270 クラリネットソナタ第1番 271 クラリネットソナタ第2場 272 FAEソナタ 300 作曲家 301 バッハ 302 シェーンベルク 303 ドヴォルザーク 304 ベートーヴェン 305 シューマン 306 メンデルスゾーン 307 モーツアルト 308 ショパン 309 シューベルト 310 ワーグナー 311 マーラー 312 チャイコフスキー 313 Rシュトラウス 314 リスト 315 ヘンデル 316 ヴィヴァルディ 317 ヴェルディ 318 ヨハン・シュトラウスⅡ 319 ビゼー 320 ブルックナー 321 ハイドン 322 レーガー 323 ショスタコーヴィチ 324 テレマン 325 ブクステフーデ 326 パッヘルベル 327 シュメルツァー 328 フローベルガー 330 プレトリウス 331 シュッツ 350 演奏家 351 クララ 352 ヨアヒム 353 ミュールフェルト 354 アマーリエ 356 ビューロー 357 クライスラー 358 ヘンシェル 362 シュットクハウゼン 400 人物 401 ファミリー 402 マルクゼン 403 ジムロック 404 シュピッタ 405 ビルロート 407 ビスマルク 408 ハンスリック 409 フェリクス 411 マンディ 412 ヴィトマン 416 カルベック 417 ガイリンガー 418 エルク 419 グリム兄弟 420 森鴎外 421 ルター 422 源実朝 431 アガーテ 432 リーズル 433 マリエ 434 ユーリエ 435 オイゲーニエ 436 ベルタ 437 リースヒェン 438 オティーリエ 439 シュピース 440 トゥルクサ 441 バルビ 442 シシィ 443 メルケル 500 逸話 501 生い立ち 502 性格 503 学習 504 死 505 葬儀 506 職務 507 マネー 508 報酬 509 寄付 510 顕彰 511 信仰 512 友情 513 恋 514 噂 515 別れ 516 こだわり 517 癖 518 読書 519 リゾート 520 旅行 521 鉄道 522 散歩 523 食事 524 ワイン 525 タバコ 526 コーヒー 527 趣味 528 手紙 529 ジョーク 530 習慣 531 住居 532 恩人 533 指揮者 534 教師 535 暗譜 536 美術 537 ビール 550 楽友協会 551 ジンクアカデミー 552 ハンブルク女声合唱団 553 赤いハリネズミ 554 論争 555 出版社 556 初版 557 献呈 558 伝記 559 初演 560 校訂 571 ウィーン 572 ハンブルク 573 イシュル 574 トゥーン 575 デトモルト 576 ペルチャッハ 577 ライプチヒ 578 デュッセルドルフ 579 フランクフルト 580 ベルリン 581 アイゼナハ 582 リューベック 583 ニュルンベルク 590 イタリア 591 イギリス 592 チェコ 600 ブログMng 601 運営方針 602 自主規制 603 アクセス 604 検索 605 カテゴリー 606 記事備蓄 607 創立記念日 608 ブログパーツ 609 舞台裏 610 取材メモ 611 マッコークル 612 シュミーダー 613 一覧表 614 課題 615 カレンダリング 616 ゴール 617 キリ番アクセス 618 キリ番記事 630 記念 631 誕生日 632 命日 633 演奏会 634 正月 635 ヴァレンタイン 636 クリスマス 637 ブラームス忌 638 ブラスマス 639 クララ忌 641 愛鳥週間 642 ランキング 699 仮置き 700 思い 701 仮説 702 疑問 703 お叱り覚悟 704 発見 705 奇遇 706 区切り 707 モチベーション 708 演奏会 709 感謝 710 よろこび 711 譜読み 712 音楽史 720 日本史 721 日本人 722 日本語 723 短歌俳句 724 漢詩 725 三国志 727 映画 728 写譜 730 写真 731 数学 732 レッスン 733 ビートルズ 740 昔話 741 仲間 742 大学オケ 743 高校オケ 760 家族 761 父 762 母 763 妻 764 長男 765 長女 766 次女 767 恩師 768 孫 780 スポーツ 781 野球 782 駅伝 783 バスケットボール 784 サッカー 785 アントラーズ 786 バドミントン 790 コレクション 791 CD 792 ipod 793 楽譜 794 書籍 795 グッズ 796 愛器 797 職場のオケ 800 執筆の周辺 801 執筆の方針 802 ブラダス 803 校正 804 譜例 807 パソコン 808 ネット 809 ドボダス 810 ミンダス 820 出版の周辺 821 パートナー 822 契約 823 装丁 825 刊行記念日 840 販売の周辺 841 お買上げ 842 名刺 860 献本 861 ドイツ国立図書館
最近のコメント