ライプチヒの誇り
11月26日の記事「都市対抗初演ダービー」の優勝をライプチヒに決定する。受賞理由は以下の通りだ。
- 対象7曲全てに加えピアノ協奏曲第1番を含めた8曲全てを、完成後初のシーズン中に取り上げている。
- ヴァイオリン協奏曲の世界初演を開催している。
- 4つの協奏曲全てが1月に演奏され、とりわけ対象となる3つの協奏曲の初演が全て元日になっているこだわりがある。偶然ならなおのこと凄い。
- ピアノ協奏曲第1番に寄せられた、不評を覆す大方針転換を感じさせる。
上記4にも書いた通り、1859年1月27日のピアノ協奏曲第1番の初演は、大抵の伝記が言及している大失敗だった。さらに第一交響曲も他の都市に比べて冷ややかな反応だったっと伝えられている。加えてライプチヒを本拠とする大出版社ブライトコップフとは、弦楽六重奏曲第2番にからむトラブルから絶縁状態に至っていた。
ライプチヒの鮮やかな方針転換の原因は何だろう。
1879年1月1日のヴァイオリン協奏曲の初演ではないかと感じている。本来初演は1878年のうちに別の都市で済ますはずが、作曲の微調整が長引き結果としてライプチヒに初演のお鉢が回ってきたと推定した。それが良いキッカケになったのだ。バッハが永らく奉職したことで知られる、ライプチヒ・トマス教会が、ブラームスにカントル就任のオファーを出したのが、まさにその年1879年だった。
1886年2月18日にはピアノ協奏曲第2番がライプチヒで演奏された。第1番のリヴェンジを果たす大成功となった。
おめでとうライプチヒ。
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