第一交響曲がある種の葛藤を背負っているという話、中国出張中の「のだめ」系の記事で言及した。今回はさらにこの周辺の議論を煮詰めてゆきたい。
第一交響曲の持つハ短調という調性を前に人々は何を想像するだろう。おそらく十中八九はベートーヴェンとの関連を想像すると見て間違いはない。ベートーヴェンにはハ短調の楽曲が多い。短調では第一位だ。ちなみに長調では変ホ長調なので、ベートーヴェンのフラット3個への執着が見て取れる。その象徴は第五交響曲。ブラームスの第一交響曲とベートーヴェンの第五交響曲がハ短調を共有することは象徴的だ。
ブラームスの第一交響曲の直前にもハ短調の室内楽が相次いで生まれている。第一交響曲と同様に「情熱」と「絶望」を内包する曲調だ。ピアノ四重奏曲第三番op60と弦楽四重奏曲第一番op51-1だ。これに第一交響曲を加えた3曲は、調性のほかにも一致点が少なくない。緩徐楽章の直前楽章がハ長調で終わること。緩徐楽章の旋律がソのシャープまたはラのフラットで始まること。作曲の途中に長い中断があったこと。創作経歴の最初期で着手されながら完成までの間に15年~20年のブランクが横たわる。その間、作曲に忙殺されていたわけではない。棚上げされていたのだ。最後の1ピースを見つけるために、あるいは余分な1ピースを取り去るためにかもしれない。
さらに作品番号できわめて近い53番「アルトラプソディー」も、中断は見受けられないながらもハ短調のこの系譜に属していると思われる。周知の通りクララ・シューマンの娘ユーリエへの失恋が反映しているのだ。
作品番号で言うと51、53、60という具合に「情熱」と「絶望」を背負ったハ短調の楽曲を、執拗に繰り返してきたブラームスは、一連の締めくくりとしての第一交響曲op68ではじめて歓喜への到達を実現させる。クララ・シューマンへの誕生日の旋律を先導役として、歓喜の旋律が降臨する。のだめの作者様が、このあたりを捉えて、千秋真一の葛藤からの開放をトレースして見せたことは、記憶に新しい。
おそらく、この時期のハ短調の密集と、作曲の中断はクララ・シューマンに関係があると思われる。ゆえにハ短調を過剰にベートーヴェンと結び付けてはならない。第一交響曲は、この渋滞からの開放の象徴なのだ。だから千秋のトラウマ脱出のドラマを余すところ無く反映させることが可能だったのだ。
実際用語使用面でも第一交響曲が分水嶺となっているケースが後を絶たない。「pesante」「mp」などは、第一交響曲を境に意味合いに変化が起きているようにも見える。第一交響曲を完成させる課程で何かがあったと考えねば辻褄が合わない。そしておそらくそれは、クララ・シューマンに関係がある。
過剰な想像は慎まねばならない。
ブラームスの伝記を紐解くと、数多くの音形遊びに溢れている。「FAF」や「AGATHE」などがその典型だ。私もひとつオリジナルの音形遊びを提案する。
特定の調性を音2つで代表させるとしたらどうなるだろう。多分主音と第三音だろう。ハ長調なら「C」と「E」だ。この調子で行くと今回話題のハ短調は「C」と「Es」になる。「Es、Es」と続けてつぶやくといい。いつのまにか「S」(エス)になってしまう。そう「CとEs」は「CとS」なのだ。「CS」・・・・・・。なんということだ。これは「クララ・シューマン」のイニシャルではないか!ブラームスの数多いハ短調の楽曲全てと申し上げるつもりはないが、少なくとも第一交響曲とその直前の3曲のハ短調は、クララ・シューマンとの「踏ん切り」を象徴しているのではないかと密かに考えている。
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